仰げば尊し青春譚
青海老ハルヤ
仰げば尊し青春譚
「青春のカミサマってさ、最高神だと思うんよ」
サヤがそう言うと、ミナミはとんでもなく顔をしかめた。ついに狂ったか、と顔が言っている。心外な。別にサヤは狂ってしまったわけじゃない。至って真面目な相談である。――少し発想が飛躍しやすいだけで。
「いや、あのさ、……青春のカミサマに選ばれるかどうかって結構重要だと思うんよ。青春できるかどうかで今後の人生決まるじゃん?」
言いつつサヤは英単語帳を閉じた。その勢いでもはや意味も忘れられた付箋の先がちぎれそうになる。英単語帳など開いたのは久しぶりだった。
サヤは推薦で大学に行こうとしていたのだった。少子化が進む現在、どの大学も学生確保には全力を注いでおり、推薦という制度はまさにピークを迎えている。一般入試と比べ自分の実力よりも高い大学に入りやすいため、受験生からすればまさに抜け道と言ったところだった。しかし、当然ながら何もしないで推薦を受けられるわけではない。3年間、大学ごとに定めている成績の水準をクリアしていたり、資格を持つことが必要である。
成績が悪いから推薦できない。そう担任に言い渡されたのが高3の夏休みに入る直前だった。本当はもっと前から警告されていたのだが、その声に耳を貸さなかったのはサヤの自業自得だ。
「いや、関係ないと思うけど」
気持ちいいほどのぶった切りに、思わずサヤも笑ってしまった。慌ててなんとか立て直そうとする。
「……ちょっと待って……一回最後まで聞いて、うん、よし……つまりね? 青春のカミサマに好かれた人は成功して、好かれなかった人はあまり成功しない」
なんとか笑いを押し殺して説明したが、ミナミは再び顔をしかめるだけだった。
「いや、だからさ、あんまり関係ないってそれ」
そう言いつつミナミは手に持っていた青いペンをくるりと回した。壁はともかく、何故か客まで暖色で統一されたカフェの店内では、そのペンはまるで夕焼けの月のように鮮やかに映えている。
「そもそもさあ、青春楽しんでない人も成功してる人も全然いるじゃん。ミュージシャンが高校時代不登校でしたーとか、すごい賞取った作家がウン十年彼女ができたことないーとか」
「いや、そういう人は例外よ。音楽の神様に愛されたとか、小説の神様に愛されたとかさ。でも、青春楽しんだ人で成功しなかった人は居ない。つまり! 一番最初に青春のカミサマが人を選んで、その後で他の神様が選んだんじゃないかなーって」
ね? と同意を求めたが、ミナミは釈然としないままだ。
「……いやごめん、無理。やっぱあたしには無理だわーあんたの感性理解すんの」
「なんでよ!」
逆に誰が分かるのよ、とミナミは数学の問題集のページをめくった。文理で別れてはや半年、それこそ文系のサヤにはその問題など理解不能なのだが。
「で? 結局何が言いたいの」
よくぞ聞いてくれました、とサヤはニヤリと笑った。結局のところ最高神云々はどうでもいいのである。行儀悪いがテーブルに肘を付き、手で口を隠す。残念ながらサヤはメガネを持っていないが、某アニメキャラみたく深刻そうな雰囲気を出す。更に声を低くかすらせられたら完璧なのだが、流石に厳しいので諦めて口を開いた。
「青春って……なんだろなーって」
「勉強。以上。コロナ禍で期待すんなバーカ。カフェで勉強できるようになっただけマシ。そんなこと考えてる暇あるなら英単語の一つでも覚えなさい」
ぐうの音もでない。
そんな会話の間もミナミはひたすら数学を解き続けていた。ルーズリーフの隙間はどんどんなくなっていく。どうせ黒くするならコーヒーでも零せばすぐに埋まるだろうに、なんて。
「馬鹿なこと考えてないで、ほんと英単語覚えな? ほんとやばいんだかんねサヤ」
「えなにミナミさん心読んだ? 読まないでくれます?」
「そういうのを馬鹿なことって言うんだよバーカ」
よくもまあこんなバカを勉強に誘ったもんだわあたし、と独り言のようにつぶやかれてサヤはむくれた。バカなのは自分でもよくわかっている。だからこそだ。
今度こそため息をついて英単語帳を開いた。
「って言うかさ、今この状況結構青春してるんじゃないの?」
そうミナミが切り出したのはもう夜になって暗くなった帰り道だった。カフェにいる間に雨が降ったせいで水溜まりが多く、夏のジメジメした暑さに拍車がかかっている。
最初何の話か分からなかったが、あれだよ、青春の、とミナミに面倒くさそうに言われて思い出した。
「夏の夜に、かけがえのない親友と一緒に大学受験の勉強した後、くだらないことを喋りながら一緒に帰っている」
言葉にしてみるとそれっぽく聞こえるから不思議だ。くそうミナミのくせに。
さぞかしドヤ顔でもしてらっしゃるんでしょうと振り向くと、ミナミは押している自転車のハンドルに肘を着き、考える人のポーズをしていた。思わず変な声が出てしまう。
「あんたさ……よくそんな恥ずかしいこと平気で言えるよね。かけがえのないってさぁ、ふざけてないと言えないわァフツー」
「そう?」
そんなに意識するほどじゃないと思ったが、そこを指摘するのも面倒なので話を続けてもらう。
「話戻すけどさ、それこそフツーの生活が青春なんじゃないの。楽しんだもん勝ちよ」
「……そうはいってもさー」
想像してたのと違う、という言葉を飲み込んでまたため息をついた。
さっきと同じことを言われるのは勘弁だ。
「何さ、思ってたのと違うって?」
「……心読まないでくれます?」
そんな大したこと考えてないじゃん、とミナミが笑った。
「まあね。なかなか難しいけどさ」
「……そういうもんかねー……」
サヤが首を傾げる。青春というとそんなモノなような……でも納得出来ないような。
「まあとにかく、勉強第一なことは変わらないんだから、明日もやるよ、いいね」
「あーまじ? やだなあ勉強、したくないなあ勉強」
「青春すんでしょ、精々楽しむんだよ」
ミナミがどっこらせ、と言いながら自転車のサドルに座った。もう別れる交差点なのでサヤも自転車に乗る。
信号が青に変わった。どちらともなく、「じゃあねー」「ばいばい」と言って道を進む。1人になって、一気に寂しさが訪れる。
多分明日もこの寂しさを味わうのだろう。それを青いとするならば、わざわざ青春しなくてもいい気もした。
仰げば尊し青春譚 青海老ハルヤ @ebichiri99
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