第42話 クリュスタは我が主の護衛です
酒場に案内された。
どうやら夜から開く店らしい。幾つも並ぶテーブルの上に、逆さにした椅子が載せられている。厳つい顔の老人が床掃除の真っ最中だったが、勝手にドアを開け堂々と入った男の姿を一瞥すると何も言わず掃除道具を片付けた。
照明も灯され、薄暗かった店内が少し薄暗い程度になる。
「さて先生よ、座ってくれ」
男は手近なテーブルに近寄ると、椅子を降ろし席を用意した。それに座りながら、向かいに座るよう促してくる。どうやら気を使ってくれているらしい。
サネモにはそれが分かった。
宿からそれほど遠くない場所で、しかも悪くない雰囲気の店なのだ。何より男の態度は荒っぽいが粗野ではない。離れた場所で他の男たちが座り込んでいるが、そちらも今すぐに動く気配はなかった。まずは対話をするつもりのようだ。
ただしエルツをコリエンテの元に行かせた事は正しい判断だっただろう。
男の鋭い視線がサネモの背後に立つ姿に向けられる。
「そちらのお嬢さんは座らないのか?」
「特に必要ありません。クリュスタは我が主の護衛ですので」
「なるほど。護衛とはおっかない」
それ以上は言わず、男は肩を竦めサネモに目を向けた。
「何か飲むかい?」
「あまり飲みたい気分ではない」
「そりゃそうだろうな。気持ちは分かるよ。だが、会話をするのに飲み物は必要だ」
話を聞く気はない様子で男は軽く手を挙げ合図した。先程の老人が肯き厨房に引っ込む。室内が静かなので、向こうで食器を動かす音が聞こえてくる。そちらに耳を傾けていると男が喋りだした。
「俺の名はリオウ。あんたの妻に金を貸した組織の幹部をやってる」
「…………」
組織という点で、かなり面倒な事になる。やはり、自宅に押し掛けて来た時に迷わず逃げたのは正解だった。あの時に逃げていなければ、今頃どうなっていたか分からない。
「あんたの家を差し押さえに行ったのも俺だ。ちらっとだけ姿を見たが、なかなかの逃げっぷりだったな。あれには感心したよ。逃げるにしても、あそこまで思い切った行動が出来る奴は、そうはいない」
サネモが意図を探ろうと見つめると、気付いたリオウは薄笑いを浮かべた。
「別にバカにしてるつもりはない。それから言っておくが、あんたから今すぐ金を取り立てる話でもない。実を言えば借金は、あんたの屋敷と土地とである程度の回収が出来ている」
かつて住んでいたのは、一等地とは言わないでも、かなり良い立地の庭付きの屋敷だ。それでも賄いきれない借金とは、いったいどれだけの額だったのか。知りたくもないが興味が湧いてしまう。
飲み物が運ばれて来た。
クリュスタは護衛として数えられているため、サネモとリオウの前にジョッキが置かれる。中身は酒だ、匂いでわかる。
リオウはジョッキに口をつけた。
「しかし、借りた奴に逃げられたままでは示しがつかない。こっちにも面子ってものがあるんでね。そういうの、先生も分かるだろ?」
「理解はしている」
「そうさ、だから何としても捕まえたい。だが、あんたの妻は見つからんときてる。抜け目がないのか、それとも相手の男が上手くやっているのか、それとも……まあ、どうなっているのか分からんがね」
「それで私に探して来いと言いたいわけか」
「察しが良くて嬉しいよ。早いところ探してきてくれ。それとも自分の妻の将来を思うと気が進まないかな?」
これには鼻で笑うしかない。不愉快な気分を晴らすため、ジョッキを口に運ぶ。喉の通りが心地よくて、会話をするのに飲み物が必要だという気持ちが分かる。
「果てしなくどうでもいい。もう二度と関わり合いたくない」
「気持ちは分かる。だがまっ、運がなかったな」
毒づくサネモに、リオウは気の毒そうな顔で何度も頷いてみせた。ただし本心ではないため、笑いが隠しきれていない。
「あんたが依頼を受けるなら、この一件は手打ちとしてもいい。だがな……」
リオウは口の端をゆがめた。
凄味と迫力がある。以前のサネモであれば、それだけで震え上がっただろう。しかしハンターとして幾つかの修羅場を――特にグレムリアンの件を――経験した今は、警戒こそすれ怯えはしない。
「どうしても嫌だと言うなら、あんた相手にケジメをつける事になるな。あんた、まだ司祭に婚姻解消を認めて貰ってないだろ」
サネモは渋い顔をした。
婚姻を解消するには、婚姻を認めた司祭に認めて貰う必要がある。しかし、それに必要な証拠や証言。何より金を揃える事が出来ないのでサネモは逃げていたのだ。
「まったく忌々しい話だよ」
「分かってるだろうが、逃げ続けても面倒な事になるだけだぞ。どちらかと言えば、あんたを気の毒に思って、こういう話にしているつもりなんだ」
「気の毒に思うなら、途中で金を貸すのを止めて貰いたかったな」
「違いない」
リオウは目を押さえ楽しげに笑った。
気の毒に思うとは言うが、ここ最近のサネモの活躍を知ったからこそ、依頼という形で話を持って来たのだろう。親切心など欠片もない。借金を取り立てるよりは、むしろ関わりを持って話をつける価値があると判断したにすぎない。
サネモは顔を歪め笑った。
「全くもってありがたい。忌々しいぐらいにありがたい。だから大喜びで引き受けさせて貰うよ。ただし、一つ条件がある」
「なんだ?」
「あの女を、妻と呼ばないで貰いたい」
「なるほど、それは失礼した。あんたの元妻、この言い方も良くないか。では、フーリという女を見つけてくれ」
そう言って、リオウは卓上のジョッキを目の高さに掲げてみせると、あとは一気に飲み干した。
「リオウさん。本当にあいつを見逃す気なんです?」
賢者サネモの姿が酒場から消えてから、男の一人が言った。不満を隠す様子もない。
リオウはそいつを見つめた。
部下の中でも小生意気な駄目な奴だ。いや、小生意気さがあるのは良い。それを隠そうとして媚びを売り、しかし隠しきれないところが駄目だった。ちょっとした権力を手に入れ、自分が狼になったと勘違いした犬など最悪だ。
「結構な額が残ってるはずでしょうに」
手に入れた屋敷と土地を売っても、まだまだ借金は残っていた。女の色香に迷い無茶な貸し付けをした馬鹿を始末したぐらいの馬鹿げた額だ。
「娼館の女主人如きに頼まれたからって……」
イフエメラルの女主人ソフィヤールは、間違っても『如き』と評されるような人間ではない。政財界の弱味を握りつつも友好関係を築きあげ、それを維持し続ける化け物だ。そんな相手に頭を下げられ頷かない馬鹿はいない。
それが分からない馬鹿に、リオウは優しく頼もしげに笑いかけてやった。
「見逃すさ。世の中には金では手に入らないもんがあるんだよ。ソフィヤール女史への貸しだけじゃない。噂の男と縁が出来るなら美味しい話さ」
「はぁ……?」
「初めての遺跡で魔導人形四体を従え、この前はどうやったのか知らんが巨大魔導人形を倒している。別の遺跡では魔導人形を使ってグレムリアンを撃退し、一体を連れて戻って来た。分かっているだけでも、これだけの成果を出している。お前より遙かに価値がある」
「魔導人形に寄生して上手い事やっただけでしょうに」
「だが、その魔導人形を従え使いこなしたのは事実だな」
「そうですかい……リオウさんがそう判断したんなら、俺はいいんですけどね」
不服そうな相手の姿に、本格的に駄目だと判断する。
文句があるなら最後まで言い通せばいい。途中で引いて相手に責任があるように被せるなら何も言わなければいい。
それに比べ、あの賢者サネモは素晴らしい。自分自身の力をよく分かっている。犬か狼かで言えば犬だが、必要となれば狼になる犬だ。そんな目をしていた。間違いない。
そして――護衛の女の得体が知れない。
どれだけ殺気をとばしても平気な顔をしていた。
殺気に気付いてないのではない。ただ、そういうものだと感じているだけ。単なる感情が向けられているだけで、動く気がないのだと理解している。それでいて、護衛対象の側でいつでも動ける状態で控えていた。
あれは、まるで人間ではないようだ。
ふと、思った考えはサネモが魔導人形の専門であるという情報と合わさった。そして、もしも人と寸分違わぬ魔導人形であれば、それは恐るべき力を持っているという噂も聞いたことがある。
「…………」
いろいろな事に納得が行く。だからこの繋がりを逃さないようにするべきだ、とリオウは胸にしっかりと刻んだ。
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