第31話 進むべき方向は?
車輪が土を踏み石を噛む音が遠ざかっていく。
街から目的の地点まで馬車で移動。途中で休憩はあったが、それは時間も回数も少しで、殆どの時間を硬い板に座って振動を受けた。おかげで馬車から降りる時には、すっかり疲れ切った気分だった。
「ふぅ……」
サネモは大きな伸びをして辺りの景色を見回す。
真っ青な空。丈の短な緑草がまばらに生える平地に、灌木がところどころ生えている。広々として見通しが良い景色は清々しく、馬車の中で揺られていた時とは雲泥の差だ。しかしこれから数日をかけ歩いて巡ると思えば、あまり嬉しくはない。
ただし重い荷物の大半はクリュスタが――正確にはそのモノリスが――運んでくれるのでありがたい。そうでなければ、やる気も失せていただろう。
「では、この場所を確認してみましょう」
クリュスタは地図を広げた。横からエルツが覗き込んでいる。どちらも同じぐらいの身長のため、友達同士で遊びに来たような雰囲気だ。
ギルドから貸与された地図は、しっかりと地形の特徴が書き込まれたものだ。もちろん古代文明の遺跡で発見されるような精巧なものとは全く違うが、付近の特徴はしっかりと捉えられている。
「エルツ。地図の見方は覚えていますか?」
「えっと方位と地図の向きを合わせて……うん、ここに描いてある山ってあれだね」
「肯定します。では進むべき方向は?」
「目標の遺跡は湖の側だから、山よりちょっと右寄りに進む?」
「宜しいと思います。移動する間も、常に方位を確認する事を忘れないように」
エルツがサネモの弟子という立場であるため、クリュスタも丁寧に扱っている。これがジロウなら扱いはもっと雑であるし、その他の者であれば必要最低限の会話をするだけで相手にもしないだろう。
「うん! それなら行ってみよう。全部で四つの遺跡に行くから、今日の内に三つはいけるかな? できるだけ多く回った方が楽になるよね」
「良い考えですが、内部の確認をする必要があります。戦闘が発生するなど時間を要する場合もあるため、目標は目標として無理せず行きましょう」
クリュスタは指導するように言った。エルツの自主性を育てる為に出来るだけ考えさせる、といったサネモの方針に基づいている。
「それでは行くとしようか」
サネモの合図で歩きだす。
先頭をきっていくのはエルツで、その辺で拾った枝を振り、この広い景色を堪能しながら張り切っている。そしてサネモとクリュスタが並んで進む。
エルツも側に来た。
「ねえ、先生。この草はなんていうの? 食べられる?」
「イトミドリ草という名で冬には枯れる。食用にはならないが、一部の地域で家畜の餌にしていると聞くかな」
「なるほど残念。あっちの木は?」
「シマカンボク。夏前には白い花が咲き、冬の前には赤い実がなる。実は苦いが砂糖漬けにして食べる地域もあるそうだ。ところで、これは丈が低く枝しかないだろう? こうした場合は木ではなく、灌木と呼ぶようにな」
「そうなんだ、覚えておくね」
見るもの聞くものが新鮮なエルツは何にでも興味を示す。学院勤めをするぐらい博識なサネモはうってつけの相手だろう。
もちろんサネモも歩いているだけで暇なので、それに付き合ってやっていた。
こうして教えてやる事は楽しい。
あの学院時代は自分を物わかりのよい存在であろうとしていたが、今にして思えば手を抜いていたのだと思えてくる。もちろん学院長を許す気にはなれないが、言われた言葉の少なからずは反省すべき事項だったかもしれない。
そんな埒もない考えが浮かんでしまうぐらい暇だった。
「我が主、モンスターが接近しています」
クリュスタが告げると、即座にエルツが駆け戻ってきてサネモの側に身を寄せた。事前にこうするように決めていたが、それにしても素早い動きだ。
そして辺りを見回すが――。
「どこだ? 特に見当たらないが」
「前方のやや右より灌木の付近になります。リザードマンですね」
言われた辺りに目を向けると、最初は何も見えなかった。しばらく目を凝らしていると、何かの動きに気づいた。
一度気づくと見えてくる。
殆んど景色と同化しているが這って近寄るリザードマンの姿が見えた。
「……見つけた。すると近くに水場があるという事だな。つまり進んでいる方向は間違っていなかったか。良かった」
「先生、それ良くないよ。リザードマンが襲ってくるんだから」
「なるほど、それもそうか。ならば魔法で攻撃でもしておくかな」
言っている間に蒼いバトルドレス姿が飛びだしていた。
後ろで編んだ髪をなびかせ、剣を手に突っ込んでいく。跳ね起きたリザードマンが振りかざす手槍をかいくぐって斬りつけた。噴き上がった液体は、遠くからは黒味を帯びたようにしか見えない。クリュスタは一体二体と倒していき、サネモが駆けつけた時には、全てを倒しきっていた。
「指示もなく突っ込むのは良くないと思うぞ」
「この場合はクリュスタ単独で動いた方が良いと判断しました。そして実際そのようになりました」
「……まあ、その通りだな」
サネモは苦い顔をした。
クリュスタを叱りたい気持ちはあるが、確かにこれが最も効率的で安全だったのは間違いない。これではダメだと思う気持ちはあるのだが、全ての原因はサネモ自身の実力不足にあるので何も言えない。
だから苦い顔をするしかなかった。
辺りには生臭さが漂っている。
生臭いのはリザードマンたちの臭いだった。興味を引かれて近づいていたエルツも直ぐに離れてくるような、魚の腐ったようなものだ。
「これがリザードマンなんだね。一人で倒せるぐらい強くなりたいな」
「そうだな、そうありたいな」
サネモは頷いた。
湖畔の遺跡は個人の住宅だったらしく、小規模なものだった。
中は漁りつくされた後なので空っぽ状態。足元には魚の骨や粗雑な道具が散乱し、何かのモンスターが入り込んでいた痕跡がある。きっと先ほどのリザードマンたちに違いない。
遺跡の確認としては、もうこれで十分だろう。
「どうしてこんな場所に一軒だけであるのかな?」
エルツは後にした遺跡を振り返ると、危なげなく後ろ向きに歩きだした。
「そうだな、隠遁生活用で湖畔の別荘かもしれないしが……もしかすると、古代王国時代は近くに集落や街があったかもしれない」
「今は何もないのに?」
「それは分からない。古い時代に何があったか詳しい事は分かっていないが、しかし何らかの大きな出来事があったのは間違いない。強大な王国や偉大な文化や技術が根こそぎ滅びたのだから」
その言葉はエルツの興味を刺激したらしく目を輝かせている。
「大きな出来事って何だろ?」
「それこそ分からない、全ては謎だ。しかし、先日のサイサリスを見れば分かるように。古代の人々は過剰なまでに戦う力を求めていた。何か恐ろしい敵がいたのかもしれない」
求められた力は魔導人形に対してだけではない。
個人の装備も同様で、振れば衝撃波を放つ剣や装着者の能力を大幅に引き上げる鎧など枚挙に暇がない。もちろん魔法も、広範囲を焼き尽くし呪いをまき散らすものすらある。さらにはその手は生物にも及び、様々な能力を持つ魔法生物が産み出された記録もある。
一体何と戦い倒すつもりだったのか大きな疑問だ。
古代の文明が滅んだ理由を、その過剰なまでの力に求める研究者さえいる。つまり行きすぎた力による自滅であるというものだ。
何事も過ぎたるは及ばざるがごとしなのだろう。
「そんな恐ろしい敵がでたらどうしよう」
不安そうに両腕を上下させるエルツの姿に、サネモは声に出さずに笑った。その気持ちは、かつてサネモ自身も抱いたものだったからだ。
とても懐かしい。
「まあ常識に考えれば、古代魔法文明が滅んで数百年。こうして今も世界が続いているわけだ。何かの敵がいたとしても、一緒に滅んだのではないかな」
「なるほどそうだよね、よかったー」
「しかし滅びを生き延び、今もどこかに潜んで力を蓄えている可能性もある。たとえば……湖畔にぽつんとある怪しげな一軒の遺跡など、何かが封印されているかもしれないな。それが何かの拍子に復活して……」
「あうっ、やだー!」
エルツは顔を引きつらせ足を止め、今しがた後にした湖畔にぽつんとある遺跡に目を向けた。それからじりじりと後ずさって、急に向きを変え走り出した。しかし、ちょこっと行った辺りで石に躓いて、ばったり両手を投げ出し倒れてしまう。
「倒れた……」
「我が主、あまりからかわれてはよくありません。と、叱る気分で注意を促します」
「まさかここまで怯えるとは思わなかったんだ」
「我が主?」
「すまない、反省するよ」
行ってみるとエルツは半泣き顔で突っ伏していた。クリュスタが優しく抱き起こして汚れを払ってやり、サネモは再度謝って回復薬を差し出した。
それから遺跡をもう一つ巡り、安全を優先して早めに野営をした。
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