第二百九十五話 ヌビル・ドロク 二

「クソっ! 」

「まぁまぁ落ち着いてくださいな。坊ちゃん」

「俺は坊ちゃんじゃねぇ! 」


 ヌビルが持っているグラスを叩きつけるように置くと隣から「キャッ! 」という声が漏れてくる。


 ここはドラグ伯爵領内にあるバー。

 手切てぎれ金と言われて出された金を使って彼は飲んだくれていた。

 父としては最後のなさけだったのかもしれないが、彼には関係ない。

 今ある苛立いらだちを抑えるべくこうして酒に入りびたっていた。


「どうなさいましたかな? ヌビル殿? 」


 彼の行動を見かねてかいつもは口を挟まないバーの店主が彼に機嫌を聞く。

 その間にホステスに目配めくばせし事務室に戻るように指示を出す。

 それを受けヌビルの隣にいた女性はすぐさま片付ける振りをしながら部屋に移動。

 酔っている為か隣にいた女性がいなくなったのにも気づかずに店主の方へ顔を向けた。


「少し、イラつくことがあってな」

左様さようで。どのような、とお聞きするのは野暮やぼですな」

「……実は」


 店主も彼が何を起こしたのかは知っている。

 ここに来る者は大体が限られており内装ないそうきらびやかさからどのような者が来るのかよくわかる。

 しかしここは口が軽くなる場。

 彼の行動はそれほどまでに上流階級の者には知れ渡った愚行ぐこうであった。


 本格的に酔っているのか店主の話とはみ合わず自分の今までの不満、家を追放された話、美化びかされた彼の英雄など等を次々と話す。

 店主も慣れているのか聞き流しながら「さて、どれが本当でしょうか」と考えながらコップのくもりをとる。


「聞いてるのか! 」

「ええ。もちろん」


 正直めんどくさいと思いながらも激情げきじょうしている彼に目をやらずに答える。


「くそっ! 皆して俺をバカにしやがって……」

「そのようなことは」

「こんな、こんなことが有り得てたまるか! ファイアー——「店長!!! 」——ボール!!! 」

水球ウォーター・ボール


 店長の前で火球と水球が衝突しょうとつし――相殺そうさいされた。

 きりが出来、あた一帯いったいれる。


「大丈夫ですか、店長! 」

「え、ええ」

「よそ見しすぎです」

「これは失態ですな」


 店長のそばる店員。

 全員いつものはだけた衣装に魔杖ロッドや剣を持ち呆然ぼうぜんとしているヌビルの元へ集まった。


 ここはバーであると同時に時折喧嘩けんかが起こる場所。

 おのずとそれを鎮圧ちんあつできる者だけがこのバーに残っている。

 店長もさることながら店員もそれなりの実力者。


「さて、この不届ふとどき者をどうしましょうか」

「燃やして焼き豚にしますか? 」

「それは豚に失礼でしてよ」

「それもそうですね」


 いつもはおしとやかな彼女達が剣と魔杖をヌビルの方に向けて罵倒ばとうする。

 頭に血が昇るもこの状況はどうにもできない。

 

 屈辱くつじょく感。

 彼のコンプレックスが刺激され殴りかかろうとするも、動くと剣先が少しふれ傷がつき我に返る。


 そして今の状況を冷静に見れるようになった。

 圧倒的不利。

 一人くらいならどうにかなるかもしれないが数的不利。

 逃げれない。

 それに自分がしでかしたこの大きさに顔を青くする。


「皆さんの怒りもわからなくもないですが一先ず憲兵を呼びましょう」

「ま、待て! 俺はドロク伯爵家の子息しそくだぞ?! そんなことして」

、ですよね。ヌビル殿。金を払えば客ですが、暴力を働けば罪人」


 今までにないほどに冷徹れいてつな目を周囲から浴びせられ、たじろぐヌビル。

 家を追放された時以上の冷たい、こおるような目線だ。

 

 逃げないと。


 血が出る程に剣が刺さるも気にせず逃げようと立ち上がる。

 しかしそれを彼女達が許さなかった。

 細い腕からは考えられないほどの力で押さえつけられその場にひれす。


 こうしてヌビルはその行為の悪質あくしつさから犯罪奴隷となった。


 ★


 ヌビルはある奴隷商に引き取られ犯罪奴隷になったが誰も買わない。


 考えればわかる事ではあるが太った元貴族、これほどに厄介なものは無いだろ。

 舌もえ――多少魔法や剣が使えたとしても――肉体労働も期待できない。

 商人ならば、と思うかもしれないが彼が追放された経緯けいいを知っている者は知っている。

 横領おうりょうの危険性がある人材をわざわざ引き取ろうとはしない。

 よって売れ残った。


「おい。物好きが現れたぞ」


 その言葉が聞こえたのは彼が極度きょくどのダイエットでやせ細った時であった。

 うつろな目をして顔を上げるとそこにはすぐに動かないヌビルに怒りをあらわにする商人見習い。


「早く出ろ!!! 」

「!!! 」


 舌打ちをつきながら聞こえてくる言葉でやっとその意味を理解したヌビルはいずるようにそこから出て行った。


 ヌビルを買い取ると申し出た人は如何いかにもあやしげであった。

 少し小さな背丈せたけに黒い外套がいとうかぶった全容ぜんようの分からない人。

 しかしこの商人にとってはヌビルはすでに破棄しようか迷っていたところに現れた買い手だ。

 如何いかあやしかろうと上質な紅茶を出し手もみをしながら機嫌を取る。


 そして――ヌビル購入が決まった。


 そこにいたヌビルは手に傷をつけられ証文しょうぶんにサインをさせられ不気味な人物に渡された。


「あんた……ご主人は一体? 」


 数か月前のヌビルからは絶対に出ないような言葉使いだった。

 しかし同時に納得でもある。

 彼を購入したということは法的に守られるということであり、最低限の食事なども保証ほしょうされる。

 彼にとっては救世主のような人だ。


「俺かい? 俺は……そうだな。まぁ拠点きょてんに行った方が説明は早い」


 そう言いながらチェーンの無い首輪のついたヌビルを歩かせる。

 サクサクと移動し裏道に回り、少し小汚い建物につくとノックをして中に入る。

 領都りょうとの中心から離れているとはいえこんな場所があったとは、と内心思いながらも彼について行き指示を受けて中に入る。


「ようこそ。『何でも屋ルール・ブレイカー』へ」


 こうしてヌビルは犯罪組織の組員となった。


 ★


 最初に与えられた命令はドラグ伯の監視の届かないかなり遠くの村の襲撃。

 犯罪組織側としてはそこで人殺しになれてもらう予定だった。

 しかし案外ヌビルにはこの仕事はあっていたらしくドラグ伯爵領の中でもかなり小規模な村をなん無く落とす。


 誰の命令で行い、誰の利益になるのかはヌビルには分からない。いやこの何でも屋ルール・ブレイカーの上層部くらいにしかわからない。

 が、下っの彼らにとってはそのような疑問よりも村を完全に鎮圧した時の報酬が魅力的だった。

 その報酬とは――必ず全員殺すことが条件だが――そこに住む者を好きにしていいという権利。


 通常このような権利は上位の者に与えられる。しかし奴隷であるヌビルにも与えられた。


 あめむち


 失敗した時の罰は大きいが報酬も大きい。

 内部分裂を起こさないための基本であり、仕事を奮起ふんきさせるための基本でもある。


 無論このようなことは国の法律や領の規律にはんする。

 しかしばれないように行い、煙のように消え、足跡あしあとを残さないようにする。

 これが出来れば領軍を後手後手に回すことができる。

 ヌビルは領都りょうとにいた時おぼえていた領軍の巡回じゅんかい騎士達のスケジュールを生かしてそれをこなして見せた。


 そして慣れて来た頃奴隷である彼に一つの隊を任され、ある重要任務を言い渡される。

 それは指定された時間に貴族の馬車を襲うこと。


 隊の面々めんめん臆病おくびょうかぜに吹かれていたが、自身を取り戻したヌビルは快諾かいだく

 どの道奴隷である以上は断ることはできないのだ。


 その場所へ向かい落ちたヌビルは待ち構える。

 みずから地獄のふたを開けようとしていることを気付かずに。

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