第7話 エル
「……」
「……?」
しん……と静まる校庭内。
圭一郎の脳内は、一瞬、静寂に満たされていた。
ふいに
ーーヴァンッ! ーーヴァンッ! ーーヴァンッ! ーーヴァンッ! ーーヴァンッ! ……
けたたましく犬の吠える声が耳に響く。
圭一郎は両眼を開けた。
目の前には一匹の犬の姿がある。
「ーーエル…」
途端に
吠えていた犬は、圭一郎の目の前から走り出した。
犬を追いかけて圭一郎も走り出し
「け、けいいちろうくんっ?!」
美沙も彼の後を追った。
少しの沈黙の後、黄道と歩く女教師が口を開きかけた時 ーー
「待ってっ!! けいいちろうくん!!」
ザザ…ッと目の前の茂みから圭一郎と美沙が飛び出してきた。
「なっ、何ですかっ! あなた方?!」
「ケイっ?! 小湊?!」
黄道の声に美沙はこちらを振り返る。
「あっ、警部?!」
「警視監!」
「警視監! あ、あの、きいちろうくんがっ!!」
美沙はそのまま圭一郎を追いかけて走り出す。
「圭一郎だ!」
その後を黄道も追って走り出した。
「その、けいいちろうくんが、いきなり走り出して……!!」
「あなた方っ!! 校内で走るのはやめてくださいっ!!」
少し遅れて女教師も走り出す。
自分の前方を走る圭一郎に
「ケイっ! どうした?!」
追いかけながら黄道は聞いた。
だが
ーーヴァンッ! ーーヴァンッ! ーーヴァンッ! ーーヴァンッ! ーーヴァンッ! ……
圭一郎の目の前を
依然、犬が吠えながら走って行く。
「エルっ!!」
「けっ、けいいちろーくんっ?! 待って!!」
圭一郎に向けて、美沙は必死に手を伸ばす。
こんなに走っているのに追いつけないっ……!
ーー なんで……?!
息も絶え絶えに走る圭一郎の腕を、ふたりを追い抜いた黄道が掴んだ。
「ケイっ?!」
「…!!」
突然
グイッと腕を引っ張られ、圭一郎の身体は宙を蹴って動きを止めた。
「あ…!」
「どうしたっ?!」
「け、けいいちろーくんっ…?!」
「あ…あなたがた…!!」
肩で息をしている黄道と圭一郎。
そこに
美沙と女教師も追いつき、四人は肩で息をしながらその場に立ち止まった。
圭一郎は目の前を走っていたであろう犬の姿を探すように周りを見回している。
しかし
そこに犬の姿は既に無い。
「ケイ…?」
「ジュン……」
「……エルがいたのか?」
「……」
「え…? エル…?」
美沙はふたりの顔を交互に見る。
黄道は圭一郎に真剣な眼差しでもう一度聞いた。「ここに…エルがいたのか?」
「うん…」
「あの…エルって…?」
自分に問い掛ける美沙に構うこともなく黄道は考え込んだ。「そうか……」
「そ、それよりも警視監! 教室に向かってください! 子供と校内での追いかけっこは困ります!」
「子供?! それってボクのこと?! ちょっとおばさん……!」
明らか怒り気味の圭一郎に
「あの…この子はわたしが見ているので。どうぞ、先生と教室に行ってくださいっ!」
美沙は黄道に向かい、慌てて圭一郎を自分の方に引っ張った。「わたしたち、大丈夫ですから」
「け、警視監、今度こそ。ご案内いたします」
女教師は汗をかきながら
笑顔で黄道に会釈をしたが、黄道は当然のように無言で頷いた。
その堂々としている彼の態度に、笑顔で固まっている。
「け、警部…!」
美沙は黄道の片腕を素早く小突いた。
「…なんだ?」
「あの、申し訳ありませんとか、すみませんとか挨拶してくださいよっ…!」
咄嗟に耳打ちをする。「先生、なんか怒ってるじゃないですか?!」
「小湊…」
「なんですかっ…?!」
「うるさい」
「……」
この人は……どうしてこうも礼儀知らずなんだ…。
しかし
「それより、君はここで圭一郎を見ていてくれ」
「……はい」
「頼んだぞ」
意外にも真剣な様子に
「……なんなの…?」
美沙は後ろ姿を見送りながら
「…?…」
首を傾げた。
それから黙って自分を見上げる圭一郎に気づき
「あ、ごめんね。き、けいいちろうくん…」
こんなところで不安にさせちゃだめだな…。
目一杯の笑顔で圭一郎に向けて微笑んだ。
「……」
「……?…」
「…気色悪…」
「……」
こ…こいつ…! …子供のくせに……!!
思わず口から出そうになり
やっとの思いでその言葉を飲み込む。
しかし
「ーー子供のくせに…なんだよ…?」
心に思ったことを圭一郎に言われ
「え…?」
驚いて彼の顔を見る。
「……ふ…」
圭一郎はふと笑みをこぼした。
「どうして…?」
「…わかるのか? ここ、見える?」
圭一郎は右側の髪をかきあげ、首筋を露わにし
「よく見て」
次に前髪をかきあげて右目を露わにした。
右側の首筋には痛々しい縫い傷が。
右目に向けても同様な縫い傷がある。
その傷はきっと
大きくなるにつれて消えていくだろう。
「……」
「ジュンが言うには、昔、ボクは狼に襲われたんだって。これがその時の傷」
「……」
ーー どう声をかけたらいいのか、わからない…。
「……かけてくれなくてもいいよ」
「え…?」
「なにか言ってもらいたくて、これ、見せたわけじゃないんだからさ」
圭一郎は何もなかったようにかき上げていた前髪を元に戻す。
「あの……けいいちろうくん…」
「なに?」
「……ごめんなさい…」
「いいよ。この傷のおかげで、ボクはたまに人の心の声が聞こえるんだ……あ、違った。生き物の心の中がわかるんだ。それに…見えなくてもいいモノも視える」
心の中が……?
それって、つまりーー
「…あ……でも、ジュンの心の中はわからないよ。なんでか、ほんとうに聞こえたことないんだ」
「え、そうなの…?」
美沙はちょっとガッカリした。
「あのすました顔で、なに考えているのか聞きたかったのに……」
「悪いけど、おばさんの心の中は丸聞こえなんだけどね」
「……!」
わ、わたしの心の中は、ま……?!
「……そ。丸裸…」
美沙は顔を覆ってしゃがみ込んだ。
その美沙の横で
圭一郎はさっき犬が消えた場所を探していた。
ーー エルはこの先に走って行った。
その場所には草が蔦を生やし
向こう側がよく見えない。
ーー ガサッ……
「…けいいちろうくん?」
圭一郎の蔦を掻き分けた先には
「…なんの建物だろう……?」
大きなレンガ造りの建物が見えた。
ーー1年A組 教室
「みなさん!!」
女教師は教室の中に足を踏み入れた。「みなさんに『相田ゆかり』さんの事で聞きたいことがあります!」
さっきまで騒がしかった教室が
しん…と静まりかえった。
「相田さんは昨日から自宅に帰っていません。そのことで、警察の方からみなさんに質問があるそうです。みなさん、知っていることは答えるように! いいですね?」
女教師は入り口に立っている黄道の方を振り返った。「さ、警視監。どうぞ」
黄道は教室に入り、教卓の前に立ち止まると
ーーダンッッッ…!!!
教卓の上に勢いよく両手をついた。「ーーこの中で、彼女を殺したのは誰だ?」
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