第3章

第20話 聡明な主に安堵いたします

 エルツは剣を構えた。

 しかし、その黒みを帯びた剣は明らかに大きすぎた。

 重さもあって両手で持たねばならず、振り回せば勢いに負けて身体がよろめいてしまう。振り下ろすと勢いが止められないため、剣先が地面に食い込む。小石に当たったらしい固い音がした。

「どうやら無理のようですね」

 クリュスタが剣を取り上げた。

 付着した土を払うため振り回すのだが、それは同じ剣とは思えない軽々とした動きをみせる。刃が空を裂く音が長く鋭く響き、編まれた金髪と蒼いバトルドレスの裾がふわりと翻る。

 この優美な姿が日差しの中で動けば、美しいという言葉意外に表現ができない。

「やはり無理だな。ここは大人しく諦めてはどうだ」

 日陰から出てきたサネモは日の光に目を瞬かせる。

 エルツを弟子にして指導を始めたのはいいが、今日になって急にハンターをやると言い出したのだ。それで試しに剣を持たせてみた結果が、今の地面斬りであった。

 これでは死にに行くようなものだ。

 サネモはハンターになった直後、馬車の中で若きハンターのリンドウに心配され忠告された時を思い出した。あの時はお節介と思ったが、今のエルツを前にするとリンドウの気持ちがよく分かってしまう。

 あまりにも無謀すぎる姿を前にすると、人は思わず忠告したくなるらしい。

「待って! 待って! そんなこと言わないでよ先生。僕もハンターになるの!」

「弟子に危ない真似をさせられるか」

 渋い顔でサネモは言う。

「クリュスタからも何か言ってくれ」

「はい畏まりました」

 サネモの呆れた物言いに反応し、クリュスタは頷いた。エルツは不満そうな顔で首を竦めている。しかし最高級魔導人形の澄んだ瞳はサネモに向けられた。

「クリュスタは我が主に危ない事をして欲しくありません」

「おい、そうではなくてエルツにだが……」

「我が主がエルツに向ける気持ちと、クリュスタが我が主に向ける気持ちは同一と考えます。故にクリュスタは我が主に告げます。ハンターという危険な行為をせず待機してくださいと。クリュスタが依頼を受け、報酬を貰ってきます」

「……そんな事が出来るはずないだろう」

 クリュスタだけに働かせ自分が何もしないなど、サネモには考えられない。最近は自分に対する陰口を幾つか耳にしている。親切にもぎりぎり聞こえるぐらいの声で喋ってくれるのだ。

 一人では何もできない、クリュスタが主でサネモはおまけ、クリュスタに寄生する役立たず。などなど、サネモの自尊心を傷つけるに足る内容である。

 もしクリュスタだけで依頼を受ければ、どう言われるかは火を見るよりも明らか。

 そうした耐えがたい陰口もだが、それより何より自分が何もしないという事は、サネモ自身が許せなかった。

 つまりはプライドの問題だ。


 そこまで考え――サネモは顔をしかめた。

「分かった、言いたいことは分かった」

「ご理解頂けましたか、さすがは我が主です。と、聡明な主に安堵いたします」

 結局のところエルツにはエルツのプライドがあるのだ。

 危機的状況から救われ衣食住を世話され、のみならず知識まで与えられる。そんな日々を、ただ一方的に享受したくないという事だ。

 その気持ちが分かったサネモは腕を組み、空を見上げて長く息を吐き、それから渋々ではあるが頷いた。

「分かった。エルツがハンターになる事は反対しないでおく」

「やった!」

「ただし、しっかりと訓練をして貰うからな」

 サネモもハンターになって日は浅いが偉そうに宣言した。

 しかしエルツが聞いている様子はない。両手を握って勢い込んで軽く跳ね、そしてクリュスタに向かって礼を言っているではないか。

 そこは自分に言うべきではないだろうかと、サネモは少し不満を抱いた。だがそれも頭の片隅での考えで、直ぐに思考はクリュスタとの会話の事で占められる。

 まさかクリュスタに、反論するように示唆され促されるとは思いもしなかった。

 魔導人形という存在は主に対し盲目的な従順さをみせる。だからこそ、あの遺跡のアリーサクのように、指示されたまま何百年でも待機するのだ。

 しかしクリュスタはそれとは全く違う。

 もしかすると魔導人形という定義そのものが、全く間違っているのではないか。何か大きな勘違いをしているのではないか。そんな疑問がこみ上げて――しかしエルツの声でサネモは我に返った。

「先生! それなら剣の稽古頑張るからね」

「む?」

「いろいろ頑張る!」

 エルツが勢い込んだ目で見つめてくる。

 短い髪の素直さのにじむ顔立ちは、最初に見たときの通りに少年めいたものだ。この弟子はまだまだ頼りないが、やる気があるのは良いことだろう。

「ならば、文字の勉強も頑張って貰うとしようか」

 サネモが言うと、途端にエルツの顔が強ばった。

 身体を動かす事は好むが、机に向かう事はとても苦手なのだ。

「部屋に戻って書き取りをするか」

「うぇえーっ……」

 背を向け歩きだしたサネモの顔は笑っている。


 宿の部屋の小ぶりな窓の前に、小さな丸机と椅子がある。

 そこに座ったエルツは少し不満そうな顔をしている。文字の勉強は不承不承といった様子だ。サネモがベッドに腰掛け視線で合図をすると、クリュスタが頷きモノリスの中から小さな石版を取りだした。

 丸机の上に置かれたそれを、エルツは不思議そうに見つめる。

「なにこれ?」

「真言を学ぶ為の道具だ」

「えーっと、文字じゃなくて真言?」

「遙か昔に使われた文字で、今は使われていないな」

「普通の文字だけでも手一杯なんだけど……」

 不満げなエルツの前で、サネモは石版を手に取って【蝶】の真言を記した。そこから蝶の幻影が飛び立ち、ひらひらと飛んで消えた。さらに【蝶】【群れ】とすれば、大量の蝶が辺りを飛ぶ。

「ふわぁ……」

 エルツは口を開け驚いた。年相応の子供らしい表情だ。

「まずは基本の文字を一つ覚え、頭の中でも常に正確に描けるようにする。それから発音を覚え唱えて貰おう。そうすればエルツにも魔法が使えるだろう」

「僕が魔法を、それ本当!?」

「適性があればだが。適性がなければ魔法は使えない」

「あっそうなんだ……」

「どっちにしろ真言文字は覚えて貰う。これは覚えて損はない。と言うよりも、私の弟子がそんな事も分からないでは私の名誉に関わる」

 かつて自分が弟子時代にそうであったように、いずれは面倒な真言文字の読解と現代文字への読み替え作業をやらせるつもりだ。全くの無償で教えるのだから、その程度は役立って貰わねばならい。

「では【光】の文字からいこう」

「はいはい、こんな感じ?」

「違う。縦の線が傾いて、点と線のバランスが悪い。単なる文字と思っては駄目だ。これは精緻な絵と思って正確に書くんだ。あと返事は一回」

「はーい」

「間も伸ばさないように」

 口やかましく言って、何度も書き直させていく。ようやく文字を記すと石版から光りが放たれた。つまり正確に書けたのである。


 そうなるといよいよ魔法の実践である。

「まず、頭の中でどうしたいか想像。そして――迸れ【光】、ライト!」

 サネモが指を鳴らすと白光が放たれた。

「あああっ、目が目がぁ!」

 何が起きるか注視していたエルツは悲鳴をあげ、両手で顔を覆った。さらに椅子から転げ落ちて床の上でのたうつので、クリュスタが様子を見に来た。

 サネモは気まずげに咳払いをした。

「注意しておけばよかったな。しかし、この効果……上手くやれば戦闘にも使えそうな気がするな。たとえば目潰しとかで」

「さすがは我が主です。よいお考えかと。しかしその前に、ここは謝罪しておくべきかと思われます。と、さりげなく忠告します」

「……過失ではあるし、私だけが悪いわけではないが。すまんな」

 きまり悪げなサネモの謝罪はおざなりだ。クリュスタの手を借り椅子に座り直したエルツは、顔をしかめ半泣き状態である。

「ううっ、酷い目に遭った……」

「魔法の使い方と効果は理解したようだな。では、早速試してみるか」

「今のショックで忘れちゃったかも」

「そうか。だったら二度と忘れぬように百回ぐらい書いておくか」

「ちゃんと覚えてる、覚えてるから。大丈夫」

 エルツは大慌てで首を振り言った。

「もう手が痛いぐらい書いたからね、そのうち手から魔法が出るよ。これで魔法が使えなかったら、本当にもう何なんだろって感じ」

「だったら思い描いて唱えてみるといい」

「えっと、それなら。迸れ【光】、ライト」

 エルツが指を鳴らし、弱い白光が放たれた。

 開いた窓からの日差しの方が遙かに強く、光った事が何とか確認できた程度だ。

「出来た!? 僕って魔法の才能あり?」

「苦労が報われて良かったな。さて、後は何度も魔法を使って慣れていけば効力も増していく」

「僕、魔法を使えるんだ……!」

「戦闘用は基本しか知らんが、それもいずれ覚えて貰おうか。聞いてるか?」

「聞いてるよ、僕頑張るから!」

 エルツは希望に満ちた顔で頷いた。

 かつて同じように未来を信じて夢みたサネモは静かに頷いた。いつか弟子に真言読解をさせ、楽できることを夢見ている。

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