限界

 

「うわあああああ!」

墨野すみや!?」

 

 千代花ちよかが三つ巴に向かって突進していく中、部屋から墨野すみやの悲鳴が聞こえた。

 ゾンビのうちの一体が、どさくさに紛れて部屋の中に入っていったんだろう。

 クソ、集団は本当厄介だな。

 三つ巴は強敵だ。

 ゾンビは俺が……やるしかない。

 六体ほどいたゾンビは三つ巴に踏みつけられてどこかしらが損傷していたり、絶命している。

 部屋に入ったゾンビも、両足を潰されていた。

 這いつくばり、匍匐前進ほふくぜんしんで部屋の中へと進んでいる。

 ああ、本当に、吐きそうだ。

 ゲームの中では何度も敵を倒してきた。

 よろつきながら、錆びついた剣を握り直す。

 汗で滑って失敗しないように、力を込めた。

 怯えて後退りする墨野すみやに這い寄るゾンビ。

 その後頭部へ向けて、剣先を向ける。

 廊下では千代花ちよかと三つ巴の戦う音。

 ここまできて——千代花ちよかにやらせておいて、自分の手を汚さないなんて大人として、男として、人として——!

 

「っ!」

 

 いくらゾンビとはいえ、命を奪うことに躊躇するな。

 もう死にたくないだろう? なあ、俺。

 殺さなければ殺される。

 そういう世界なのだ。

 女の子に頼ってばかりは格好悪い。

 戦わなければ生きていけないなら、俺は戦うぞ。

 

『ギャァ!』

 

 ああ、気持ち悪い。

 錆びて鋭さのない剣が頭の丸みで滑り、ゾンビの耳を切り裂いた。

 せっかく背後を取ったのに、間抜けだな。

 すぐに剣を手放し、床に落ちていた斧に取り替えて持ち直す。

 俺の方を振り返るゾンビの顔目掛けて、目を閉じることなく振り下ろした。

 お前の命も、背負うから。

 成仏してほしい。

 

『ァギャァァァアッ』

 

 斧は重いから、切るというよりは潰す。

 一撃では殺しきれず、二回、三回振り下ろした。

 男の力でも、錆びた斧で頭を潰すのには胆力がいるらしい。

 飛び散る血を全身に浴び、痙攣するゾンビに血の気が引く。

 興奮で頭に昇った血が下がっていく感覚。

 熱い息を吐き出すと、ようやく“殺した”実感が湧いてきた。

 ゾンビとはいえ、命を奪った。

 生きるためだから、仕方ないのに。

 

高際たかぎわさん、大丈夫ですか!」

「あ……あ、ああ……だ、大丈夫……」

 

 千代花ちよかは、怪我してないか。

 言葉を続けたいのに、全身震えて声が上手く出ない。

 血に染まった両手を眺めて千代花ちよかが息を呑む。

 

高際たかぎわさん……」

「……千代花ちよかちゃんは、やっぱりすごいな。こんなに怖いことを、ずっと一人でやってきたんだもんな」

 

 俺は、ダメだ。

 自分がやったことが恐ろしくて震えが止まらない。

 早く斧を手放したいのに、自分の体なのに。

 

「な、なんで、斧、取れない」

高際たかぎわさん」

「っ」

 

 千代花ちよかが俺の体を抱き締める。

 補足小さな女の子の体に纏われたゴツいパワードスーツ。

 恐ろしい力なのに、それが優しく俺の体を包むのだ。

 圧倒的な力を前に、斧から手が離れた。

 

「間に合わなくてごめんなさい。私が間に合ってなかったから、高際たかぎわさんの綺麗な手を、ゾンビなんかの血で……汚してしまって……っ」

「い、いや……いいんだ。やらなきゃ、墨野すみやが殺されてた、から」

 

 助けると決めたのは千代花ちよかだ。

 俺も死なせなくて済むなら助けたいと思う。

 ウザいけど。

 墨野すみやはマジでウザいと思うけど。

 

「そうだ! お前が早く帰ってこないから!」

墨野すみや……!?」

「死にかけたんだ! ほんとに! 何回も! もう嫌だ! 冗談じゃない! 高際たかぎわまでゾンビを殺して……そういうのは、戦うのは、兵器を使ってるお前の仕事だろ! お前が——守ってくれなかったから……!!」

墨野すみや! やめろ!」

 

 咄嗟に襲われたのではなく、じわじわと追い詰められて墨野すみやもよほど恐ろしかったんだろう。

 泣きじゃくりながら千代花ちよかを責める。

 なにもできない自分への苛立ちもあるだろう。

 泣きながら、千代花ちよかを責め立てる墨野すみや

 

「す、すみません……」

千代花ちよかちゃんはなにも悪くないよ。違う。大丈夫だよ、墨野すみやはまだ混乱しているんだ」

「でも、私が……自分が楽しむためにゾンビを狩りに行ってしまったから……!」

「ちゃんと駆けつけてきてくれたじゃないか。墨野すみや、お前も落ち着けよ」

 

 俺自身、今それほど余裕があるわけではない。

 マジでやめてくれよ、仲介するのにも心の余裕ってもんが必要なんだわ。

 

「っ、でも、もう、限界なんだよ……!」

 

 墨野すみやの叫びに唇を噛む。

 そんなの、俺だって……!

 

「だ——だとしても、千代花ちよかちゃんは十七歳の女の子で、まだ学生だ。俺たちは成人男だぞ。情けないこと言うなよ……! 限界なのはみんな同じなんだ。ここまで来て自棄を起こしても、いいことなんて一つもない。だろう?」

「うっ」

「武器は手に入ったし、部屋はこのままでまた待機しよう。千代花ちよかちゃん、この階のゾンビは?」

「あ、は、はい。かなり減ってはいると思いますが……まだすべては倒しきれていないと思います」

「じゃあ、引き続きゾンビ狩りを頼むよ」

 

 部屋を変えることはできない。

 真嶋ましまが熟睡しているから。

 息を吐き出して斧を持ち上げる。

 

「バリケードを、改めて積み上げる。墨野すみやも少し寝てくれ。見張は俺がやるから」

高際たかぎわさん、大丈夫ですか?」

「……あんまり。でも、俺も少し休むから大丈夫」

 

 笑えてる自信はない。

 とにかく、地下四階を早く抜けて五階に行きたい。

 この地獄から早く出たい。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る