第19話 僕、先生の家の子になる
「それだったら! 僕は今ここで自分の人生が欲しい!」
甲高めの声がギルドのロビーに響いた。
それは感謝に来た村人の中からで、集まっている一番後ろにいる少年だ。あの時にあの場所で、盗賊に刃を突きつけられた少年だ。両手を握って、周囲の大人を気にしながらこちらを、サネモに視線を向けている。
「エルツ!」
サネモが何かを言うより先に、老人が振り向いていた。寸前までの感謝する態度とは打って変わって、不機嫌そうで荒々しく乱暴なものだった。
「エルツよ、控えなさい」
「やだ! 今しか言えないから! 僕が助かるには今しかないから!」
「黙りなさい。感謝をしたいと言うから連れてきたが……」
「黙らないよ! ねえ、そのお金で僕は助かるの? 他にもいっぱいいるのに? そんなの待ってられないよ! 僕は自分の人生を生きたいんだ!」
声をあげるエルツという少年は、他の村人に掴まれ引きずられていく。外へ連れだされようとしているが、全身全霊で抵抗している。
まさしく生きるための抵抗だ。
「先生さん、あの子を助けてやってくれよ」
言うなら自分でやれ――などと言葉が喉まで出かかるが、この場でそれを言うほどサネモは馬鹿ではなかった。ユウカや、ギルドの職員たちも見つめている事に気付いていた。
どうして自分がと思うが、皆が期待の目をしている。どいして自分にそんな期待をするのか。馬鹿らしい。実に馬鹿らしい。だが……少し前にどん底で落ち込んでいた時が思い出される。もしあの時、誰かが手を差し伸べてくれていたら――。
「待ちなさい」
思わず声が出ていた。
老人も村人も、そしてエルツも動きを止めた。そしてサネモも止まっている。言ったはいいが、自分でもどうすれ良いのか分かっていない。
迷う背中にクリュスタの手が触れ、冷静さを少し取り戻す。
「…………」
助ける、と言うのは簡単でも実際には大変だ。
この場をしのいで後は放置とはいかない。助けるのであれば、一人で生きていけるまで世話をせねばならない。だが自分の生活も精一杯な者に、他人の世話までみる余裕などない。一時の感情に囚われ厄介を抱え込むなど愚か者のする事だ。
しかし、エルツの目はサネモに向けられたままだ。
最後の望みを託し懇願し、睨むように見つめてくる。しかし同時にサネモは気付いてしまった――このエルツは諦めているのだと。どうせ無理だろうと、どうせ助けてくれるはずないと思っているのだ。
――なんと無礼な奴か。
サネモの胸中に激しい反発心が沸き起こる。
他人に期待されないなど許しがたい、それはサネモという人間を軽んじ馬鹿にしているに等しい。その諦めを引っ繰り返してやって、己が間違っていたと少年に思い知らせてやりたくなる。
心の片隅でやめろと制止する気持ちもあるが、むしろそれが後押しとなった。
「その子と話をさせて貰おうか」
言って我に返って後悔するが、もう後には引けない。
つかつかと尊大に進んで少年に近づく。エルツを掴んでいた村人は手を離し、戸惑いと驚きを隠せないまま一歩引く。だが誰もが固唾を飲んでサネモに視線を向けている。
不安そうに見上げてくる顔の真正面に立つ。
「エルツと言ったかな」
「あ、はい」
「君の欲しい人生とはどんなものだ」
「そんなの分かんないよ。分かんないから、これから考えたい。そうやって自分の人生を自分で考えて決めたい」
「なるほど。だが人生を思い通りに生きられる人間は一握りだ。他の人生とぶつかりあって、自分の人生が望まぬ結果になる事もある。いや、むしろその方が多い」
「それならその度に考えてやり直せばいい」
「なるほど……良い眼をしている」
サネモにはなかった、または忘却した何かが宿っている気がする。
「いいだろう合格だ」
何が合格なのか、サネモ自身も分かっていない。しかし、何故かそう言いたかったのだ。エルツの言った、その度にやり直すという言葉が心に響いたのかもしれない。
「君を引き取ろう。そして自分の人生を歩むといいだろう」
サネモの言葉に、エルツの大きく見開かれた目に涙が盛り上がり、零れて頬を伝い落ちていく。聞いていた老人は沈黙したまま寂しそうな顔をして、それから深々と拝むように頭を下げてみせた。
宿に戻ったサネモは、図らずも同宿人となったエルツを見つめた。
痩せっぽちの小柄な少年だ。黒髪は無造作に切り揃えただけだが、顔立ちは整って利発そうで、何より目に輝きがある。今も好奇心を隠せず、部屋のあちこちを見つめている。
引き取ると言ったが、まさか今日からとは思っていなかった。
それが正直なところで、心の準備がまだだ。
おかげで落ち着かない気分だ。やはり早めに住む家を確保した方が良いだろう。
そうなると結局付きまとうのは金の心配。手に入れ損なった大金貨が、また惜しくなってきた。返す返すも惜しい、しばらくうなされそうだ。
深々息を吐けば、エルツが不安そうな顔をした。
「あのっ、ありがとね。それから迷惑かけてごめんね」
「気にする必要はない。これは別の問題だからな」
「ところで先生って呼べばいいの?」
「好きにすればいい」
言って、サネモは椅子に座る。後ろにクリュスタが来て労るように肩を擦ってくれた。エルツは戸惑いながら、もう一つの椅子に座った。
「あのままだったら僕、人形にされる予定だったから。助けてくれて本当に感謝してる。ありがと」
礼の言葉に、サネモは無言の頷きで応えた。
村に金を渡しても、それで直ぐに変わるわけではない。エルツの選択は正しく最善だっただろう。ただしそれはエルツにとってで、巻き込まれた方は大変ではあるが。
ちょっとだけ恨めしい。
「しかし、どうして私に助けを求めた?」
「先生なら、きっと助けてくれると思ったんだ。だって凄くて良い人だから」
「凄い? 良い人? この私が? よしてくれ、そんな評価は」
「でも盗賊から逃げる皆を直ぐに誘導して守ってたよね」
それは他に何も出来なかったからだ。
「本物の凄い魔導人形を従えてるよね」
それは偶然からのものだ。
「人形の話を聞いてショック受けてたよね」
それは自分の知らない話だったからだ。
「村のお金受け取らなかったよね」
それは単に間抜けなだけだ。
「そして僕を助けてくれた。だからやっぱり凄いし良い人だよ」
エルツは歯を見せ笑い、それは心からのものだと分かる。
「…………」
だからサネモは嬉しかった。こうして褒められたのは生まれて初めてで、背筋がぞくぞくするほど嬉しかった。
ようやくサネモはエルツを受け入れ、面倒をみる事を受け入れた。
「自分の人生は自分で決めねばならない。しかし、むやみに走り回れば良いというものではない。だから、いろいろ勉強して知識を身につけて貰う」
それは弟子という事だ。
講義で教える生徒とは違って、知識を教え伝える存在である。初めて持つ弟子に、サネモは軽い興奮を覚え嬉しくなった。
何から教えるべきか。
魔導人形に関しては当然として、読み書き計算に魔法を教えるのもありだろう。考えていると、微かに血の臭いを感じた。立ち上がってエルツに近づく。
原因はそこだ。
「だが、その前に風呂に行って身体を洗って来なさい。まだ少し血生臭い」
「えぇっ!? ちゃんと洗ったよ? 臭くないよ、臭くないよね?」
エルツは自分の手や腕に鼻を近づけている。少しショックを受けた様子になっている。しかし服に染みた血の臭いは簡単には落ちない。
そしてサネモは神経質だ。
「服は買い換えるとして、身体は洗い直しだな。湯と石鹸を使いなさい」
「お湯!? 凄い! そんなの使っていいの? 僕、先生の家の子になる!」
「そこは弟子と言って欲しいな」
まだこんな歳の子供が居るような年齢ではないのだ。
「あっ、そうだった。ところで石鹸って何?」
サネモは軽く唸るだけだ。
それなりの商家に生まれ、学院で賢者として暮らしてきたサネモにとっては、お湯も石鹸も当たり前のものだった。だが田舎ではそうではないらしい。
「ここは湯が使える。石鹸は身体を洗うのに使うものだ」
「畏まりました。血生臭さが欠片も残らぬよう、このクリュスタが隅々まで綺麗に洗いましょう。と、有能さを主張しておきます」
「…………」
クリュスタがエルツを洗う。
その姿を想像すると、サネモの心がモヤモヤする。
いくら少年相手とはいえど、クリュスタがそうした事をするのは、何故だか面白くない。とても面白くない。
「待て、それは私がやる」
「奉仕型魔導人形の存在意義を否定!? と、打ちひしがれた気持ちを主張します」
「あーっ、なんだ。これは師弟が相互理解を行う為に必要なことだ」
「それはクリュスタの存在意義よりも大事なものでしょうか」
「大事だ」
面倒くさい事を言うクリュスタを追いやって、エルツに指を向けた。
「さあ風呂に入れ。ありがたくも、この私が手ずから洗ってやる」
「えっ、いいよ自分で洗えるから」
「問題ない。文句を言わず、早く浴室に行くんだ。徹底的に洗ってやる」
「それならクリュスタさんにお願いしたいけど……」
「うるさい奴だ。つべこべ言うんじゃない」
やはり子供とは言え男は男。
しかしサネモも子供の頃に、年上のお姉さんに憧れた事を思い出した。一生懸命に話しかけ側に引っ付いて、楽しかった。だがしかし、それとこれは別だ。
サネモは浴室にむかう。
昔は家の馬を洗ったりもしていた。それを思い出し服の両袖を捲り、勢い込むサネモであったが……少しして大慌てで戻ってくると、クリュスタを浴室に向かわせた。
なぜならエルツは女の子だったのだ。
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