第16話 トヤン高原……超常現象が起きる忌みの地!(私 高校3年生)想いのままに・女子編


(本当に辛(つら)そう。彼を、これほどまでにしたのは私。……私の所為(せい)! でも……、おもしろい♪)

 一旦(いったん)、ジレラ君まで戻(もど)っていた私は、笑いを堪(こら)えながら駆(か)け寄(よ)り、彼の真横に勢(いきお)いを付けて座(すわ)った。

 横に向けた彼の顔や肩へ、砂浜に押し付けた膝(ひざ)で飛(と)び散(ち)らかした砂粒(すなつぶ)が掛かる。

 突っ伏(つっぷ)して「ハアハア」と、苦(くる)しそうに荒(あら)い息をする彼の下に、私は手を入れて一気(いっき)に引(ひ)っ繰(く)り返して、仰向(あおむ)けにした彼の砂だらけの口に、融(と)け始(はじ)めていたアイスキャンディの1本(いっぽん)を押し込んだ。

「食べて! 冷(つめ)たくて甘(あま)いよ!」

 彼は、突然(とつぜん)に口へ押し込まれて息を止(と)めさせた白くて冷たい物を見定(みさだ)めようと、慌(あわ)てて跳(は)ねるように上半身を起(お)こした。

 そして、それがアイスキャンディだとわかると、やっと彼は落ち着きを取り戻(もど)したみたいで、片(かた)肘(ひじ)を突(つ)いた半起きの姿勢で食べ始(はじ)めた。

「ブハッ!」

 目をパチクリさせながら、アイスキャンディを頬張(ほおば)る彼が可笑(おか)しくて、もう一本のアイスキャンディを銜(くわ)えた私は、また噴(ふ)き出して笑(わら)ってしまう。

 少し向きを変えて体を傾(かたむ)けると、彼の頭に私の被(かぶ)る白い帽子の大きな庇(ひさし)がコツンと当たり、次に肩が彼に触(ふ)れた。

(苦しませて、ごめん!)

 沈(しず)めた事を心の中で謝(あやま)りながら、彼に安(やす)らぎと温(ぬく)もりを求(もと)めている私がいる。

 『ビクッ』と、彼が震(ふる)えたけれど、私はワザと気に留(と)めないフリで肩を触れたままにして置(お)く。

 顔の乾(かわ)き始めた肌(はだ)や髪の海水の雫(しずく)と、少し粘(ねば)りのある汗(あせ)で濡(ぬ)れている彼の肩の皮膚(ひふ)に、貼(は)り付いた砂のザラ付きを感じて、それが私を安心させてくれているけれど、体力を失(うしな)った所為(せい)なのか、彼の肌は冷たい。

(温(あたた)かくないじゃん)

 私が、自分に肩を触れさせている事を信じられないと思ったのか、確(たし)かめるように彼の顔は、ゆっくりと私に向けられて、そのまま停(と)まった。

(うふっ! おもしろい)

 そんな彼の様子(ようす)にも気付かないふりをして、私はアイスキャンディを舐(な)める。

 アイスキャンディを齧(かじ)りながら私を見続ける彼を、私は視界の隅(すみ)で見ている。

 彼の視線は少し下がり、私の顔を見ていなかった。

 彼は、気が付いたみたい。

 アイスキャンディを握(にぎ)っている私の手を、彼は見ている。

 彼は、ネイルアートを施(ほどこ)した私の指先を見詰めていた。

 昨日、穴水(あなみず)の町でネイルアートをして来ていた。

 伸(の)ばした爪の形を整(ととの)えてから、持参(じさん)した自分で描(えが)いたデザイン画の通(とお)りに造形(ぞうけい)と彩色(さいしき)をして貰(もら)った。

 彼は、左右の爪を良く見てから、私の顔を見る。

 あの小学校6年生の時と同じ、驚きと憧(あこが)れが一杯(いっぱい)の顔だ。

 あれから6年も経(た)つのに、彼は同じ顔をしている。

 左手の爪は、常夏(とこなつ)のトロピカル風にした。

 ベースは、スカイブルーの空にエメラルドグリーンとコバルトブルーがグラデーションされた海、白い砂浜も小さく入れる。

 その、ベースの上から椰子(やし)の木を白いシルエットで描いた。

 右手の方は、淡(あわ)いライトグリーンにピンクと白の薔薇(ばら)の花を、立体的に造形した。

 見詰められる恥(は)ずかしさと照(て)れくささに、彼の表情が加わって、また、私は噴き出して笑った。

 やっぱり、彼は楽しい。

「アッハハハ、そんなに、見詰めつめないでよ。恥ずかしいじゃない」

 彼は笑わずに、真剣(しんけん)な顔で私の爪を見ている。

 ネイルアートをした私の爪は、四角(しかく)い爪には見えない。

「素敵(すてき)だ! とても、似合(にあ)っているよ。足の指のもいい。綺麗(きれい)だ……」

 ネイルアートを誉(ほ)めながら、彼の視線は足の爪のペディキュアもチェックしていた。

 ホログラムの重(かさ)ね塗(ぬ)りのパールピンクで、キラキラして可愛(かわい)い感じが気に入っている。

 手の爪といっしょに塗(ぬ)って貰った。

「いい……ね……ぇ……」

 彼の言葉の語尾(ごび)が掠(かす)れて行き、銜えようとしていたアイスキャンディを足許(あしもと)の砂の上に落とした。

「あら、落としたわよ……⁉」

 言う間も無く、ゆっくりと滑(すべ)るように肩に触れていた彼の身体(からだ)が崩(くず)れて行き、彼は砂浜に横になって仕舞(しま)う。

 滑り崩れる彼に、ワンピースが引っ張(ひっぱ)られる。

(あっ、なにを……。ん?)

 沈められた仕返(しかえ)しでもされるかと思い、身構(みがま)えて彼を見ると、砂に顔の半分を付け、僅(わず)かに口を開けて目を閉(と)じていた。

(あっ、倒(たお)れた? これって……? もしかして、マジにヤバイかも!)

 沈めた所為で溺(おぼ)れる寸前の脳(のう)が酸欠(さんけつ)になって、今度は本当に昏睡(こんすい)状態になったのかも知れないと思った!

(もし、そうだったら、軽い意識障害(いしきしょうがい)などの後遺症(こういしょう)が残るかも知れない。それも目覚(めざ)めればの話しだけど……、えっ、ええーっ!)

 楽しい思いは、一瞬で不安と焦(あせ)りと後悔(こうかい)に変わった。

 目を閉じて、ちっとも動かなくなった彼の顔に、必死(ひっし)な思いで私は顔を近付けて状態を確認する。

 動かして刺激(しげき)しないように、そっと見た彼は、焦燥(しょうそう)する私の心配を他所(よそ)に静(しず)かに安定した寝息(ねいき)をたてていた。

(ねっ、寝(ね)ている……? ほんとうに寝ているの?)

 試(だめ)しに、彼の片方の瞼(まぶた)を開けてみた。

 開けた途端(とたん)に、もう一方も開いて、ギロッと私を睨(にら)んでから直(す)ぐに閉じた。

 そして、また、眠(ねむ)ってしまった。

 今度は、ガーッ、グオーと鼾(いびき)をかいて寝ている。

(びっ、びっくりしたぁー。だっ、大丈夫(だいじょうぶ)みたいね。良かったぁー)

 私の惨(むご)いサプライズが、彼の体力を一遍(いっぺん)に奪(うば)ったのかも知れない。

(でも、私の所為? ……そうだよねぇ)

 彼が、こうなった責任は目一杯(めいっぱい)、私に有る。

 私は、そっと彼の頭を抱(だ)き起こして膝の上に乗せ、帽子の庇の影に入れた。

(ふざけ過(す)ぎて、ごめんなさい)

 私の手は、彼の髪(かみ)を優(やさ)しく撫(な)でる。

 軽(かる)く指で耳を挟(はさ)み、そっと頬(ほお)と唇(くちびる)に指先を滑(すべ)らして付いた砂を落(お)としてから、ついでに沈めた所為で耳の中に入った水が残ってないか、見てあげた。

 残っていたら帽子のリボンを紙縒(こより)りにして吸(す)い取るつもりだったけれど、その必要は残念な事に全然無かった。

 じっくりと間近(まぢか)で見て触れた彼の肌が、私より木目細(きめこま)かくて張(は)りが有るモチモチプリプリで、摘(つ)まむと良く伸びる餅肌(もちはだ)なのには驚いた。

 スベスベしている頬が触っていて、気持ちが良(い)い。

 私の膝の上で鼾をかいて気持ち良さそうに眠る彼は、直ぐに起きそうにないように思えた。

(こんなに、遠くまで来て、疲(つか)れたんだね)

 折角(せっかく)、私と巡(めぐ)り逢(あ)えたのに眠ってしまうなんて、きっと彼は、ここへ全力で頑張(がんば)って来たのだと思う。

 高校1年生の時に、夕陽(ゆうひ)と彼を見に金石(かないわ)の浜まで行って、凄く疲れた事を思い出した。

 バスを乗り継いでも、1時間と掛からなかったのに、初めての場所へ行って疲れが出たのか、帰りのバスの中で眠り込んでしまい、その挙(あ)げ句(く)に彼に起こされていた。

 そして金沢から此処(ここ)までは、金沢市の錦町(にしきまち)に在(あ)る私の家から弓道部(きゅうどうぶ)のトレーニングをしていた金石の浜への距離よりも、何10倍も遠い。

(ずっと、眠っていてもいいよ。もしも、このまま、目が覚(さ)めなくても、目覚めるまで、……傍(そば)に、……ずっといてあげるからね)

 私の気持ちは穏(おだ)やかに安らいでいて、これまでの私への想(おも)いを露(あら)わにした彼の行動と表情を思い出して、私は彼に優(やさ)しくなっている。

 いつになったら彼が起きるのかわからないけれど、日が暮(く)れてしまったら、御里(おさと)へ運んで泊(と)まらせようと考えた。

 きっと、お婆(ばあ)ちゃんは分かってくれると思う。

 でも、伯父(おじ)さんや伯母(おば)さんや従姉弟(いとこ)達に、金沢から来た男の子をどう説明しようか迷った。

 絶対に勘繰(かんぐ)られてからかわれるに決まっているし、そして、金沢の親と彼の家に電話して知らせなければならない……。

(もし、泊(と)まる事になればだけれど……)

 それに夜になっても目覚めなかったら病院へ連(つれ)ていかなければ……というよりも、早々に救急(きゅうきゅう)搬送(はんそう)しなければならないと思えて、とても心配だった。

(あと、15分で意識が戻らなければ、スマートフォンで救急車を呼(よ)ぼう……。そうなれば全国ニュースで、私は過失傷害(かしつしょうがい)の加害者(かがいしゃ)だわ。でも自業自得(じごうじとく)ね。浅(あさ)はかで考え無しだったわ……)

 私の膝の上で寝ている彼は、私の度(ど)を越(こ)した悪ふざけが招(まね)いた結果で、このまま再(ふたた)び昏睡状態に陥(おちい)らないか、私は非常に不安で、直ぐにでも目覚めて溌剌(はつらつ)とした声を聞かせて、元気に立ち振(ふ)る舞(ま)う姿を見せてくれるように、空を仰(あお)いで真摯(しんし)に祈(いの)った。

(ねぇ、暑中見舞(しょちゅうみま)いに込めたメッセージに気が付いて、金沢から1度も休まずに原付(げんつ)きバイクで走って来てくれたのでしょう? でも、私に逢った後の事は、何も考えていなかったでしょう?)

 私の御里(おさと)だと知らずに来て、私がいたのに驚いて、休憩(きゅうけい)する間も無く逃げた。

(なぜ、逃げたのよ? 『やあ』とか、『こんにちは』とか挨拶(あいさつ)を交(か)わしていれば、全然違(ちが)っていたのにね……)

 そして、追い掛けた私に海底に沈められて、けっこう危(あや)ういところまで行かされ、疲れた身体に残っていた体力を失(うしな)ったから、今は怠(だる)くて眠っているだけなんでしょう。

 彼に体力を失わせるような酷(ひど)い事をしたのは、私だ!

(会いに来てくれて、ありがとう)

 気持ちいい彼の頬に手を添(そ)えて、私はずっと、彼の顔と身体を見ていた。

(さっきも眼が動いて反応(はんのう)していたから、意識障害のコーマじゃないわよね)

 15分が過ぎて、『この人なら、きっと大丈夫よ……』と踏ん切(ふんぎ)りが着かないままに、更(さら)に5分、10分が過ぎて行き、とうとう30分も経(た)ってしまって、私は心配のあまり声を掛けてみた。

「ねぇ、大丈夫なの? 起きれる?」

 だが、目覚めの言葉(ことば)は無くて、瞼(まぶた)も閉じたままだけど、ピクリと手足(てあし)に反応が有った。

[うーん]

 『分かった』との返事のような、『拒否(きょひ)る』唸(うな)りのような、『憤(むずが)る』寝言のような声とともに、彼が寝返(ねがえ)りを打つと、俯せになった彼の顔は私の股間(こかん)を向いて、それから両腕(りょううで)が私の腰(こし)に回された。

(ちょっ、ちょっとぉ~。そんなつもりじゃ……、ない…… の…… に……。んん?)

 抱(だ)き付かれて押し倒され、強引に迫(せま)られるかと思う緊張(きんちょう)で身構(みがま)えたけれど、彼の腕に力は込(こ)められなかった。

 でも、体勢(たいせい)がヤバイ!

(あーっ、そっ、そこは汚(きたな)くてーっ! じゃなくて、やめて! どいてよ!)

 起こして払い除(の)けようと彼の体に触れそうになった時、鼾が止まった彼の安らかで規則的(きそくてき)な寝息が聞こえて来て、彼を払(はら)い除(の)ける気持ちが薄(うす)らいでしまった。

(あっ、寝てるわ! 良かったぁ、昏睡じゃなかったぁ! きっと意識障害も無いわね!)

 時折(ときおり)、聞き取れないくらいの小さな声で寝言を言って、ちょっと可愛いかなと思ってしまう。

 何か、良い夢(ゆめ)を見ているみたい。

 そのまま彼を俯せに寝かせて、更に15分ほど過ぎた。

 さすがに、足が痺(しび)れて来て姿勢を変えようと、そっと膝をずらした時に、ビクンと彼の全身が震えると、突然、跳ねるように上体(じょうたい)を起こして飛び起きた。

「目が覚めたぁ?」

 事態を理解しようとしているかのように、彼の大きく見開かれた瞳は世話(せわ)しなく瞬(まばた)き、私の太腿(ふともも)を見ている。

 ワンピースの裾(すそ)が股間近くまでズリ上がって、曝(さら)け出た太腿の陽(ひ)に焼けた小麦色(こむぎいろ)の肌が恥(は)ずかしい。

(もう、どこ見てんのよ)

「わわわっ、ごめん」

 後退(あとずさ)りながら、見る見る紅(あか)くなって行く顔の彼は、私の機嫌(きげん)を損(そこ)なわないようにと、手を合わせ、頭を下げて謝(あやま)って来る。

(大袈裟(おおげさ)だなぁ。そんなに紅くならないでよ。私まで紅くなるじゃない)

「元気になったぁ?」

 私の気持ちの具合(ぐあい)を探(さぐ)るように見ている彼に、ワザと太腿と股間を隠(かく)しもせずに曝(さら)け出したまま、私は戯(おど)けて言う。

「あっ、ごっ、ごめん。汚(よご)してしまったぁ」

 落とした彼の目線の先に、私の太腿の付け根近くに着いた涎(よだれ)が有った。

 彼が、私に抱きついて眠っていた時に垂(た)れた涎だ。

 それを私は、別に汚いと思わない。

 自分でも、鼻の通りが悪くて口で息をして眠っていた、その起き掛けに、枕(まくら)が涎で思い掛けないほど広い範囲に濡(ぬ)れていてビックリしたり、濡れた枕カバーの冷たさと口周(くちまわ)りや頬のベタベタ感が不快(ふかい)に思ったりした事が有った。

 けれど、それは一過性(いっかせい)の気持ち悪さだ。

 彼自身を私は、全然不快(ふかい)じゃないと思っている。

 汚い、臭(くさ)い、喧(やかま)しいの不快感の三大源(さんだいみなもと)を彼は、持ってもいないし、放(はな)ってもいない。

 私は乾(かわ)いた砂を掬(すく)い取り、その砂で太腿に着いた涎を無造作(むぞうさ)に拭(ふ)き取った。

 それを彼は、じっと見ている。

「こんなの気にしないよ。それより、あなたを沈めちゃって、ごめんね。このまま意識が戻らなかったら、どうしようかと思っていたの。ああっ、本当に良かったわ!」

 詫(わ)びる言葉が口から出るけれど、私は悪怯(わるび)れていない。

 もっと沈んでいた時間が長ければ、急(いそ)いで駆(か)け付けていたはずだった。

 でも彼は直ぐに飛び出て来たから、私の経験上、そんなに問題は無いと思っていた。

 けれど、私は空を仰いで彼が無事(ぶじ)だった事を心から感謝した。

「もう、大丈夫だ。あれくらいじゃ、僕は、どうもならないさ」

 強(つよ)がる彼に、死にそうな顔で、よろけながら浜に辿(たど)り着き、吐瀉物(としゃぶつ)だらけの穴に頭を突っ込んで失神して、痙攣(けいれん)までしていたのを覚えていないのだろうか? と思う。

「ねぇ…… 座ってよ。何か、話ししょ!」

 付けた涎への私の怒(いか)りを怖(おそ)れて立ち上がり、いつでも逃げを決(き)めようとしていた彼に私は横に座るように促(うなが)した。

 七分丈(しちぶたけ)の半ズボンのような水着の裾(すそ)を座るように引っ張る私が、怒(おこ)りも、軽蔑(けいべつ)もしていないのを知ると、彼は、すっと真横に腰を降(お)ろした。

(紅くなって、逃げようとしたいたくせに、あははっ、遠慮無(えんりょな)しな奴(やつ)め……)

「さっき、不思議(ふしぎ)な体験をしたよ。でも、錯覚(さっかく)かもしれない」

 座るなり、彼は話し始めた。

 彼は、周囲の景色(けしき)を見回す。

「森の中が真っ暗(まっくら)で、道の先が見えないんだ。明千寺(みょうせんじ)の集落へ向かっているはずなのに、何も見えなくて、何処(どこ)を走っているのか、さっぱり分からないんだ」

 明千寺(みょうせんじ)に来る途中のトヤン高原で、何か怪(あや)しい事が有ったのだと直感した。

 トヤン高原は多くの果樹園(かじゅえん)が点在(てんざい)しているけれど、トヤン高原全体では真っ直ぐな幹(みき)で高い梢(こずえ)の木立(こだち)が密集した森が多く、あちらこちらに広がっている。

「……森ねぇ、そんな、深い森なんて在ったかな? この辺(へん)の山の木々は、杉(すぎ)じゃなくて、翌檜(あすなろ)が多いけどね。能登(のと)半島じゃ、アテの木って言うんだよ。一般的には翌檜よりも、ヒバって呼ばれているみたい。でも、ちょっと違う木なの」

 トヤン高原内の殆(ほとん)どの道路は片側1車線(いっしゃせん)だけど、路肩(ろかた)も整備されていて、海沿(うみぞ)いの集落が連(つら)なる幹線(かんせん)道路よりも広くて走り易(やす)い。

 そんなジレラ君を高速で走らせれる対向車(たいこうしゃ)が少なくて明るい道なのに、何処(どこ)に鬱蒼(うっそう)とした暗い場所が在ったのだろう?

「超常(ちょうじょう)現象(げんしょう)が起こる場所かも知れない。いや、きっと何かいる。そんな気がしたよ」

 彼の話し振(ぶ)りから、そんな気がしているのじゃなくて、何かを見たと察(さっ)した。

 腰を横に少しズラして、私は彼との間を詰め、肩を彼の二の腕(にのうで)に触れさせてあげる。

 それから、過去(かこ)の経験を思い出しながら、私は少し彼を脅(おど)かしてやった。

「ふう~ん、超常現象が起きそうな場所かぁ……。そうね。あそこには何か棲(す)んでいるのよ」

 一瞬、触れられた彼の肩に、ビクンと避けて離(はな)れるるような反射的な反応を感じて、顔を傾(かし)げて下から彼を除(のぞ)き見た。

 ギリッと口を結(むす)び、目を大きく開けて彼は私を見詰めていて、聞き耳を立て異常な音や不思議な気配(けはい)を探(さぐ)っているみたいに、彼の耳がピクピクと獣(けもの)のように向きを変え、少しだけ拡(ひろ)がるように動いた。

 彼の咽喉仏(のどぼとけ)が上下(じょうげ)に動き、ゴクリと唾(つば)を飲(の)み込むのがわかった。

「神隠(かみかく)しの噂(うわさ)も有るしね。滅多(めった)に体験する人はいないのに。特別なのね、あなたは。選(えら)ばれたのかもね」

 押し付けるように触れ続けている私の熱(あつ)い肌に、滑(なめ)らかな彼の肌が鮫肌(さめはだ)みたいなガサ付きに変わって、冷たくなって行くのが伝(つた)わって来た。

 ハッと気が付いて彼を良く見ると、肩も、腕も、背中も、一面に鳥肌(とりはだ)が立っている。

「もう止(や)め! 話したのが失敗だったわ。今の話は忘(わす)れてよ。……忘れなさい」

 彼は目を伏(ふ)せて、マジに恐(こわ)がっていた。

 顔が青褪(あおざ)めている。

(本当に、怯(おび)えるなんて……。脅かし過ぎたかも)

 能登半島を中心に北陸(ほくりく)地方には、縄文期(じょうもんき)の遺跡(いせき)が多い。

 発掘(はっくつ)された出土品の年代測定では1万年以上も昔の物も有ると、金沢市の埋蔵(まいぞう)文化財センターで教(おそ)わった。

 御里の在る明千寺地区でも、斧(おの)に使われたという磨(みが)いた石器(せっき)が見付かっている。

 土と木の縄文文化は、現在と全(まった)く違う知力(ちりょく)の社会で、能都町(のとまち)の真脇(まわき)遺跡の巨木柱(きょぼくちゅう)群も、近代感覚的な祭祀(さいし)に用(もち)いられたなんて曖昧(あいまい)な建築物ではなく、定住文化が6千年も続くくらいに、確固(かっこ)たる目的が有った建造物に違い無いと思っている。

 神代期(かみよき)以降、現在に至(いた)る文化とは異(こと)なる異質な感覚の安定した文明が有り、その欠片(かけら)みたいのが、今も此(こ)の辺(ぺん)を含(ふく)む能登半島全域に未発掘で残っているのかも知れない。

 スーパーナチュラル……、超常現象……。

 この辺(あた)りに普段(ふだん)は目に見えない、気付かない何かが棲んでいるのは確(たし)かだと思っている。


 つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る