第2章

第11話 我が主の剣であり矛

 刃が陽光を反射させ、サネモの構えた剣に激突する。

 両手にガツンッと激しい衝撃がはしり、それは手首から腕にまで響いた。同時にサネモの手中から剣は弾き飛ばされ、くるくると回転しながら弧を描き、サックリと地面に突き立った。

 翻った刃がサネモの首筋を狙い、毛一筋離れた位置でぴたりと止まる。

 宿の裏手、馬小屋脇の身体を軽く動かせる程度の場所。

 そこでサネモはクリュスタの指導を受けていた。しかしサネモは剣を振り回すどころか、その前段となる握りと構えばかりを繰り返し行っている。しかも構える度に、今の様に攻撃を受けるのだ。

 こんな事より早く剣を振り回したいが、クリュスタは頑として譲らない。

「我が主の握り方は甘いです。と注意を促します」

 クリュスタが青いバトルドレスのスカートを翻し、回収した剣を差し出した。じっと見つめてくる顔に表情は浮かんでいない。だから今は魔導人形らしい無機質さだ。

 対するサネモは渋い顔をする。

「今のはしっかり握っていたはずだが……」

「それは握り方が間違っているからです。我が主の握り方は、手前側を親指だけで支えています。指一本で攻撃の勢いが止められるとお考えですか?」

 言ってクリュスタはサネモの手を開かせ、そこに剣の柄をのせる。そのまま包み込むようにして握らせてみせた。確かにそうすしてみると、自然と強く握れる。

「このように手の平を使って握れば良いのです」

 サネモは痺れの残る手の感触に少し恨みがましい気分だ。

「それであれば、始めから教えて欲しかったのだがな」

「言うのは簡単ですが、それでは身につきません。痛くなければ覚えません。と昔の人は言っておりました」

「むうっ……」

 唸るサネモだが、学問の身に付け方も同じだと思った。

 学問の場合――書物を読んでも一時的な知識にしかならない。繰り返し読んで確かな知識として身に付ける。次はその身に付けたものを疑って、調べ直して知恵にせねばならない。その後に自説を唱えて人に伝えるのだ。

 剣術も痛い思いや辛い思いをしながら、そこから学び取る必要があるのだろう。

 簡単に身に付けたものは簡単に崩れ去ってしまう。命がかかっているなら、なおのこと必死にならねばならない。

 しかも再起せねばならない身の上だ。この落ちぶれた境遇から這い上がるには、飽きたとか痛いとか、文句を言っていられなかった。


「よし続けるとしよう」

「畏まりました」

 それからも何度も剣を跳ね飛ばされ、何度も構えなおす。

 手が痺れ痛い思いをするが、サネモは愚痴こそ言うが剣の稽古を続けた。クリュスタが次の段階に進んだのは、思ったよりも早かった。

「それでは連続して攻撃をします。しっかりと受けて下さい」

 ゆっくり迫る剣を受け止める。

 ややゆっくり迫る剣を受け止める。

 少し早くなった剣を受け止める。

 やや早くなった剣を受け止め――途端にサネモの剣は弾かれた。しかも、そのまま自分の額にぶつかった。

 サネモは悶絶した。

 目から涙さえ出ている。魔力を通さねば刃がない剣なので良かったが、それでも痛い事は痛い。

「ぐっ……しっかり握れていたはずなのに」

「はい、握りは良くなっています。しかし腕の力だけで相手の攻撃を止められるはずがありません。受ける時は身体に腕をつけましょう」

「それは、言われてみれば確かに」

「ご理解頂けましたか。それでは続けましょう」

 サネモも慌てて剣を構え直した。今度は工夫して両脇をしめ身体に沿わせた。クリュスタのヒントを活かした構えだ。

「参ります」

 クリュスタが距離を取って剣を構え、また同じようにゆっくりから剣を振るう。少しずつ早くなって、やや早になっていく。今度はしっかりと受け止められた。

 喜ぶ間もなく、そこから速度は変わらないが間断なく剣が迫って来る。

 反復するように受け続けていると、金属同士のぶつかる硬質な音が一定のリズムを刻む。まるで向かい合って踊っている気分だ。そんな余計な事を考えていると、ついつい受ける反応が遅れてしまった。

「気を逸らしてはいけませんね」

 クリュスタの剣はサネモの肩に触れるか触れないかの位置で止まっていた。刃の起こした風を感じると、これが実戦であればどうなっていたかと、ぞっとする。

「少し休憩をしましょう」

「その方がありがたいな。少し疲れた、汗もかいてしまった」

「風邪をひいてはいけません。直ぐに拭きましょう」

「それぐらいの事は自分で――」

 遠慮に構わずクリュスタは布を取り出し、背伸びをしてサネモの顔や首筋の汗を拭っていく。さらに服の下まで拭こうとしだすため、脱がされる前に止めさせた。

 クリュスタは不満そうだった。


「疲れた……」

 サネモは丸太の椅子に腰掛ける。

 辺りを建物に囲まれた狭い場所だが、ちょうどそこだけ日が当たっている。

 背後にクリュスタが来て肩や背中を擦ってくるが、それがまた心地よい。さらにマッサージまでしてくれて至れり尽くせりだ。

「剣というものは習った事はなかったが、昔に皆がやっているのを見た事はある」

 ふと、言葉が洩れた。

「私は習わせて貰えなかったので、兄がやっているのが羨ましかったな」

「そうなのですか」

「しかし、昔見たその稽古はもっと違っていたような気がする。つまり、もっとお互いに打ち合っていた」

「このクリュスタが我が主の剣であり矛です。だから我が主は防御を極めて下さい」

「防御だけとは、どうも地味だな」

「仕方がありません。防御が疎かであれば、剣の一撃で簡単に死ぬことを良く理解してください。死なずとも四肢が折れたり千切れたりします」

「…………」

 そんな事には絶対なりたくない。

 ハンターとして行動するからには、危険は隣り合わせかもしれないが、やはり避けられる危険は避けたい。これでは技術云々ではなく、剣で斬り合うのは精神的に無理だとサネモは悟った。

「敵との戦闘はクリュスタが行います。我が主は命大事に、万一に備え身を守る術を身につけてください。と、強く要請します」

「そうしよう」

「では、そのように」

 声だけでクリュスタが微笑んでいる様子がわかる。

 この感情表現の緻密さは、さすがはメルキ工房製の魔導人形だ。感心してしまう。そして何より、この肩を揉むマッサージの心地良さは格別。疲れて強張った身体が解され溶けていくような気分だ。

 何とも言えぬ気分が込み上げてくるが、風呂の熱い湯に浸かった時に味わう、あの言いようのない安堵感に似ている。温かさに包み込まれるような心地良さ。

 サネモは我知らず唸るような息を吐いていた。

「お気に召しましたか?」

「うん気持ち良いな」

「光栄です。それでは、部屋に戻りましたら全身を解させて頂きましょう」

「なるほどそれは楽しみだが……」

 全身を任せるという事に気恥ずかしさはあるが、この心地良さが肩だけでなく全身で感じられるかと思えば、遠慮など頭の片隅に飛んで行きそうだ。

 しかし誘惑を振り払う。

 生きていく為には、やらねばならない事がある。

「その前にハンターズギルドに行って、依頼を受けないと駄目だな」

「畏まりました」

 声だけでクリュスタの残念そうな様子がわかった。


 それから少しして。

 ハンターズギルドに訪れたサネモは、受付を担当するユウカに手を挙げ挨拶をしていた。もうすっかり慣れた場所なので気軽に歩いていく。

「何か手頃な依頼はあるかな」

「あっ先生、こんにちは。依頼ですか」

 笑顔になりながら、しかしユウカはサネモの帯びる剣に気づいた。そちらに眼を向け意外そうな顔で瞬きをしている。

「先生が剣を装備ですか?」

「う、まあ護身用だよ。私もハンターなのでね、これぐらいは装備せねば」

「そうですよね。最初の依頼で武器もなしに行かれましたから、剣は使わない方針なのかと思ってましたよ」

「まあ……あの時はな。実を言えば剣は苦手で、今も稽古中なぐらいだ。それでも剣があれば、無用な争いを避けられるかもしれない」

 それはクリュスタに言われた事だが、サネモは自分の考えのように語った。もちろんユウカは何も知らない。納得して感心している。

「確かにその方が良いですね、街の中にも悪い人がいますから」

「詳しくは知らないが、やっぱりそうなのか」

「あんまり大きな声では言えませんけどね。さて、それよりも依頼ですよね。手近なところですと、モンスター退治でどうでしょうか」

「モンスター退治で戦闘か……」

 迷うサネモに対し、ユウカは前のめりに身を屈め口元に手をあてた。声も少し抑えぎみで、いかにも内緒話をするといった様子だ。

「これ、絶対お薦めでお得なんですよ。相手が厄介ですし、普通は数人で受けて分け合う前提ですから報酬が高めに設定されているんです」

「?」

「ですけど、クリュスタさんが居れば余裕でいけますから」

「なるほど」

 サネモは笑って頷いた。

 このユウカは過去に受けた恩を忘れず――ただしサネモ自身はすっかり忘れていたのだが――こうして何かと便宜を図ってくれるのだ。

 やはり溢れ出る賢者の貫禄、そして人徳のお陰だろう。サネモは満足だった。

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