第38話 これからもずっと側にいるように
「やはり、我が主は逃げるべきでした」
回復薬を飲むサネモの前で、クリュスタは整った顔を不満げにしながら言った。そして飲み終えた回復薬の瓶を回収しモノリスにしまう。
そこは第三展示室で、薄暗く静まりかえっていた。
エルツは疲れ切った様子で、青灰色の絨毯に座り込んでいる。傍らには最後に残ったサイマラが控え、動きを止め眼を明滅させた待機機状態。破壊された第四展示室の様子さえ眼に入れねば平穏な雰囲気だった。
サネモは口の中に残った回復薬の苦みある味を消すため、水袋を取り出し軽く飲んだ。深く息を吐いてクリュスタを見やる。
「そうか?」
「はい、とても危険でした。今回は偶然が幾つも重なり無事でしたが、我が主は逃げた方が遙かに安全だったはずです」
「その安全にクリュスタが入っていなければ無意味だ」
「クリュスタは魔導人形です。我が主を守るために存在します。ですから――」
なおも言いつのろうとしたクリュスタへと、サネモは掌を向けた。
「それではダメだ、クリュスタには最後まで私に付き合って貰う。クリュスタは私の魔導人形だろう」
「はい、そうです」
「つまりクリュスタは私の為に行動するのだろう?」
「はい、そうです」
「だったら私のものを私がどう扱うか、どうするか決めるのは私だ。だから勝手な真似をして死ぬことは許さん」
「死ぬという言葉はふさわしくありません。なぜならクリュスタは生きているとは言えませんので」
確かにその通りだ。
魔導人形は核に刻まれた内容に基づき、思考し行動しているだけの存在だ。古今東西のいかなる研究者、どんな書物であっても魔導人形は造られた存在としている。それが常識であり事実であった。
しかし、サネモは首を横に振り力強く言う。
「クリュスタは生きている」
ずっと考えていた事がある――クリュスタのように高度な思考を行い、人と同じような感情をみせ言葉を交わし、学習しながら行動するのであれば、それは人と何が違うのだろうか。
「命とは何か意識とは何か、それは私には分からない。分からないがしかし、クリュスタは魔導人形だったとしても生きている。私はそう思っている」
「それは……」
「何よりクリュスタは単なる魔導人形ではない。私にとっては大切な存在だ。もちろん最高級魔導人形といった意味ではなく、つまり……上手く言えないな。上手く言えないが大切な存在だと思っている」
「大切な存在ですか」
クリュスタは呟くように言う。透明感のある青く澄んだ瞳がサネモを見つめた。
「我が主の言いたい事は、何となく分かります」
「だから勝手に死ぬ事は許さない。これからもずっと側にいるように」
「我が主……はい、畏まりました」
笑顔で、それこそ心からのと言うべき笑顔でクリュスタは頷いた。しかし直ぐに、自分の胸を両手で押さえ訝しげな顔をしだす。
「……?」
「どうした」
「いえ、よく分かりません。クリュスタの中で何か判別し難いものがあります」
「不調か? それだったら私がコアを調べて――」
「ダメです。これはきっと内緒です」
クリュスタは胸を押さえたまま飛び退いて距離を取る。何か隠しているような恥ずかしがるような仕草で、これまでにない反応だった。
何にせよサネモにはさっぱりの事で、肩を竦めるしかない。
「さて、そろそろ休憩は終わりとしよう」
サネモは立ち上がった。
促すと疲れた様子のエルツも渋々と立ち上がり、傍らのサイマラも待機状態を解除した。美術館と呼ばれる遺跡の内部は、ほぼ確認した状態で後は引き上げるだけだ。
ただ気になることがあるとすれば――。
「クィーンは確実に倒せたと思うか?」
「ほぼ確実と言いたいのですが、しぶとさには定評のある存在です。あの状態になってさえ生きている可能性を否定できません」
数百年を生き延びたあげく、クリュスタの全力魔法攻撃を受けても生きていたぐらいだ。一応はサイマラたちがトドメを刺し、その後は土の中に埋まった。だが、それでも生きているのではないかといった懸念がぬぐいきれない。
そうした不安をかき立てるような存在だ。
「また、グレムリアンの幼体や卵もどこかに残っている可能性も否定できません」
「うっ……それは……」
途端にサネモは落ち着かなくなった。今にもそこらから幼体が這い出してきそうな気分だ。エルツも同じ気持ちらしく、きょろきょろと辺りを見回している。
暢気に休んでいた事が嘘の様に不安だ。
「ここを念入りに捜索しても良いのですが、如何なさいますか?」
そう言ったとき、クリュスタの態度に初めてからかうような雰囲気を感じた。小首を傾げてみせる姿が、それを強調している。
だが、それを確認するような余裕はサネモにはなかった。
もうグレムリアンは懲り懲りだった。まだどこかに生き残っているかもしれない、そう思うだけで辺りの陰や暗闇が恐ろしいものに思えてくる。
「これ以上はやってられない。後はギルドの仕事だ、さっさとここを出よう」
「そうだよ早く出ようよ」
サネモの言葉にエルツも素早く何度も頷く。
周囲を警戒しながら、おっかなびっくりの早足で元来た道を進み、そして彫像のあった場所に戻る。そこから黒い扉を抜け暗い通路を進んで、外の明るい日差しの下に出ると扉を厳重に塞いだ。さらに土もかけて隠した。
後ろも振り返らず大急ぎで遺跡群を出ると、山の細い道も駆け抜け、迎えの馬車と合流する場所を目指したのであった。
王都のハンターズギルド。
「またですかー」
カウンターの向こう側で受付担当のユウカは微苦笑した。もちろんサネモの連れて帰ったサイマラを見ての反応だ。
「本当、先生は魔導人形と縁があるんですね。普通は、こんなに遭遇しませんよ」
「他にも四体いたが、残念ながら回収できなかったよ」
「あらっ珍しいですね。先生が魔導人形を逃すだなんて」
冗談めかしてユウカが笑った。
「いろいろあったんだよ。その報告をすると大騒ぎになるので、先に依頼の件を報告させてくれないか」
「なるほど、なるほど。それでは幾つか質問させて貰いますね。湖の側にあった遺跡ではモンスターに遭遇しましたか? または中に、どんな痕跡がありましたか?」
幾つかの質問に対しサネモが答えていくと、ユウカは手元の書類を確認しては頷いている。内緒で教えてくれていた確認事項という事らしい。
「それでは山の中の遺跡は、何が目に付きましたか?」
「魔導甲冑と呼ばれる鎧らしいものだ。でも、悪いが全て回収させて貰ったよ。次からは別の事で確認するように」
「……え? それ本当に?」
「もちろんだ」
「そ、そうですか分かりました。気を取り直しまして、確実に全ての遺跡を巡った事を確認できましたので依頼達成といたします」
ユウカは小さく手を叩いて褒めてくれたが、直ぐに訝しげな顔をした。何故ならサネモがしかめっ面をして、さらにエルツも浮かない顔をしているからだ。ついでに言えばクリュスタも気まずそうに視線を逸らしていた。
「えーと、何か?」
「うむ、その件なのだが。実は報告があって――」
サネモは新たな遺跡の発見と、その内部で遭遇したグレムリアンについて語る。たちまちユウカの顔が引きつりだすと、肩を落として項垂れた。背後では話が聞こえていたらしいギルド職員たちが血相を変えて動きだしている。
「……また大変な仕事が」
ゆっくりと上げられた顔は、悪夢を見た直後のような顔色であった。
「すまない」
「いえ構いません。あの辺り一帯を特級封鎖地帯に指定するために、王国管理部と大至急で協議するとか。それと並行して封鎖班の派遣と、周辺地の痕跡調査班と、遺跡内部の突入班を手配するとか。ああ、予算の確保もありました。いろいろやる事が頭の中を巡っているだけですから。うふふっ、さようなら私の休暇」
「あー、ひと段落したら食事ぐらい、ご馳走するが」
「甘い物もつけてください。約束ですよ」
意外に図々しいが、気落ちしきった様子は哀れすぎて頷くしかなかった。
「それはそうと、今回のお仕事の報酬を用意しますね。そちらの魔導人形はどうされますか? 前のように売りますか?」
サイマラは大人しく待機している。
もちろん注目の的で、特に登録したての新人ハンターたちは驚愕して固まってさえいた。向けられる眼差しは心地良いが、しかし少し目立ちすぎかもしれない。
「いや今回は売らないでおこう」
「そうですか、宿も一体程度なら馬小屋で預かってくれるかもしれませんね」
「馬小屋か……」
「どこか拠点を探しますか? よい物件を紹介しますよ」
「頼みたいが、その前に今回の報酬を確認してからにさせて貰おう。もちろんグレムリアンの件も報酬が出るかな?」
そこが気になっていた点だ。
「あっはい、もちろん特別報酬が出ますよ。ただし、直ぐには出ませんよ」
「それはどうして?」
「先生が嘘を仰るとは思いませんよ、私はね。ですけどギルドはそうじゃありませんから。現地でグレムリアンの痕跡などを見つけたりした後で――」
「ああ、それなら問題ない」
サネモは嬉しそうにユウカの言葉を遮った。
指を鳴らすと同時に、ぬっと差し出されるグレムリアン。
その黒々とした甲殻に覆われた死骸は、クリュスタがモノリスの中から取り出したのだ。証拠が必要になるだろうと、念のために回収しておいたのだった。自分の予想が当たったサネモは得意げだ。
だがしかし――ハンターズギルドに悲鳴が響いた。
ユウカはそのまま椅子から引っ繰り返って気絶してしまう。もちろん辺りは騒然となったのであった。
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