第48話 私の受けた苦しみ、そんな程度ではない

「ゲヌークゥゥゥ!」

「フーリィィィ!」

 擬魔人ゲヌフーリが空を仰いで吼えるように叫ぶ。

 進んだかと思うと止まり、身を仰け反らせ舌を出して首を捻って悶え、大きく跳んで前へと飛び出す。辺りをのたうちながら、少しずつ動きがまともになっていく。ただし、人どころか獣とも違って昆虫のようにも思える動きだ。

 そんな異形を誰かが目にしたのだろう。辺りに甲高い悲鳴が響き渡った。

 反応したゲヌフーリは素早く振り向くと、這うようにして動きだす。

「フーリィィィ!」

 叫びと共に衝撃波が生じ、それは隣の屋敷の壁を破壊。中の建具や床が崩れ住人らしい悲鳴があがった。ゲヌフーリは耳障りな嗤いをあげ突進していった。

 だがサネモはそれを見てもいない。

 どう動いたかも分からないまま、必死にクリュスタの元へと辿り着いた。

「そんな……馬鹿な……なんてことだ」

 クリュスタは破壊されていた。

 最初に刺し貫かれた場所から血よりも濃い色をした朱の液が流れ、右の腕は千切れかけている。外見的な損傷はそれだけでも、見えない部分は損傷しているのだろう。どれだけ呼びかけようと閉ざされた目は開かれず、まるでただの人形のようだ。

 サネモは自分の身体から全ての血が消えてしまったような感覚に襲われた。背中の産毛から頭の毛まで全部が逆立ったように張りつめ、背筋がぞっとする。最高級魔導人形が壊れたという理由ではなく、もっと別のものだ。

 身体の軸を失ったような、まるで心がどこかに飛んで行きそうな感覚。それは間違いなく――喪失感だ。

「起きろクリュスタ! 起きてくれ! 私を、私を独りにするな!!」

 しかし返事はない。

 サネモは頬を伝い落ちるのは悔しさだった。


 どれだけの時間が過ぎたのか、一瞬なのか長い時間なのか分からない。しかし軽く素早い足音が近づいてきた。のろのろと顔をあげると、そこには息を切らせるエルツの姿があった。額の汗を拭って目を見開いている。

「先生! 大丈夫!?」

「エルツか……」

「こっちで凄い音がしたから心配して来たの。どうしたの?」

「…………」

「クリュスタさん!?」

 駆け寄ったエルツも膝を突く。

 あのグレムリアンにさえ立ち向かった存在が、今は倒れて動かないのだ。信じられないといった様子で、首を大きく左右に振った。エルツにとってもクリュスタは特別な存在だったのは間違いない。

「やあ先生、大変な事になったね」

 呑気さのある声。

 見ると長い杖を手にして重厚なローブを身に着けたコリエンテの姿があった。まるで魔術師のような格好だが、錬金術師なので似たようなものだろう。

「なんだか凄い魔力を感じて心配していたら、これだよ。何があったのかな」

「馬鹿が馬鹿をやって魔導書の暴走だ」

 サネモは立ち上がると、身に付けていたローブを不機嫌そうに脱ぎ捨てた。

 腹が立ってきている。

 それは自分の不甲斐なさに対するもので、倒れたクリュスタに対するもので、この理不尽な人生に対するもので、何よりかによりゲヌークとフーリに対してだ。

 このまま放っておいて誰かが倒すのを待つ事も、あれが精神と肉体が暴走し崩壊を待つ事も耐えがたい。

 ――必ずこの手で仕留めてやる。

 サネモは獰猛な顔で笑った。

「コリエンテ、錬金術師である君の手でクリュスタをみてやってくれないか。回復できるかどうか確認しておいて欲しい。このまま放置はできない」

「はー、いいですけど。先生は?」

 サネモは剣と回復薬を確認した。どちらも問題ない状態だ。

「もちろん私はあいつらを追う」

「騒ぎの原因はですけどね、どうも学院の方に向かったみたいですねー」

「ほう、好都合だ。全力でいく」


 擬魔人ゲヌフーリが学院に向かったのは偶然だったのか、それとも僅かに残ったゲヌークの意識が影響しているのかは誰にも分からない。

 その昆虫のような動きをする異形に対し次々と悲鳴があがり、即座に警備兵が駆け付けてくる。しかし警備兵は即座に倒され地面に転がされた。そうなると学院の賢者たちの出番だ。もちろん学院長の姿もある。

 流石に魔術の使い手が揃っているだけあって、繰り出されるのは全て上級魔法。

 だがしかし。

 ゲヌフーリは魔力による障壁を展開し魔法を防いでみせただけではなく、その浴びせられた魔法をオウム返しに放った。

「ゲヌークゥゥゥ!」

「フーリィィィ!」

 その叫びが響く度に炎が渦巻き、氷が広がり、雷が降り注ぐ。辺りは惨憺たる有り様で、学院の者たちはゲヌフーリの放つ魔法を防ぐ事で精一杯。

 サネモが駆け付けたのは、まさにその時であった。

「私は努力した、死にそうな目にも遭った」

 学院の広場の端に立って、渾身の力で拳を握りしめる。

「そうして必死に金を集めやり直そうとした。だが――だが! 今は金など不要。金などよりも大事なものがあると気付いた。そして! それを奪った貴様を許さん。絶対にだ!」

 擬魔人ゲヌフーリとなったゲヌークとフーリを睨んで独白する。

 僅かに瞑目し拳を振り上げ、高らかに告げる。

「来い! 我が魔導人形たちよ!」

 サネモの声と同時に、学院の壁が内側から弾け飛んだ。

 もうもうとした煙を割って、学院の魔導人形たちが次々と姿を表す。かつてサネモが学院で研究していた魔導人形たちだ。大半は第一世代のアリーサクやクフスタム、トムロンベだが、第三世代のキャブラ、研究費を節約し苦労して手に入れた第四世代のザザヒの姿もある。

 サネモは学院を去る前に、魔導人形に細工をしておいた。些細な嫌がらせのつもりで、学院の所有する全ての魔導人形の支配者登録を書き換えておいたのだ。もちろん何かあれば書き換えられる程度に。

 ただしサネモ以上に魔導人形に通じている者はいなかったのだが。

「はははっ! 備品の管理がなってないな、馬鹿者どもめ」

 だがそのお陰でサネモは戦える。


「さあ、決着をつけてやる。もう私に、これ以上の我慢をさせないで貰おう! 行け! 我が魔導人形たちよ」

 魔導人形集団がゲヌフーリへと襲い掛かった。

 最下級と言える魔導人形のアリーサク、クフスタムは自走状態による高速移動。その金属質な塊の身体で突っ込んでいく。

「ゲヌークゥゥゥ!」

「フーリィィィ!」

 しかしゲヌフーリの咆吼と共に放たれる魔法が魔導人形たちを破壊していく。

 だが、それは囮。

 機動力のあるキャブラが背後から襲い掛かってスピアのような腕を振るって擬魔人を叩き伏せ、そこに力強いが動きの遅いザザヒがランスを突き立てる。

 それぞれの特性を知っているが故の指示だ。

 しかし寸前でゲヌフーリの展開した障壁によって攻撃は阻まれている。動きこそ封じているが、確実なダメージは与えられていない。

「行け、突っ込め! 動きを封じろ!」

 トムロンベがゲヌフーリに突進した。

 ただし、その背にはサネモがしがみついていた。手にするのは遺跡で手に入れた黒い剣。これは魔力がなければ刃が生じないが、しかし魔力を注ぎ込めば刃が生じる。しかも注ぎ込むほど斬れ味が増していく。

 ゲヌフーリの放った雷撃に穿たれたトムロンベが膝をおり転倒する。

 だが、その寸前にサネモはトムロンベの背を蹴って跳んでいた。自身の身体を魔法によって強化し、それまでの勢いを宿したままゲヌフーリへと突っ込む。

「死ね! 私の幸せの為に!」

 魔力の全てを注ぎ込み、剣の斬れ味を極限にまで高める。

 サネモとゲヌフーリが交差し、一閃。

 甲高く澄んだ音が響き障壁が砕け散り、剣が振り抜かれる。サネモは突っ込んだ勢いのまま、ゲヌフーリを飛び越して地面の上を激しく転がっていく。しかも途中で剣を振ったせいで身体は捻れて跳ねて酷い有り様だ。

 しかし、その手に剣はない。

 なぜなら剣はゲヌフーリの頭骨に食い込んでいるのだ。ゲヌーク側から、鼻筋の際までを深々と立っていた。

「ゲヌークゥゥゥ!?」

 今まで一番の大きな声で名状し難い叫びがあがる。ゲヌフーリはその場で足踏みをするが、激しい怒りと哀しみと憎悪を発散する仕草だ。

「どうだ思い知ったか……私の受けた苦しみ、そんな程度ではない……ぞ」

 サネモは笑った。

 地面に倒れたまま辛うじて顔を上げると、ゲヌフーリの憎悪に歪む顔を目が合う。身体中が痛くて堪らないが、すっきりした気分だった。

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