天壌霊柩 ~式神たちの旅~ 第10回

 女将は、銚子が二本乗った盆を座卓に運び、

「そろそろ、お銚子が空いた頃と存じまして」

「ありがとうございます。今まで飲んだどんな酒よりも旨いですね。それにしても、女将さん自らお給仕とは――」

 慎太郎は恐縮し、事のついでに訊ねてみた。

「それに、この料理に、この部屋――ほんとに予約した料金で大丈夫なんですか?」

 女将は頬笑んで、

「わざわざ出雲から、こんな北国までお越し頂いたんですもの」

 慎太郎も斎実も怪訝な顔をした。その理屈だと九州から来た客は、もれなくこれ以上の待遇を受けることになる。

「そちらのくださんも、伊勢海老はお気に召していただけたかしら」

 管生くだしょうは目を見張った。

 斎実がおずおずと訊ねた。

「……うちのクーちゃん、見えるんですか?」

 女将は悪戯っぽい笑顔で、

「あら、ずいぶんかわいらしいお名前ですのね。実は、ほんの少し気配を感じるだけなんですよ。でも、そちらの竹筒が開いておりますし、伊勢海老の殻に囓った跡がありますから、たぶん食卓に出ていらっしゃるだろうと」

 女将は、改めて丁重に頭を下げ、

「わたくし、山室やまむろ百合ゆりと申します。山室美津江の孫でございます」

 そうだったのか――。

 食卓の三人、いや二人と一匹は、驚きながらも得心した。


 話に出た山室美津江は、御上斎子の古い知人である。

 今は出雲に根を張った御上家だが、明治期に東北を離れてからも、同業の山室家とは折々の親交が続いていた。斎子と美津江も、同じ流儀の拝み屋として、娘時代に深い交流があったらしい。

 しかし山室美津江は、何か思うところがあってか、あるいは持ち前の読みヽヽの深さからか、結婚を機に田舎での稼業を畳み、峰館駅前に夫婦で小さな食堂を開いた。それが高度経済成長の波に乗って大繁盛、さらに現在も続く好景気で大成長、結果的に東北有数の外食産業チェーンを築いた。今は事業のすべてを子供と孫に任せ、故郷の村で隠居しているそうだが、たぶんこの旅館も事業の一環なのだろう。

 その山室美津江が、御上斎子に昔の仕事ヽヽヽヽがらみで助力を得たいと手紙をよこしたのは、つい先週のことだった。斎子は結婚式に山室夫妻を招いたきり、お互いの多忙で一度も顔を合わせておらず、懐かしさもあって快諾したのだが、直後、急病で入院してしまい、斎実と慎太郎が代参したのである。


「私や母は、祖母から代々の流儀を受け継いでおりませんので、くださんをはっきり見ることも、使うこともできません。祖母自身も足腰が弱って、近頃は思うように動けません。祖母が申しますには、この国で今もしっかりくださんを使える巫女は、御子神斎女の血筋の方々だけだと」

 ならば、今夜の身に余る好待遇も腑に落ちる。

 慎太郎と斎実は、百合に負けじと丁重に頭を下げた。

 管生が懐かしげに言った。

「なるほど確かにこの女将、娘時代の美津江にどこか似ておる」

 管生もまた、山室美津江の旧知に他ならない。

「しかし今の話だと、美津江はまだトビメを囲っておるのか? とうの昔に、くだから放ったのではなかったか?」

「トビメ?」

 慎太郎が問い、斎実も興味津々で管生を見る。

「おう、俺の古い仲間よ。一緒に働いたこともあるぞ。元はおんなだが、おとこの俺より派手に敵を食らう」

 慎太郎も斎実も、その話は斎子から聞いていない。しかし代々同じ流儀で稼業を続けていたのだから、同じ動物由来の式神を使って当然だ。

「……おまえの同類が、もう一匹いるのか」

 慎太郎は、俄然、胸を躍らせた。

 この管生と自分の間柄に関しては、生まれながらの腐れ縁といった感覚で、時には尊大すぎて疎ましいことさえある。しかし民俗学者の卵として、二例目が見つかれば話は別だ。一つの発見が、単なる覚え書きで終わるか研究論文のテーマに昇格するか、それほど意識に差が生じる。

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