第6話 弓を引き絞る左手の人差し指の爪と拘泥(私 高校2年生)想いのままに・女子編

 石川県立武道館(いしかわけんりつぶどうかん)、来たのは初(はじ)めてだ。

 今日はここで弓道(きゅうどう)の試合がある。

【次の日曜は、石川県高等学校新人大会です。弓道部の部長になって初(はじ)めての試合だから、暇(ひま)があっても、無くても1度、弓道の試合を見ようかなって気になったら来て下さい。必(かなら)ず、団体戦と個人戦の決勝まで、勝(か)ち残(のこ)るから】

 週初めに届(とど)いたメールには、そう書かれていた。

(必ず、団体と個人の決勝戦まで、勝ち残るからだってぇ……、うぉーっ、えらい自信じゃん!)

 そこまで言い切る自信が有るならと、秋風に冬の気配(けはい)が匂(にお)う中、これといった先約の用事も無いので観(み)に来て遣(や)った。

 武道館は学校から徒歩10分ほどの近さに在(あ)って、下校時の寄(よ)り道なら別に苦(く)にならないけれど、日曜で休日の今日は、態々(わざわざ)、登校の通学路と殆(ほとん)ど同じコースを来るのが億劫(おっくう)だった。

 故(ゆえ)に、此処(ここ)にいるのは厭々(いやいや)だ。

 来て遣ったけれど、あいつに見付(みつ)けられるのは、言う事を聞(き)いているみたいで癪(しゃく)だから、観戦ギャラリーへ紛(まぎ)れ込み易(やす)く、そして、ファッションセンスに悩(なや)む煩(わずら)わしさの無い、学校指定の制服を着て来ている。

 気乗(きの)りしていないはずなのに、私は個人の決勝戦が気になっていた。

(あのヘタレでスケベな奴が、私に『勝つ』と言い切る自信を持つほど、上手(うま)いわけないじゃん!)

 ちょっと着くのが遅(おそ)くなって、既(すで)に下手(へた)っぴいな、あいつの試合は終わっているかなと思っていたけれど、驚(おどろ)いた事に、あいつの学校は本当にトーナメントを勝ち進んでいた。

 弓道場に着いた時は団体戦の準決勝で、丁度(ちょうど)、あいつのチームが射位置(しゃいち)に入るところだった。

 五人で1チームの各自は左手に弓(ゆみ)を持ち、グローブらしきを嵌(は)めた右手には4本の矢を握(にぎ)み、撓(しな)やかな手足と反(そ)り返(かえ)り気味(ぎみ)にピンと伸(の)ばした背筋(せすじ)、威張った様に胸(むね)を張(は)って等間隔(とうかんかく)で立つ。

 五人は息(いき)を合わせてスゥーッと摺(す)り足で身体全体を射位置へ揃(そろ)って動くと向きを変え、的(まと)が各自の真(ま)左(ひだり)になるように射場(しゃじょう)で平行な1列に並(なら)び、それぞれの射向(いむ)き正面に設(しつら)えられている、白黒の蛇(じゃ)の目(め)模様(もよう)の的を狙(ねら)う。

 あいつの射順(いじゅん)は殿(しんがり)だ。

 私は観戦者に紛れて、そっと隅(すみ)で観て遣っている。

 前の四人(よにん)の二人(ふたり)が的(まと)を外(はず)して、あいつの射(い)る順番が来た。

 丁寧(ていねい)な仕種(しぐさ)で矢を弓に番(つが)え、それから、ゆっくりと弓を構(かま)えて的を狙(ねら)う。

 矢道脇(やみちわき)の観戦者達は誰(だれ)も声を出さず、弓道場全体がシンと静(しず)まり返り、あいつの一挙一動(いっきょいちどう)を見守るように応援している。

 衣擦(きぬず)れの音も聞こえない凛(りん)と張り詰(つ)めた静けさの中、ギシギシと、あいつが引く弓の力強い音だけが響(ひび)く。

(引き絞(しぼ)る音が、他の人と違(ちが)う。とても強い弓みたい)

 初めて間近(まぢか)で見た弓道は、背筋をスーッと伸ばした射手がググッと胸を張りながら、キリキリと弓を引き絞る一連(いちれん)の流れるような動きが美(うつく)しい。

(弓と矢と射手(しゃしゅ)と、滑(なめ)らかな動作の調和(ちょうわ)が綺麗(きれい)! 静(せい)の中の動(どう)……、そんなのって、有るの?)

 落ち着いた真剣(しんけん)な顔付きで、あいつは的を見据(みす)える。

(んん?)

 あいつの唇(くちびる)が、僅(わず)かに動く。

 あいつは、ゆっくりと息を引き絞った矢に吐(は)き出しながら、何かを呟(つぶや)いている。

(きっと必中(ひっちゅう)の呪文(じゅもん)か、呪(のろ)いの言葉だ! ……あいつ、オカルトのオタッキーだっけ?)

 白い道着に黒袴(くろはかま)と白足袋(しろたび)を履(は)き、踏(ふ)ん張(ば)るように足を開いて、キラリと陽(ひ)の光を煌(きらめ)かすメタリックシルバーの矢を、その長さ一杯に構(かま)え、的を静かに見据(みす)えるあいつは、道場の床板(ゆかいた)から無垢(むく)に彫(ほ)り出された彫像(ちょうぞう)のように、どっしりとしていた。

 なんだか、あいつが凛凛(りり)しく見えて、ちょっとだけ、格好良(かっこうよ)く思ってしまう。

(無口な、あいつの中にも、こんなに、激(はげ)しい闘志(とうし)が有るんだ)

 あいつの弓の両端に、明るいグリーンと淡(あわ)いピンクの色が帯状(おびじょう)に入っている。

 良く見ると、矢羽(やばね)や右手のグローブの帯にも、同じ色のラインが入っていた。

 2色とも、私のお気に入りの色だった。それに、下端(したば)のラインには、何やら丸いマークも蛍光(けいこう)の赤紫色で描(えが)かれている。

(なに、一人(ひとり)だけ、目立とうとしてんのよ。そのグリーンとピンクの色、私の好きな色だからね)

 弓を握(にぎ)る左手の親指と人差し指が、ピンと伸びて勇(いさ)ましい。

 その爪(つめ)に、晩秋(ばんしゅう)の湿(しめ)っぽい陽射(ひざ)しが反射して、浜辺の桜貝(さくらがい)のようにキラキラと光った。

(あいつぅ……、マニュキュアでも、塗(ぬ)っているのと違うの? 何か呟いたりして、そんな事ばかりしているから、昇段(しょうだん)試験に落ちるんでしょう!)

 あいつの爪は、綺麗に丸(まる)く切ってあった。

 それを見て、私は反射的に自分の指を見てしまう。

 私の丸くない爪の形のコンプレックスは、まだ、無くなっていない。

(……四角(しかく)い爪の私……、まだ、爪は四角いままだ……)

 カシューン! あいつが矢を放つ音がして、シュン! 一瞬の飛翔音(ひしょうおん)の後、バスン! 大きな音を立てて銀色に輝(かがや)く矢が的を貫(つらぬ)いた。

 キラリ!

 その磨(みが)き抜(ぬ)かれて鏡(かがみ)のように風景が写り込む、半透明に見える矢は的の真ん中に刺(さ)さっている。

(おおっ、あいつ、なかなか上手(うま)いじゃん!)

「シャッ!」

「シャー!」

 観戦者達から、一斉(いっせい)に声が上がった。

 『シャッ!/シャー!』は、放った矢が、的に命中した時の掛け声らしい。

 ドラマで観ていた弓道の場面での掛け声は、『よぉーし』や『よし!』で、なんか、監督(かんとく)やコーチが『それで良い!』みたいな、上(うえ)から目線的(めせんてき)の感じがしていた。

 こんなダサイ掛け声を、あいつも送っているのかと思っていたが、やはり違っていた。

 『よぉーし』などの切れのない掛け声は、どうも『ドラマの舞台になっている近畿(きんき)地方辺りで、よく使われているらしい。

 鋭(するど)く放った矢が飛翔して、的を射抜(いぬ)いた時の声援(せいえん)は、『シャッ!』の方が的に威嚇的(いかくてき)だし、『シャー!』は貫(つらぬ)くような戦闘的(せんとうてき)に思えて、格好良い!

(ヘタレなあいつのイメージに、ダサイとタカビーが加わらなくて、良かったわぁ)

 間髪(かんぱつ)を入れず数人の女子が、声をハモらせてあいつにエールを送る。

 僅(わず)かに遅(おく)れてまた、数人の女子が前の女の子達に負(ま)けじと、大声であいつを応援(おうえん)した。

 エールを送るのは、あいつの高校以外の女子ばかりだ。

 他校の弓道部の女子もいれば、弓道部じゃなさそうな制服や私服の子もいて、耳障(みみざわ)りで蕩(とろ)けそうな黄色い声で、あいつを応援していた。

 女子の団体戦は男子の団体戦の優勝校が決定した後に行われ、同数命中での個人優勝者決定戦は団体戦を終(お)えてからになる。

 あいつの通う高校は工業高校で、女子生徒数が少ないから、女子の団体戦では弓道部の女子の人数でギリギリ参加出来ている様な感じで、試合順番を待つ女子部員以外の女子は男子部員に混(ま)じって各選手の着矢位置や射法を脇(わき)で記録する女子マネージャーが応援しているだけに見えた。

 エールを送り終えた子達は、楽しそうな笑顔を見合わせて小さく、『キャハハハ』と、笑いながら、『彼、こっち見たよ!』とか、『やっぱり、クールだよねぇー』なんて、小声で言い合っている。

(いやいや、全然(ぜんぜん)、こっちを見ていないって。あいつがクール? そうなのかあ?) 

 気持ちの中で、彼女達にツッコミを入れながら、『ヘタレなあんたの、どこがクールなんだよ?』と、あいつに訊(き)いて遣りたいけれど、私は絶対に実行しないと思う。

 あいつはエールを送る女子達に一瞥(いちべつ)もくれず、次の矢を番えて的を睨(にら)んだ。

(ふぅ~ん。あいつって、けっこうもてるんだ)

 微(かす)かに、心が騒(さわ)ぐ……。

 観戦者達は、射(しゃ)を終えた僅か数秒だけ、喜(よろこ)びや驚きや悲(かな)しみにどよめき、中(あた)りの的中(てきちゅう)の瞬間には歓声が上がり、応援のエールが送られ、外(はず)すと声を殺(ころ)した悲鳴で嘆(なげ)く。

 低いささやきや小さなざわめきは直(す)ぐに消え、再び、観戦者達は射手に顔を向けて、微動もしない無言の見守るような応援をする。

 張り詰めた空気の中、近くに私の学校の女子を見付けたので、傍(そば)に行って訊いてみた。

 射が一巡(いちじゅん)して、もう、直(じき)にあいつの射(い)る順番だ。

「ねぇ、今から射つ人って、人気(にんき)が有るの?」

 ビシュッ、……シュッ…… パスッ! その時、あいつの放った矢が、的を貫いた。

「シャッ! きゃっ、また真ん中! そうよ。彼、カッコイイでしょ。1年生の後半から彼、試合に出ているのだけど、ほとんど的に中てるのよ! しかも、真ん中が多いの。的の中心の中白(なかしろ)とか正鵠(せいこく)っていう白丸のところばかり! すっごいよねぇー。彼だけが、言葉通りに正鵠を射続けるんだ。どうしたら、あんなに中(あ)てられるのかしら? 彼、年下だけど、私、憧(あこが)れちゃうわ」

 尋(たず)ねた女子は上級生の3年生で、一気(いっき)に、あいつの腕前(うでまえ)を褒(ほ)めちぎった。

 今の時期、既に部活から離れて大学受験勉強の追い込みの中、あいつの事を話してくれた先輩(せんぱい)は弓道部の後輩達と、あいつの応援をしに来ていた。

(あいつは、年上にも、人気が有るんだ)

「彼の学校以外の女子や、弓道部じゃない女子にも、人気が有るのよ。写(しゃ)メールで彼の写真が回っているからね。そんなに美形(びけい)じゃないけれど、凛と張り詰めていいよね。八節(はっせつ)の形も素敵(すてき)だし。それに無口で落ち着いて、物静(ものしず)かよね。彼が射場で騒(さわ)いでいたのを、見た事が無いわ」

(あいつが、物静かで素敵ねぇ? 私だけにかも知んないけど、確(たし)かに無口(むくち)だわ……。ちょっとキモイし、ストーカーっぽいし……。それにあいつが、弓道場で良く見えるのは、スキー場でのゲレンデ効果ってやつと同じでしょ!)

 イメージする『あいつの無口』に、朝の通学バスの中で、無表情に私の座席の横に立ち、何も語(かた)り掛けてこない、あいつを思い出してしまう。

「団体戦では、最近、彼の学校は全然ダメねぇ。でも、個人戦では彼、いつも、2位か3位なの。でも優勝(ゆうしょう)が無いの。彼、凄(すご)いのにね。聞いた話じゃ、個人戦のサドンデスの決勝で、何か余計な事を考えるから外してしまうんだって。なに思っちゃうんだろうねぇ?」

 3年生の先輩は、熱の籠(こ)もった瞳で、あいつを見詰めながら話す。

(他の女子に訊いても、あいつの事を、同じように言うのだろうなぁ)

「彼女は、いるのかな?」

 私は、胸騒(むなさわ)ぎの核心(かくしん)を訊いてみる。

「いないんじゃないのぉ。何人もの女子が、彼にレターしたみたいだけど、返事を貰(もら)ったって、聞いた事がないなあ」

(レター……? 今時、メールじゃなくてレター? それって手紙(てがみ)なの?)

 随分(ずいぶん)とアナログで、物質的な言い方に、靴箱(くつばこ)の中へ置かれていた封筒(ふうとう)を思い出した。

 私は今でも時々、出身中学が違う男子から、告白の手紙を貰う。でも、それらは全(すべ)て誠意ある丁重(ていちょう)な御断(おことわ)りをしている。

(うわぁ、でも、他校の女子が、あいつの高校まで行って、靴箱へレターして来るわけないじゃん!)

 普通は常識的に、あいつの家へ送ったのだろうと思い直(なお)した。でも分からない。

 行動的で熱狂的(ねっきょうてき)なファンの子がいるのかも知れない。

「それに、私も訊いたけれど、誰(だれ)も、彼のメアドを知らないのよ。あそこの弓道部でも、ほとんどの部員が知らないそうよ」

 なんだか、ほっとする自分がいた。

 あいつを好きな子がいても、あいつと付き合っていなければ、彼女じゃないと思う。

 あいつが私に想(おも)いを寄せていても、別々の離れた高校へ通(かよ)う私達は、放課後に出逢(であ)う事は滅多(めった)に無く、別にデートの約束をしたりもしていないから、いっしょに歩く事は無い。

 直接、生(なま)ボイスでの会話やオフでの出会いを拒(こば)む私は、あいつの彼女じゃない。

「彼が、女の子と歩いていたとは聞かないし、デートしたって子もいないしね。あなたもキュンとハートにきちゃったあ? 彼って最近なかなかいないタイプだよねぇ」

 そう言うと、3年生の先輩は、首を傾(かし)げて笑顔になった。

「いえ、ありがとうございました」

(あいつのメールアドレスは、誰も知らないんだ)

 なぜか、安(やす)らいだ気分になる自分がいる。

(そう……、彼女はいないの)

 今でも、あいつが私に好意を持っているのを、あいつから届くメールで知っている。

 あいつは、私とメル友以上の親密(しんみつ)な関係や相思相愛(そうしそうあい)の熱烈な交(まじ)わりに発展しない事を承知(しょうち)しているはずだ。

 ヘタレな最初の告白を振(ふ)ってからも、しつこく私に恋慕(れんぼ)するあいつに、メル友だけならと時々メールを交換(こうかん)して4年が過(す)ぎ、今だに私へ好意を持ち続けているとしても、中学生でのようすと弓道での人気ぶりから、既にガールフレンドがいて、その子と楽しく遣っていても、不思議(ふしぎ)じゃないと改(あらた)めて思い直した。

 ……そう、あいつは、好きな私とメル友で、レターをくれるガールフレンドとも、宜(よろ)しく付き合っている、それくらいは、器用(きよう)にできる奴だと勝手に思い込んでしまう。

 金石の町の小さな砂丘から、見下(みお)ろした時の、あいつの顔が浮(う)かんだ。

 睨(にら)む私を見上げて、狼狽(うろた)え、戸惑(とまど)いの奇妙なセーフポーズで固まったまま、私のスカートの中を堂々と覗(のぞ)いていたあいつ。

 そんな、ヘタレでスケベな厭(いや)らしいあいつが、他校の上級生の女子から熱く語られるほど、弓を引くと凛々しいくらいに逞(たくま)しくて格好良く、女子達に大人気だ。

 そのギャップが歯痒(はがゆ)くも、不思議で可笑(おか)しいような、嬉(うれ)しいような、それでいて、何だか、寂(さび)しくて悲しい変な気持ちだった。

(なんだか、誇(ほこ)らしいかな。誰にも言えないけど、自慢(じまん)しても、いいかな? あいつとメール交換しているって……。あいつの好きな相手は、……私だって)

 パスン! 勢(いきお)い良く矢が的を射抜く乾(かわ)いた大きな音に、誰かが合図(あいず)をして、観戦者全員を揃(そろ)わせているかと思うほど、鋭(するど)くハモった『シャッ!』の掛け声が、矢道の大気を弾(はじ)いた。

 続けて、お決まりのように間髪を入れず、女子達が黄色い声援を連呼(れんこ)する。

 そわそわと、嬉しそうに応援する女子達の後ろから垣間(かいま)見たあいつは、4本目の矢を弓に番えようとしている。

 あいつの瞳は、矢と的以外をチラッとも見ようとしない。

 弓を引き、矢を放ち、的に中(あ)てる一連の動作に集中して、そこに完全に入り込んでいるあいつは、真剣その物で、観戦者の姿や蕩けるような黄色いエールは、見えも、聞こえてもいないように思えた。

 その真剣な、あいつの姿に、不覚(ふかく)にも、私の胸が一瞬だけ締(し)め付けられて、キュンと高鳴(たかな)ってしまった。

(だめ……! これ以上、ここに居(い)てはいけない……)

 背を屈(かが)め、観戦者達を盾(たて)にして、あいつに気付かれない内に、私は弓道場から離れる。

 途中、拍手と黄色いエールが背後から聞こえて、あいつが4本目の矢も、的に命中させたのを知らされた。

 これで、個人の決勝トーナメントに出られるのだろう。

 あいつの決勝トーナメントを見たいという思いに、帰ろうとする気勢(きせい)を挫(くじ)かれて、武道館の玄関前で足が止まった。

(応援をする、つもりなの? 私……。あいつは本当に強くて格好良かったじゃない。……どうする? ……見に行けば、……いいじゃん)

 武道館の左側に在る弓道場に、大勢の観戦者が見え、そのざわめきも聞こえる。

 向こうの公園からも、沢山(たくさん)の一般(いっぱん)の方達が、人垣(ひとがき)を成(な)して見ていた。

 武道の試合らしからぬ、女子の声援が、通(とお)り掛(が)かりの人達の気を引いたのだろう。

(私も、あそこに並ぶの? でも、いいのよ……、応援しなくても、あいつの応援団は大勢いるから、別に私がいてあげなくても、いいんだよ。……もう帰ろう)

 私は、ざわつく気持ちを抑(おさ)えながら、バス停へと再び歩き出す。

 首筋と肩の後ろが、モゾモゾ騒ぐのと、重い気持ちになるのが鬱陶(うっとう)しい。

 テンションを、これ以上落とさないように耳にイヤホンを掛け、携帯電話をポケットから出してメディアプレーヤーをオンにした。

 お気に入りのメロディー達は、気持ちが苛(いら)つかないように留(とど)めただけで、私の気分をすっきりさせてはくれない。

(このモヤモヤしてるのは、もしかしてヤキモチなの? あいつに……? 私が? ……有り得ないわ!)

 ヤキモチって思いを払拭しようと頭を振ると、今度はジェラシーって言葉が浮かんだ。

(ジェラシー! 嫉妬(しっと)ですってぇ! それこそ有り得ないわよ! 誰に嫉妬するのよ!)

 あいつにハモったエールを送っていたのは他校の知らない女子達だ。

 あいつのファンだから応援を声に出していただけだ。

 あいつは女子達に一瞥もしていなかった。

 そもそも、あいつの恋愛対象は私だけの筈だと思っている。

(なのに……)

 私も素直にあいつへエールを送れば良かったわけぇ?

 あいつの視線を私に向けて欲しかったわけぇ?

 あいつと私は特別な関係って知らせて遣りたかったわけぇ?

(違う! そうじゃないでしょう)

 あいつは私の恋愛対象じゃないのにぃ!

 胸が苦しく感じているのは変よ!

 息がし難い!

 --------------------

 傾(かたむ)きつつある太陽でビル影になったバス停に着くと、程(ほど)なくしてバスが来た。

 乗り込むと、ビル影でマットに陰(かげ)る明るさと大型バス特有の閉鎖(へいさ)空間が、私を落ち着かせて、乗車ドアを閉(し)めて動き出したバスは、高揚(こうよう)が冷(さ)めて行く私を、新たな明るい光の中へと連れ出してくれる。

 車窓(しゃそう)から眩(まぶ)しく差し込む午後の光に、再び、ざわつきだした首筋を不快に感じながら、桜貝の様に煌めいたあいつの爪を思い出した。

(これからは、爪を伸ばして、丸く整(ととの)えよう。そして、休みの日はマニュキュアを塗ってみよう)

 帰りのバスの中で広げた両手の指先を陽光(ようこう)に翳(かざ)しても、鈍(にぶ)く艶(つや)るだけの爪を眺(なが)めながら、そう思い付くと気持ちが少し晴(は)れて軽くなった。


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る