第13話 寝癖のボサボサ頭で汚い私を見られたくない!(私 高校3年生)想いのままに・女子編

(へぇー、ほんとに、個人優勝(こじんゆうしょう)したんだ。彼、けっこうやるじゃん)

 朝食のトーストにバターを塗(ぬ)りながら、新聞の地域スポーツ欄(らん)に探(さが)していた昨日(きのう)の弓道(きゅうどう)大会の試合結果が載(の)っていて、それを私はマジマジと見ている。

 弓道大会の試合内容を記事にした欄の横に別枠(べつわく)で、団体戦を優勝(ゆうしょう)した高校の選手達の名前が記(しる)され、更(さら)に『個人1位、八射八中(はっしゃはっちゅう)』の全射命中の結果と彼の名前が有った。

(全射っていう事は、全弾命中したんだよね! 凄いじゃん!)

 私は朝刊(ちょうかん)から目を離(はな)して、昨日からテーブルに置(お)かれている焼きたての食パンが入れられた藤籠(ふじかご)の横の白い花瓶(かびん)を見る。

 朝起きて、ダイニングルームへ入った時には、卵(たまご)とベーコンが焼ける匂(にお)いとトーストの芳(こう)ばしい香(かお)りで一杯だったのに、テーブルへ着くと、朝の食卓の匂いが、花瓶の花の香りに圧倒(あっとう)されていた。

 花瓶に活(い)けられた小柄(こがら)な花たちは、淡(あわ)いピンクと白のキュートな薔薇(ばら)で、昨日(きのう)、彼が選(えら)んで病院まで届(とど)けに来ていた。

 届けられた時の彼の花束と同じように、ピンクを白で囲(かこ)むように活(い)けられた薔薇は、少ししっとりした厚みを感じさせる上品(じょうひん)な甘(あま)い香りを放(はな)ち、昨日もいっぱい嗅(か)いでいたのに、またうっとりしていまう。

 指先で白い薔薇を、チョン、チョンと小突(こづ)きながら思う。

(凄(すご)いねぇ! 全弾命中なんて、彼、遣(や)るじゃん! ……少しは、私のお蔭(かげ)も、入ってるのかな?)

「このバラ、彼氏からなんだって!」

 母が笑顔で振(ふ)り向いて、ちょうど食卓に着(つ)いた父とお姉ちゃんに言った。

「おかーさん。それ、昨日の晩御飯(ばんごはん)の時も言ったでしょう」

 『私がヒロイン、パート2』のフラグが立つ、母の言葉を、『もう、いいから』と、私は嗜(たしな)めるけれど、毎度の如(ごと)く効果は無い。

「あはっ、いいじゃない。こんなに綺麗(きれい)で、好(い)い匂いで香るんだから、萎(しお)れるまで愛(め)でてあげましょうよ。それに、ちゃんと花へ『綺麗だよ』って、声を掛けた方が長持ちするって話よ。楽しいツッコミもしてあげるから」

 お母さんが楽しんで、こんな言い方をする時は大抵(たいてい)、お姉ちゃんとお父さんもグルだ。

「長く咲(さ)いて欲(ほ)しいけど、ツッコミはしなくていーから」

『からかわないで』と訴(うった)える、17歳になる愛娘(まなむすめ)が非難する声を無視するかのように、お父さんがワザとらしく入って来る。

「へぇーっ、凄いな。おまえは可愛(かわい)く見えるからなぁ」

(ほーら、やっぱり、連(つる)んでる!)

 笑顔の母から渡されたトーストを齧(かじ)り掛けて言った父のセリフの後半は、言葉に裏(うら)が有りそう。

 前半は、昨夜(ゆうべ)と全(まった)く同じで、ちょっとがっかりだ。

(ザーとらしいし、捻(ひね)りも無いよ、お父さん! 新(あら)たに付け加えたセンテンスは、なによ! 外見(そとみ)が好(す)かれ易(やす)いだけって言ってるん? それって、私の心は……、内面は? 性格は? ……鬼っ気(おにっけ)、……夜叉(やしゃ)ぽいって意味なの?)

『ちょっとぉ、酷(ひど)いじゃん』と感じて、言い返そうと思ったけれど、もっと、私の性格にグサグサ来るツッコミを入れられそうで止(や)めた。

(……でも、なんか、悔(くや)しい!)

「やるねぇー。まだまだ、モテまくりじゃん」

 ニュアンスは、昨日と同じだけど、お姉ちゃんのセリフが増(ふ)えている。

 中学生の頃は時々、告(こく)られた時の返答や対処を、お姉ちゃんに相談していた。

 中学3年生でのコーラス祭以後、告られる事は滅多(めった)に無いけれど、稀(まれ)に事情を知らない男子から申し込まれていた。

 そして其(そ)の全(すべ)てを誠意(せいい)を込めて即答(そくとう)で、お断(ことわ)りをしている。

「やるねぇーって、そんな…… こと……」

 言い掛けた言葉を、小さく濁(にご)す。

(薔薇の花を指定して、花束を要求したのは、間違(まちが)い無く私だ……)

「なるほど、彼氏(かれし)さんか……? 父さんは、ちょっと、……寂(さび)しいかな」

 この、あからさまな、裏を読まれる言葉を言ったり、ボソッと、素直(すなお)な気持ちを吐露(とろ)したり、そんなお父さんのギャップが面白(おもしろ)くて好きだ。

 母が、手の甲を口に宛(あて)がって笑(わら)い、お姉ちゃんは頷(うなず)いている。

「んもぉー、だーから、違うっていうの! ただの……友達よ!」

 言い返した言葉はツンデレて、遅(おそ)いデビューだけど反抗期感をモロ出しでグレて遣(や)りたい。

「それは、ボーイフレンドだよね? そのカフェオレのように、ミルキーで、スイートなんでしょう?」

 更なる、お姉ちゃんのツッコミに、今晩もからかわれたら、『プチ家出して遣るから』と思う。

「カフェオレでも、いいじゃん! カフェオレが、好きなの! 私が飲むコーヒーは、カフェオレなの! でもこれは、カフェオレなんかじゃないから!」

(彼とは、ミルキーでも、スイートでもないよ……)

 続ける言葉は、声に出さずに仕舞(しま)う。

 大声じゃないけど、強く言い返したから、母も父も姉も、ぎょっとして私を見る。

 照(て)れ隠(かく)しのつもりだったのに、怒(おこ)ったと思われたかも知れない……。

「ごめん、ごめん。冗談(じょうだん)だから、そんなに、ムキになんないでよ。確(たし)かに、決め付けは良くないわね。あたしも、コーヒー通や焼肉通、それと、ラーメン通の友達の拘(こだわ)りには、うんざりだからね」

 姉の言葉に、母と父が頷く。

 カップを口へ運びながら、私も語気(ごき)を強めたのを謝(あやま)る意味で、頭を下(さ)げた。

「まあ、でも、あんたの性格からビターに接(せっ)してそうだから……。優(やさ)しくしてあげなさいよ」

(流石(さすが)、お姉ちゃん、良く私を理解(りかい)してらっしゃる。そう、あいつにとって、私は苦(にが)い女子だと思う。私の爪を四角いと言ってくれたり、騙(だま)して私に近付こうとしたりして、小賢(こざか)しい男子だったから、冷たくしてフって遣ったんだ。……だけど、だけど、彼は、私を護(まも)ってくれたの! 学校での思い出は、彼の事ばかり……、なのに、私は、ちっとも優しくなれなくて………)

「ううっ……」

 的確(てきかく)に、歪(ゆが)んだ性格の悪さと天邪鬼(あまのじゃく)のような態度(たいど)を指摘(してき)する姉の言葉に、たじろぐ私は何も言い返せず、口に含(ふく)んだカフェオレを飲み、焦(こ)がれるバターの匂いが芳(こう)ばしいトーストを咥(くわ)え、急(いそ)ぎ学校へと家を出た。

     *

 昨日、病院で彼を見た。

 中央病院の会計窓口で、母が入院費の清算(せいさん)をしている間、私は待合室の隅(すみ)に座って待っていた。

 母は来るのが遅くて、私も、病室で片付(かたづ)けもせずにのんびりしていたから、夕方(ゆうがた)近くの退院になってしまった。

 1週間前の夜、急性虫垂炎(ちゅうすいえん)の緊急(きんきゅう)手術で入院した。

 一(いち)、二日(ふつか)の入院で済(す)むはずだったのに、拗(こじ)らせた夏風邪(なつかぜ)が病院での滞在(たいざい)を長くさせた。

 待合室のベンチに、深く沈(しず)み込(こ)んで座り続ける私の近くを、青紫(あおむらさき)の地(じ)に白い花を細(こま)かく散(ち)らした古風な柄(がら)の布(ぬの)で包(つつ)んだ細(ほそ)くて長い物を持った人が通り、私の視線が追い駆(か)ける。

 その手に握(にぎ)られた細く長い物は、波打つような不思議(ふしぎ)な形に反(そ)り曲っていて、直感的に、布に包(くる)まれた中身が弓だと悟(さと)らせた。

 そして、乱(みだ)れた髪に隠れた目で追い掛けていたその人は、彼だと知った。

(……約束どおり、彼は、来てくれた……)

 彼は、右手に水色(みずいろ)の矢筒(やづつ)を結(むす)んだ弓を持ち、スポーツバックを袈裟(けさ)がけに背負(せお)っていた。

 矢筒を留(と)める薄紫色(うすむらさきいろ)の紐(ひも)と弓を包む布、それは、たぶん、弓袋(ゆみぶくろ)とでもいうのだろうか……?

 いや、違う。

 袋ではなくて、布が巻き付けてあった。

 その、布の巻きが緩(ゆる)まないように縛(しば)る浅葱色(あさぎいろ)の紐が、水引(みずひき)を結ぶように優雅(ゆうが)に結(ゆ)われているのが綺麗で、どうやって結ぶのか考えてしまう。

 彼は真っ直(まっす)ぐインフォメーションへ向かい、係(かか)りの人に何か尋(たず)ねている。

 待合ベンチに座る私には、全然気付いていない。

 直(なお)らない寝癖で、ボサボサの頭にヘッドホンをして、いつものオールディーを聴(き)きながらベンチに深く腰掛ける私は、気付かれて彼に声を掛けられても構(かま)わないと思っていた。

 中学2年生での朝の挨拶(あいさつ)の一言以来、4年振(ぶ)りの言葉を交(か)わしたバス事故の後(のち)も、話す機会は無かったけれど、今日を切っ掛けに、彼と話すようになっても良いと覚悟を決めた。

 私は、インフォメーションで彼が何を尋ねているのか、解っている。

(きっと、私が入院していた病室を、訊(き)いているんだ……)

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 病院のインフォメーションにいる彼を見て、1ヶ月前のバス事故を思い出す。

 それだけで、顔が火照(ほて)り、紅潮(こうちょう)して行くのが分った。

 バス事故の当日、いくら彼が楯(たて)になって私を護(まも)ってくれたとは言え、感謝するにしても、普段の私では有り得ない行動と言動をとっていた。

 私から積極的に話して、私の為に痛めた彼の身体(からだ)を、とても私は心配していた……。

 救急車の中では、心配の余(あま)り、背中や脇腹を痛めている彼に抱(だ)き着いてしまった。

 病院では、彼をストレッチャーへ寝かせて、検査に連(つ)れ廻(まわ)っていた。

 逃避行(とうひこう)の途中の、せせらぎの小径(こみち)では、彼の服を捲(めく)ってズボンとトランクスを下げ、背中の傷の治療をしたし、21世紀美術館の近くまでは肩を貸(か)して、彼を抱きかかえるように支(ささ)えて歩いたりもした。

 あの日、あの時、本当に、私は心の底から彼に感謝していたし、真剣(しんけん)に、彼の身体(からだ)を心配していた。そして何よりも、彼に助けられた事が凄く嬉(うれ)しかった。

(だから、それくらいは、身を挺(てい)して私を護ってくれた彼に対する、ふつうの一般的で、素直な感謝の言葉と態度じゃないのぉ? 恥かしい事じゃないし、テレる事でもないじゃん)

 それに私が、彼の傷を治療する湿布(しっぷ)や薬を買って来ていたし、飲食代も私が支払ったし、タクシー代も、足(た)りなかったら困(こま)るだろうと思い、多めに渡したいる。

(いやいや、そのくらいの支払いも、ふつうに、助けられた私が持つに決まってるでしょう。全然、当たり前の感謝の気持ちよ! 彼に貸したわけじゃない!)

 広く逞(たくま)しい胸に、傷が腫(は)れて熱く火照(ほて)っている背中、肩に掛かる彼の重み、よろけそうになる度(たび)に、痛いくらいに私の腕(うで)を握(にぎ)る彼の力は、今もまだ、手や肩や腕に感触が残っていて、彼の匂いも思い出せる。

 入院中は、それらを良く思い返して考えた。

 どうして私は拒絶していた彼に、あれほど積極的に行動できたのかと、私と彼の言葉や態度や表情を思い出すと、恥ずかしくなる。

 特に、場面場面の私の表情を想像するだけで、耳の後が熱くなってしまう。

 本当は、どこかで寂しくて、私は彼と仲良くしたがっていたのかも知れない。

 いつ頃からだろう?

 素っ気(そっけ)無く返信していたメールは、今では私の負(ふ)の部分と甘えを曝(さら)け出している。

 唯(ただ)、私は声にしたくない気分や気持ちの言葉を、ツンデレの文字に変換して、彼にぶつけているのかも知れない……。

 あの日は、どう考えても、私は、彼にロジックじゃなかった。

 救急車へ運ばれる彼の瞳(ひとみ)は、切(せつ)なく愛(いと)しげに私を見詰めていた。

 見詰められていたのに、私が気付くと、眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せて痛みに耐えながらも、笑うように目が細めていた。

 その無理に作ろうとする笑顔が、何処(どこ)か寂しそうに見え、急に胸が締め付けられたみたいに切なくなる気持ちに、私は居た堪(たま)れなくなった。

 そして彼に護られた嬉しさに覆(おお)い被(かぶ)さったった寂しさの切ない悲(かな)しみは、私を衝動(しょうどう)的に彼の方へ走らせた。

「……いっしょに、行かなくちゃ!」

 衝動が切なさを、小さな呟(つぶや)きにさせた。

 胸がドキドキして、凄く息苦しい。

(……傍(そば)に、彼が、居て欲しい……)

 私の意識の深いところから、直感的な意志が湧(わ)き上がり、思いも、考えもさせずに、私を衝(つ)き動かした。

(……彼の、傍にいたい!)

 詰まる胸の息苦しさに衝(つ)き動かされて、細く吐くような小さな声の呟きが出た。

「彼が、愛(いと)しい……!」

 バンッ! 気が付くと、私は、腕を救急車のサイドドアに叩(たた)き付けていた。

 自分のバックと彼の鞄(かばん)を脇(わき)に抱え、閉(と)じようと滑(すべ)り動き掛けた救急車のサイドドアを空(あ)いていた手を叩き付けて、止めていた。

「乗せて下さい。私も、彼といっしょに行きます」

 --------------------

 昨日の夕方に、彼から、御見舞いへ行くメールが来ていた。

【明日は、試合で勝ったら、見舞いに行きたい。行ってもいいかな? ショートケーキか、花を、お見舞いに持って行くよ】

(試合に勝てば、見舞いに来るんだ……)

 三日(みっか)前には、今日が、インターハイに出場する石川県代表チームと、個人戦代表を選出する試合の日だと知らされていた。

 そのメールに続いて、『応援に来て欲しい』と、彼から切に御願いをされる着信が続いていた。

【是非(ぜひ)、君に、応援して欲しい。試合会場の弓道場へ応援に来て来てくれますか? 君の応援が欲しいです。御願いします。励ましてくれますか?】

 今日の試合で3年生は部活を引退するから、勝ち残って代表に選出されない限り、彼の最後の試合になってしまう。

 拗らせた夏風邪は、治(なお)り掛けで微熱(びねつ)と咳(せき)が少し出るくらいだったから、私は彼の応援に間に合うように退院したいと望(のぞ)んでいた。

 なのに院内感染と合併症(がっぺいしょう)を心配した若い担当医が、大事を取って退院日を彼の試合当日の今日にしてしまった。

 既に退院していれば、彼に黙って私は弓道の試合を見に行き、彼にエールを送って応援するサプライズを考えていたのに、残念だ。

【ごめんね。県立中央病院にいるんだ。盲腸(もうちょう)で、入院したんだけど、夏風邪を拗(こじ)らせて、入院が長引いているの。だから、応援に試合会場へ行けないの。なのでぇ……今、励ますよ。がんばって優勝しなさい!】

 サプライズが出来ない私は、まだ入院している旨(むね)を伝え、試合場へ行けない分をプラスさせて、命令調に強く応援の言葉を送ってあげた。

 彼なら、私の応援が有れば、必ず勝てると思う。だから、彼の集中力を殺(そ)がないように今日の退院を教えない。

 それに病院のベッドに寝ている私を、見られたくなかった。

 なのに、それでも、私は、彼の優しさに触(ふ)れたい……。

【いいよ。来ても……、花がいいな。可愛い薔薇の花。タルトは、魅力的だけどいらないよ。太(ふと)るからね。薔薇が好(い)いの! だから試合に勝ちなさい! これは命令よ!】

 人恋(ひとこい)しさと寂しさに、彼へ我(わ)が儘(まま)を打った。


 つづく

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