第2話

 水瓶を抱え、水源に向かう。既に走る体力は残っていない。父様、父様とただそれだけをうわ言のように呟きながら歩を進めた。向かう途中で隣家の長男のハクとすれ違った。ハクは年下の僕を少しだけ気にかけてくれる。妹と同年代であることも影響しているのだろう。汲んできた水を少しだけわけてくれた。それで喉を潤し、歩を早めた。今の父様にはたくさん水が必要だ。


 水瓶に持てるギリギリまで水を汲み入れ、自身も水を大量に飲み込んで帰り道を急ぐ。

 村に戻ると、僕の家の前にハクの父親であるオウロさんがいた。


「○○か水を汲んで来たか。アルバはどうだ?」

「オウロさん、すみません。父様が危険な状態なので、すみませんが父様に何かお話があるのでしたら、明日以降にお願いします」

「ああ、そうするよ。これはさっきうちで焼いたもんだ。腹の足しにでもしてくれ。」

「ありがとうございます。すみません。今度お返しします。」

「いや、なに。気にしねぇでくれ。アルバによろしくな。」

 オウロさんはハクから僕の様子を聞いたのだろう。アルバ(父様)とオウロさんは、村の中でも特に交流が深く、よく物々交換をして互いの収穫が食卓に登っていた。オウロさんはトウモロコシのパンをくれた。差し出せるものがなくて貰うだけになってしまった。父様が良くなったらお返ししよう。


 またヨモギを採り、水を汲みに行った。沸かしたお湯にヨモギを細かくしたものを混ぜて父様に飲ませる。ヨモギ湯は苦味があり、少し痛みが紛れてくれたらいい。その後オウロさんからいただいたトウモロコシのパンも粥にして飲ませる。僕もお腹が空いていたので粥の味見も兼ねて少しだけ口にした。

 父様は熱にうなされ、何度も吐いた。これほどまで苦しんでいる人を見るのは生まれて初めてで、父様が父様でないような気さえしてきた。そんなことはない。父様は、父様だ。いつも僕を看病してくれて、狩の腕が村で1番で、母様が亡くなってもずっと一途に愛している父様だ。泣いている場合じゃない。父様の嘔吐物を拭き取り、額や首に浮いた玉汗を拭い、頭の濡らした布切れを何度も取り替えた。そして父様がまた気を失った。


 苦しんでいる父様に、できることはなんだろう。僕は幼くて記憶の少ない頭をフル回転させた。長老家にあった草木について書かれていた本を思い出す。その本でヨモギが傷の手当や飲み薬として使えることを知ったのだ。他にも何かあるかもしれない。すぐに長老家に向かって駆け出した。僕ができることなら何でもします。だから、お願いですから父様を奪わないで。


「長老様!父様が、父様が危険なんです!どうか、本を僕にお貸しください。」

「○○よ、やかましいぞ。順を追って話すが良い。お前の父アルバは肩の傷が塞がらぬ故、死にかけてると昨日猟に出ていたものたちから聞いておる。アルバはまだ息があるというのか?」

「はい、父様は生きています。傷口からの血は止まりました。酷い熱と痛みで苦しそうで、今は気を失って眠っています。」

「そうか、まだ息はあるのだな。しかして、何故本が欲しいのじゃ?本なんぞ、薪の代用にしかならぬじゃろうて。先代から受け継いた貴重なものじゃからとって置いておるが。まさか薪が足りないのか?」

「燃やしたりなんてしません。草木について書かれたものがあったと思います。その本の草木を探したいのです。」

「ふむ、あの草や木の実などの絵が描かれている本か。まあいいじゃろう。持っていけ。必ず返すのじゃぞ。でなおと先代に化けて出てこられるわい。」


 現長老は文字が読めない。先代長老は本を大事にしていて、その本の知識をより多くの村人へ伝えようとしていたと、先代の奥様である大叔母様から聞いたことがある。しかし、先代は人望に厚い人ではなかったとも聞いている。村のほとんどの人が文字の読み書きができない上に、村を支えることができるのは、より採集や狩猟が上手い人間だ。本に書かれていることが役に立つことが少なく、誰も読めないし読もうとはしないものを素直に信じることができるほど、この村の状況は甘くはない。いつ役に経つかも分からない知識のために文字を覚えて本を読むことに時間を費やすくらいなら、やらなければならないことに時間を割く方が優先される。やらなければならないこととは、水を汲んだり畑を耕したり、トウモロコシを粉引したり、採集や狩猟などで、多くの村人の生涯のほとんどの時間は生活のためのそれらのことに費やされていたし、これからもそうなのだろう。自然と読み書きを覚えることから遠ざかるような生活水準だったのだから、しょうがないことなのだ。対して現長老は、若い頃は狩の腕前が良く、村に貢献していたため人望は厚い。

 それなので、文字が読める僕を長老が疎ましく思っている。長老家で小間使いをしていると、長老や村人たちの会話からも、僕のことを罵る言葉が聞こえてくることもある。長老家の一室でほとんど動くことのできない大叔母様は、僕に気にしないようにと優しく言い聞かせてくれた。まだ幼いから、それほど酷く扱われることは少ないが、病弱さや文字を読み書きできることで村の人達からは気味悪がられている、そんな気はしている。だから僕には父様しかいなかった。父様が狩りに出かけている間は孤独との戦いで、酷いことも言われるし、僕自身も体が弱く、村の役に立つことがあまり出来ていないことを自覚していた。何も言い返すことができない、できるわけがなかった。


 僕にできることで父様を生きながらえさせることができるなら、たとえ僕が死んでしまうことになってもかまわない。僕よりも生きる価値のある父様が生きるのは当然だ。村人たちから疎まれて、結局婚約相手もいないので、村の仕来りで裏の汚れ仕事をすることになるのなら、今のうちに死んでしまった方がいっその事楽なのかもしれない。何となく理解していた様々なことが、僕の心臓の鼓動を弱くした。胸が苦しくて、息をするのが難しい時もあった。体が弱いのは精神的な弱さから来るものなのかもしれない。父様がいなければ、僕は生きていられない。父様がいない世界なんて、想像できない。僕を愛してくれているのは世界でたった1人だけなのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る