第5話 Side-A

 途方もない距離を走り続けた先、四人の目は確かに巨大な建物を捉えた。

 辺りはすっかり暗くなっている。それでも、ライトアップされている『劇場』の全貌はよく見て取れた。

 つつましい装飾が施された壁面には窓が規則正しく並び、ホテルと見紛うほどだ。エントランスには輝く重厚な看板が据えられ、『Theater』の文字がぎらぎらと輝いている。

 オープンカーは少し手前で停車した。周囲にはまだトウモロコシ畑が広がっている。『劇場』はどう見てもこの土地に不似合いだった。

「ついに着いたよぉ」

 さすがにくたびれたのか、触角が弱弱しい声を上げる。

「そして、予想通り、という感じかな。第一関門だ」

 IDが前方を指さす。

 『劇場』の周囲は、有刺鉄線のようなもので囲まれていたのだ。もしかしたら、電流も通っているかもしれない。もちろん出入りするための門はあるのだが、そこは固く閉ざされ、同じ鉄線でぐるぐると巻かれている。

「誰か触ってみるか? きっとしびれるぜ」

 半笑いのシモンが言う。

 それを聞いたIDが首を振った。

「馬鹿言え。あれは絶対やばい。それでぼうさん、どうしたらいいかな」

 突然話を振られたぼうさんだが、落ち着いた様子で手を合わせた。

「心頭滅却すれば、電流もまた涼し」

「うーん、なんか違う」

 シモンが笑いながら眉を寄せた。

「でもまあ、ぼうさんの言う通りだな。やっちまおうぜ」

 それを聞き、触角が「りょうかーい」と間の抜けた声を出す。

 オープンカーがうなりを上げ始めた。全員が足を踏ん張り、姿勢を低くする。

「じゃあ行くよ。覚悟はいい?」

 触角がオープンカーを躊躇なく発進させる。またたく間に相当なスピードへと達した車は、一直線に鉄線の巻かれた柵へと向かう。

「これこそアクション映画だね。一回やってみたかったと言うとそれは嘘になるけれど、でもこうやっているとテンションは上がるものだね。ビデオカメラを用意してこの様子を撮影して後から自分で見てみるときっとすごくぅぉおおおおおおおおおお」

 すさまじい衝撃音を鳴らし、鉄線を突き破った傷だらけの車体は、エントランスの手前で急停止した。鉄線の当たった正面側から煙が上がっている。やはり強烈な電流が流れていたようだ。

 四人とも身を起こし、オープンカーから降り立つ。

エントランスの扉は閉ざされている。扉の脇に、パスワードを入力すると思しきタッチパネルがあった。

「次が第二関門。これは楽勝だな」

 IDが胸ポケットからメモ用紙を取り出し、シモンに渡す。

「さすがID。下調べは完璧ってか」

 メモ用紙には8桁の数字とアルファベットの羅列が書かれている。どうやら、IDは事前にパスワードを入手していたようだ。

「じゃあ、ちょっくら入力してくるわ」

 シモンがタッチパネルへと駆ける。画面に触れると、想像通り数字とアルファベットのキーが現れた。

「えーと何々、2、4、S…」

 口に出しながら入力を進めるシモン。これがクレジットカードなら、確実に不正利用の餌食だ。

 入力を終えたシモンが指を離すと、扉付近からブーという音が響いた。開錠の合図かと合点したシモンが扉を引くが、びくともしない。

 そのうちゆっくりと、扉の上方から重厚な鉄のシャッターが下り始めた。

「え? なんで? なんで?」

 慌てるシモンのもとへ、他の三人も駆け寄る。

「ああ! 俺バカだ! 最後の6G9が9G6になってやがんの!」

 パネルを覗いたシモンが叫び、入力を再試行し始めた。その間にもシャッターは入り口を狭めていく。

 再びブーという音と共に、今度こそ錠の外れる音が響いた。触角が押してみると、扉が開く。しかし、シャッターは止まらない。すでに腰の高さまで下がっている。

「早く、早く入れ!」

 IDの怒号で、触角とぼうさんが転がり込む。体格のいいIDも、後に続いて何とか身体を押し込んだ。

「ひいいい! 一人だけ入れないのはいやだ!」

 叫びながら、シモンが這いつくばって隙間に上半身を滑り込ませる。蜘蛛のように手足を動かし、腰が入り、太ももが入り、そしてやっと下半身全てがすり抜けるのとシャッターが閉まり切るのが同時だった。

 ズズン…という重い音を聞き、一息ついたのもつかの間、IDが「全員動いちゃだめだ」と言う。柔らかいカーペットの上で、四人は動きを止めた。

 『劇場』の内部は暗い。四人の前方には、広間へと続くであろう階段が見える。その先がどうなっているかは視認できない。右手には「Ticket」の看板と、受付らしきカウンターが見える。左手には、お手洗いなのか給湯室なのか、狭いスペースがあるようだ。

「たぶん、このカーペットを踏み越えたあたりで、防犯用の警報が鳴るはずだ。鳴り始めてから三十秒以内に解除しないと、やべえやつらが来るか、『劇場』ごと吹き飛ばされるかのどっちかだ」

 IDの説明にシモンが身を震わせる。

「怖えな。もちろん、解除方法はあるんだろ?」

「もちろん。パパーン、電磁波ジャミング装置! これを警報器に向けて照射すれば強制解除できるという優れもの」

 IDが取り出したのは、スタンガンによく似た小型の道具だった。

「それで、警報器はどこにあるの?」

 珍しく触角がまともなことを聞く。IDは先ほどと打って変わって渋い顔を作り、無言で首を振った。

 ぼうさんが険しい表情を浮かべる。

「警報器の場所が分からないとなると、探すしかあるまい。しかし、正面の階段、チケット売り場、左手のスペース、この三か所を三十秒で確認するのは不可能だ」

「その通りだ。可能性が一番高いのはチケット売り場だろう。しかし、そこがフェイクということも十分ありうる」

 IDが腕組みをする。そこへ、にやけ面のシモンが割って入った。

「おい、俺いいこと考え付いちゃった」


「準備はいいか? 行くぞ。3、2、1…」

 シモンの合図で、三人が全力ダッシュをかました。ぼうさんはチケット売り場へ。IDは正面の階段へ、触角は左手のスペースへ。アラームがけたたましく鳴り始める。

 シモンは電磁波ジャミング装置を携え、ちょうど三人の真ん中になるよう、ホールに立つ。

 チケット売り場にたどり着いたぼうさんが、ものすごい勢いで辺りを探索し、手で大きくバツ印を作った。

 シモンのアイディアとは、三人が手分けして警報器を探し、見つけたやつへシモンが装置を投げる、という野蛮極まりないものだった。しかし、背に腹は代えられない。

 IDも荒い息を吐きながらバツ印を作る。残るは触角だ。

 触角はおどおどと周囲を見回してから、満面の笑みで丸印を作った。

「よっしゃぁーーー、しっかり受け取れよぉーーー」

 シモンが大きく振りかぶって、装置を投げた。装置は弧を描いて左手へ飛び、触角の腕すらかすめることなく、見当違いな方向の壁に当たって落ちた。

「おおおおおおい、どこ投げてんだよ!」

 IDが頭を抱えて怒鳴る。

 しかし、シモンの切り替えは早かった。装置を拾っていては間に合わないが、もしかしたら警報器を手動で解除できまいか――そう判断し、触角のもとへ猛ダッシュしていたのである。

 触角も触角で警報器を操作できないか悪戦苦闘しているが、動きが初めてスマホを目にしたおじいちゃんのそれだ。

 残り時間はどのくらいだろうか。シモンが触角のそばにたどり着き、警報器を覗き込む。

「お前、これ、給湯パネルじゃねえか!」

 絞り出すようなツッコミがホール中に響いた。

 四人とも警報器探しに必死で気づいていないが、アラームはすでに止んでいる。シモンの投げた電磁波ジャミング装置は、壁にぶつかり、その衝撃でスイッチが入った。奇跡的にもその近くには、死角と暗がりで四人からは全く見えなかった警報器がある。そう、電磁波は無事に警報器を直撃し、意図せずジャミングは成功していたのである。

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