2015年 文化祭 高木ひまり-2

 秋晴れの町を、手を繋いで歩いた。

 休日に凛は制服で、ひまりは私服で歩いていたから異質に見えたのだろう。すれ違う人の大半はひまりたちのことを横目で見たり、場合によっては二度見をしたりした。

 その中には恐らく偏見によって蔑みの目を向けている人もいたが、凛が傍にいると思うと、不思議と平気だった。拒絶反応を起こすことは無かった。

 隣にいる凛が、まさに心の支えとなってくれた。

 しばらく歩いていると、視線を向けられることにも慣れてきた。

 周囲の細かな所に注目できるようになって、自分たちが手を繋いでいたことに気づいた。

 まるで恋人のようではないか。

 そう思うと、顔に血が昇っていくのが分かった。自分では見えないが、きっと顔は真っ赤になっているだろう。

 隣にいる凛に顔を見せることができない。こっそりと横目で彼を見る。

 凛もひまりと同じで恥ずかしそうにして、しかしそれを隠そうとして表情を取り繕っていた。無駄に真面目そうな顔をする彼が、いつもの彼らしくなくて何だか笑えた。

「ん、どうした?」

 ひまりが笑うと、凛がようやく顔を向けてくれた。

「いや、何か私たち、恋人みたいだねって思った」笑いながら言った。

「確かに。そう見えるかもな」

「そう見えるのも悪くないんじゃない?」からかうように言ってみた。

 ひまりとしては、普段、強気な凛へのドッキリみたいなものだった。

 しかし凛が急に黙ってしまうものだから、その言葉を肯定しているように感じてしまう。

「……まぁ、それもそうかもね」

 顔を逸らして、呟くように言った。

 二人はまた、黙ってしまう。気まずい空気が流れる。

 学校への道のりはまだ遠い。しかしその時間が短く感じた。

 秋の町に落ち葉が舞う。青春の香りがした。


      *


 学校に近づくと、まるで何かの野次馬かと思う騒音がした。

 それは校内に流れている流行りの曲のメドレーで、それが校外にまで漏れ出ていたのだった。学校の敷地に入り、ようやくそれが文化祭によるものだと理解したが、その曲はひまりの知らないものばかりだった。

 まるで他校を訪れたような感覚で校門を通る。

 アニメやドラマで見るような、校庭に出し物がある派手な文化祭ではなく、校内だけに留まった、公立高校らしい文化祭だ。

 それでも初めて見るひまりの目には、それらは全て新鮮に映った。

 申し訳程度に風船で装飾された玄関を、二人でくぐる。その頃には二人の手は離れていた。

 各々の下駄箱に向かい、うち履きに履き替えてから再び合流する。

 校内は華やかに装飾されており、玄関前の掲示板には外部の来客用に、催し物の案内地図が掲載されていた。

 二人はその前に立って、どんなものが出店されているかを見る。

「どれにしようか」

 目線を地図に向けたまま、凛に訊いた。

 地図にはクラスの催し物と、どこで開かれているのかが書かれている。ひまりのクラスが出しているお化け屋敷の他、クレープ屋、金魚すくい。スナックといった、無難なものから趣向を凝らしたものまで、様々だ。

「これなんかいいんじゃないか?」

「え、どれ?」

 ひまりは無邪気な子供のように、身を乗り出して訊いた。

「これだよ、これ」と、凛は指を差して示した。

 指先は体育館を差していて、そこは個人が申し出て見せ物をする、いわゆる文化祭のメインステージだった。

 ひまりは密かにそれを見ることに、憧れを持っていたのだ。

「私、教えたっけ?」

「何が?」振り向いて言った。「何となく好きそうだから。だって結構そういう動画見てたじゃん」

「え、いつ?」

「バイトの休憩中さ、文化祭でダンス踊ってる高校生の動画、見てたよね?」

「見てる私を見てたの?」

「まぁ、そうかな」

「えぇ」

 とは言いつつも、内心気遣って体育館に行こうと言ってくれたことに、喜びを感じた。

「さ、行くぞ」

 凛は話を強引に打ち切って、ずかずかと手を引いて歩いた。

 途中、クラスメイトとすれ違ったが彼女らはひまりには目もくれず、文化祭を楽しんでいた。記憶違いでなければ、ひまりが教室で嘔吐したとき、悪口を言っていた生徒のはずだが、ひ

 まりには目もくれずに通り過ぎていった。

 人目を気にしながら、手を握って歩く。

 カップルだと羨ましそうに見つめる女子生徒や、青春だねぇと懐かしむどこかの中年女性の姿が見えた。

 ひまりが思ったよりも、侮蔑の目は向けられていないことに気づく。

 そうして辿り着いた体育館は、カーテンが閉め切られており、互いの顔がぼやけて見えるほど真っ暗だった。ステージだけがスポットライトのように照らされており、辛うじて足場が見えた。

 人の隙間を縫って歩き、ようやく座ることができた。

 ステージではどこかのクラスのお調子者が二人揃って、テレビで見たことのある漫才をしており、体育館は笑いに包まれていた。

 テレビで見るその漫才は面白いと思うのに、彼らがする同じ漫才は、はっきり言って面白くはなかった。しかしこの会場には笑わせる何かがあるのだろう。

 面白いとは思わなくても、「さぁ、壇上から笑ってください」という雰囲気を感じると、会場は笑いの渦に包まれた。

 面白くなかったが、釣られて笑ってしまう。

 これが文化祭なのだと感じ、ひまりは楽しんで心から笑うのだった。


      *


 実際に来てみればなんてことない。

 しかし一人では絶対に来ることはできなかっただろう。

 彼だからこそ、ひまりは立ち直ることができたのだ。

 家族ではない、誰かの手が必要だった。

 「秋村翔太」という、ひまりの根底にある人格は、誰かの手を借りなければ治療不可能なくらいに歪んでいた。

 その根底にあったのは「人間不信」で、人を信じることができないからこそ、自分一人で抱え込んでしまう。挙句の果てに塞ぎこんでしまう。

 両親の愛を知らずに育ったこの人格は、愛を受容する方法を知らなかった。

 「高木ひまり」として生まれ変わることによって、暖かな家族の愛を知った。少しずつ、愛を受容する方法を知っていった。

 しかし家族とは心の支えであっても、家族だからこそ届かないところがある。

 それを外から支えてくれたのが齋藤凛だった。

 だから今のひまりにとって、凛はまるで運命の人のように見えていたのだ。

 いいや、もしかすると実際そうなのかもしれない。

 運命なんて誰も知らない。知らないがゆえに、自分がそれだと思った相手を探そうとする。もしも彼が運命の定めた相手ではないとしても、ひまりとっての運命の人はひまりが決める。

 彼をそんな風に思えるくらいには、ひまりは凛に感謝をしていた。

 だって、こんな素晴らしい世界を見せてくれたのだから。彼といるだけで世界が広がっていくのだから。

 それが運命の人でないというのなら、どうやって言葉にしようか。

 まさか「好き」とでも言えというのだろうか。

 もしそう言ったのなら、彼はどんな反応をするのだろう。

 でも、それは言えない。

 だってひまりは人殺しなのだから。

 凛に知られたくない。知られる前に、どうにかしたい。

 ひまりにはそんな秘密があるから。

 

      *


 文化祭を二人で回りつくした。

 その頃には文化祭も終わろうとしていて、飲食系の店は撤退を始めていた。

 二人は空き教室で休みつつ、文化祭の終わりのアナウンスを待っていた。

 ややあって、生徒会によるアナウンスが入る。

『生徒会長の船山です。文化祭の閉会式を行いますので、午後三時に体育館に集合してください。服装は自由で構いませんが、スマートフォンなどの貴重品、電子機器類は窃盗の危険性があるため、必ず持参するようお願いします』

 その声にひまりは身体を震わせた。

 彼に対して、大きなトラウマを持っていた。

 物音全てが遠く感じる。視界の端が歪み始める。身体の中を、ぐちゃぐちゃに搔きまわされる。心臓の鼓動が不規則に、しかし素早く刻まれていく。

「俺の手を握れ」

 凛はひまりの両手を手繰り寄せ、胸の前で包み込んでいることをひまりに見せた。

「大丈夫。俺がいるから。安心しろ」

 余計なことは言わずに、ただじっと、手を握っていてくれた。

 しばらくそうしていると、心音が穏やかになっていき、呼吸も正常に戻っていった。視界も正常になり、身体の震えも収まっていく。

「大丈夫か?」

 覗き込むように訊いた。

「うん、本当にありがとう」

「いいんだよ。これくらい」

 その手は握られたままだった。

 大きくて、少し乾燥していて、しかし確かに温もりの感じる彼の手。

 もう少し具合の悪いままでいようかな。


 文化祭の閉会式には出席しなかった。

 別に出席をしなくても、恐らくは見つからない。二人は空き教室で、あのまま過ごしていた。

 しばらくそうしていると、体育館の方から拍手が聞こえてきた。

 この高校には、毎年文化祭の閉会式に、生徒会長によるスピーチがある。きっとそれが素晴らしかったのだろう。船山の人望は凄まじいものだ。

 スピーチが終わると閉会宣言をし、そのまま文化祭の片づけが始まる。

 凛はクラスの片づけに戻らなければならなかった。

「ひまりはここで待ってる?」

「どうしようかな。文化祭委員なのに休んだの申し訳ないから、本当は少しくらいは片付け手伝いたいんだけど、この格好じゃあね」羽織った緑のカーディガンを引っ張って言う。

「保健室行けば借りれるかも」

「そうなの?」

「確かあったはず。前借りたことあったから、女子のもあるんじゃないかな」

「分かった。行ってみる」

「大丈夫なのか?」

「多分ね。凛がそばにいると思えば怖くないよ」

 凛は照れて顔をほんのりと朱色に染めた。

「まぁ、何かあったら二組に来いよ。俺のクラスは喫茶店だから、片付けすぐ終わるだろうし」

「うん、ありがとう」

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