第29話 難しいのですね、人の心は
街の被害は思っていたより酷かった。
途中の建物は無残に押しつぶされ更地のようになっている。そんな無残な有様が一直線に続いていた。柱だけがなんとか残っている建物、半分だけ残ったが傾いて今にも崩れそうな建物。
そんな破壊痕が明るい日差しの下に一直線に続いている。
辺りでは既に片付けが始まっている。火は出たそうだが、それによる被害は殆どなかった。警備隊が魔導人形との戦いの場に来なかった理由は、火災への対応に必死だったからだそうだ。
結果としては正しい判断だった。
巨大魔導人形サイサリスの出所は、一直線に続く破壊痕からあっさり判明した。
「どうやら、あの魔導人形はトアール子爵の家にあったそうです」
女性たちを従えたソフィヤールが教えてくれる。
「何故あったかは分かりませんが、お城にも近いですからね。何か目的があったのかもしれません。ですけど馬鹿な子供の為に全部台無しです。きっと世の中としては良いことだったのでしょうね」
「馬鹿な子供……つまり、あのボスハフトは貴族の子弟だったのか?」
「はい、ですから対応に困っていたのですよ」
「そうか」
軽く頷くサネモだが、内心では動揺しきっていた。
ボスハフトはサイサリスから落下し踏みつぶされたが、その原因はエルツの放った魔法にある。もちろん意図的にやった事ではないし、あの状況下なので責められるいわれはない。
しかし相手は目的は不明でも巨大魔導人形を隠し持っていたような子爵。しかも、あのボスハフトの親である。そして馬鹿な子ほど可愛いとも言う。そこから導き出される答えは、常識的な行動は期待出来ないという事だ。
不安だ。
「今回の件は娼館から直接依頼をしましたのでギルドは関係してません。ですから、先生の活躍はギルドにしっかり伝えさせて頂きますね。きっと報奨金も出ますよ」
明るく微笑むソフィヤールを見ながらサネモは必死に考えた。
このままでは非常に拙い。ギルドから報奨金が出れば間違いなく噂になる。目立ってしまって子爵の耳にも入るだろう。そうなると今まで学院関係者から隠れ借金取りから隠れていたが、さらに貴族からも隠れねばならなくなってしまう。
「それは待って欲しい」
「あら?」
サネモの言葉に戸惑いを見せるソフィヤール。
彼女に何をどう言って説得すればいいのか分からない。しかも自分が保身を謀っているとも悟られたくはない。
必死に思考を巡らせ、似たような状況を思い出して閃いた。
あの時は勘違いによって大金貨を逃した結果となったが、しかし今回こそは間違いなく言わねばならない時である。
「つまり……そう、私は裏門の警備の依頼を受けた。つまり、あの魔導人形を阻止したのは依頼の範疇だと言える。むしろ裏門辺りに被害が出た以上、私は報奨金など貰う資格はない」
その言葉にジロウは額に手をやり空を仰ぎ、エルツは両手を握って目を輝かせた。ソフィヤールは目を何度も瞬かせ困惑、そして娼館の女性たちは新種の生物を見るような目つきをしている。
「あー、つまりだ。下手に報奨金という話になってしまうと、ボスハフトが魔導人形を持ち出した理由までもが白日の下に晒されてしまう。すると、面子を潰されてしまうトアールとか言う子爵の気持ちはどうなる?」
娼館の女性に入れ込んで、それにフラれて逆恨みしたなど醜聞以外のなにものでもない。対面を重視する貴族の恨みは、それをぶつけやすい相手に向けられるだろう。
一番恨みを向けられそうな対象はサネモとエルツだが、それを濁しつつ意味深な口調で言っておく。これでソフィヤールたちは、自分たちこそが危険だと解釈してくれるだろう。
「それなら、今回の件は出来るだけ伏せておくべきだろう」
「先生……」
「後は任せよう。あの魔導人形は古い時代のもので突如動きだし転倒して壊れたのだと、気の毒なボスハフトは巻き込まれて死んだと噂を流せば良い。そうすれば子爵は気持ちよく見舞金を払えるだろうし、何より君たちは子爵に恩を売れる」
「……どうしてそこまで?」
もちろん子爵に恨まれたくないだけだ。全くもって、どうしてここまで上手く金が手に入らないのか。全くもって生きづらい世の中である。
サネモは嘆きソフィヤールに対する適当な返事を考える。
「まあアレだ。イフエメラルはソフィヤール君の、いやいや君たち全員の、とても大切な場所なんだ。そこを守れるのであれば、私が貰うちょっとした報酬などより遙かに価値がある」
完璧な回答だろう。
これでサネモは目立たず、子爵に逆恨みされる事もなければ借金取りにも見つからないですむ。皆にも感謝されて万々歳だ。全ての問題は解決した。
「これはもう、絶対にお礼をしなければいけませんね」
ソフィヤールはにっこり微笑んだ。
後ろの女性たちも営業用ではなく、心からの笑みをみせている。
「むっ、だから謝礼金などは別に必要ないよ。それより私はサイサリスを調べに行きたいのだが……」
「まあまあ、それは後でも大丈夫です。それにお金ではなくて当店流のお礼ですよ」
「うん? 何か流儀でもあるのか……?」
サネモが戸惑うと、女性たちが口元に手をやりクスクスと笑う。ソフィヤールの合図で数人の女性がさっと出てくる。いま一度笑って、軽く会釈してサネモを囲んで建物へと促した。
「私だけか? 他の者は?」
「もちろん大丈夫ですよ、しっかりおもてなしをします」
ソフィヤールは微笑んで頷く。その瞳には、ちょっとだけ寂しげで名残惜しげな色があるものの、恐らく誰も気づかないだろう。
慌てた様子のジロウが大きな声で存在を主張する。
「すんません、それ俺も入ってます!? 入ってますよね? 入っていると言って下さい! お願いします!」
「もちろんですよ」
「っしゃあぁ!」
手を握り渾身の喜びを表現するジロウだったが、はっと我に返った。それから恐る恐ると傍らを向き、そこに佇むクリュスタを見つめた。
「なにか?」
「えっと、怒ったり攻撃したりとかしたりは……」
「何故ですか。何故クリュスタがそのような事をすると?」
「だって前に先生を誘ったら、そういう感じだったし」
「我が主の行動が正しく認められ、それに対する報酬なのです。クリュスタが文句を言う理由がありません」
「……判断基準がよく分からんのですが」
ぶつぶつ言いかけたジロウだが、前から憧れていた娼館の超人気売れっ子に微笑まれると全てを忘れた。手を取られて歩いて行く様は、まさしく雲の上を歩くが如きものである。
そこに残されたエルツはクリュスタを見上げる。
「ねぇねぇ、クリュスタさん。先生とジロウはどうしたの?」
「その質問に対する回答はまだ早いと判断し差し控えます」
「えー? なんでさ」
「いずれ説明します。今はその時ではないだけです」
「つまんないの」
くすくすとソフィヤールが笑った。
「お二人はこちらにどうぞ。女性同士でお話をしましょう、美味しいお菓子とお茶がありますから」
まだ不思議がっていたが、エルツはお菓子と聞いて、ソフィヤールの後をついていく。ちらりと振り返ってクリュスタを手招きする。
建物に入ってソフィヤールの私室に案内されると、椅子に座った。
直ぐに期待している、お菓子やお茶が出てきた。素晴らしく美味しかった。サネモとジロウは、どんな美味しいものを食べているのかと想像しながら、遠慮なく口に運んでいる。
微笑むソフィヤールはクリュスタに視線を向けた。
「貴方は魔導人形なんですね」
「はい、クリュスタはメルキ魔導工房製奉仕型万能魔導人形になります。そして我が主はサネモ=ハタケになります」
「本当に人間みたいね」
「最高級魔導人形ですので、人間に出来る事は概ね実行可能となっております。と自慢をしつつ、貴方は我が主とお知り合いなのですか? と尋ねます」
「あらあら」
ソフィヤールは楽しげに笑った。
高そうなカップの縁を指先で弾き、視線を窓に向ける。
「そうね――昔々あるところに、一人の女の子がいました」
女の子はある商人の家に出入りして、その家の小さな男の子と仲良くなりました。男の子は頭が良くて、優しいけどちょっと臍曲がりで偏屈な優しい子でした。やがて女の子の家は不幸に見舞われ、女の子は娼館に売られてしまいました。でも女の子は男の子に知識や教養を教えられていたので、偉い人たちに気に入られ可愛がられました。やがて気付けば娼館の一番偉い人になっていました。
「そんな、どこかに転がっていそうな物語があるかもしれないわね」
語り終えたソフィヤールは、にっこりと笑った。
「なるほど把握しました。我が主は物語を知る必要はあるでしょうか」
「男の人には昔の話なんて面白くないでしょ、聞いて貰う必要もないと思うの。もちろん、聞いて欲しいという気持ちがちょっぴりあったりするけれど」
「難しいのですね、人の心は」
「そう、難しいのよ。と言うわけで――」
ソフィヤールは言葉を区切った。不思議そうにするエルツの視線に気づくと、その幼さを懐かしむように微笑んだ。
「サネモ先生はとても良い先生ですよ、エルツさん。ちょっと臍曲がりで偏屈だけど優しい人なの。しっかりと学びなさいね」
穏やかな言葉にエルツは数度瞬きして頷く。
そして素晴らしく美味しい食べ物や飲み物を貰い、お喋りを楽しみ眠くなると柔らかなベッドに横たわる。
サネモと合流するのは、もちろん翌日であった。
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