第18話 遠浅の海の中でキリコ同士がバトルするのよ(私 高校3年生)想いのままに・女子編
浜から100メートルほど離(はな)れた海の中にテトラポッドを積(つ)み上げた、砂浜の流失(りゅうしつ)と侵食(しんしょく)を防(ふせ)ぐ離岸堤(りがんてい)が在(あ)る。
設置されている方角から景観的(けいかんてき)に暗(くら)い影(かげ)となって圧迫感(あっぱくかん)が有るけれど、この砂浜の広がり具合(ぐあい)から離岸堤の効果(こうか)は十分に有ると思えた。
しかし、あと10年や15年で堆積(たいせき)した砂により、離岸堤まで砂州(さす)を盛(も)ってしまいそうな気がするが、昨今(さっこん)の地震(じしん)や豪雨(ごうう)での隆起(りゅうき)や陥没(かんぼつ)や土砂の流入で、どうなるか予測できなくなっている。
そうなると道路際(ぎわ)から波打ち際まで、今でも埋(う)められたみたいなのが、更(さら)に緑地化の土入(つちい)れをしたようになって、遠浅(とおあさ)の渚(なぎさ)は無くなってしまうかも知れない。
既(すで)にゲートボール場は在るから、次はパットゴルフのフルコースが造(つく)れるかもね。
そんな残念な立戸(たっと)の浜になる前に、国道からのアクセスルートは明千寺(みょうせんじ)の集落へ至(いた)る道くらいに広げてもらい、消えつつある砂浜をパンフレットで見た沖縄(おきなわ)のレストハウスが建つ人工ビーチのように整備して欲(ほ)しいと思う。
ビーチの沖波(おきなみ)漁港側に在る護岸堤で囲(かこ)まれて、何10年間もずっと使われていない埋立地(うめたてち)を、斬新(ざんしん)なデザインの素泊(すど)まり可能な道の駅のマルシェみたいな施設(しせつ)にして、沖波公民館側にはオートキャンプ場も隣接(りんせつ)させたりする素敵(すてき)な場所に出来ないものだろうか。
離岸堤の向こうに在る浅瀬の岩場には明滅点灯(めいめつてんとう)する小さな灯台(とうだい)を建て、穴水(あなみず)マリーナからヨットやクルーザーが来訪しても係留(けいりゅう)できるミニ埠頭(ふとう)を造(つく)り、シンプルで堅牢(けんろう)な桟橋(さんばし)でマルシェと繋(つな)げ、それらと立戸(たっと)の浜を大きな半円で囲(かこ)むように離岸堤を点在(てんざい)させて、波静(なみしず)かな入り江にする事ができたらと、いつも考えながら見ていた。
(しっかりしたセンスで整備すれば、キリコ祭りと共にマリンリゾートとして、夏場(なつば)の観光資源になるんじゃないかな。宿泊客を当て込んで民宿(みんしゅく)を始(はじ)める人が増えるだろうし、メインは夏場のリゾートだけど、内浦(うちうら)と呼(よ)ばれる七尾湾(ななおわん)沿(ぞ)いの穏(おだ)やかな侘(わ)び寂(さび)の味わいと、冬場(ふゆば)の美味(おい)しい能登半島(のとはんとう)の魚を食べに、泊(と)まりに来てくれる人がいるかもね。折角(せっかく)、能登空港や能登ワインのワイナリーが近くに在って、穴水町まで電車が来ているから、なんとか出来ればいいのにのになぁ)
そうなれば良いと思うけれど、現実は税収入(ぜいしゅうにゅう)が少ない財政難(ざいせいなん)の穴水町だからムリっぽい。
それに、しょっちゅう大勢の観光客が来るのを嫌(いや)がる地元衆(じもとしゅう)や、利害(りがい)で争(あらそ)いをする地権者(ちけんしゃ)もいるだろうから、実現は厳(きび)しくて難(むず)かしいと思う。
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「この浜は立戸の浜って言うの。以前の浜は、あそこの暗い影みたくて目障(めざわ)りな、消波(しょうは)ブロックの塊(かたまり)が無ったから今よりも明るくて、もっと、水は青く透明(とうめい)で、砂も白かったみたい。能登島や富山湾や立山連峰(たてやまれんぽう)もくっきり見えて綺麗(きれい)な浜だったそうよ」
そう説明しながら、私は離岸堤の方へ腕を上げて伸ばす指で、言葉に信憑性(しんぴょうせい)を持たせる。
この浜に来る度(たび)に、私は想像(そうぞう)していた。
南の島のような眩(まぶ)しくて白い砂浜に、コバルトブルーに輝(かがや)く渚と艶々(つやつや)したエメラルドグリーンの波のうねりを。今も、それっぽいけれど、もっと条件さえ満(み)たされれば、立戸の浜も珊瑚(さんご)礁(しょう)の海の色になるかも知れない。
そして、あの沖合(おきあ)いのテトラポットで組(く)まれた防波(ぼうは)を兼(か)ねる離岸堤が無ければ、もっと明るく広々として開放的になるのにと思う。
(あんな海面上まで組まれるんじゃなくて、満潮で水面下1メートルばかりの高さになる、人工リーフだったら、砂の流失や溜(た)まりは、どうなっちゃうのかな?)
「それが、諸橋(もろはし)ダムが出来てから、年々、砂が流失していって浜が小さくなったみたい。だから、あそこに浸蝕を防ぐ消波ブロックの提(つつみ)を造ったの。砂浜は戻(もど)って来たけれど、遠浅は以前の半分しかないと、地元の人達は言っているわ」
ダムは灌漑(かんがい)や生活用水や災害防止に役に立つけれど、河川(かせん)から海への土砂(どしゃ)の流出を減少させて仕舞(しま)い、体積して遠浅の浜を造っていた渚の砂が一方的に波に削(けず)られるようになって、生態系(せいたいけい)の環境(かんきょう)や大地の循環(じゅんかん)サイクルを不自然して景観(けいかん)を変化させた、人間の御都合主義(ごつごうしゅぎ)の産物だ。
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以前、この沖波の集落が在る穴水町よりもっと奥、能登半島先端近くの浜に原子力発電所を誘致(ゆうち)しようとする政治的な動きが有った。
青い松林(まつばやし)が続く弓(ゆみ)なりの浜で、1度だけ両親に連(つ)れられて泳(およ)ぎに行った事が有る。
遊泳地区に指定されていない深みの多い渚は、夏の陽射しにキラキラとエメラルドグリーンに光る波のうねりが美(うつく)しく、泳いでいて気持ちが良かった。
沖の真っ青(まっさお)な海と霞(かす)むような藍色(あいいろ)の空に真っ白(まっしろ)な入道雲(にゅうどうぐも)が湧(わ)き立ち、世界が開放感に溢(あふ)れて自由で美しいと、小学生ながらに感じていた。
真っ白い浜は砂粒(すなつぶ)じゃなくて全(すべ)てが細かく砕(くだ)かれた貝殻屑(かいがらくず)で出来ていたから、嬉(うれ)しくてお姉(ねえ)ちゃんと走り回って喜(よろこ)んじゃった。
それに、透(す)き通るピンク色の桜貝(さくらがい)の欠片(かけら)も多く流れ着いていて、お姉ちゃんと競(きそ)っていっぱい集めたのを覚(おぼ)えている。
(桜貝は、まだ机の引出しの何処(どこ)かに仕舞ってあるはず……)
其処(そこ)で一日中(いちにちじゅう)、バーベキューを食べたりして遊(あそ)んでいたから、全身が真っ赤(まっか)になるほど日焼(ひや)けして、皮が剥(む)けるヒリヒリした痛(いた)さに、1週間くらい酷(ひど)い目に遭(あ)った。
今だったら染(し)みになっちゃうかもね。
そんな、すっごく綺麗な浜辺に原子力発電所が建てられたら、景観が台無(だいな)しだ。
何より、最後の工程の廃棄(はいき)処理まできちんと始末(しまつ)できない原子力なんて、リスクが大き過(す)ぎるでしょう。
(そんな危(あぶ)なっかしい物は、未来永劫(みらいえいごう)いらないよ!)
そもそも放射能物質を扱(あつか)う事自体が大問題で、核分裂(かくぶんれつ)反応(はんのう)が制御(せいぎょ)できても、放射能を無くして放射線が除去(じょきょ)出来るような物質的な改質(かいしつ)に至(いた)らない限り、恒久的(こうきゅうてき)に安全とは言えないでしょう。
誘致に賛同する政治家や政府が雇(やと)う御用学者(ごようがくしゃ)の教授達や博士達、それに絡(から)んでくる地権者(ちけんしゃ)の人達は、プロセス其の物が不完全なのに、稀(まれ)に得(え)られたなチャンピオンデーターと言葉巧(たく)みな説明で、嘘八百(うそはっぴゃく)の安全・安心の神話を作り上げて、金儲(かねもう)けを企(くわだ)てている。
制御できなくなったら、富山湾や七尾湾も含(ふく)めて広範囲に汚染(おせん)される。
誘致など、とんでもない話で、能登半島が駄目(だめ)になってしまう。
能登半島は浅(あさ)い震源(しんげん)の地震が多くて、けっこう強く揺れる。
そんな場所に、後(あと)の始末(しまつ)も出来ない有毒性が非常に強い放射性原子を大量に用(もち)いる原子力発電所を建設しようなんて、有り得ないでしょう。
中能登の赤住町(あかすみまち)に在る活断層(かつだんそう)の上に建つ原子力発電所も同じだ。
其処(そこ)の二(ふた)つの原子炉は、何度も偶然(ぐうぜん)に助けられているだけのメルトダウン寸前の事故を繰(く)り返(かえ)していて、危険(きけん)極(きわ)まりない。
炉心(ろしん)容器や格納(かくのう)容器が破損(はそん)すれば、為(な)す術(すべ)も無い技術の癖(くせ)に、安全だと言い張っているけれど、もしそうなったら金輪際(こんりんざい)、その場所に住(す)めなくなってしまう。
原子力発電のリスクを考えれば、どうとでも別の代替(だいが)えエネルギーへ変更できるのに、国の政策的に原子力発電が推(お)し進められているだけの、政治絡みの利害(りがい)関係が優先(ゆうせん)されているだけだと思っている。
そもそも、本当に電力不足なの?
(SFみたいなテクノロジーで、錬金術(れんきんじゅつ)みたいに放射能物質の電子や陽子を組み替(か)えて、放射線を出さない性質にするようなクリーナーや、包(つつ)み込む粒子が開発されないなら、能登から原子力発電所を無くしてよ。私の大好きな能登半島を苛(いじ)めないで!)
彼に話しながら内浦の海を見ていると、誘致反対派の父がした話しを思い出して、気持ちが少し憤(いきどお)ってしまう。
『七尾湾沿いの中島町(なかじままち)や穴水町の牡蠣(かき)や能登牛(のとぎゅう)が食べれなくなってしまったら厭(いや)だろう。鮑(あわび)も、冬の美味しい魚も、ズワイガニと香箱蟹(こうばこがに)もだ。能登の美味(おい)しい物全部、食べれなくなるんだぞ』
(なんか、お腹(なか)が空(す)いちゃったな。やっぱり、美味しい物が食べられなくなるのはヤダ)
そんな事を考えて悲観(ひかん)していた其の気持ちは今も変わらず、自己完結(じこかんけつ)できない原子力発電の技術自体が信用できない!
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私の指差す先を眩しそうに見る彼の青褪(あおざ)めていた顔に、ほんのりと紅(あか)く生気(せいき)が戻って来ている。
「毎年、来ているんだ?」
彼の問い掛ける口調(くちょう)から、此処(ここ)が私の御里で、私が能登を大好きだと分かったみたいだ。
(少し恐(こわ)い目に遭ったようだけど、彼は、此処を気に入ってくれるだろうか?)
「うん! 夏休みに入って直(す)ぐにこっちへ来るの。登校日は無視。夏期補習も、能力強化合宿も、ブッチしてるの」
(今年はね、自動車の運転(うんてん)免許(めんきょ)を取るんだぞ)
数日前に私は18歳になり、今、穴水町に在る自動車運転教習所へ毎日通っている。
今日も午前中はカリキュラムを早く終(お)えようと、教習所内のコースを周(まわ)る実技をダブルで受けてきたし、既に普通2輪の免許を持っているから第1段階の学科は免除(めんじょ)され、実技の運転も数時間は免除されている。
第1段階は、あと一(いち)、ニ日(ふつか)で終了だ。
第2段階の学科は少しだけで、実技の運転ばかりだけど、問題無くクリアできると思う。
教習所を卒業(そつぎょう)すれば、運転免許試験場では学科試験無しの無試験で、普通自動車運転免許証は即日(そくじつ)に交付(こうふ)される。
教習所の実技で大ミスをしない限り、夏休み中には楽勝で取得(しゅとく)できるでしょう。
(誕生日が、まだ過ぎていない彼には、羨望(せんぼう)と悲観(ひかん)で落ち込みそうだから知らせない)
夏休み前から、お婆(ばあ)ちゃんに自動車の運転免許を取りたいとお願いしていたら、優(やさ)しいお婆ちゃんは、大学へ行っても、社会人になっても、毎年必(かなら)ず明千寺に遊びに来る事を条件に、私が運転するジレラ君の後ろに跨(またが)って教習所まで行ってくれると、窓口で入校手続きをする私の横に来て、受講(じゅこう)料金を一括(いっかつ)で支払(しはら)ってくれた。
(ありがとう、お婆ちゃん! 絶対に毎年、遊びに来るね。車を買ったらいっしょにドライブしようね。約束だよ!)
学校では、在学中の運転免許の取得を厳しく禁止している。
それは、運転免許取得を起因(きいん)とする風紀(ふうき)の乱(みだ)れや進学率の低下、交通事故の加害者になった場合の学校名の失墜(しっつい)などを学校側が恐(おそ)れているからだ。
それに事故は物損(ぶっそん)や他人への危害(きがい)だけじゃなく、本人も死傷(ししょう)する場合が多いから非常に危ない。
それに純粋(じゅんすい)なティーンエージャーは無謀(むぼう)で暴走(ぼうそう)し易(やす)く、自制が難しい。
従(したが)って、高校生の自動車や2輪の運転免許取得イコール危険となってしまう。
実際、高校生の絡んだ悲惨(ひさん)な事故は多いのだけど、私の知った事じゃ無い。
免許は取得しても卒業まで運転しないつもりだから、取得できる時に取得しておく。
(折角(せっかく)、夏季講習をブッチして来ているのだから、朝から夜までゴロゴロして気の向くままにブラブラするのは勿体無(もったいな)いないじゃない! 夏休み明(あ)けに普通車免許を取得しているのは、たぶん、クラスで私一人(ひとり)だけでしょう。それに普通2輪の免許を持っているのもね。高校では話す相手もいないし、親(した)しいクラスメートもいないから、私だけの秘密(ひみつ)の優越感(ゆうえつかん)ってとこね)
「夏休み中の、補習授業か……。毎年、不参加なんだ……。それって、参加しないと担任(たんにん)や進学指導から、理由を追求されて、責(せ)められるんじゃないのか? 心証も悪くしそうだし……」
(ああん?)
彼が低い声で、咎(とが)めるような事を言い、私の眦(まなじり)と鼻頭(はながしら)に力が入った。
(それ、本気(ほんき)で思ってるの? そぉ、あなたも、『大勢の素直(すなお)な日本の子供達』の一人ってわけ?)
これから、否定的(ひていてき)な彼と互(たが)いの感情を受け止めれる許容(きょよう)範囲の広さや、激昂(げっこう)していくだろう言葉尻(ことばじり)に、不遜(ふそん)な態度も確認し合う事になるのかと、一歩(いっぽ)も譲(ゆず)りたくも、退(ひ)きたくもない私は、顎(あご)を引きながら彼を睨(にら)んで気持ちを構(かま)える。
そんな攻撃的な私のオーラを感じたのか、直ぐに彼は言葉を切り替えて続けた。
「半強制(はんきょうせい)の夏休み学校行事は、ブッチかぁ……。それも有りだね。補習なんて、僕んところは進学校じゃないんだけど、受けるのは、進学に変更した連中と赤点(あかてん)の奴(やつ)だ。そっちのはわからないけど、サボってもいいんじゃないの。どうせ自分次第(しだい)だし、成績がアップして、志望(しぼう)する大学に合格すれば良いんだから」
『参加した方が、良いんじゃないの』とか、『みんなが受けてるのだから、必要だと思うけど』なんて、叱(しか)るような鬱陶(うっとう)しい事を言うのかと思ったけれど、それは間違(まちが)っていた。
「あはっ、そうね。結果を出せれば良いんだよね。叱られるかと思っていたから、同じ考えで良かった! ありがとう、嬉しい」
隠(かく)れた逸(はぐ)れ者(もの)モドキの私は、彼に肯定(こうてい)されたのが、とても嬉しかった。
家族以外で肯定してくれたのは、彼が初めてだ。
嬉しくて弾(はず)む気持ちが、私に地元のキリコ祭(まつ)りの話をさせた。
「昨日は、この浜で御祭りがあったのよ。ほら、其処に大きな焚(た)き火(び)の跡(あと)が有るでしょ。笛(ふえ)を吹(ふ)き、太鼓(たいこ)や鉦(かね)を敲(たた)き鳴(な)らして、キリコが海に入って行くんだよ」
首を傾(かし)げて聞く彼は、たぶん、キリコを知らないと思う。
(ガラスのコップにする切り込み細工(ざいく)の切子(きりこ)じゃないよ)
「お祭り? キリコ……?」
案(あん)の定(じょう)、彼は訊(き)いてきた。
(能登の人じゃないと、ふつう、キリコは知らないよね)
キリコは漢字で『切籠』と書き、フルネームの切子燈籠(どうろう)を縮(ちぢ)めた言い方だけど、誰も今では切子燈籠なんて言わない。
奥能登に発祥(はっしょう)して、中能登辺りまでの夏御祭りで担(かつ)がれている。
燈篭だから、中に明かり灯(とも)して夜も町内を練(ね)り歩く。
「あっ、キリコって言うのはね。上に大きな行灯(あんどん)が乗った御神輿(おみこし)なの……。ううん、ちゃうわ。灯篭なの。行灯なんて言ったら、おばあちゃんに叱られるわ。そう、四角くて大きな灯篭よ」
能登独特のキリコは、小学校1、2年生の頃に、上に乗せてもらった事が有った。
鉦を叩いたり、太鼓を打ち鳴らしたりして、けっこう、はしゃいでいたのを覚えている。
「此処、遠浅でしょ。海の中でキリコ同士がバトルするのよ。けっこう、豪快(ごうかい)で凄(すご)いわよ。なんか、担ぎ衆は、みんなカッコイイしね。金沢や県外に出た人達も、お祭りに合わせて帰省(きせい)して、大勢参加するんだよ。金沢に引っ越してからも、毎年見に来ているの。で、帰省した人達は今朝(けさ)早く戻って行ったから、また、いつもの過疎(かそ)で、ガラガラの田舎(いなか)に戻っちゃいました」
大きなキリコを担いで、ワイワイガヤガヤと囃子声(はやしごえ)や気合を掛け合いながら、町中の通りを押し通る大勢の若い衆が、幼(おさな)い瞳(ひとみ)にも、かなり格好良(かっこうよ)く映(うつ)った。
この時間、既にキリコは点検して分解され、保管庫に仕舞われている。
担ぎ衆達は一晩中(ひとばんじゅう)、集会所や町のあちこちの家で飲み食いして騒(さわ)いで、午後になっても、まだ寝ている人は多い。
帰省した人達も少しの仮(か)眠(みん)だけで早朝から戻って行く。
『キリコ祭り』は毎年、能登半島全域の集落で行われる、地元衆の結束(けっそく)が堅(かた)い夏の神事(しんじ)だ。
「バトル? 夜の海でキリコをぶつけ合う祭りなわけ? それって危ないだろう?」
(夜? 祭りは夜じゃないよ)
あんなに大きくて重いキリコを大勢で担いで、いくら腰辺(こしあた)りしかない遠浅の海でも暗い夜に入って、ぶつけ合うように練り回るには危ない。
しかも、キリコは四(よっ)つも、五(いつ)つも集まり、殆(ほとん)どの担ぎ衆は酒びたりの酔っ払(よっぱら)いだから、ちょっとした不注意で大事故になってしまう。
みんなは昼間でも安全と無事故に細心(さいしん)の注意を払(はら)っているのに、篝火(かがりび)の明かりしかない夜は、暗い視界で注意が行き届(とど)かない為(ため)に、視認できないアクシデントやイレギュラーは気付けずに判断が遅(おく)れて、溺(おぼ)れたり、怪我(けが)をしてしまうでしょう。
最悪は、亡(な)くなったり、行方不明(ゆくえふめい)になったりする人がいるかも知れない。
それは、雪の降る冬の夜に凍(こご)える街の路上で山車(だし)を曳(ひ)き回す祭りをするくらいに、とても、危険な行為(こうい)だと思う。
「はあぁ、なんで夜なの。そんなわけないでしょ! 五つぐらいキリコが集まるから、暗いのは危な過ぎじゃない。バトルは昼間の明るい内にして、昼も夜も飲んで、食べてで、騒ぐのよ。お祭りなんだからね」
(いくら気が荒(あら)い能登の男衆でも、そんな無謀な事はしないわよ。まったく、推して知るべしなの!)
「僕も、その祭りに参加できるかな?」
(ん、うう~ん! キリコを担ぎたいの? 本気で祭りに出たいわけ?)
「祭りに参加しても…… いい…… かな?」
どうやら彼は本気で参加したいらしい。
キリコを担ぐのは地元の同級生だった子に頼(たの)めば、きっと役所を通してくれて、正式な担ぎ手として登録されるはずだから、問題無く参加できるでしょう。
でも、彼との関係を、どんなふうに勘(かん)ぐられるか堪(たま)ったものじゃない。
私は空を仰(あお)いで、彼が祭りでキリコを担げる方法を探(さぐ)りながら答えた。
「……できると、思うよ」
近所のお盆で帰省した娘さんの旦那(だんな)や息子(むすこ)も担いでいるし、誰(だれ)かの友人らしい全然知らない人達も、ちらほら交(ま)じっていたり、観光の人達も飛び入り参加しているみたいだ。
それに、年々、過疎化(かそか)で担ぎ衆が少なくなってきているから、インターネットでも参加者を募集(ぼしゅう)していると思う。
彼も、私に釣(つ)られて空を見上げている。
富山湾に湧き立つ入道雲が傾(かたむ)いた陽に照(て)らされて、青みが深まる空をバックに、光る白さと染まる朱色(しゅいろ)のコントラストが美しい。
「金沢や県外に出た人が、友達や知り合いを連(つ)れて来て、参加させているみたいだしね」
お祭りの半被(はっぴ)を着た彼が、祭りに参加してキリコを担いで町内を練り歩いている様(さま)を、ちょっと想像してみる。
担ぎ衆に合わせて大声を張(は)り上げる彼が、浴衣(ゆかた)の私の声援(せいえん)に応(こた)えた拍子(ひょうし)に足が縺(もつ)れて転(ころ)け、担ぎ衆のみんなに踏(ふ)まれそうになっていた。
(……なんか、可愛(かわい)そう)
「あははは、いいんじゃない。来年から参加すれば。たぶん、募集(ぼしゅう)してるかも知んないから、穴水町のホームページを見てよ」
踏み付けられる彼の酷い想像の可笑(おか)しさで、私は笑いながら彼に言う。
彼は参加する気満々(まんまん)で、キラキラと目を輝かせて嬉しそうだ。
額(ひたい)に鉢巻(はちまき)を締(し)めて、晒(さら)しを腹に巻いた祭り装束(しょうぞく)の凛々(りり)しい彼、団扇(うちわ)に浴衣姿で髪を上げた初々(ういうい)しい私。
(……凄く、いいかも知れない……。絶対にキリコを担いでね。でも、明千寺のキリコは海に入らないよ。だからね、祭りの後(あと)、夜の浜辺を歩きましょう。そして、夜の海も泳いでみる?)
今日の私は金沢に居(い)るのと違って開放的だと、自分で判(わか)るほど自覚(じかく)が有った。
でも、不思議と違和感(いわかん)や嫌悪感(けんおかん)を感じなくて、寧(むし)ろ、本来の人懐(ひとなつ)っこい自分に戻れて自然な感じがしている。
「ありがとう。ウェブで調(しら)べてみるよ。無くても、次に来るついでに直接、町役場へ行って問い合わせてみる」
(次に来る? また来るんだ! ……来てもいいけど、いつなの? 夏休み中しか此処にいないよ)
インターネットの応募(おうぼ)で参加する事になると、彼は前日から来て、お祭りの準備(じゅんび)やキリコ出しを手伝(てつだ)い、担ぐ練習もするのだろう。
それなら、宿泊は町内会や青年団から公民館が提供されて、食事も用意されるはずだ。
だから、彼が参加するのに何も心配しなくてもいい。
でも、担ぎ手への参加が決まれば、此処の勝手を知らない彼を私がエスコートする事になり、それで彼が私に会いに御里へ来れば、紹介(しょうかい)しなければならないでしょう。
(きっと伯父(おじ)さんや伯母(おば)さんは、彼に『公民館じゃなくて、家(うち)へ泊まれ』と言うだろうし、彼が私を好きで、それなりの好意を私も彼に持っているのを知っている、お婆ちゃんは、絶対、彼の人柄(ひとがら)を見極(みきわ)めたいから『泊まれ』と言って譲(ゆず)らないよね)
悪乗(わるの)りで同じ部屋に寝る破目(はめ)にはならないと思うけれど、御里で彼と一つ屋根の下に一夜(いちや)を過ごすとなると、けっこう恥(は)ずかしい。
それに伯父さんが彼の泊まる旨(むね)を町内会へ知らせれば、夜は町内会の役員さん達や青年団の衆も御里に来て、凄く賑やかな前夜祭になるに違いなくて、彼と私は持て囃(はや)されたり、冷(ひ)やかされたりして、フラフラになってしまったりして……。
なんて想像してみただけで、顔が火照(ほて)って来て俯(うつむ)いてしまう。
これ以上、キリコ祭りをネタにしていたら『今夜は御里に泊まって行(ゆ)けば』って、彼を誘(さそ)ってしまいそうだ……。
(なに積極的になってんのよ、私! なんか可笑(おか)しくなってる! 彼が来てくれたのが、そんなに嬉しかったわけぇ? なんか、先走(さきばし)りし過ぎで、変じゃん!)
来年に備えて今から御里で馴染(なじ)まれても恥ずかし過ぎるので、私は俯いたまま話題を変える。
「朝は、無理しなくてもいいよ」
言ってから、『私って、馬鹿(ばか)じゃん』って思った。
これでは全(まった)く話の向きが変わってしまって、何の事か理解できない彼は着(つ)いて来れやしない。
「はあ?」
やっぱり、彼は繋がらない言葉の意図(いと)が分からない。
「朝のバスは、もっと早いのに乗って、早朝(そうちょう)自習(じしゅう)に参加しなくちゃならないの。だから、無理に私と同じバスにしなくてもいいよ。夜も塾(じゅく)に通うから、遅い帰りになっちゃうし……」
早朝自習に間に合うように登校するには、これまでより30分は早いバスに乗らなければならないと思う。
起(お)き掛(が)けの体力を消耗(しょうもう)して登校した直後に30分の自習なんて、其の30分に何ができるのか、私甚(はなは)だは疑問(ぎもん)だった。
毎夜遅くまで受験勉強をして、睡眠(すいみん)時間は少ないのに、更に30分早く起きるなんて疑問でしかなく、このような取り組みをして学校は何処の何方(どちら)にアピールしているのだろうか?
(3年生は其の為の、人身御供(ひとみごくう)みたいな生贄(いけにえ)の犠牲者(ぎせいしゃ)なんだろうなあ……)
『こんなに我(わ)が校は、頑張(がんば)っています』アピールは、ストレスの蓄積(ちくせき)と集中力の欠如(けつじょ)と体調不全(ふぜん)を招くだけだと考えいた。
だから、其のバカバカしさに私は、ワザと不規則(ふきそく)に参加してストレスを発散(はっさん)させている。
こんな記憶に残らなくて学力が向上しない事よりも、始業後の1限目に大学受験の過去に出題された問題ばかりの小テストが科目(かもく)毎(ごと)に行われて、其の出題範囲は事前に知らされていないのなら、其の方が余程(よほど)、受験する私達には有意義(ゆういぎ)だと思う。
そもそも、
学校の授業で黒板に書き連(つら)ねるのは、テストに出題される箇所(かしょ)なので書き写すけれど、それ以外はノートを取らない。
テスト結果の成績向上を目指して自習や帰宅後の勉強では、真面目(まじめ)に全てを書き写すようにノートしても、殆どは覚えていなくて、テスト中に思い出すタイムリーさは少なかった。
これは教科書や参考書のバッドコピーを作る作業で有って、意味や読み方も分からず般若心経(はんにゃしんぎょう)を模写するがの如(ごと)しだと、早々に気が付いた。
テキストを読むのも、見るのも、学びが無いと記憶に残っていなかった。
教科書や参考書に赤いアンダーラインやハイライトの色付けをしても、覚え込むのは難しく、それが多いと逆に見難(みにく)くなり、場所自体が探(さが)し辛(づら)くて目的を成さなかった。
だから私は疑問を持ち、自分で調べて補填(ほてん)して、より多くの問題を解(と)く事に集中している。
だが、これは試験勉強に限った事であって、自分自身へ習得させたい語学は、聴いて意味が理解できて、文を綴(つづ)れて、正確な発音で読み上げれるように努力している。
国語の文章も然(しか)りで、言葉と漢字を駆使(くし)した情景的、叙情(じょじょう)的な表現の理解し易い文作りを練習している。
物理や化学や数学は基礎となる記号、名称、法則、方程式を知識を補填しながら問題を解いて覚え込ませている。
だけど私は猛勉強はしない。
目標の大学を受験できる成績を維持(いじ)するだけで、学年トップレベルの成績など目指してはいない。
(だから偏差値(へんさち)……全体からの成績はソコソコで、それなりだが、決して安心できるレベルじゃなかった!)
『受験』と『勉強』の言葉と文字は誰にも干渉(かんしょう)されない自分の時間を持つ為の口実(こうじつ)に、よく使わせて貰っている。
つづく
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