第14話 急性虫垂炎とピンクと白いバラの花言葉(私 高校3年生)想いのままに・女子編

(勝(か)ったんだ⁉)

 彼の手に、大きな薔薇(ばら)の花束(はなたば)が握(にぎ)られている。

 可愛(かわい)いピンクの薔薇と真っ白(まっしろ)な無垢色(むくいろ)の薔薇の花束。

 暫(しば)らくして、彼はインフォメーションの人に頭を下げ、項垂(うなだ)れながら来た方向へ戻(もど)って行く。

 薔薇の花束は、インフォメーションのカウンターに置(お)かれていた。

 昨日(きのう)の彼からメールが届(とど)く以前の、午後の診療時間が終わる頃(ころ)に、今日の退院を知らされ、母(はは)へは、既(すで)に知らせたと担当医から聞かされた。

 それなのに、夕方(ゆうがた)にした彼のメールへの返信で、今日の退院は伝(つた)えてはいない。

 建前(たてまえ)は集中して試合に臨(のぞ)んで欲しい……。だから決勝戦で余計(よけい)な事を考えないように、ダメ押しの我が儘(わがまま)を言って、彼を励(はげ)ますけれど、退院は教(おし)えていない。

(勝って、薔薇を持って来て……。私を喜(よろこ)ばせてちょうだい!)

 『薔薇』の文字を打ち込(こ)んで、彼へ送信してから、ずっとそう願(ねが)っていたのに、現実はメールの願いが叶(かな)っても、私は直(す)ぐ其処(そこ)にいる彼から直接、薔薇の花束を受け取ろうとしていない。

 今……、ガタンと彼の方を向いて立ち上がり、絡(から)み合って立ち捲(ま)くるボサボサ髪を掻(か)き上げれば、彼は、彼を見る私に気が付いて、インフォメーションに預(あず)けた花束を返(かえ)して貰(もら)い、退院祝(いわ)いの言葉を添(そ)えて渡しに来てくれると思う。

 なのに、私は座(すわ)りを、更(さら)に深く沈(しず)ませて立とうとしない。

 自分の存在をアピールする事を何もせずに、ボサボサ髪に隠(かく)れた眼(め)で彼を盗(ぬす)み見る私は、彼に私の我が儘を圧(お)し付け、反応(はんのう)を試(ため)して弄(もてあそ)んでいるだけの惨(むご)い有り様のような気がして、自分の願いが偽物(にせもの)っぽく思えて来くる。

(ううん。彼に優勝して欲しい気持ちは、本物だったはず……)

 私に渡す花束をインフォメーションに預けて、寂(さび)しそうに彼が去(さ)って行くのを、ずっと横目(よこめ)で追い掛けていた。

(ワザと、退院のメールをしなかったの。ごめんね)

 入院中は寂しくて、あれほど彼に来て欲しいと望(のぞ)んでいたのに実際に来てくれた彼を見ると、顔を洗(あら)って歯を磨(みが)いただけの顔と姿を見られたくなくて、私は項垂れる可哀(かわい)そうな彼に声を掛(か)けない。

 髪はカサカサでボサボサ、何日も、お風呂(ふろ)に入っていないから、たぶん汗臭(あせくさ)いと思う。

 それに昨日の朝に身体(からだ)を拭(ふ)いてから、着た切りのダサいジャージ姿だ。

『何処(どこ)にいても、どんな時でも、君が見えて、君の声が聞こえる』と言った、その彼が気付かなかったほど、私は酷(ひど)い姿なのだろう。

 でもそれは、私の単(たん)なるコジ付けに過ぎない言い訳、本音は恥かしくて、向き合えても『おめでとう』と『ありがとう』しか言えなくて、後を紡(つむ)ぐ言葉を出せない私は上手(うま)く話せないと思う。

 話す言葉を楽(たの)しく繋(つな)げない私は、彼に不穏(ふおん)な詮索(せんさく)をさせて口を閉(と)じたままに昨日は別(わか)れたかも知れない。

 でもそれでは、私の意図(いと)と気持ちとは全(まった)く違って、正反対のメランコリーになってしまう。

 だから私は、彼に声を書けない……。

 それに彼の事だから、既に私が此処に居る事に気付いているけれど、私と同じ気持ちで、ワザと、素知(そし)らぬ振りをしているのかも知れない。

 彼を避(さ)けて逃げているのを自覚しながら、探した言い訳に言い訳を重(かさ)ねて自分に言い聞かせている。

 彼は、私の励(はげ)ましに応(こた)えて優勝してくれた。

 私の願い通りに薔薇の花束を持って見舞いに来てくれたのに……、私は、彼の花束を受け取る事や、彼の勝利を褒(ほ)める言葉と、薔薇の花束の御見舞いへの御礼(おれい)の言葉を、私に勇気(ゆうき)が無くて、行動する事も、言う事もできなかった。

(ヘタレは、私の方だ……)

 母が振り向いて私に、『清算が済(す)んだから行こう』と言うのと、メールの着信コールが鳴(な)るのと同時だった。

 --------------------

【退院、おめでとう】

 彼からの短い文面に、項垂れて歩く、彼の後ろ姿が浮かぶ。

【ありがとう。退院したの、伝えなくて、ごめん】

 武道館の弓道場で、彼を応援していた女子達の姿が思い出される。

(優勝したのなら、ファンのみんなに、お祝いされたんだろうな)

 弓の試合に勝ったみたいだったから、付け加えた。

【弓(ゆみ)、勝ったみたいね。そっちこそ、良かったじゃん】

 遠くのバス停で、バスを待つ彼を見ながら、母の車の助手席からメールを送った。

 直ぐに彼から、返信が来た。

【お見舞いの花は、インフォメーションの人に言付(ことづ)けました。明日、通院の時にでも、受け取って下さい】

(もう、受け取ったよ)

 彼が去った後、インフォメーションへ行き、名前を告(つ)げた。

 係りの人は、少し驚(おどろ)き気味(ぎみ)に、彼が去った方向と私を交互(こうご)に見てから、明るく言う。

「退院、おめでとうございます」

 笑顔で、花束を私に差(さ)し出した。

「あっ、ありがとうございました」

 とても、恥ずかしくなった。

 火照(ほて)っていた顔が、更に熱くなったのが分かる。

(今し方、彼が言付けた花束を、直ぐに、ボサボサ頭の女の子が受け取りに来るなんて、なんだか、ワザとらしいかな)

 薔薇は、34本も有った。

 ピンク色が17本、白色が17本、私達のそれぞれの歳(とし)の数だけ。

 開きかけた薔薇は綺麗(きれい)で、甘(あま)く心を騒(さわ)がす香(かお)りが漂(ただよ)い始めていた。

 彼のセンスと、薔薇の花が嬉(うれ)しい。

(気障(きざ)な事をする奴! って、頼(たの)んだのは私だ……)

 私は抱(かか)えていた花束に顔を埋(う)ずめた。

 そんな私を見て、母は運転しながら楽しそうに笑っている。

 インフォメーションから花束を受け取って来た私に、母は目を丸くして驚きながら、笑顔で言った。

「凄(すご)いじゃないの! そのバラ! 好(い)い匂(にお)いで素敵(すてき)ね。御見舞いの花でしょう?」

 私は、小さく頷(うなず)いて答える。

 何処(どこ)の誰(だれ)かも知らないインフォメーションの係りの人よりも、母やお姉(ねえ)ちゃんに、知られたり、見られたりする方が、何倍も恥ずかしい。

「良かったじゃない。 誰から? クラスの人が、持って来てくれたの?」

 今度は、顔を横に振(ふ)る。

 恥ずかしさのあまり、声が詰まってしまう。

「うふっ、それじゃあ、あの男の子は彼氏(かれし)なんだ?」

 『あの男の子』で、反射的に声が出た。

「んもう! 見てたんだ?」

 さっきの待合ロビーでの出来事(できごと)を、みんな見ていて知っていながら、母は私に訊いていた。

 母に見られていたのは、かなり恥ずかしいけれど、花束の嬉しさと薔薇の香りが、恥ずかしさを上書きしてしまう。

「そう、見てたわよ。声を掛けてあげれば、良かったのに」

 母は、恥ずかしさがデレになる私に、積極さが足りないような事を言っている。

 でも普通に仲良(なかよ)さ気(げ)な態度になれないのは、積極不足だけじゃない。

「だめよ。こんな見っとも無い姿で、声を掛けれるわけないでしょう」

 汚れて臭い身体と寝癖のボサボサ髪に、着た切りのダサいジャージも臭っていると思う。

「そうかしら、それも、可愛いと思ってくれるわよ」

 冗談か、本気か、分らない適当な事を言いながら隣で運転する母は、自分が花束を貰(もら)ったのじゃないのに、嬉しそうに笑っている。

 照れ臭いけど、嬉しそうな母の笑い声には叶(かな)わない。

「からかわないでよ。そんな、わけないじゃん!」

 こんな姿で、いくら彼につれなくする私でも、会えないし、見られたくない。

(臭いも、嗅(か)がれちゃうし……)

「御見舞いっていうよりも、愛の告白かな?」

 今、私が考えそうになった事を、母に笑いながら言われた。

「違うって。彼氏なんか、いないよ。彼は友達なの!」

 そう言い切る私を、母は見詰めている。、

「ふぅ~ん。彼は、友達ねぇ~」

 母は、私へ顔を近付けて来て、粘(ねば)っこい声で呟やいた。

「ちゃあんと、お友達に、御礼を言っておきなさいよぉ~」

 正直(しょうじき)、彼の活躍(かつやく)を見に行ったり、切なさと愛おしさで彼に抱きついたりしたけれど、付き合ってはいない。

 中学校からの同級生には、相思相愛(そうしそうあい)の仲(なか)だと思われているようだけど、それは全然違う。

「そうよ! 危(あぶ)ないから、ちゃんと前を見て運転してよね!」

 ちらちらと笑顔で私を見る母に、私は薔薇の香りの中から注意する。

 彼とは、これからどんな関係になって行くのか、数学の揃(そろ)わない未知数みたいで、未(いま)だに分かっていない。

 でも彼は、スマートフォンでメールを遣(や)り取りする、たった一人(ひとり)の大事なメル友で、私を守ってくれる大切な人だ。

【素敵(すてき)! 薔薇の花だね。嬉しい】

 一遍(いっぺん)に送ろうとしたメール文を私はワザと分けて、意味深(いみしん)な間を空けてから彼へ送る。

(分けた事で、私が彼に気付いていたのを、分かってくれるでしょう。ごめんね、声を掛けなくて。でも、それって、お互い様だよね)

【名前はたぶん、ファーストラブ。白いのは、スノードルフィンかな。綺麗で可愛くて、好い匂いだよ。ありがとう】

 顔を埋ずめた薔薇越(ご)しに、彼へメールを送った。

 私は、心から嬉しいと思っていた。

 入院中は1度だけ、クラス委員が連絡用紙を持って来て、在(あ)り来たりな軽い御愛想(おあいそ)を言いながら、私に渡すと5分も居ずに帰って行った。

 メッセンジャーとして来たわけで、見舞いは形式に過ぎない。

 クラス委員の御愛想は、連絡用紙の内容を知らせて、湿度(しつど)が高い梅雨時期(つゆじき)の天候や病院内の雰囲気(ふんいき)や臭いの不快感(ふかいかん)を語るだけで、クラスの様子を伝えたり、私の体調を心配するような、言葉は無かった。

 其の後は退院まで、『見舞い?』に来たクラスメイトは、クラス委員以外に一人もいなかった。

(まあ、今どき、盲腸のオペぐらいじゃ、誰も来ないか……)

 高校3年生になっても、相変(あいか)わらず、私に親しい友達はいない。

 クラスじゃ普通に会話するけれど、個人的な踏(ふ)み込んだ話題は避けている。

 そんな、上辺(うわべ)だけの言葉や態度が相手に分かるのだろう。

 ハミにはされていないけど、クラスメイト達は誰も、私と親しくしようとしない。

(親しくされると、気を遣(つか)ったりして、面倒(めんどう)臭(くさ)いから、別にいいけどね)

 同じ理由から、私は彼氏は作らない。

 愛想無しで冷(つめ)たい私の態度や物言(ものい)いを知らない男子が時々、近寄って来るけれど、いつものように私の丁重(ていちょう)なブリザードで凍(こお)らせて、御辞退(ごじたい)いしてただく。

 友達や彼氏はいない私だけど、スマートフォンのメル友はいて、メル友の彼とは毎朝のバスの中で、二人(ふたり)だけの無言のオフ会をしてる。

 今でも、中学校の時の同級生達はメル友の彼を、彼が描(えが)いたデッサン画やコーラス祭での私のスタンディングオベーションから、私の彼氏だと誤解(ごかい)して、学校の廊下で擦(す)れ違うと手を振り笑顔で、『彼氏、元気』と言って行く。

 私は笑わずに、少し困(こま)った顔で、『彼氏じゃないけど、元気だよ』と無言で答える。

 全く、適当な対応の挨拶返しだけど、全然根拠(こんきょ)が無い訳じゃなかった。

 これまで、彼から届いたメールに、『僕は、元気が無い』みたいな意味の文字が、書かれていた事は無いし、それと、毎朝の彼のようすから、元気が無いとは思えなかった。

(実際は、私の所為(せい)で、モチベーションがヘコんだり、メゲたりして、それなりに、元気が無いかもね。ダウンさせるのは、しょっちゅうだけど、アップさせるのは、稀(まれ)だから)

     *

 お腹の痛みは、晩御飯(ばんごはん)を食べてから御風呂に入り、その後に家族でテレビを観ていた時に来た。

 最初、お腹(なか)の中にニゴニゴとガスってるような感じがして、ちょっと、トイレに行こうかと思ったら、『ズッキン』と、お腹全体に、深くて鋭(するど)い痛(いた)みが走った。

(痛(つ)う! ……あれっ? なに、この痛み?)

 産(う)まれて初めて感じた、大きな痛み……。

 続いて、ズキズキと鋭く痛みが続き出して、次第(しだい)に右下腹部に痛みが集中して行った。

 便意(べんい)と軽い吐(は)き気を催(もよお)して、痛みに耐(た)えながらトイレへ来たけれど、鋭く刺(さ)し込んで来る痛みで、便座(べんざ)に座る事も、吐き気に便器へ突っ伏(つっぷ)す事もできずに、トイレの床に丸(まる)まるように蹲(うずくま)り、私は助けを求めて叫(さけ)んだ。

「いたぁーい! 助けてー!」

 直ぐに、お姉ちゃんと母が駆(か)け付けて来て、蹲(うずくま)る私の姿に、『どっ、どうしたの? どこが痛いの? お腹なの? 吐き気は? 熱は?』、矢継(やつ)ぎ早(ばや)に、私の状態を訊(き)いてくれる。

「お腹が痛い! 右の下あたり……」

 小さな悲鳴(ひめい)のような声で答えるのが、精一杯(せいいっぱい)だった。

『お父さんは来ないで! 来ちゃだめよ。お父さんは車を用意して。それと、今夜の当番医も調べてちょうだい』

 娘の痛がるようすと慌(あわ)ただしさに、父も心配の余り、私の傍(そば)に来ようとしたみたいだけど、母に止(と)められた。

(ありがとう、お母さん。……お父さん、ごめんね)

 今の私の姿を父に見られるのは、かなり恥ずかしい。だって、寝巻兼(けん)部屋着のスウェットのパンツと下着のショーツを膝下(ひざした)まで下げていて、私の下半身が、隠す布一(ひと)つ無いスッポンポンの丸見え状態だったから……。

 ちょっと笑(わら)えるところだけど、痛みで朦朧(もうろう)とする私は、笑顔になるどころじゃなかった。

(食中毒なの? 何か、変な物を食べたっけ? 買い食いもしていないし……。でも、お姉ちゃんも、お母さんも、お父さんも、何とも無いみたい……。だから、食中毒じゃないでしょう?)

 連続した激(はげ)しい痛みに、ぐっしょりと気持ちの悪い汗を掻(か)いて堪(た)える私は、悪寒(おかん)でガタガタと全身が震(ふる)えている。

(うう、痛いよぉ……、バス事故の日、彼も、こんな痛みに堪(た)えていたんだろうな……)

 痛みに堪える中、ふと、あの日の彼の痛みと、今の自分の痛みを比(くら)べてしまう。

 堪える痛みと不安で、彼は、顔面蒼白(そうはく)の酷い顔をしていた。

 きっと、今の私も、同じ酷い顔をしていると思う。

 こんな痛みに堪えて不安だった彼を、私の自分勝手に巻(ま)き込んで、更に不安と苦痛を与(あた)えてしまった……。

 お姉ちゃんが、私のショーツとパンツを元通(もとどお)りに直し、母が毛布で私を包み、父に御姫様(おひめさま)抱(だ)っこで車に乗せられて、病院へ連れて行かれた。

(こんなに辛(つら)くて酷い痛みは、ただの腹痛じゃない! 突然に発病した、何か大きな病気だったらどうしょう……)

 夜間救急指定の県立中央病院での診断(しんだん)は、想像していたような大きな病気ではなくて、虫垂炎(ちゅうすいえん)だった。

 なにか、原因が分からないんだけど、……炎症(えんしょう)で肥大(ひだい)して、破裂が切迫(せっぱく)した虫垂……。それは、盲腸の先端から紐虫(ひもむし)のようなのが垂れ下がっていて、そこに、未消化物が溜(た)まり詰まって、予兆(よちょう)も無く腐(くさ)って発酵(はっこう)、腐敗(ふはい)ガスで虫垂は膨(ふく)らみ、その腐敗と発熱は虫垂の内部壁全体を爛(ただ)れさせて、酷い炎症状態になってしまうらしい。

 膨張(ぼうちょう)し切った虫垂が破裂して腐敗物を飛び散らすと腹膜炎(ふくまくえん)に至(いた)り、今よりも、もっと辛(つら)い激痛と激しい嘔吐に絶え間(たえま)無く襲われるようになるそうだ。

 そんな、患部の突発的異常が、私を苦しめている激しい痛みの原因だった。

 その晩に腹部を切開して、患部を切断除去する緊急手術となり、局部麻酔(ますい)で行わた手術は、患部の腫れて膨らんだ盲腸を短時間で摘出し、翌朝に麻酔が切れて目覚めると、嘘のように鋭い痛みは消えていて、再(ふたた)び、苦しい思いをする事は無かった。

 切開した傷の痛みも殆(ほとん)ど感じ無くて、執刀医や病院の医療技術が凄いと感心してしまう。

 夕方には退院できると聞かされて、盲腸で入院した旨を彼に知らせるのは止めた。

 なのに、私は炎症と痛みで体力を奪(うば)われたのか、少しの鼻水と小さな咽喉(のど)の痛みだけだった、引き始めの夏風邪を拗らせて、40度もの高熱を出してしまった。

 因って、夕方の退院は取り止めになり、取り敢(あ)えず、1週間の延長入院で、様子を診てから退院させる事となった。

 発熱は四日間(よっかかん)続き、その間中、毎日、昼も夜も同じ夢を見た。

 新緑の多い見知らぬ街の木漏(こも)れ陽(び)の中を、爽(さわ)やかな微風(そよかぜ)に吹(ふ)かれながら、私も、彼も、楽しそうに手を繋(つな)いで歩いていて、互いの話しに笑い合っているという、不思議な夢を何度も見た。

 それに……、黄昏(たそがれ)に黄色く染(そ)まる金石(かないわ)の町の狭(せま)い路地(ろじ)やシロッコが吹き抜けて行くコモの街(まち)の湖の畔(ほとり)を二人で彷徨(さまよ)う、以前と同じ夢もよく見た。

 いつも目覚(めざ)めると、情景は良く覚(おぼ)えているのに、笑った事や話した内容は殆ど消え失(う)せて、僅(わず)かな断片しか思い出せない。

 もし、私が大変な病気になったら、彼は私の近くにいてくれるだろうか?

 ずっと、治療が必要で、とても長い入院になるような不治(ふじ)の病(やまい)でも、彼は私を好きでいてくれるのだろうか?

 そんな事ばかりを、熱に浮かされながら考えてしまう私は、彼に凄く会いと望んでいた。

 これ以上、入院が長引くようならば、翌朝にでも、彼に知らせようかと思った日の午後に、検査の数値は殆ど正常値で、良好な回復だと知らされて、翌日の退院が決まった。

 折(お)りしも、明日は全国高校学校対抗選手権大会、通称(つうしょう)インターハイへ出場させる石川県代表を選出する弓道大会の当日で、その試合に参加すると、彼からメールが来ていた。

     *

 私は彼に、結構(けっこう)ズケズケと好き勝手をメールで送っていて、彼も同じように私にメールを送って来るのに、リアルで私の真横に立つ彼は、今でも、私の言い付けを守り、二人っきりになる場面でも、話し掛けてきたことは無い。

 黙って立っているだけで、全然会話が無かった。

 初めての会話は、彼から声を掛けて来たくせに!

(面倒臭さそうだから…… 私も、彼に話し掛けないけれどね……)

 そんなオフの彼は、1ヶ月前のバス事故で、その身に怪我(けが)を負(お)ってまで、私の楯(たて)になって守ってくれた。

 そして今日は、私の入院していた病院まで見舞いに来てくれた。

(退院の日に、なっちゃたけれどね)

 メールに書かれていたとおり、本当に、わざわざ、薔薇の大きな花束を持って見舞いに来た。

(嬉しい……。本当に持って来てくれるとは、思っていなかったの……)

     *

 彼が花言葉を知っていて選んだのか、知らないけれど、ピンクの薔薇は、幾(いく)つか有る花言葉をくっつけて、『洗練された気品の清浄な輝(かがや)きが眩しく、温(あたた)かい心が癒しの安らぎを与えてくれる、真心溢れる淑(しと)やかな美少女』で、その美少女が私だと、自惚(うぬぼ)れた。

 白い薔薇は、差し詰め純潔? な彼で、『私を、心から尊敬して、必ず約束を守ります』、そして、無邪気に、『僕は、貴女(あなた)に相応(ふさわ)しい』と、しっかりアピールしているところなんて、彼にぴったりの花言葉だらけだ。

 花瓶に顔を近付けて、ピンクと白の薔薇を1本(いっぽん)ずつ、鼻に寄せて匂いを嗅いでみる。

 ローズ特有の貴(あて)やかな深くて甘い香りを、胸いっぱいに吸い込みながら、偶然にしても、互いに相応しい薔薇の花を選んだものだと、私は彼のセンスに感心した。

 活けられた薔薇は2色だからこそ、見る目に意識されて、添えられる白さに淡いピンクが、更に、初々(ういうい)しい愛しさで映(は)え、白さは淡いピンクによって、より純潔の清々(すがすが)しさを際立(きわだ)たせている。

 これからも、ずっと、彼は私を好きでいてくれるのだろうか? そして、彼を思うこの気持ちに、既に私は、彼を好きになっているのかも知れないと思う。


 つづく

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