天壌霊柩 ~式神たちの旅~ 第9回

 斎実の強引さに負けたわけではないが、確かに当座の問題は別である。

 管生くだしょうは問題の伊勢海老を、殻ごとばりばりと囓りながら言った。

「確かにこれほど見事な山海の珍味は、お大尽や将軍とて、めったにありつけまいな。しかし斎子も斎江も、けしてあくどい稼ぎなどしておらぬぞ」

「でも、たとえば……一昨年おととし、俺の仕事の後で、あの校長が大怪我しただろう」

 慎太郎は、ずっと気になっていた例の件を持ち出した。

「あいつの悪行を知ってたのは、俺とおまえと、斎子婆ちゃんくらいだぞ」

「おうよ。確かに、あの外道は俺が成敗してやった。無論、斎子も承知の上だ。俺は勝手に竹筒を出られぬからな。なれど、あれはあくまで世のため人のためにやった仕事ぞ。余分な礼金など一銭も受け取っておらぬ」

「世のため人のため……ずいぶんおまえらしくない言葉だな」

「少なくとも斎子はそのつもりであった、と言うことよ。俺は正直、久々に人の肉を食らいたかった。とりわけ外道の睾丸ふぐり男根さおは、味がドス黒くて格別の珍味だからな。彼奴あやつが下手に暴れたはずみで、内股の肉もごっそり食いちぎってしもうたが、そちらは脂身が多すぎて今一つであったな」

「…………」

 慎太郎はすっかり食欲を失い、やけ酒のように盃を干した。

 斎実は平然と、根曲がり竹の湯葉巻きを味わいながら、

「まあ上出来なんじゃない? あいつ、一生立てなくなったらしいから」

「……おまえも知ってたのか?」

「薄々は想像してた。お祖母ばあちゃんの気持ちもわかる。あの仕事は、あの女性ひとに幸せな結婚をしてもらうのが目的だったから、警察にチクろうにもチクれない。それに今さらチクったって、とっくに時効になってる。だったらクーちゃんに出てもらうしかないよね」

 斎実はあっけらかんと言って、鯨の尾の身を箸先でつまみ、管生に差し出した。

「はい、クーちゃん、ご褒美あげる。でもクーちゃん、お祖母ばあちゃんって近頃ずいぶん丸くなったと思わない? 若い頃なんか、あんな鬼畜野郎を見つけたら、クーちゃんに丸呑みさせてたんでしょ?」

「おぬし、俺に喧嘩を売っておるのか。そうやって何度も何度も妙な名を。女だとて容赦はせぬぞ」

「怒ってるクーちゃんの顔ってほんとにかわいいよねクーちゃん」

「……………」

 管生は、これ以上抗議しても無駄とあきらめたのか、やや脱力した顔で、鯨の尾の身にかぶりついた。

「まあ、人を呑んだと言うても、せいぜい五六人ぞ。それも昭和の半ばまでの話。初代の昔には、何百人でも好きなだけ呑んだものだ。あの頃がつくづく懐かしい」

 斎実は、うんうんとうなずきながら、峰館牛の陶板焼きを頬ばり、

「なにこれ、おいしい! 慎兄ちゃん、早く食べないと焦げちゃうよ」

 お祖母ばあちゃんも管生も峰館牛もグッジョブ、そんな顔である。

「……あのなあ、斎実」

「なあに?」

「あんな話を聞いて、よく肉が食えるな。しかもレアだぞ」

「クーちゃんのゲテモノ好きは、昔から知ってるし」

「でも、外道のアレとかナニとか……」

 さすがに慎太郎としては、男性器そのものの俗称を、女子高生を相手に口にするのははばかられる。

 しかし斎実は、

「クーちゃんの言葉って、古文の授業みたいで時々わかんない。要するにケンタならドラムみたいなとこを、ごっそり囓ったんでしょ?」

 訳知り顔でうなずいたわりに、睾丸ふぐり男根さおといった古い俗語は、まったく理解していなかったらしい。

 このあたりは斎江おばさん譲りで、天然なんだよなあ――。

 慎太郎は、いくぶん気を取りなおし、陶板の霜降り肉に箸を伸ばした。

 その時、襖の外から声がかかった。

「お食事中に失礼します」

 女将の声に、二人とも「どうぞ」と応じる。

 襖が開いても、管生は伊勢海老を囓るのを止めただけで、どこにも隠れようとしなかった。元来、普通の人間には不可視の存在なのである。

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