第24話 幸せになれますように

 何事もなく数日が過ぎた。

 はじめの日は緊張して僅かな物音にも過敏に反応していた。音の度に周りを見回るなどしたが、しかし別に問題がないと分かってくると、次の日には怠ける事はしないが、落ち着いて見張りをするようになった。

 夕方から始まって、娼館の営業が終わる真夜中まで警備をする。エルツとジロウはある程度の時間になると下がらせて、夜更かしに慣れているサネモは最後まで警備を続ける。そういう流れが出来ていた。

 警備の開始で裏門に立つと、身支度の遅れたジロウが走ってきた。

 既に日は沈み、空を赤らめる残照も少しずつ青みを帯びていく。黒々とした建物にぽつぽつと明かりが灯っているが、夜よりも暗く思える時刻だ。

「さあさあ、今日も頑張りましょうや」

 ニカッと笑ったジロウが隣に並ぶ。

 見ればエルツが裏門の明かりを用意している。油を使っているが、そちらはクリュスタが見守っているので問題なさそうだった。

「しかしすいません、先生だけ毎日長く起きて貰って」

「構わんさ。学院にいた頃は、普通に毎日遅くまで起きていたぐらいだ」

「はぁ、学者の人も大変ですね。俺も依頼があれば遅くまで頑張ったりとか、時には徹夜なんて事もやりますけどねー。毎日ってのは無理ですよ」

「好きでやっていただけだ」

 サネモは褒められた気分で得意になったが、しかし実際には褒められているわけでもなければ、得意になる事でもない。

「だが警備というのも、想像していたよりは楽だな」

「とんでもない。それ間違い」

 ジロウは顔の前で手を横に振った。口元はに笑いを浮かべ眉はしかめている。

「今回のを普通とか思ったら駄目。本当に駄目。ここ恵まれすぎ」

「他を知らないので分からないが、そうなのか?」

「そうですって、普通は夜通し立ちっぱで休憩なし。そもそも通いの仕事で食事は自分で用意。出して貰えても金を取られますし、こんなに美味い食事なんで絶対ない」

「なるほど……」

 サネモはこれまでの待遇を思いだし、そうなのかと頷いた。

 休憩はこまめに取れているし寝心地のよいベッドも用意されている。食事の量は多くて美味しい。エルツが言った通り、このまま居着いてしまいたいぐらいだ。

「あと普通は依頼人とか従業員とかね、誰かが嫌がらせしてくるし」

「警備を頼んでおいて? それはおかしくないか」

「そういうもんなんですよ。皆それぞれ不満があって、それを弱い立場の連中にぶつけるってわけ。だから雇われハンターなんて、ちょうどいいわけですよ」

「なるほどそうか、ジロウも苦労したんだな」

「ですよー。このジロウライト君が幸せになれますようにと、先生も是非是非お願い致しますですよ」

「気にはかけておこう」

 冗談めかしながら結構本気で頼んでくるジロウにサネモは微苦笑する。警備の間に無駄話などを交わしてきたので、随分と親しみを抱いてきていたのだ。


 裏門は当然ながら裏通りに接した場所だ。表通りの賑やかしさとは打って変わって静かで人通りもない。辺りの住人や従業員が近道に通り過ぎるか、出入りの商人が通り過ぎるぐらい。あとは道に迷った酔っ払いが通りかかる程度だった。

 夜も更けてくると少しずつ寒くなる。

 街全体が静かになると表通りの賑やかしさが耳に付く。この人通りのない裏通りの寂しさが余計に強調されている気がする。

「…………」

 サネモは屈伸すると、今度は立ったまま足を交互に曲げる。

 ふくらはぎや足裏、膝や腰までもが痛くなっていた。気を紛らわすため裏門の前を右に左に歩き回った。直立し微動だにしなかったクリュスタが顔を向けてくる。

「我が主、少し休まれては如何ですか。と、体調を心配をします」

「それはありがたい……が問題ない」

 ちらっと横を見れば、ジロウとエルツは元気なのだ。それであるのに自分だけが休むのは、何か負けた気がする。ここは堪えて我慢するしかない。

「畏まりました、では寝る前にまた腰のマッサージを致します」

「まあ、それぐらいは頼むとしよう」

 クリュスタのマッサージは最高で、心地良さで直ぐに寝落ちするぐらいだ。

「羨ましいなぁ……」

 横でぼやくのはジロウだが、気の毒がる気はなかった。この警備で顔を合わせ馴染みになった女性と、日中に遊んでいるのは知っている。それを指摘しないのはエルツがいるからだ。

 ふいに、クリュスタが抑えた声を出した。

「我が主……」

 即座に警戒すると、薄明かりに照らされた裏通りに人の姿が見えた。こちらの裏門には食糧や小物といった必需品の搬入が行われるが、今夜はそれらが運び込まれる予定は聞いていない。

 それだけでも怪しいが、何の灯火も持たず歩く姿は警戒して当然だ。

 表通りから一本入った裏通りへと、わざわざやって来た相手の挙動を注視する。

 ここ数日の警備でなんとなく学んだが、人の動きには意識が込められる。特にそれは足取りに現われるのだが、そこから見ると――目的は、こちらだ。

 ただし、何か動きに迷いがある。

 引き返すべきかどうか悩み、こちらを気にしているのは間違いなかった。

「ここに何の用か?」

 相手が近づいたところで、サネモは機先を制して声をかけた。

 それで相手は足を止める。裏門に掲げられた篝火の光の中に確認できた男の顔は暗いものだ。光の加減によるものではなく、表情が沈んで陰気そうという意味である。

「あ……」

「こちらは警備をしている。用事がないなら近づかないで貰いたい」

「ミ、ミルト。ミルトに会いに来た」

 返事は甲高い耳障りな声だった。

「なるほど、店の者に用事か。残念ながらここは裏門になる。会いたければ正門に行って受付けを通して貰いたい」

「うるさい、その受付けが話にならない。あいつら嘘を言う、俺に会いたくないとミルトが言ってるとか。そんなの嘘だ、嘘に決まってる」

 男の言葉は途中から会話ではなく独り言に変わっている。

 警備の前に聞いていた説明で、娼婦に対し異常なまでの執着をみせたり、暴力行為や不快な言動を繰り返す者を店に立ち入らせない措置をしていると聞いていた。正門で拒否されたという事は、まさしくその対象なのだろう。

 それでも諦めきれず、わざわざ裏門にまで来たとは実に未練がましい。

「そんな事は知らない。ここは客を通す場所ではない」

「俺はミルトに会いたいんだ。会ってミルトと話をするんだ。だから邪魔をするな。俺が、ボスハフトが来たと言え!」

 大声を出し始めた。

「あいつが辞めて誰かと結婚するとか! そんな馬鹿な話ないだろ!? 俺がどんだけ金を使ったと思ってる! あの女を出せ!」

「呼んでどうするんだ?」

「這いつくばらせて謝らせて金を返させるだけだ! もういい、退け! お前のようなカスじゃ話にならねぇ、そこ退け!」

 ボスハフトは言っている間に興奮してきたらしい。

 甲高い声はひび割れ、常軌を逸したように騒ぎ出す。

 サネモは不快な気分になって罵り返したくなったが、しかし弟子の手前というものがある。折角凄い人だと尊敬されているので、あまり汚い言葉はよろしくない。

「言いたい事はそれだけか」

「俺があの金を用意すんのにどんだけ苦労したか分かるか!?」

「……自分の意志で使ったのだろ」

 元妻に奪われた金を思い出せば、このボスハフトの気持ちも理解できぬでもない。だがサネモの場合は勝手に持ち出されたのであって、この男のように自分で使って文句を言うような馬鹿とは違う。

「退けと言われても退く事は出来ない。我々はここの警備を任されている。だから、どうしてもと言うのであれば――」

 サネモは剣に手をかけた。

 こうした威嚇は初めてで若干動きが硬くなるのは否めない。

 しかし背後で同じような金属音が響く。皆も同じく剣に手をかけたのだ。それはボスハフトの耳にも届いたようで、途端に身を縮めている。

 どうやら怖じ気づいたらしい。

「くそっ……お前らみたいなカスが調子にのってんじゃねえぞ。もういい絶対に許さねぇ。絶対に後悔させてやるぞ。もう遅いぞ、謝るなら今だぞ。今なら許してやる」

 その時であった、ドンッと強く激しい音が響いたのは。

 クリュスタの背後に浮遊していたモノリスが地面を打ったのだ。単なる威嚇だったがボスハフトは小さな悲鳴をあげ、走って逃げて行った。

「やれやれだ」

 その呟きは相手に対するものか、自分の脅しよりクリュスタの威嚇が効果的であった事に対してか、それとも両方に対してなのか。サネモ自身にも分からなかった。

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