第23話 先生と一緒に、ここの家の子になる
「ようこそ、ハンターの皆様。私が娼館イフエメラルの主、ソフィヤールです」
美しい女性だった。
色気があるとはこの事を言うのだろう。立ち居振る舞いに艶があり、しかも上品で洗練されている。顔立ちは美しく体つきは肉感的で、肌も髪もなめらかで手入れが行き届き、眼差しと口調には知性と教養が感じられた。
娼館の主であるため、ソフィヤールも若いがそれなりの年齢だ。
しかし良い感じに歳を重ねたと言うべきか、むしろ落ち着いた大人の女性の美しさを感じさせる。
「無粋ではありますが、さっそく説明させて頂きますね。皆さんにはイフエメラルの営業時間、つまり日が沈んでから昇るまでの間ですね。裏門の警備をお願いします」
「それは裏門だけでいいのかな」
依頼を受けたのはジロウなのだが、ここに来た途端にサネモの後ろに隠れてしまった。偉い人と話すのは緊張するからというのが理由らしい。
おかげでサネモが応対しているのだ。
「はい、正門は別の者が行います。そちらはお客様がいらっしゃいますから――」
ちらりと視線がクリュスタに向けられる。
「変に勘違いをされる方がいらしても困りますものね。ですから、お客様とは関係のない場所をお願いします。適度に休憩されて構いませんが、他の方から見える位置で寛がないでください。お分かりでしょうか?」
「つまり品格を持てという事かな、それは当然というものだ」
「ありがとうございます。なかなか理解して頂けない方もいらっしゃいますので助かります。そして常に誰かが警備をして、場所を空けないようにもお願いします」
「その点は得意な者がいるので大丈夫だよ」
クリュスタは魔導人形で、拠点防御での待機はうってつけ。
そうしてみると、この警備は楽で美味しい仕事だったとますます思えてくる。後ろで大人しくしているジロウに感謝すべきだろう。
「それでは日没まで時間もありますので、身支度をお願いします」
「身支度なら、既に準備完了しているつもりだが」
「ここはお客様に夢を売る場所です。ですから警備の方にも身綺麗にして頂く必要がありますでしょう。その意味での身支度です」
「なるほど……」
「ここは湯をたっぷ使う場所ですので、お風呂をどうぞ。サネモ=ハタケ先生」
娼館の女主は、名乗ってもいないフルネームでサネモを呼んだ。
軽く驚くサネモに向けられる笑顔は、悪戯めいた少女のようであり、また何か意味深な含みを持つ女性のようでもあった。
広々とした風呂に入るのは久しぶりだった。
サネモは気分が良かったが、しかしジロウの方はそうでもなさそうだった。鼻の下まで沈んで不満そうな顔だ。湯の中でぶつぶつと呟いている。
「何か気に入らない事でもあるのか?」
サネモは咎めるように言ったが、これも仕方がない。
一緒に行動してそんな顔をされては、まるで自分が何か悪い事をしたように思えてしまう。少しばかり心が傷ついて、少しばかり責めて文句を言いたくなる。
「あっ、いやそうじゃないですけど。なんつーか……」
顎が出るまで浮上してジロウは言った。
「普通だったらここは女の子と入る場所じゃないですか。それだっつーのに男二人で入るってのは、何というかガッカリ感があるわけで。先生さんも分かるでしょ」
「いや分からない」
「えー、そうなの? もしかして先生さん、こういうとこ来たことないとか?」
「ないな」
「マジで!? 凄い堅物! 俺なんて最低でも週に一回、金があるときは毎日」
ジロウが大げさな仕草で驚けば湯が大きく揺れ動いた。
「私は学問に励んでいたし、結婚後は妻一筋だったからな」
興味がなかったとは言わない。しかし知識を得るには金がかかって、そんな余裕などなかったことは事実。そして結婚後はその欲望は妻で満たされ――正確には、その味気なさに冷めたのだった。
恐らくだが、結婚当初から妻の心はサネモにはなかった。
反抗的ではなかった。しかし気に入らなければ黙り込んで睨んでくる。会話をしても返事もしてくれたが、自分からは話しかけてはこない。
普段の生活も夜の生活も含め、そんな感じだった。
だからサネモが仲を深めようとしても空回りするばかり。それにいつしか疲れて興味を失ってしまったのだ。
「へぇ!? 先生さんの奥さんって、どんな感じ?」
「さぁ、あまり話題にはしたくない。なにせ男をつくって出て行ったからな」
「すんません……」
「いやいいんだ。口に出してすっきりしたよ」
不思議なもので言葉がするりと出た。湯の心地よさが理由なのかもしれないし、ジロウの話しやすさが理由なのかもしれない。だが、おかげですっきりとした。
言葉を口にした事で、心の中で一つの区切りがつけられた気分だ。
「ところで先生さんって、ソフィヤールさんと知り合い?」
「違うが、それはどうしてだ?」
「そりゃ名前を呼んでたから」
「ああ、それか……」
サネモも頷いた。
まさか、いきなり会った相手にフルネームで呼ばれるとは思いもしなかった。ハンターの登録は、個人名だけにして家名は入れてない。どこかで会った事があるのかもしれないが、会った事があれば覚えている自信はある。だが、心当たりはない。
「何故か知られていたな」
「そっか……そうなるとあれかな。ほら、こういう場所は情報の集まるとこなんで」
「集まる?」
「男ってのはほら、こういう場所だと口が軽くなるから」
そういうものかとサネモは呟いた。
しかしこうした場所を利用した事がないため何とも言えない。元妻との夜の生活を思い出しても、やっぱり口が軽くなるとは思えない。だがジロウが言うのであればそうなのだろう。
何にせよソフィヤールがサネモの事を知っていた理由は分からない。学園の誰かがここを利用し、サネモの事を話したかもしれないが、それでもその話題の相手と初対面の相手を結び付けるのは用意ではない。
サネモは頭を振って、その考えを追い払った。
「どちらにせよ、任された依頼を真面目に行うだけだ」
「確かにね」
風呂を出て服を着直すが、いつの間にかしっかりと手入れがされてあった。サネモの場合は普段からクリュスタが手入れをしているため変化はないが、ジロウの服は見違えるほど綺麗になっていた。
身綺麗になった二人は、用意された部屋に移動した。
椅子とテーブルのある小部屋には飲み物まで用意されている。しかも果実を絞って氷まで入っているものだ。軽い菓子類も置いてあるが、それも気の利いた高価な品だった。単なる警備に対し妙に好待遇だ。
後ほど用意される食事も期待できる。
「しかし……クリュスタさんとエルツちゃん遅いな」
「女性の入浴は長いものだが、確かに遅いな。クリュスタが付いていれば、何の問題もないと思うのが」
そんな事を話していると、ちょうど話題の相手がやってきた。
エルツはホカホカ顔だ。クリュスタは特に変わらない。
「お待たせー! ここ凄いよね、お風呂広々お湯いっぱい。先生と一緒に、ここの家の子になりたいな。ねえ先生、ここに住ませてもらって仕事とかするのどう?」
娼館でその発言はどうかと思うサネモだったが、それは口にしなかった。ジロウも困り顔で頬を掻くので同じ気持ちらしい。
夕食が出される。
焼きたてに近いパン。彩り豊富なサラダ。赤いソースの麺料理。それから細かな泡のたつ薄黄金色した飲み物。酒かと思ったが違った。これから警備なので当然と言えば当然だ。
「やばい凄い美味い。こんな食事を出されていいのかってぐらいだ、でも食べるぜ」
ジロウは興奮しながらガツガツ食べているが、ふと手を口を止めた。
「クリュスタさんも食べるんだ……」
「当然です、クリュスタは最高級魔導人形ですから食事は問題ありません。ですが食べる必要もないため、欲しいものがあればどうぞ言ってください。差し上げます」
「あー俺は別にいいけど」
遠慮気味のジロウは首を竦め横を見た。
そこには目をキラキラとさせ、赤いソースを見つめるエルツの姿があった。もちろんクリュスタに勧められると最高の笑顔で礼を言って、自分の空の皿とそれを入れ替えた。
サネモは飲み物のグラスを片手に頷いた。
食事を終えて、後は警備開始の時間を待つだけだ。
「さて警備をする手はずだが、実を言えば経験がない。ここはどうすべきかジロウの意見を聞いておきたいな」
パンのおかわりを囓っていたジロウが頷く。
「あーそれなら、夜って結構冷えるから。しかも立ってるだけだと、余計に寒くなってくる。それで喉とか冷えると体調を崩しやすいから気を付けた方がいいかな」
「なるほど。なら暖かくして、喉には何か巻いた方が良さそうだ。他には?」
「照明の近くに立たない。相手から丸見えだし、明るいとこだと暗いとこが見えなくなるとか。そうそう照明は自分の後ろにして立つと良いとか。必ず二人で行動しないと駄目ってのも大事かな」
「なるほど、理解した。経験に裏付けられた知識は助かる」
誰しも褒められると嬉しいもので、ジロウは照れた様子で頭を掻いた。
「あとは、途中で休憩をしっかり入れるって事かな。立ってるだけでも結構疲れるんで、それだと何かあった時に動けない」
「確かにそれも大事そうだ。休憩はしっかりとるとしよう。そうすると交代をどうするかだが……」
サネモは腕組みをした。
時間をどう区切るか、それぞれの実力を考え組み合わせねばならない。あれこれと考えていると、顔に赤いソースをつけたエルツが不思議そうな顔をした。
「でも、それ問題ないよね? だってクリュスタさんがいるし」
その言葉に皆がクリュスタを見た。
会話の邪魔をせぬよう大人しく待機している。おそらく夜間の警備も同じように平然と待機するに違いない。なぜならクリュスタは魔導人形なのだから。
身綺麗になって飲んで食べて気力十分。
あとは警備の始まりを待つばかりだ。
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