第47話 極めて高い危険を感じます

「俺が何のために金を集めていたか、分かるのか? サネモ」

 ゲヌークは背を向けながら訪ねる。

 それはサネモが今すぐ何かをするつもりが無いと分かっているからだろう。もし何かをするならば、会って最初に殴りかかると考えているのだ。

「どうせ魔導書を手に入れようとしたのだろう」

「正解だ。魔導書研究と言いつつも学院にあるのは、誰かの手垢がついたような代物ばかり。しかも、大した魔力も宿っていない低級品」

 額を抑え憂うような仕草は芝居がかっている。

「それなのに予算は限られている。それは何故か! 大半が学院長の取り巻き共の元に流れているからだ。それこそ横領という言葉すら霞むほどの額を懐に入れている」

 実際のところ、学院の予算の大半は学院長とその取り巻きの元に流れている。金の回る連中は私腹を肥やした上で、研究も派手に行い一定の成果を出す。それで割を食っているのは、その他の者達だった。

「魔導人形馬鹿のお前は、そんな事に気付きもしなかったのだろう?」

 語ったゲヌークはサネモを見やって口の端を歪めた。

「どうせ無邪気に自分の成果が認められるとか、頑張れば予算が増えるとか。ひょっとすると、位階が上がるなどと呑気に考えていたのだろ?」

「…………」

「だが実際には、学院長の一派にいなければ何も得られない」

 両手を広げた仕草は、まるで舞台にでも立っているかのようだ。

 サネモは苛立ちを堪える。言われた内容は図星な事も多かったが、それを認めるのも気に入らないので無視して聞かなかった事にした。

「そんな事はどうだっていい」

 今のサネモにはクリュスタという存在がある。

 誰もが驚きひれ伏すメルキ工房製の最高級奉仕型万能魔導人形の、しかも傑作だ。その主であるサネモが語る意見は誰も無視できないだろう。

「ゲヌーク! お前の失敗を教えてやろう、それは私に罪を着せた事だ。どこぞの鉱山で学院の腐敗を憂いながらツルハシを振るうのだな」

 指を突きつけ言うのだが、ゲヌークは聞いてもいない。

「だが俺は手に入れたのだ。魔導書の中でも最高と呼ばれるものを!」

「なに?」

「見るがいい、これが伝説の魔導書テクマノミコンだ!」

 振り向いたゲヌークが手にしているのは、薄い赤色をした装丁の書だ。表紙には真紅の線で『魔』の真言が記されている。

 テクマクノミコン――それは魔法秘法とも呼ばれ、戯曲にも登場するほど有名な魔導書。伝承によれば、持ち主に大いなる富と力を与え、あらゆる願いを叶えるとされる。しかし、その知名度の高さから大量の偽物が存在する事でも有名。莫大な資産を持つ貴族がテクマノミコンを求めたが、その全て偽物だったという逸話もある。

 もはや魔導書テクマノミコンと名が付くだけで、偽物と断じて良い程だ。

「馬鹿馬鹿しい、なんと愚かな奴だ。そんな物のために、この私に迷惑をかけたと言うのか……」

 だがゲヌークは笑った。

 テクマノミコンと主張する魔導書を手に腹から笑った。

「残念だったな、これに魔力が宿っているのは事実だ」

「何だと?」

「これで私は全てを超越した魔人となる。そして、この国の王となる」

「はぁ、全てを越えた馬鹿の間違いではないか? 戯れ言を言ってないで、早いところ跪いて私に許しを請うたらどうだ。そうすれば少しはマシな場所に行けるように頼んでやろう」

 サネモとしては最高の気分だ。これでゲヌークは奴隷落ちか、どこぞの鉱山送り。もちろんフーリも似たようなものだ。まさしく相応の報いというものだった。

 しかし期待に反しゲヌークは笑っているままだ。

 それどころか、薄い赤色をした装丁の書を掲げてみせる。

「さあ見るがいい! この私が魔法秘宝によって魔人へと転生する様子をな!」

「おいおい、いつまで付きあえばいいのか?」

 本物だと信じきっているゲヌークの姿は滑稽だった。

 だからサネモは笑っていたのだが、しかしその背にクリュスタの手が触れた。

「我が主、あの書からは魔力を感じます。と、注意を促します」

「なんだと? まさか……本物?」

 勢いよく振り向くと、ゲヌークは書の表紙に記された真言に手を置いているところだった。

「おい、止せ!」

 だが全ては遅かった。

 ゲヌークはフーリと身を寄せ合い高らかに宣言する。

「テクマノミコン、テクマノミコンよ! 我らに力を与えよ!」

 魔導書に莫大な魔力が宿り出す。それは光となって迸り、肩を抱き合う二人の姿をシルエットに変えていく。サネモは腕を前にかざし、光の中に消えていくゲヌークとフーリの姿を辛うじて見ていた。

「これは……なんて魔力だ……」

「我が主、極めて高い危険を感じます。ご注意下さい」

「ああ、分かっている。しかしこれは……」

 呻くように呟くサネモ。

 辺りの光が収まると、そこに――傾いた人影が立っていた。

 間違いなくゲヌークとフーリである。

 ただし二人は文字通り一つの姿になっていた。

 左半身がフーリで右半身がゲヌーク。さしずめ擬魔人のゲヌフーリとでも呼ぶべきだろうか。大きさの違う身体が無理矢理繋がっているため、足りない長さで傾いているのだ。それは人という身体を冒涜するような、不気味な歪さを漂わせていた。

「魔導書としては本物でも、テクマノミコンとしては偽物だったか」

 サネモは眉をひそめ、そっと後退って得体の知れない化け物から距離を取る。

「ゲヌークゥゥゥ!」

「フーリィィィ!」

 叫ぶ様な声はゲヌフーリの同じ口から発せられ、それぞれの声色となっていた。この人ではない冒涜的存在に対し、言い知れぬ嫌悪と恐怖を感じている。それは人間としての本能であり生理的反応だった。

「恐らくはテクマノミコンの写本だったのか。だから魔人になろうとして、中途半端にこうなったのだ。さしずめ擬魔人化といったところだな」

「どうなるのでしょうか」

「魔力を制御できなければ精神も肉体も暴走し、やがて崩壊するだけだ」

「それは拙いのではないでしょうか。と懸念を示します」

「……だろうな」

 サネモが呟いたその時、フーリ側の目が笑いニタリと三日月型を描く。気持ち悪さがあって不快しかないのは、その姿というだけでなく嫌悪感のためだろう。

「っ!」

 唐突に、そのゲヌフーリがサネモに向かって跳ねて迫った。

 何か楽しげに笑いながら、しかし嘲るように両手を伸ばしてくる。

「我が主に近づく事は許しません」

 クリュスタは言うと同時に、魔力をのせた拳を振るう。その一撃はフーリの側の顔面を殴打。勢いよく弾き飛ばした。

 そのまま暖炉に突っ込むゲヌフーリ。

 激しい破砕音と共にレンガが崩れ辺りの漆喰が剥がれ落ち、もうもうとした灰が舞い上がる。だが――。

「ゲヌークゥゥゥ!」

「フーリィィィ!」

 再び叫びがあがり、舞い上がった灰を割ってゲヌフーリが飛びだしてきた。想像以上の素早さだが、クリュスタは手を掴んで捻り上げて床に叩き付ける。石床にヒビが入る威力だ。さらに上からモノリスが激突し押さえ付け釘付けにした。

 サネモがすかさず魔法を唱えたのは、曲がりなりにもハンターとして経験を積んだおかげだ。指を鳴らし真言を唱える。

「燃えよ【炎】、フレイム!」

 石床に押し付けられたゲヌフーリを中心に炎が立ち、その身体を焼く。あのグレムリアンの幼体にも効果のあったものだ。確実にダメージを与える。

「あっあつぁつぁぁつ!」

 叫びを上げたゲヌフーリは暴れ、石床を破壊しモノリスの束縛から逃げ出す。獣と言うよりは昆虫のような動きで這って立ち上がり、そして――。

「もぉぇよ【炎】、フレイム」

 舌を噛んだような声で真言が唱えられた。

 同時にサネモの足元に炎が立ち上がる。寸前でクリュスタが突き飛ばしてくれたおかげで、軽く炙られた程度だ。代わりにクリュスタが傷ついている。

 そこからは一瞬だった。

「ゲヌークゥゥゥ!」

 叫んで迫るゲヌフーリの姿に、サネモは目を見開いた。振り上げられる左腕の刃のように鋭く尖る爪がはっきりと見える。激しい衝撃。しかしそれはクリュスタに飛びつかれた事によるものだ。サネモを襲うはずだった尖った爪がクリュスタを貫く。

「我が主、逃げてくだ……ぐっ……」

「フーリィィィ!」

 ゲヌフーリの右腕が伸ばされ、クリュスタの首をしっかりと捕んで吊り上げた。

「クリュスタ!?」

 倒れ込むサネモの前で、クリュスタの身体が恐ろしい勢いで石床へと叩き付けられる。何かが壊れる音が響くが、石床の砕けたものだけではないだろう。

 その状態でもクリュスタは動いた。

 今度はクリュスタがゲヌフーリを捕まえ窓へと突っ込む。そのまま屋敷の外へと飛び出していくのは、少しでもサネモから引き離そうという行動だからだろう。

 外から激しい戦闘音や破砕音が響く。

「くそっ!」

 サネモは、ふらつきながら立ち上がった。

 破片を踏みつけ近づいた窓から見えるものは、激しく抉れ土が露わとなった芝であり、へし折れた樹形の整った庭木や壁。のっそりと立つゲヌフーリと、その足元に倒れたまま動かないクリュスタの姿だった。

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