第3話 Side-A

 オープンカーの中は、当初と打って変わって、静まり返っている。

 相変わらずハンドルを握る触角も、助手席で目をぎらつかせながら何かを探すシモンも、後部座席で寝そうなIDも、座禅を組んでいるぼうさんも、口を閉ざしたままだ。

 トウモロコシ畑に挟まれた一本道を進み続けてきたが、辺りは少しずつ近代的な様子に変化してきた。と言っても、所々に標識が見える程度だ。

 シモンが突然、身を乗り出した。何かを見つけたのだ。

 遠く前方、道の脇に白いポールが立っている。そのうえに、四角いボードが備え付けられている。

 ――看板だ。

 屈強な男性が能天気な笑みを浮かべ、巨大なホットドッグを手に持っている。その下には何やら文字が書かれているが、おそらくは商品であるホットドッグを宣伝しているのであろう。

 四人とも、姿勢を正した。

「ウェエエエエエエエエエエイ!」

「しゃおらぁーーーーーーーっ!」

「来たぁーーーーーーーーーっ!」

「喝ーーーーーーーーーーーっ!」

 いきなりの大騒ぎである。まさに「ふり絞っている」という声だ。

 叫びは一発で終わらず、シモンはひたすら「ヘイッヘイッヘイッヘイッヘイッヘイッ」と拳を振り上げているし、IDは「おらぁーーーーくそがぁーーーー」と罵っている。触角は「北に来たぁーーっ北はノースゥーーっ西はウェストォーーっ」と方角についてがなっているし、ぼうさんは「なんまいだっなんまいだっなんまいだっなんまいだっなんまいだっ」となんとも罰当たりな掛け声を上げている。

 このバカ騒ぎは、オープンカーが看板の前を通り過ぎ、やがてそれが見えなくなるまで続いた。

「あぁ~、疲れた」

 シモンがどっかりと助手席に腰を下ろす。

 現在、彼らは「看板を見かけたら見えなくなるまでバカ騒ぎを続けるゲーム」の真っ最中なのだ。

「そろそろやめとくか?」

 IDが言う。ちなみにこのゲームの発案者は彼だ。

「バカ騒ぎも、もうすでに5回目だ。区切りとしてはよかろう」

 ぼうさんが同意する。触角も「そうだねー」と首を縦に振った。

 シモンが長い襟足を指でもてあそびながら、「あーあ」とため息をつく。

「それにしたって、まだまだ先は長いぜ。イベントのないオープンワールドのゲームやってるみたいだ。さすがにネタも尽きる」

 エネルギー切れを起こしかけているシモンの発言に、触角が「そうそう」とうなずく。

「みんなはオープンワールドのゲームやったことある? シナリオをどこから始めてもいいって面白いよね。別世界で別の人生を歩んでいる気に本気でなるもの。僕はやっぱりあれかな――」

 触角はいくつかゲームのタイトルを挙げ、誰が聞いたわけでもないのに概要や見どころを説明し始める。会話が残念過ぎる触角ではあるが、彼の話は尽きるところを知らず、間を持たせることにかけては天才的だと言えた。三人はラジオやBGMのように彼の話を聞き流し、所々で口を挟むだけでいい。

 しばらくは触角のゲーム話が続いたが、やがてそれも一区切りついてしまった。そこに、IDが口をはさむ。

「なあ、『劇場』までは後どのくらいだ?」

 触角が首をひねる。

「うーん、分からないな。どこかに表示が出てくるとは思うんだけど」

「この辺の標識は全部英語だろ? 『劇場』って英語でなんて言うんだよ」

 シモンが尋ねる。それに答えたのは、意外にもぼうさんだ。

「シアター」

「シアターか、そういえば映画館とかもそうだよな。じゃああれか、標識にSから始まる言葉が出てこないか見てればいいわけだな」

 シモンの言葉に、IDが首を振る。

「シアターの頭文字はTだ」

「なぜT? わけわからん」

 言い合っている間に、タイミングよく道路標識が現れた。緑色の下地に、いくつかの矢印が伸びている。

「シアターはあるか?」

 シモンは読み取りをあきらめたようだ。降参と言うように両手を広げながら、他の三人に尋ねる。眉間にしわを寄せたぼうさんが低い声で言う。

「シアターは書かれてたが、まだ直進だな。それ以外の情報は書かれていない」

 IDも首を振る。

「見通しが持てないな。この道がいつまで続くのやら」

 シモンが「ひいい」と頭を抱えた。

「あと数日とか言わないよな? マジでクレイジーだ」

「安心しろ。世界でお前が一番クレイジーだ」

 IDの返しも容赦がない。

 ぼうさんが手を合わせた。

「進むために道はある。我らのために、道は開かれん」

 そのスカスカの名言に、シモンがぼやく。

「いや、道はもう開かれてるんだよ。開かれすぎてて困ってるんだよ」

 そこに触角の声が被さる。

「クレイジーと言えばね、僕のおじさんはカードやアプリの暗証番号を忘れないように手帳へメモしていたんだけど、たとえば『クレジットカードの暗証番号○○○○』と書くわけにはいかないじゃない? このご時世、誰がいつどこでその情報を目にしてしまうか分からないからね。だからおじさんは、『クレジット』をもじって、『クレイジー○○○○』ってメモしていたんだよ」

 心底どうでもいい情報である。

「いや、それこそなんでお前はそれを知ってんだよ」

 シモンがツッコミを入れる。触角は「ああ」と声を上げ、今気づいたという様子だ。

「あれ、本当だね。僕はママから聞いた気がするけど、そうするとママには秘密が筒抜けだったのかな。おじさんもまだまだだね」

 そこへ、話を遮ったのはIDだ。

「おい、看板があるぞ」

 IDの太い指が、道の先を指さしている。

「もうバカ騒ぎゲームは終わったろ?」

 シモンがあきれたように言うと、IDは首を振った。

「いや、よく見るんだ」

 看板が近づいてくる。全員、何の看板かと息をのむ。

 そこには、眠る女性の顔がでかでかと載っていた。アジア系と思しき顔立ち、整った目鼻に、少しだけ肉感的な唇。

「ヒューッ!」

 シモンが甲高い声を上げる。

「美人だな。醤油顔が恋しい」

 IDが独りごちる。

 ぼうさんはただひたすら「煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散」と繰り返した。

シモンが看板に向かって大声を上げた。

「お姉さん! 俺たち、『劇場』目指してるんですよ! 長い道のりをひたすら進んでいるんですよ! どうか! どうか力を貸してください! お姉さぁーーーーんっ」

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