1-14 皇女の胸の内(1)
【side prince】
ルイスは、己に与えられた執務室で、うんざりした気持ちを持て余していた。
目を通そうとしていた手紙は、三行目で放り投げた。
ひらひらと舞った紙と封筒が床に落ちる。ちなみに八つ当たりばかりの行為ではない。
先日見合い未満の何かをした令嬢から、三日と空けずに手紙が来る。
さすがに五通もの手紙を立て続けに受け取れば名前も覚えた。
エイリア・ブラウン。容貌については忘れたが。
見合い未満の顔合わせのあの日、ルイスは件の令嬢との話をそのまま進めようとしていた。
宮廷内のパワーバランスを考慮し、親族に不穏な者がいない、都合の良さそうな娘を折角見繕ったのだ。特に本人と顔を合わせてみて、大きなマイナスポイントが無ければ話を推し進める以外の選択肢は無い。
フィニアスと赤の皇太子について話をしたその後も、話がどう転ぶかわからない以上、そのまま保留にしておこうという、前向きでは無いが後ろ向きでもない煮え切らない手紙をしたためた。
いや、ルイスの筆跡を真似た秘書官のサイラスが適当にしたためた。
国王陛下にもそのように報告をし、許可も得ている。
何か言いたいことがありそうな顔をしていたが、その辺りはフィニアスと似たようなことだろう。
父と兄は、ルイスの結婚についてわりと同じような見解である。
とにかく、『前向きでは無いが後ろ向きでもない煮え切らない手紙』をどう読んだらそうなるのかまったくもって意味不明で理解不能だが、エイリア・ブラウン嬢は実に肯定的に、前向きに捉えたようだ。
王子相手に舞い上がった令嬢、ということを差し引いても、少々面倒な相手だったように思える。
現時点での互いの気持ちがどうあれ、客観的に見れば、ただの見合い相手以上の関係ではまだない。婚約はおろか、恋人同士ですらない相手に送る手紙の内容及び頻度ではない気がする。
「はっきりと、どう読んでもどう解釈しても一部の隙もないぐらいきっぱりと、断っておけ」
「承知致しました」
もはや保留にしておく必要もないだろう。
正直、赤の皇国とのことがなくても、この手紙だけで妃候補からは外れる。
ルイスとしては、煩わしいことは極力避けたい。政務に集中したい。
妃などお飾り以上の何かを求めるつもりはなく、何らかの権限を与えるつもりもない。
空気を読み、差し出がましい真似をせず、できうる限り無いものとして振舞ってくれるぐらいが望ましい。
その時、扉がノックされた。
サイラスが手早く手紙を片付け応答に出たのをやる気なく眺め見送る。
「殿下」
サイラスが、恐らくルイスぐらいしか判別できないだろうが珍しく微妙な表情で、部屋に戻ってきた。
案内されてきたその人物を認める前に、条件反射で笑顔は作ったが、微妙な気持ちになった。
顔には出さなかったが、現時点では少々扱いに困る相手だ。
できれば帰って欲しい。
光沢のない真っ黒な布を頭から身体の線がわからないほど幾重にも纏っており、男女の見分けすらつかなくて、顔どころか指の先まで肌の露出は一切ないその人物は、何故か大きなバスケットを抱えている。
「赤の皇太子殿下より、昼食の差し入れだそうです」
図書室のバルコニーは、広めな造りではあるが、内宮にあたるほぼ全ての場所がそうであるように、決して見晴らしは広くない。
建物自体の造りと、植木や植え込み、その他あらゆる手を尽くして視線を遮るように出来ている。
外宮にも図書館があるのだが、そちらはもっと広大で多くの蔵書があり、王族以外にも開放されている。
内宮にあるこちらは、王族のため、趣味としての読書に寄った蔵書になっており、現在はフィニアスの娘であるエステルのため、絵本のような読み易いものがやや多めになっている。
幼い頃のルイスは、時間とやるせない気持ちを持て余し、書物の中に逃げ込んで入り浸っていたが、最近ではゆったり読書をする暇などなかった。
そんなことを考えながら、用意された食事を眺めた。
バルコニーに用意された食事は、先程差し入れと称されて持ち込まれたバスケットの中身に、サイラスが用意した紅茶だ。
ハムとチーズと葉物野菜が挟んであるパンと、干した果物とナッツ。まるごとのリンゴはサイラスによって食べやすい大きさにカットされた。
ルイスが普段からよく口にするメニューである。
赤の皇太子からの差し入れという名目ではあるが、用意をしたのはいつも通り、内宮の調理人だろう。
皿の上に並べたそれらを念のため一口ずつ毒見したサイラスがいつものように給仕をして、カップにお茶を注いだ。
揃えられた昼食を前にして、ルイスは視線を移動させた。
「それは、一緒に食事をすると言わないでしょう」
テーブルから離れた位置、植え込みに紛れるように黒い影、もといハリルが佇んでいる。
赤の皇太子からの差し入れを持たされたハリルは、ルイスと二人で昼食を取る様言い含められているらしい。
いっそ逃げてくれれば良いのだが、そうはしないようだ。律儀なのか何なのか。
昼食に「ハリルをよろしく」と簡潔に書かれたメッセージカードが添えられていた以上、ルイスとしても無視はできない。
ただ、この調子では二人の距離を縮めるどころか、そもそも昼食を供にするという任務を遂行できるかもあやしい。
布で覆われているためまったく見えないが、ルイスの声に反応したのだろう。なんとなくこちらを伺うように頭が動いたように見えた。
「こちらへ」
促すと、躊躇うような気配の後そっと動き出し、いくらか近付いてきた。
サイラスが、ルイスの向いの椅子を引く。
その椅子の二歩手前で、影はぴたりと止まった。
「どうぞ」
とっとと座れ、と言いたいが、微笑んで再度促す。
警戒心の強い動物を相手にしている気分だ。いっそ逃げ去れ。
影は、動きを止めたままである。動かない。
「……………………わ」
しばしの逡巡か、沈黙のその後、絞りだしたような声が聞こえた。
「私は、王子殿下と食事の席を共にできるような、身分では」
心の底から面倒だ。
ルイスとしては、一応確認ぐらいしておこうと考えていた。当のハリルの気持ちを。
そういう意味でもこの食事にそこそこの意味を見出してはいたのだ。
だが、現時点でもう十分な気がする。
もちろん第二王子の気持ちと同じぐらい、縁談の行く末には関係のない部分ではある。
しかしその後の生活は、現実のものとしてルイス自身に降りかかってくるものだ。
皇太子に命じられて嫌々嫁ぐような状態ではやり辛い。嫁いで来た後、悲嘆に暮れて泣き暮らす程度ならまだしも、自傷行為などされては堪らない。
できればお互い合意の上での結婚の方が楽である。
とりあえず、どうやらあまり乗り気ではないらしいという確認はできた。王子との結婚に浮かれるような姫君でも無いらしい。
姫君か従者か護衛かは知らないが。
「貴女の兄君の計らいでは?」
「ですが」
「貴女は、私の妃となるべくここにいるのでしょう?」
口を噤む気配がして、ルイスはため息をついた。謙虚というより卑屈すぎる。
「まずは、その布を取っていただいても? 顔も見せずでは会話もままなりません」
ハリルは、のろのろと顔周りの布を下ろした。しかし面は上げず伏せたそのまま跪こうとする。
ルイスは、ハリルが腰を落とす前にサイラスが引いた椅子を差し示した。
「椅子へ」
「しかし」
渋るハリルへ、再度促す。
「椅子へ」
抵抗は無駄だと悟ったのか、ハリルは椅子の端に、ごく浅く申し訳程度に腰かけた。
俯くその顔を、黒い真っすぐな髪が覆い隠している。
ここまで一切目が合わない。いや、目を合わせないようにしている。王族と目を合わせるは不敬、という徹底した、臣下のそれである。
しかし、ルイスはハリルの主でもなんでもない。
ここにいるのが皇女としてのハリルならば、皇女と王子で、その立場は対等なものだ。
できれば全身を覆う布も取り去って、皇女らしくドレスぐらいは着て欲しいものである。
生い立ちなど、ルイスの知ったことではないのだ。
これで皇女として差し出すとは、赤の皇太子もよく言ったものである。ハリルには自覚も、覚悟も足りていない。
「皇女殿下」
敢えてその呼び方をすれば、身を強張らせるのが見て取れた。
間髪を入れず、硬い声が懇願する。
「どうか、名前で。ハリルとお呼びください」
「ではハリル殿」
公の場ではないのだ、別に呼び名ぐらいは何でもいい。
「貴女は私に嫁ぐことを望んではいませんね」
譲歩して切り出すと、ハリルが焦ったように顔を上げた。
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