第捌話 黒歴史
点滴には鎮痛剤を含め、青年を眠りに誘う成分が調合されていた。その影響で、次第にうとうとと、まどろんでいく。過酷なリハビリで疲労した肉体が、意識を手放すまでに時間はかからなかった。
「ねえ、隣の席いい?」
都内の大学に進学したとたん、どういうわけだか青年の周りに、美女ばかりが集まってきた時期があった。喜び浮かれる気持ちを通り越して、青年は戸惑った。どこを見ても、己を磨き抜いてオシャレしたモデルのような美女ばかり。
これが俗に言うモテ期というものか。否、絶対に何かがおかしい。
「ねぇ、私もここ座っていい?」
「私も」
「あたしもー! いいでしょ?」
「ねぇ、どこ住んでるの? ここから近い?」
講義中も、自分の席の周りが美女だらけ。食堂に座ろうものなら、テーブルを埋め尽くす美女たち。皆、青年に穴を空けんばかりに一途に見つめた。
(明らかにおかしい。周りの男子生徒に嫉妬されないのもおかしい。どうなってるんだ? 誰かに、この状況を相談したい)
思い悩んだ青年は、たまたま図書館で知り合って意気投合してできた男友達に、最近、異様なモテ方をしていると相談した。
「あー、なんかそういう集団がいるって噂には聞いたことがあるな。なんか、やべー奴ららしいよ。お前、そいつらに目ぇ付けられてんの? がんばって、抜け出せや。俺は女とケンカすんの苦手だから、助けてやれねーわ」
やべー奴ら、と言われても、今のところ青年に、これといった実害はなかった。
彼女たちは、栗色に染めた長い髪をきれいに巻いて、白くふくよかな胸元がはみ出る少々露出の高い服を着て、目鼻立ちを美しく輝かせる艶やかなメイクを施していた。
美しさで言えば、まるで花畑のよう。疑問に思うのは、春をイメージした清楚系ゆるふわチームと、これからジムにでも寄りそうなスポーティファッション系チームと、山登りやキャンプが似合いそうな山ガールチームと、ブランド物で着飾ったカッチリ系お姉様チームがいることだった。
チーム分けは、青年が独自におこなっただけで、彼女たちが意識してそうしているのかはわからない。しかしテーマらしきものを強く意識したオシャレをしていたような気がした。
美女に囲まれるのは嬉しいし、彼女たちは熱心に青年の話を聞いてくれた。そして、青年をもっと知りたい、もっと仲良くなりたいと言ってくれて、そんな彼女たちを、青年は雑に扱うことができなかった。
(彼女たちは、いったい何を考えているんだ? なんだか気持ち悪いな……。モテて嬉しいけど、こんな俺が、ここまで露骨で極端なモテ方をするはずがないじゃないか。絶対にからかわれてる……だけども、めいっぱいオシャレして俺を待っている彼女たちに、きつい事は言えないし……)
数週間が経過し、青年は精神的に参ってしまっていた。己に不釣り合いな美女たちに囲まれていると、こんなにメンタルがすり減るとは思わなかった。
彼女たちは、青年が本当に知りたい事には、絶対答えてくれなかった。笑って「なんでそんなこと聞くの? 私は好きであなたと一緒にいるんだよ」などと返されるだけで、教えてくれない。
自分のどこを好きになったのかと尋ねると「全部」と言われ、まだ全部を打ち明けていない間柄である青年は、自分の何を知っているのかと、またまた不安になった。
集中力が極端に落ち、成績が下がってしまった。
これでは良くない、と青年は意を決し、彼女たちに距離を置いてもらうよう頼みに向かった。
(ん……? 彼女たちが、他の男子生徒に絡んでる。なーんだ、俺だけじゃなかったのか)
自分だけが変にちやほやされていたわけではない、それがわかって、返って青年は彼女たちの気まぐれを受け入れてしまった。こういう人たちなんだ、と理解を示してしまった。
開き直った青年は、それまでの警戒心はどこへやら、彼女たちと遊びに出かけるようになった。勉強もそこそこにバイトに明け暮れ、彼女たちとのデート代に使ってしまった。
青年は清楚系ゆるふわチームを好きになった。いわゆる、ゆるふわガールというもので、ファッションもメイクも髪型も、なんとなく春の麗らかさを思わせる。青年は清楚系チームと話すことが多くなり、気づいたら他のチームが、すっかり青年から離れていた。
(俺に構われなくて、去っていってしまったんだな。俺はなんて罪な男なんだ)
青年は己のモテ期にどっぷり浸かっていた。自分好みの春のような美女に囲まれ、毎日幸せだった。
唯一の男友達に、とある動画を見せられるまでは。
「なあ、もう半年くらいあいつらと遊んでるみたいだけど、単位とか大丈夫なのかよ。俺がよく観てるサイトの新着動画の一覧に、こんなの出てたけど、これお前じゃね?」
なんのことを言われているのかわからないまま、友人のスマホの画面を、凝視した。画面に映っていたのは無料の動画サイトで、アドレスを登録すれば誰でも投稿・閲覧可能であった。友人が画面を操作すると、とあるチャンネルに五百以上にも及ぶ動画の、サムネイルのみが表示された。
青年は、血の気が引いた。
ピンクのキラキラフォントで、「今夜もデート代全額負担あざした!」という文字が。他のサムネイルには「単位よりうちら、あざっすww」「本日も自己肯定感爆上げww」「あたしら可愛いすぎ問題サーセンww」などなど、頭の悪いキャッチフレーズが、こんなにもずらりと並んでいる光景は、青年は見たことがなかった。
サムネに使用されている男性の顔にはモザイクがかかっていた。青年の顔にも。
再生数は全く伸びておらず、視聴者からヤラセ疑惑を持たれているせいではないかと友人は言うのだが、全て本当のことであると、青年だけは知っていた。
青年は大学の門をくぐるとすぐに、彼女たちに動画のことを問い詰めた。
すると、それまで花のようだった彼女たちの顔はいびつにひしゃげ、清楚なワンピースを着ただけのヤンキーになった。
青年は大勢の前で、聞いたこともない方言で弾丸の如く罵られ、ものすごく力の入った拳で顔面をぶん殴られた。あまりのことに、怒りや悲しみよりも混乱が勝ってしまい、体が動かず吹っ飛ばされた。
彼女たちはめちゃくちゃ喧嘩が強かった。もうこのままどこかの大会に出たほうが良いのではないかと思うぐらい強かった。そのことを知っていた者は無言で逃げ、そのことを知らなかった者は、怖がって逃げた。
青年は今まで楽しく遊んできた女友達を掴んだり、押さえつけたり、反撃で殴ったり蹴ったりすることが、できなかった。複数回殴られて口の中も切ってしまい、血まみれになった口腔では反論することもできなくなっていた。
殴られながら、気づいたことがある。彼女たちと、体の関係になったことが一度もなかった。
ボコボコにされ、保健室に運び込まれた青年は、友人から「警察に被害届を出せ」と勧められた。「証拠の動画はあるんだから、お前が勝てるぞ」と言われたが……。
(こんなことを、これ以上、表沙汰にしたくない。俺は彼女たちのために、大学生活をないがしろにしてまで、遊ぶ金ばかりバイトで稼いでいたのだから。ちょっと考えれば騙されていることに気がつく程度の浅いハニトラで、ここまでどっぷり搾り取られた証拠の動画なんて、誰にも見てほしくない……)
青年は己のふがいなさに大変失望し、恥ずかしさのあまり警察には言わなかった。この友人がいなければ、大学を中退していたかもしれない。
青年は最悪な目覚めを迎えた。
(なんて記憶だ……。こんなの、一生思い出さないままでいたかった)
昨日までは、あんなにも己に関する記憶を欲していたというのに。
(ただのヤンキー女どもの思い出動画作りに、利用されただけだった……。あいつらはこの先、大勢のバカな男どもを騙して撮った動画で、死ぬまで自己肯定感を爆上げして生きるんだろう。動画の管理サイトに連絡すれば、動画の削除依頼を受け付けてもらえるだろうか)
モザイク処理で顔がわからないから、放置していても問題はないだろう、しかし青年の気持ちの問題だった。
(ここを退院したら、まず初めにやりたいことが動画の削除依頼だなんて……)
急に自分の人生というものに、自信がなくなってきた。
(あんな学生生活を送って、まともな社会人に、自分はなったのだろうか……)
その記憶を、思い出したい気持ち半分、嫌な予感がするから忘れたままでいたい気持ちが半分。
(俺は今、幸せな大人になれているんだろうか……)
少なくとも、黒歴史を思い出したばっかりの今の青年は、幸せな気持ちではなかった。
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