第12話 我が儘な私を恨んでも、感謝はしないでよ(私 高校3年生)想いのままに・女子編
「あっ、ありがとう」
白いカフェの会計を済(す)ませてエントランスへ出ると、彼は痛(いた)む脇腹を摩(さす)りながら、申し訳無さそうに感謝の言葉を言ってきた。
「さっきも言ったでしょう。あなたは私に感謝する必要は無いわ。感謝するのは私の方なの。私の言うう通りに、私の都合(つごう)に合わせてくれているのに、『ありがとう』は、私があなたに言うべき言葉なのよ」
納得させるように彼の両肩へ手を掛けて、『あなたは私を助けたの。それを胸(むね)を張(は)って私に誇(ほこ)りなさいよ』という意味を込めて少し前後に揺(ゆ)らしたら、不意(ふい)に彼の膝(ひざ)が崩(くず)れてよろよろとガラス張りの外壁に凭(もた)れて仕舞(しま)った。
「だっ、大丈夫(だいじょうぶ)? 痛むの?」
(ここまでね。もう彼を寝(ね)かして休ませないといけないわ)
俯(うつむ)き気味(ぎみ)の彼の顔を覗(のぞ)き込むように具合(ぐあい)を訊(き)くと、彼は微笑(ほほえ)みを浮(う)かべた顔を上げて言った
「大丈夫だよ。時々ズキンと来るだけで、大(たい)した痛みじゃない。それよりもレスキュー隊や救急車の人や医者と看護師さん、それに救助の人達に、『ありがとう』を言うのを忘(わす)れていた」
私は無意識に、事故に巻(ま)き込まれた私達に責任は無くて、助けられて治療(ちりょう)を保障(ほしょう)されるのが当たり前だと思っていた。
消防署や病院は、それが日常の仕事で、その為(ため)の資格を持ったプロの人達によって事務的に行われるだけだと思っていた。
テレビのニュースや報道番組で映(うつ)し出される画面を見て、大変な仕事だと思いはしても『ありがたい』とは感じていなかった。
でも、職業上の責任やプロ意識だけじゃできない。
必(かなら)ず救い出そうとする思いや、どうか助かって欲(ほ)しいと、願(ねが)う気持ちが有るはずだ。
その思いが有るからこそ、迅速(じんそく)で丁寧(ていねい)な作業や処置(しょち)になり、誠実(せいじつ)で優(やさ)しい思い遣(や)りの有る言葉と態度に表(あらわ)れるのでしょう。
救助を手伝った、通り掛かりの人や近くの家の人達もそうだ。
無意識的な無償(むしょう)の純粋(じゅんすい)に誠実な思い遣りだけの行動だったのだろう。
彼の一言(ひとこと)は、その事を私に気付かせて教えてくれた。
(病院から逃(に)げて、不味(まず)かったかな?)
痛みを堪(た)える彼の表情に少し後悔(こうかい)したけれど、私を見返(みかえ)した彼の顔が明るく笑ってくれて、私を安心させてくれた。
彼の胸ポケットから、小さくてスリムなミュージックプレーヤーを取り出して彼に握(にぎ)らせた。
プレーヤーに繋(つな)がるイヤホンも、彼の両耳に付けてあげた。
そしてフロアーで黙(だま)って私の為(な)すがままにされる彼に、言ってあげる。
「演出(えんしゅつ)よ」
私の考えを伝(つた)えた。
それから私もバックからヘッドホンを取り出して耳に当てた。
「ここからは、別行動よ。湿布(しっぷ)で冷(ひ)やしても、歩くと痛いでしょうけど、怪(あや)しまれないように、音楽を聴きながら、できるだけ、普通に歩いてね」
館内の案内板を見て、彼に広坂通りへの北出口を促(うなが)して歩かせる。
後姿(うしろすがた)を見る限り、彼は普通に歩けているように見えて少し安心すると、私はスマートフォンのメディアプレーヤー機能のパネルをスクロール選曲してプレイ記号のアイコンに触(ふ)れながら、市役所方向の西出口へ向かう。
私は少し離(はな)れて向かい側の郷土資料館前から、彼は市役所前から別々のタクシーで家に帰る。
彼がタクシーに乗り込むのを、横断歩道の信号が青に変わるのを待ちながら見ていた。
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持(も)ち合わせが無い彼のタクシー代は、21世紀美術館内の広いホールで渡してあげた。
「これは、帰りのタクシー代ね。返さなくてもいいよ」
そう言って私は紙幣(しへい)を3枚、受け取るまいと体を反(そ)らす彼の学生服のポケットに無理矢理(むりやり)押し込んだ。
「タクシーじゃなくていいよ……。バスに乗るから。……だから、このお金は、受け取れない」
ポケットから取り出した金額を見て、困(こま)った顔をした彼が言う。
「タクシーに決まってるでしょう。そんだけ有れば、充分(じゅうぶん)でしょ。お釣(つ)りはいらないわ」
笑顔の私は、懇切(こんせつ)丁寧(ていねい)にタクシー代の受け取りを拒(こば)む彼を説得(せっとく)してあげる。
「タクシーも、バスと同じだろ? タクシーだと運転手とマンツーマンだから、話し掛けて来ると思うし……」
(ムカッ! 何をごちゃごちゃとぉ~。もぉ、何でもいいから、私の言う事を聞けっちゅうねん!)
「全然(ぜんぜん)違(ちが)うわよ!」
しつこく拒否(きょひ)ろうとする彼に、私は強く返金を拒絶(きょぜつ)しながら、タクシーに乗る場所、タクシーの中での態度、タクシーを降りる場所などを細(こま)かく指示して受け取らせた。
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彼の乗ったタクシーは、横断歩道を渡る私の横をUターンして行く。
タクシーの中から彼が、笑わない顔で私を見続けていた。
あんなに体を捻(ひね)って後ろを向き、私を見ている。
(そんなに後ろを見ていたら、痛いでしょう……、痣(あざ)が酷(ひど)くなるよ)
タクシーが視界から走り去るまで、広坂通りの用水の傍(かたわ)らに立ち尽(つ)くし、私の瞳(ひとみ)は彼を追い続けた。
(そんな顔で、私を見詰めないでよ……)
普通にしゃべれたのは、私だった。
(あなたに言ったように聞こえたのは、勇気(ゆうき)も根性(こんじょう)も無い私への励(はげ)ましだったの)
彼が何の躊躇(ためら)いも無く普通に話し掛けて来たら、たぶん私は拒絶してしまう。
酷い言葉を連(つら)ねて、彼を2度と私に近寄(ちかよ)れなくしている。
(今のままの、はにかむ、あなたでいいの)
傍を流れる辰巳(たつみ)用水のせせらぎが、私を正直にさせた。
(ねぇ、私はこんな女の子なのよ。こんな私の何処(どこ)がいいの?)
*
【大丈夫? 痛みはどう? 腫(は)れは引いた? 熱は有るの?学校へは、もう行ってんの?】
彼が心配で、メールを送るけれど、返事は来ない。
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彼とぶつかった額(ひたい)には、掠(かす)り傷(きず)一(ひと)つ無かった。
脱衣場でも、風呂場でも、背中を含(ふく)めて身体(からだ)のあちこちを鏡(かがみ)に映(うつ)して見ても、何処にも傷や赤みや痣は無くて、シャワーを浴(あ)びたり、湯船(ゆぶね)に浸(つか)かってみても、ヒリつきや痛む感じは無い。
今日の事故の痕跡(こんせき)を、何処かに探(さが)すとすれば、私の意に反(はん)して、蹴(け)りでベンチを粉砕(ふんさい)した靴先に潰(つぶ)した杉苔(すぎごけ)が残っているくらいだろう。
(ありがとう)
それくらい、私は彼に護(まも)られていたと改(あらた)めて感謝した。
流石(さすが)に、もう逃げて避けている訳には行かない。
昼間は対面的に『彼』と、他人行儀(たにんぎょうぎ)に呼(よ)んでいたけれど、直接の呼び掛けは、『あんた』から『あなた』に変わっている。
私を自(みずか)らの身体で護ってくれた男性……、男の人……、異性を『あいつ』と、中性的な異物(いぶつ)意識する事は、もうできない。
いつかは起(お)こるかも知れないだろう程度(ていど)の今日の事故の為に、彼は毎朝のバスの中で私の横にいてくれた。
これからは逃げる事も、避ける事も、気付かない事にも、無かった事にも、無視する事もをせずに、彼を意識して、彼を見て、彼を感じて、しっかりと彼を判断しなくてはならないと思う。
(彼の良い点や好きなところは、一つでも有ったっけ?)
私は鏡を見て、逃げようとしていない内なる私に訊く。
(少なくとも~、一つ以上は、有ったよ)
凄(すご)く嫌(きら)いなところは?
絶対に許(ゆる)せないところは?
殴りたいくらい、気に障(さわ)るところは?
今度は、避ける要因を探す。
「四角(しかく)い爪(つめ)と言った……。名無しの告白メール……。錯覚(さっかく)かも知れない唇(くちびる)の残るキスの感触……。ちょくちょく見る彼の夢……。でも、もういいや。嫌な事なのかも分からなくなって来ているし、まだ、気付かない厭(いや)なところが、まだ、有るかも知れないけど、今は他に無いよ」
鏡の中の口が、そう動いて自分の独(ひと)り言(げん)が風呂場に篭(こも)るように木霊(こだま)した。
(確(たし)かに彼は恩人(おんじん)で、とても感謝しているけれど、胸がときめいて恋焦(こいこ)がれる程の恋愛対象になるかは、別の感情でしょう)
案(あん)の定(じょう)、夕方のニュースからバス事故で怪我(けが)をしながら、治療を受けずに失踪(しっそう)している高校生らしい男女二人(ふたり)の行方(ゆくえ)が話題になっていた。
翌日は、同じバスに乗り合わせた近所の人が、私もいたとか、見たとか、心配して来るし、それに、ちゃんと病欠(びょうけつ)の連絡を学校へ入れたのに、事故を知った先生が欠席をバス事故の所為(せい)かと怪しんで家に確認していたから、仮病(けびょう)エスケープがバレて、家族に身体の無事を心配され、何処へ行っていたのかと、問(と)い質(ただ)されっぱなしだった。
けれど、早く来た別のバスに乗り、市内をぶらついていたと終始(しゅうし)惚(とぼ)け通した。
何より私には傷一つ無いのだから、誰(だれ)も、それ以上の疑(うたが)いようも、詮索(せんさく)しようも無かった。
念(ねん)の為にチェックしたインターネットには、バス事故の様子(ようす)をスマートフォンのカメラで撮(と)ったと思われる動画が、いくつかのサイトにアップされていたけれど、いずれも遠巻(とおま)きで撮影していたみたいで、映(うつ)っていた彼と私は、ズーム画面でも個人を特定できるほどの画質では無くて安心できた。
*
予想通り事故から1週間ほど経(た)つと、バスの事故など起きていなかったかのように、テレビや新聞やみんなの話題から、あっさりと出なくなった。
まるで、無理に忘れ去(さ)せるようにしているみたいだ。
【心配させてごめん。もう、痛みは無くなったよ。痣も薄(うす)くなっている。君が治療してくれた御蔭(おかげ)だ。ありがとうございます。あれから、少し熱が出て、あの日プラス三日間(みっかかん)も休んでしまったけれど、。明日(あした)からは学校へ行けそうだよ。それから当面、通学のバスは、笠舞(かさまい)町の幹線道路を通る路線にするよ。そして、2週間くらい過ぎたら、そっちの路線へ戻るよ。君こそ、本当に大丈夫なのか?】
バス事故から三日目(みっかめ)、何度もメールしても、返事がなかった彼から漸(ようや)くメールが来た。
(私こそ、ありがとう。あなたが、私を護ってくれたの。あなたの御蔭で、傷一つ負わなかったわ。それに、楽しかったよ)
やっと気持が落ち着いて、私は心から彼に感謝した。
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事故から二日目(ふつかめ)の昨日(きのう)、下校帰りに二つ手前の停留所でバスを降り、一気に駆(か)け降りれば、上昇気流に乗って飛べそうな気がする急(きゅう)な石段を、1段、1段、恐(おそ)る恐る弔辞(ちょうじ)の不吉(ふきつ)な気配がしないかと、気持ちを構(かま)えながら下(くだ)り切り、中学校の卒業アルバムの名簿(めいぼ)で調べた彼の住所の前に立って、普通じゃない変化が無いかと、暫(しばら)く彼の家の様子を見ていた。
暫く経っても、私が立っている生活道路と下(お)りて来た階段に行き交(か)う人も無く、近付く初夏(しょか)の暖(あたた)かな陽射(ひざ)し受ける入母屋作(いりもやづく)りの彼の家は、静かに佇(たたず)み、磨(す)りガラスの窓や格子戸(こうしど)の玄関(げんかん)から中の様子を伺(うかが)い知れなかった。
少し時間を潰してから再(ふたた)び様子を見に来ようと思い、生活道路をそのまま進むと、幹線道路沿いに在(あ)る古いショッピングセンターの脇(わき)に出た。
幹線道路が通る方角と彼の家との距離を考えると、彼が私の言い付けを守っていたならば、ここでタクシーを降りたのだろうと想像ができて、私が無理やり連れ回したのと、今来た道を痛みに堪えて家まで帰った挙句(あげく)、音信不通になってしまったのは、私の所為だと思った。
勝手な心配から神経を使う寄り道をしてしまい、小腹(こはら)を空(す)かせてしまった私は、ショッピングセンター内の麺房(めんぼう)のテナントでオニギリを二つ食べ、それから本屋で立ち読みをして、ベーカリーでも菓子パンを買う。
更(さら)にカップのアイスクリームをマーケットで買って、屋上の駐車場で彼の家の方を眺(なが)めながら食べた。
帰りも、彼の家の前を様子を伺(うかが)いながら通り過ぎてみるけれど、彼の家は相変(あいか)わらず人通りの少ない住宅街と共に、何の喧騒(けんそう)も無く、静かに落ち着いている。
それでも、もしも、もしかしてと、安心しきれていない私は、三日目の明日(あした)もメールが来なければ、明後日(あさって)には彼の家へ行って、彼と会おうと決めていた。
だから、彼から連絡が届(とど)いて本当に良かったと思う。
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【私は、大丈夫よ。あの日以外には、学校を休んでいないから。……私を護ってくれて、本当にありがとう】
一字(いちじ)一字、確(たし)かめながら、ゆっくりとスマートフォンのキーを押す。
バスの中で私の前に立っていた彼、救急車へ運ばれながら私を見ていた彼、救急車の中で胸にしがみつく私を見る彼の瞳、私の我が儘(わがまま)を押し付けられて頷(うなず)く彼の笑顔、ストレッチャーに横たわり私に運ばれるままの彼、圧力痕(あつりょくこん)の痣で斑模様(まだらもよう)の彼の背中。
そして、ベンチを破壊した私に驚(おどろ)く彼、私のさり気無い言葉にいじける彼、タクシーの中で痛い体を捩って私を見続ける彼、そんな彼の姿が次々と浮かんできて、スマートフォンの画面に表れる滲(にじ)んだ文字に重(かさ)なった。
真摯(しんし)な感謝の気持ちでアイコンキーを打ち込んでいるのに、思い出す彼の顔はどれも面白くて、いつしか私は泣(な)き笑っていた。
【それと、全(すべ)ての支払いを私にさせた事を、あなたは、随分(ずいぶん)と負(お)い目に感じて、悩んでいたみたいけれど、それは、全然違うから。あの日、あなたのメジャーでヒーローになれるチャンスと最適(さいてき)な治療を、私の身勝手(みがって)が奪(うば)ったのよ。だから、全(まった)く、割に合わない代償(だいしょう)で申し訳なくて、あなたには、悪い事をしたと思っているの。……私を恨(うら)んでも、感謝しないで】
後半は、互いの人生を違えた向きへ分岐(ぶんき)させた思いと反省(はんせい)で、泣き笑いが固(かた)まったまま送信してしまう。、
(これで、良かったのだろうか? でも、これまで通り、私の近くに彼がいて欲しい……)
直ぐに彼は、メールを返して来た。
【それでも、君を護れて僕は嬉(うれ)しいです。だからこそ、僕に護らせてくれた、君へ感謝します】
(感謝しないでって、打ったのに……。バカ……)
ラジカルなメールの文字を滲ませる落ちた涙が、発光する画面の光に照(て)らされて、仄(ほの)かに輝(かがや)いて見えた。
(ほんとうに、ありがとう。……バカは、もっと、素直になれない私の方だ……)
あらゆる意味で、私は彼に救われて来た。
今も救われているし、これからも、きっと彼は、その身を犠牲(ぎせい)にしてまでも、必ず私を救い続けてくれると思う。
つづく
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