天壌霊柩 ~式神たちの旅~ 第3回

 平凡な社会常識に従って考えれば、御上家のように特殊かつ古色蒼然とした稼業は、二代前で途切れてもおかしくなかった。

 実際、いかにも旧家らしく間取りの多いこの屋敷も、二代前の姉弟、つまり斎実の祖母と慎太郎の祖父が生まれ育った頃は、丘の麓のちっぽけな田舎家にすぎなかったと聞く。分家と呼ばれる家系が生じたのは、慎太郎の祖父である御上慎一が、地方公務員の正職を得て妻帯し、町中まちなかに家を構えてからだった。


 宗教法人『御子神みこがみ斎女ときめ』――昭和二十六年に宗教法人法が成立して以来、それが御上本家の正式な登記名称である。各地の神社仏閣同様、立派な宗教法人なのだが、正確に言えばあくまで単立宗教法人――神社本庁にも仏教の各宗派にも属さない、いわば市井の『拝み屋』である。

 同時に『御子神斎女』は、代々の女当主が継いでいる一種の名跡でもあった。歌舞伎の市川團十郎が、江戸時代から現在まで十何人いるのと同じことである。ただし歌舞伎役者とは違い、現在の御子神斎女が何代目なのか、残念ながら判然としない。平安時代、初代の斎女が遙か陸奥みちのくの地で活動開始したと伝わっているだけで、家系図はおろか神事の詳細そのものも、口伝でしか継承されない仕来しきたりなのである。とりあえず存命中の三人に限れば、斎実の祖母・御上斎子が先代の御子神斎女、母の斎江が当代の御子神斎女、斎実本人は次代の御子神斎女候補、そんな流れになる。

 江戸時代、斎子の四代前までは、奥羽山脈を望む北国の峰館市で、イタコの類に紛れていたらしい。しかし、その地では異端に属する西日本的な流儀が仲間から疎まれ、明治期、曾祖母の代に意を決して南下、流浪の末にこの出雲の地に流れ着き、以来、細々と独自の女性神事を継承している。そして男系の分家も、時として神事の一端を担う。


 家系が長い分、稼業の流儀も実に古い。密教と神道が混淆していた中世の色を、そのまま残している。代々の御子神斎女も、あえて時代の変化には迎合しない性格だった。

 無論、中世から近世、そして現代へと続く歴史の流れの中で、社会的な立場は千変万化したはずだ。精霊の存在や呪術の力が一般常識に組み込まれていた社会と、文明開化後の社会では、そうした稼業の立ち位置がまったく違う。実業から虚業に変わったといっても過言ではない。

 慎太郎が思うに、御上家の場合、せいぜい三世代の巫女みこだけで最小規模の家族営業を続けていたからこそ、明治以降も、市井の片隅で存続できたのである。個人営業の占い師と同様、単なる身の上相談で片づくセラピスト的な賃仕事がほとんどだが、一家の衣食住は充分にまかなえる。マルチ商法的な大手の宗教とは違い、ありもしない幻想を恒久的に量販し続ける気苦労がない。


 それでも、先代の斎子が御子神斎女の看板を背負った昭和四十年には、せいぜい数十人だった地元の信者――御上家では神道に習って氏子と呼んでいる――が、令和四年の現在は、すでに三百人を超えていた。

 マスコミやネットでの露出は御法度ごはっとの家風なのに、そこまで規模が膨らんだのには、いくつかの要因が考えられる。第一に、出雲では地方名士に属する一族が『御子神斎女』の霊験に惚れこんで、代々、登記上の法人役員を買って出てくれた。また、彼らの口利きで『御子神斎女』を頼ってきた人々が、高評価の噂話を近隣に広めてくれた。さらに、科学文明が発達すればするほどスピリチュアルな世界に惹かれる者が増えるという、昭和以来の社会的傾向も大いに加担したはずだ。


 今以上に拡大してはいけない、と慎太郎は思う。

 大手の宗教法人にありがちな、内紛や分裂騒動を心配しているわけではない。これ以上のペースで氏子が増えたら、今まで市井の口コミにとどまっていた評判が、いずれSNS等に流れ、拡散するのは目に見えている。そうなれば、新奇な情報を鵜の目鷹の目で探し回っているマスメディアが、嬉々として食いついてくるだろう。

 そうなった時、単立宗教法人『御子神斎女』の真の力を、どこまで隠しきれるか。

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