第6話 腐れた彼を諭す者は
その夜。
ジニアを部屋で早めに寝かしつけ、戸締りを確認した後。薄暗い居間でユンシュは椅子に腰かける。深く息をつきながら背を丸め、組んだ指を額につけた。
テーブルの向こうで座っていたマーチが、その表情をうかがうように顔を向ける。
「ああ、大丈夫だ」
ユンシュは顔を上げる。再び息をつきながら、背もたれへ体重を預けた。煙草を取り出し、火をつける。
マーチはテーブルを指で叩く。手を上げ、煙草と自分の口とを指した。
ユンシュは眉根を寄せる。
「煙草? お前、『ありゃあ阿呆の吸うもんだ』と言っておったろう?」
マーチは小さく肩をすくめる。額の穴を示し、指で頭を叩いてみせた。
眉を歪めたままユンシュは笑う。なるほど、腐れてにおう脳髄は、ジニアが目を覚まさないうちに掻き出してしまっている。詰め物をしている他、頭は空っぽに違いなかった。
煙草を差し出す。マーチがくわえたそれに火をかざした。時間がかかってようやく火がつく。
落ち着かない様子で口のあちこちにくわえては離していたが、やがて口の端にくわえた。歯を剝き出しにした方の奥歯、本来なら頬の辺りで、噛み締めるようにして。
やがて口から、そして服の下、おそらくは胸の穴から煙が昇る。顔をうつむけ、においを確かめるように鼻をうごめかした。
ああ、とユンシュは思う。これは奴の香水なのだ。腐れたにおいをまき散らすより、ヤニ臭い方がずっとマシだ。娘の前では。
「どうだ、
マーチは片手を肩まで上げ、掌を上に向けてみせた。奥歯の間から煙を漏らして。それから煙草をつまみ取り、両腕をテーブルに載せる。身を乗り出し、煙草の先をユンシュに向ける。促すように突き出した。
「今後のこと、か? 荷物はもうまとめさせた、早朝にここを出る。……
椅子の音を立ててマーチが腰を浮かす。
「うるさいぞ。娘が起きる」
マーチは立ち上がったまま、手で払うしぐさをした。顔をうつむけ、それからかぶりを振る。
「確かに奴等も
マーチはテーブルに手をつき、見下ろすようにユンシュの顔をのぞき込む。
座ったままでユンシュは言った。
「それに、そもそも。こうしたことは奴等の仕事だ。誰だろうと金次第で、
顔を動かし、視線をさ迷わせながらマーチは歩いた。テーブルを指で小さく叩きながら、行ったり来たりと。
「関わらせたくないだろうな……お前のようには。とはいえ、背に腹は代えられん」
マーチの指が止まる。白く濁った目が、ユンシュの目を見た。
「……昔の話だったな。悪かった、それよりも――ま、座れ」
マーチが腰を下ろすのを待って、新しい煙草に火をつける。煙を吹かしながら口を開いた。
「その体。どの道、長くは
マーチは椅子にもたれたまま、ユンシュの目を見る。
同じく椅子にもたれたまま、ユンシュはその目を真っ直ぐ見返す。
「前から言い続けてきたことだが。今一度言う、真実を話してやる気はないか。……娘に」
マーチは身じろぎもせず、じっとそのままの姿勢でいた。ユンシュもまた動かなかった。煙草だけが、ちり、と焦げる音を立て、煙を昇らせていた。
やがて、首を一つ横に振る。マーチの返事はそれで終わって、そのまま動きもしなかった。
ユンシュは眉を歪め、指で眼鏡を押し上げた。背を丸めて身を乗り出す。
「それで良いのか、本当に。お前のことだけではない……ジニア。あいつには、自分の親ぐらい知る権利がある……違うか」
突然、目の前にマーチが手を広げた。ユンシュの視界を覆うように、言葉を全てさえぎるように左手を。
ユンシュは眉根を寄せ、マーチの掌を見つめた。その奥に隠れた目を見据えるように。
「重ねて言うぞ、お前の気持ちも分かる。だが娘の――」
断ち切るように、マーチが床を踏み鳴らした。突き刺すみたいに煙草を灰皿へにじり、そのまま立ち上がる。流れるように左脚を出し、床を蹴った右脚はそのままの位置。右掌を腰に添えたそれは、三体式の構え。突き出したままの左掌は変わらず、拒むようにユンシュへと向けられていた。
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