天壌霊柩 ~式神たちの旅~ 第12回

 今日の斎実のいでたちは、昨夜の百合のお株を奪うような藍の江戸小紋の単衣で、朝顔の帯も黒地に藤紫と、けして華やかではない。そんな、若い娘には少々地味すぎる夏の着物に、神職とも遍路ともつかぬ白い麻の羽織を重ねているから、恐山の暗い小屋に座ればそのままイタコになれそうだ。

 とはいえ、代々の御子神斎女の衣裳センスを、斎実はむしろクラシックで好ましいと思っているし、昨夜の不機嫌な表情は、その顔のどこにも残っていない。混浴と既成事実の成立には失敗したが、風呂上がりの温泉街散策は上出来だった。ほどよく酔いを残した慎太郎の上機嫌に乗じて、かつてなく密着できた。年の差問題に関しても、今日の女将さんのルックスなら、ちょっと頑張れば自分でも追いつけそうな気がする。

「ええ、私も後で聞いて、びっくり仰天しちゃったわ」

 百合の口調も、斎実には姉妹のように親しげになっており、

「道楽にも程があるって思うでしょ? 今走ってるこの道も、その先にある家屋敷も、航空写真や衛星写真では、ただの森に見えるように工夫してあるのよ」

 それには慎太郎も感心した。確かに道の先の頭上は、常緑樹の密な枝葉に彼方まで覆われている。その下に未舗装の細道があることを、空から見分けるのは不可能だろう。

「なるほど。これなら誰にも見つけられない理屈ですね」

 昨今は、グーグルアースで秘境の一軒家を探し当て、わざわざバラエティー番組に仕立て上げるテレビ局さえある。無論、取材を拒否すれば二度と近づかないだろうが、最初はいきなり車で乗りこまれかねない。

「はい。幼い頃のままの森で余生を送りたい――祖父母としては、そんな気持ちだったようです」

 学者の卵と聞いたからか、慎太郎に対する百合の口調はまだ堅い。

「もっとも祖母は別の土地で生まれたのですが、祖父は実際、この森の炭焼き小屋で生まれ育ったそうですし、幼い祖母と出会ったのも、森のはずれの小さなやしろ。同じ森に住む子供は、祖父と祖母の二人だけ。集落の分校に通うまで、電気も水道も使ったことがなかった――そんな日本昔話みたいな話を、私もずいぶん聞かされました」

 斎実が、夢見る乙女の顔で言った。

「それからずっと、二人いっしょなんですね。いいなあ、ロマンチックで」

 慎太郎は、夢見る世捨て人の顔で、

「……本当に羨ましい」

 なかば本心、いや三分の二以上は本心だった。

 慎太郎には、当時の深山の生活が具体的に想像できる。山室美津江は伯祖母おおおばの斎子と同い年、戦後間もない頃の生まれだ。まだ町場でも未舗装道路が多かった時代、林業の手が及んでいない深山の森には、ほんの踏み分け道しかなかっただろう。夜の明かりはせいぜい灯油ランプ、物資不足の頃なら植物油や動物油だったかもしれない。水は井戸水、あるいは沢水や雨水。そんな環境でも、人々は古い風習を守りながら、今では用途すら忘れられた種々の古民具を頼りに、営々と生を繋いできたのである。

 そして高度経済成長期、おそらくは生計たつきのために故郷の森を離れ、苦労の末に都会で財を成した老夫婦が、引退後、ある意味さらに贅を尽くして、懐かしい幼時の森に帰る――。

「実に羨ましい原点回帰だと思いますよ。僕がどんなに頑張っても、ほんの真似事しかできない。せいぜいソロキャンプに出かけるくらいで」

「でも、離れて暮らす家族としては微妙なんですよ。懐古趣味にも程があると思いません?」

「僕自身、懐古趣味の塊ですから」

「あら――だから大学で民俗学を?」

「はい。今は日本の古民具、とくに藁細工を研究してます。でも近頃は、フィールドワークで山奥の集落を訪ねても、目当ての旧家は真新しいトタン屋根やアルミサッシにリフォームされてしまって、貴重な古民具は、とうの昔に燃えるゴミに出された後――。百年前、いや、せめて五十年前にタイムスリップできたら、どんなに幸せかと思います」

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