第25話 何か大っきいのがいる!?

「僕、あの人嫌い」

 エルツは両手を腰に当て、頬を膨らませた。

 髪はまだまだ短いが少しだけ伸び、以前より少女らしさが増している。この娼館で過ごした数日の間に、女性たちから女の子らしさの指導を受けたお陰も影響しているに違いない。

 それは良い方向の変化だろう。

「そんな事を言うものではないな」

「えーっ、でも凄ーく嫌な人だったよね」

「もちろん気持ちは同じだ。しかし、そういった素直な感想を人前で軽々しく口に出すものではない」

「そっか、分かった。今度から先生にだけ聞こえるように言うね」

「そういう意味ではない。いや、正しいのか?」

 サネモは悩む。

 だが、この何気ない会話のおかげでボスハフトの事から頭が離れてすっきりした。サネモ自身も不快に感じていたのは事実だ。

 ああいった人間は思い出すだけで気分が悪い。

 視野狭窄と言うべきか、まるで自分の事しか見えていない我が儘さ。言動の汚さからしても自己中心さがあって、全体的に幼稚さを強く感じてしまう。

 あの耳障りな声で騒がれると――また思い出してしまった。

「いかんな、ああいう毒の強いのは頭にこびり付いてしまう」

 ボスハフトが逃げ去った方を見やったサネモが頭を振っていると、ずいっとクリュスタが横に立って見つめてきた。

「我が主の許可さえあれば、今からでも追いかけて始末してきます」

「クリュスタまで物騒なことを言いだすとはな」

「極めて不快です。もちろんあの男が、と注釈を入れます」

「警備が仕事だ。気にするな」

 そんな事を所有の魔導人形にされてはサネモの責任にされてしまう。もちろん評価も評判もだだ下がりになって、今後の生活にも大きな影響が出るに違いない。


「畏まりました。次に来たら始末します」

 しかしクリュスタは不満のようだ。

 魔導人形に本当の感情があるかは不明。だから、感情があるように振る舞っているだけかもしれない。しかし人間と寸分違わぬ姿の魔導人形が不機嫌な顔をしてみせれば、それは人間がみせる感情と何が違うのか――そんな事を考えるサネモの耳に、くすくすという笑い声が聞こえた。

「む?」

 視線を巡らせると、幼い少女たちが裏門に掴まりながら顔を覗かせていた。娼館で引き取られ教育を受けている子たちである。ここで衣食住の世話を受ける代わりに、いずれは娼婦として働くのだ。

 これを憐れに思うのは間違いだ。

 少女たちは何らかの事情で親の庇護を失い住処も食事も得られず、本来であれば行き倒れるしかない身の上。これが少年であれば、ハンターか犯罪組織でしか生きる術がないのが現実だ。

 好むと好まざるを得ず、人は生きるためには何かの対価を支払わねばならない。安寧のまま、全てを与えられ生きられるのは揺り籠の中の赤ん坊だけ。

 そんな事を考えつつ、サネモは声をかけた。

 一応は娼館の者なので、無視をしたりするのは得策ではないのだ。

「どうしたかな」

「ちゃんと仕事してるか見張ってたのー」

 一人が口を開くと残りも、無邪気な様子で喋りだす。

「真面目にやって頑張ってるね」

「だよね、あいつ追い払ってくれて良かった。ミルトさん困ってたし」

「でもでもジロウは役に立ってないよねー」

「本当だ何もしてないね。ジロウはだめだめだね」

「後でお説教なんです」

 随分と賑やかしく、それはサネモが口を挟むどころではない。

 声をかけてしまったサネモが怯んでいるものの、クリュスタは警備を続けて反応する気は皆無、エルツも会話に慣れていないので黙っている。


 ジロウがニカッと笑った。

「なはははっ、チビどもよ。お菓子をやろうじゃないか。だから俺が役に立ってない事は内緒にするんだぞ。貰いもんだから遠慮しなくていいぞ」

 取り出された菓子を見て、子供たちが喜びの声をあげた。しかし裏門の内側から手招きするだけで、外には出ようとしない。

「ん? どうした遠慮しなくていいぞ」

「私たち出ちゃ駄目なの」

「いや別に一歩か二歩だけのことじゃないか」

「だーめ。ここが私たちの最後のお家なの。だから絶対に出ない」

「……そっか」

 ジロウは優しく笑うが、その目には哀れみを含んだ色が宿っている。このジロウにしても故郷を飛びだし苦労して生きてきたのだ。思う事はいろいろあるのだろう。

「ならば、遠慮無く俺が入ってやるぞー」

 言ってジロウは菓子を手に裏門をくぐる。

 途端に子供たちが群がった。それは襲われていると言っても良いぐらいで、遊んでいるのか甘えているのか分からないぐらいだ。容赦なく服はもとより手や足を引っ張られ、菓子を奪われている。子供に好かれるのかもしれない。

 ふらふらになりながら、それでもジロウは笑った。

「よーしチビども。夜も遅いからな、お菓子を食べるのは明日にするんだぞ。この格好良いお兄さんとの約束だからな」

「格好いいお兄さん? どこにいるの?」

「もしかし自分の事だってジロウは言いたいのかも」

「変なお兄さんだよね」

「分かりました、言い間違いなんです」

 散々な言われようだ。

「ちっがう! そこは格好いいお兄さんだっての!」

 ジロウが地団駄を踏んで憤ると、子供たちは指をさし笑っている。

 そこにソフィヤールがやって来た。

 めっ、と短く言って両手を腰に当てている。

「貴方たち、静かにしなければ駄目でしょう」

 たちまち子供たちは首を竦めて縮こまった。ただし娼館のトップを怖がる様子ではなく、それは母親に叱られている子供の雰囲気だ。実際そういう関係なのだろう。

 ソフィヤールはジロウに深々頭を下げた。

「ありがとうございますね。この子たちに贈り物をして頂きまして」

「なんつーか、いえ。別に俺はね、勝手してすんません」

 ジロウは照れながら頭を下げた。

 夜闇の強い時刻、松明の明かりを浴びたソフィヤールは艶麗な美しさがあった。まさしく夜に咲く美しくも儚い花といった存在だ。

 この雇い主にサネモは静かに頭を下げる。

「騒々しくして申し訳ない。以後、気をつけよう」

「いいえ、とんでもありません。それよりも、先ほどの方を追い払って頂いて助かりました。正面玄関で一悶着ありましたので、ひょっとしてこちらにと思ったら案の定でしたね」

「ひょっとするとだが、警備を雇ったのはアレが原因かな?」

「……ええ、そうです。ミルトに異常に執心してましたから、念のためにと思ってでした。まさか本当に来るとは思っていませんでしたが」

 ソフィヤールは裏通りの、すっかり暗くなった街並みを眺めている。物憂げな横顔だ。ふとサネモの視線に気づいたらしく、振り向いて微笑んだ。

「それでは、引き続きお願いしますね」

 幼い少女たちをに囲まれ建物に戻っていく姿のそれは、まさしく親子といったものであった。


 辺りは急に静かになった。

「あーっ、緊張した」

 ジロウは額の汗を拭う真似をして息を吐いた。

「それはソフィヤール女史に対してか?」

「そりゃそうですよ。この辺りの元締めですよ元締め。いや、それだけじゃないですけどね。深い知識と上品な佇まいで上流階級のお偉方の心を奪い、一介の娼婦から元締めにまで上り詰めた伝説の存在。って、話なんですよ」

「しかし元締めだったとして緊張する必要はあるまい。彼女は元締めの立場としてではなく、こちらに接してくれている。それに、むしろ親しみを感じる」

「それなんですよね……」

 ジロウは裏門の中を気にしながら言葉を濁した。門にもたれかかったエルツが小さく欠伸をして、そろそろ寝かせるべきかとサネモは考えている。

「俺が依頼の話を聞いたときは、もっと厳しい感じでしたよ。やっぱ先生さんとソフィヤールさんって知り合いなのでは?」

「うーん、そうか? やはり覚えはないな」

 言って横を見ると、エルツが軽く目を閉じていた。

 エルツは田舎の貧しい村の出身だ。学院生活で夜遅くまで研究していたサネモや、都会で夜遊びするジロウとは違って、きっと日没後は寝る以外にする事がなかったのだろう。あまり夜更かしが得意でない。

「エルツ、そろそろ中に入って寝なさい」

 その言葉で、エルツは気づいて目を開いた。

「嫌だ。今日こそは、僕も頑張って最後まで起きてるの。いつまでも先生一人で、遅くまで起きて貰うなんて出来ないからね」

「別に私一人ではない。クリュスタも一緒だ」

「そーいう意味じゃないよ」

 エルツが言い募って頬を膨らませる。

 その時であった、遠くで激しい音がしたのは。

「!?」

 何かが破壊される音だ。裏通りのサネモが視線を向けた右手方向、その先にある幾つかの建物の屋根の向こうで、何か動く様子が確認できた。

 かなり大きなものだ。

 暗い夜空を背景に、松明の光によって下から照らされた巨大な何かが動いている様子が見えた。さらに目を凝らせば人型をしているようだ。

「うあぁぁっ、何か大っきいのがいる!?」

 エルツが泣きそうな悲鳴をあげた。

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