第41話 昨夜はお楽しみでしたね

「「…………」」

 まだ夜の気配の残る早朝、サネモとユウカはベッドの上で顔を見合わせていた。

 窓から差し込む薄明かりの中で互いに見つめ合う。同時に視線を下に向け、同時に服を着てない事を改めて認識。同時に昨夜の事を思いだし、同時に顔を赤らめる。

 ユウカは胸の前で両の指を突き合わせるが、二の腕に挟まれた胸がやわわに動く。

「えーっと、やってしまいましたね……」

「まあ、そうだな」

「あははっ、お互い大人ですし。お酒飲んでましたし、気にしないでおきましょう」

「そう……だな……」

 さり気なくではあるが、ユウカの白い肌を名残惜しく見つめた。女性に対する興味は元妻に潰されたが、娼館イフエメラルでそれを正され教えられ、昨夜のユウカでそれを活かせた。

 サネモの心には温かな愛情めいた気持ちがあるのだが、ユウカは少しも気にした様子がない。あっさり酒の上の過ちとされた事が哀しくなる。

「お仕事ありますから、私はこれで。帰って水浴びして準備しませんと」

 ユウカはベッドを降りると服を――何故か丁寧にたたまれてある事を訝しがりつつも――身に着けだした。衣擦れの音を聞きつつ、サネモは乱れたベッドのシーツを見つめていた。

「先生」

「ん?」

 呼ばれて見上げれば、思いのほか近くにユウカの顔があった。戸惑っていると頬に唇が触れた。それは昨夜の記憶の中にあるものにも負けないぐらい、優しく甘やかな感触だ。

 ユウカは少し離れると髪を抓んで弄り、はにかむ笑顔をみせた。

「また、お食事誘って下さいね。その時は……お酒ありで構いませんから」

「あーなるほど。そうさせて貰おう」

「それでは! またギルドで!」

 逃げるように出て行くユウカの顔は赤くて、何だが可愛らしかった。サネモは顎をさすり、今のやりとりなどを考え込んだ。どうやら嫌がられてはいないらしく、むしろ良い感じだ。

「ふむ……そうか。酒ありか、そうか。また誘わせて貰うか」

 呟いて部屋備え付けの浴室で水を浴びる。冷たな水が心地よく、楽しい気持ちに清々しさを加えてくれた。今日は良いことが起きそうな気分だ。


 浴室を出ると換気のために窓が開けられ、クリュスタが立っていた。

 いつもであれば宿の裏で剣の稽古をする時間で、実際にエルツとそれをやっていたはずだ。しかしユウカが帰るのを見てやって来たのだろう。

 青いスカートの裾をつまんで軽く会釈する。

「おはようございます、我が主。昨夜はお楽しみでしたね。と、お約束を言います」

 何憚る事もないが、こうして面と向かって言われると恥ずかしく照れてしまう。少なくともユウカが居る時に言われなくて良かったのは間違いない。

「我が主、朝の稽古で素振りをどうぞ。今日は天気が良いです。クリュスタはシーツを洗っておきます。分泌液による汚れを落とさねばなりませんので」

「生々しい言い方は止めなさい」

 サネモは眉を寄せ口をへの字にした。いかに最高級魔導人形であっても、細かな言葉の配慮は足りないらしい。ただしメルキ工房特有の遊びで、こうした反応をするよう教え込まれている可能性も無きにしも非ずだ。

 クリュスタは小さく歌を口ずさみ、シーツをたたんでまとめていく。見ているだけで楽しそうな様子だ。これだけ感情表現に特化した魔導人形も、そうは居まい。改めて過去の偉人であるメルキに尊敬の念を抱いてしまう。

「えらく上機嫌だな」

「もちろんです。クリュスタは万能奉仕型魔導人形ですが、我が主はあまり奉仕をさせてくれません。しかし、昨夜はそちらの役目ができました。と、非常に満足の気分をお伝えします」

「昨日の夜から……?」

「はい、酔った我が主とユウカを宿に誘導し、服を脱がせ準備を整えました。さらに酔ってた我が主が恥をかかないようにと手を添え、ユウカへと誘導し――」

「うあああっ!」

 サネモは知りたくなかった事実を教えられ、耳を塞いで叫んだ。やはりメルキ工房特有の遊びで、こうした言動をとるよう教え込まれているに違いない。そう信じたかった。


 剣を引っ提げ宿の裏に向かう。

 魔力を流さねば刃のない剣で素振りをするためだ。継続は力なりで日々の弛まぬ稽古が力となる。最近のサネモは逞しさが増して、そこそこ剣も扱えるようになってきた。防御に限ってだけ言えば、並の剣士の相手も出来るだろう。

 エルツが跳ねるようにして近づいてきた。

「先生、おっはよう!」

「良い朝だな」

「あっ、そうだった。昨夜はお楽しみでしたね!」

「…………」

 この挨拶にサネモはとても微妙な顔をした。首を傾けいろいろ考えて、ようやく一つの結論を導き出す。

「そう言うようにと、クリュスタに教えられたのか」

「うん! でもね、昨日は本当に楽しかったよね。美味しいものいっぱい食べられたし、あの甘いの最高だった。僕、また食べたい」

 両手を大きく広げ、ゆっくり回転するエルツは心から幸せそうだった。

 ほっこりした気分のサネモはこの弟子に対し、ユウカに対し感じていたのとは別の温かな愛情めいた気持ちが込み上げてきた。

「そう何度もは無理でも、また行くとしよう」

「やった!」

「その代わり、しっかりと学ぶように。文字の書き取りや計算もだ」

「うぇ……剣の稽古を頑張ろう!」

 エルツは言って素振りをはじめた。どうやら誤魔化すつもりらしい。

 苦笑してサネモも剣を構える。魔力を流し刃を生じさせ、クリュスタに教えられた通りに剣を振る。最初の頃は十回も振れば疲れてうんざりしていたが、今では百回でも出来るようになった。

 隣でエルツが同じように剣を振っている影響も大きい。

 もちろん剣の優劣を競う気はないが、師匠が弟子の前で泣き言を言うわけにもいかないではない。そしてハンターとしてやっていく為にも必要なことだ。汗をかきつつ二人並んで黙々と素振りを続ける。

「我が主、そしてエルツ。朝食の準備が整ったようです」

「わーい」

「ちゃんと汗を拭きましょう。風邪をひきこむ恐れがあります」

「はーい」

 エルツは素早く服を脱ぎ捨てると、日焼けした肌を日に晒し、クリュスタの持って来た濡れタオルで身体を拭きだした。まだ羞恥心というものが育っていないのだ。

「……エルツよ、そういう事は部屋や物陰か。他人のいない場所でやりなさい」

「うん、他の人はいないよ」

 エルツは両手で握ったタオルを後ろに回しながら言った。目のやり場に困るどころではない。エルツを意識するわけではない。だが、ユウカとの出来事があった直後なので、そうした意味で意識してしまう。

 この辺りの教育を誰に頼むか、ユウカかソフィヤールしか思い浮かばないサネモであった。


「今日は少し街中で装備でも探すか」

 朝食を終えて、予定を考えて一日の予定を考えていると、サネモはそれが良いと思った。流石に今日の今日でギルドに行ってユウカと顔を合わせる自信がない。きっとそれはユウカも同じだろう。

「コリエンテさんのお店に行くの?」

「そうだが、その前に他の店も見ておきたい」

 錬金術師のコリエンテという伝手はできたが、しかしそこでは装備の類はあまり置いてない。だから他の店も探す必要がある。

 何より一店舗だけに集中して利用するのもリスクが高い、とサネモは考えていた。どれだけ信用できる相手であっても、人はいつか変わる。その時に備え、常に他の店と比較し値段や品質を見比べておくべきだろう。

 宿の主のにやけ顔に見送られ外に出た。きっとユウカの姿を見たに違いない。今後を考えれば、やっぱりどこかで居を構えた方がいいだろう。

「我が主……」

 クリュスタは言って前に出ると、サネモとエルツを背後に庇った。

 宿を出て直ぐの場所に、見知らぬ男が立っていたのだ。煉瓦の壁に背を預け腕を組み、誰かを待っている様子だった。相手は背が高く目付きも鋭く、いかにも荒事に慣れていそうな顔だが、治安維持に巡回する衛士の注意を引かない上質な衣服を身に着けている。

 サネモもクリュスタが反応せねば、特に意識せず通り過ぎただろう。

 男は自分の存在に気付かれたと知ると、腕組みを解いて一歩前に出る。物陰から数人の男たちが姿を表してきた。

 険呑な気配を察した通行人が関わりを恐れ避けていく。

「元学院に所属した賢者サネモだな」

「何の用事かな」

「依頼をしたい。サネモ=ハタケの妻に貸した金に関する事だ」

「…………」

 サネモは背筋が凍る思いをした。

 言葉の内容、相手の目付きの鋭さ、全てを総合すれば借金取りで間違いない。目立たないつもりでいたが、最近はそうでもなく目立っていた。学院で魔導人形研究をしていたサネモという人物と、現在活躍中のサネモを結び付けるぐらいは、学院の落第生にだって簡単だろう。

「我が主、どうされますか?」

 クリュスタの問いは、相手の始末をどうするかといった意味に違いない。さり気なく手をモノリスに近づけている。必要であれば、一瞬で斬り付けるつもりだろう。

 しかし通りには大勢が歩いている。

 ここでクリュスタが男を攻撃すれば衛士が即座に呼ばれてしまう。もちろん借金取りを攻撃しても悪いのはこちらだ。逃げるしかないが、どこに逃げると言うべきか。

 そんな逡巡を見抜いたのか、男は口の端をあげ笑った。

「なに、あんたにとって悪い話ではない。話を聞くだけ聞いてはどうだ」

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