第4話 リアルな夢見と現実(私 高校1年生)想いのままに・女子編

 翌朝のバスの中で、チラッと仰(あお)ぎ見た真横に立つあいつは、無表情でバスの行方向を見ていた。

 その注意深く動く一重瞼(ひとえまぶた)の瞳(ひとみ)からは、全(まった)く、気持ちや思いは窺(うかが)い知れない。

 昨夜(ゆうべ)のニンニクの臭いの感想も……。

(やっぱり、アイコンタクトは、無理! 普通、喜怒哀楽(きどあいらく)ぐらいしか、わからないわよね)

 バスを降りた後も、あいつの車窓越しに私を見ている目が合うけれど、あいつはニコリともしなくて何を考えているのか分からない。

(今度、金石(かないわ)のバス停近くで食べた美味(おい)しいラーメンを、いっしょに食べよっか? そして、ニンニク臭(くさ)い息(いき)を掛け合うのよ)

 その気も無いのに、あいつを乗せて走り去るバスを見送りながら、胸(むね)の内で呟(つぶや)いてみる。

     *

『どうでもいいや』と、昨日(きのう)は思っていたのに、朝、目が覚(さ)めても、唇(くちびる)は触(ふ)れられた感じを覚(おぼ)えていて、その感触(かんしょく)は金石の砂丘(さきゅう)へ行った翌朝から、私に洗髪(せんぱつ)の仕方(しかた)を変えさせた。

 いつものように昨夜(ゆうべ)は、お風呂(ふろ)で洗っていたけれど、再(ふたた)び翌朝に入り直した。

 今までのように洗面所(せんめんじょ)で、ちゃちゃっと寝癖(ねぐせ)を取って直(なお)すだけの横着(おうちゃく)なのじゃなくて、ちゃんとバスルームで洗(あら)い、湯船(ゆぶね)に浸(つ)かった。

 朝のシャンプーは、姉(あね)や母(はは)と同じように早起きして早朝のお風呂へ入って、今までより念入(ねんい)りに洗髪する。

『朝早く起きるのはキツイから、私は無理よ』と、それまで億劫(おっくう)がって拒(こば)んでいたから、姉や母は、『やっと、女に目覚(めざ)めたかな』と、私が朝のお風呂へいっしょに入るのを喜(よろこ)んでくれた。

(別に、あいつの視線(しせん)を意識したからのヘアーケアじゃないの。普通に大勢の人と近接する女性の身嗜(みだしな)みなんだからね! ……マナーよ!)

 姉といっしょに入って、互(たが)いに洗うのを手伝う。

 最初に髪を洗い、今までよりも多くのシャンプー液を使っていっぱい泡立(あわだ)てる。

 シャンプーは、ヘアカラーの色落(いろお)ちをさせなくて、髪や頭皮(とうひ)の皮脂(ひし)を傷(いた)めないように油性仕様(しよう)は使わない。

 頭皮を軽く揉(も)みながら丁寧(ていねい)に洗って、シャンプーの泡が完全に消えるまで、シャワーでしっかり濯(すす)ぐ。

 次は、髪から油分(ゆぶん)を無くし過(す)ぎるのは毛髪(もうはつ)を傷めてカサつかすだけになってしまうから、髪の毛の内側からダメージケアしてくれるトリートメントを、適当に馴染(なじ)ませてから髪をタオルで包(くる)んで湯船に浸かる。それから、コンディショナーでしっかりと髪の毛をコーティングガードして、光沢(こうたく)の有るしなやかな髪になれば、納得(なっとく)の完成だ。

 ふっくらとしたボリュームの髪はサラサラして軽く、櫛通(くしどお)りは滑(なめ)らかで良い気持ちだった。

(さぁ、これで私の髪は、お風呂の匂(にお)いね)

 今日から、就寝(しゅうしん)前はシャワーで体を洗うのと歯磨(はみが)きだけにする。

 これで、夜にお風呂で湯船に浸かるのは、父(ちち)だけになってしまった。

 朝食の時に、『とうとうお前も、朝に入るようになっちまったか……』と、1日に2度の湯張(ゆば)りは不経済だと、父は以前からブーブーと嘆(なげ)いていたけれど、その抗議(こうぎ)は、父への感謝の気持ちを付けて差し戻(もど)してあげた。

『だったら、お父(とう)さんも、朝に、お風呂に入ればいいじゃん』、私が勧(すす)めると、『朝は、ギリギリまで寝(ね)ていたいし、お風呂に入った清潔(せいけつ)な体で、眠(ねむ)りたいんだ』などと嫌(いや)がる言葉を返す父へ、『なら、しょうがないじゃん』と、姉は父に『習慣(しゅうかん)を変えろとは言わないから、朝風呂を否定(ひてい)するな』のニュアンスを言葉に含(ふく)ませ、『あなたの稼(かせ)ぎの御蔭(おかげ)で、私達三人(さんにん)が幸(しあわ)せで、とても嬉(うれ)しいわ』と、母がキメ台詞(ぜりふ)で締(し)めて来た。

(ごめんね、お父さん。髪の手入れは、女性の重大事項なの。それに、朝からシャボンの匂いのがする妻(つま)や娘(むすめ)の方が、お父さんの目覚めが良いよねぇ)

 女性の命(いのち)とも言う髪のケアが相手の3対1じゃ、父に勝ち目は全然(ぜんぜん)無い!

 朝食後の歯磨(はみが)きも丁寧にして、毛先が柔(やわ)らかくて細(ほそ)く尖(とが)った歯ブラシで、歯周病(ししゅうびょう)トラブル防止の歯磨き粉(こ)を付け、食べ滓(かす)を除(のぞ)きながら、歯の付け根と歯茎(はぐき)をマッサージするみたいに磨く。

 仕上げの歯間ブラシも、上下全(すべ)ての歯の間に通(とお)す。

 これで、歯垢(しこう)は落とせるし、残って歯石(しせき)になる事はない。そして、歯槽膿漏(しそうのうろう)も予防して口臭も防(ふせ)げる。

 いつもの3倍は、お口の中ケアに時間を掛けた。

 思春期(ししゅんき)のお年頃(としごろ)で、ポツポツと出ているニキビを増やさないように、洗顔は薬用石鹸で3度も洗ったのは、両頬(りょうほお)にニキビの白、黒、赤の3種類全部が揃(そろ)い踏(ぶ)みだから、お肌ケアの最優先対象だ。

(昨夜の、お風呂と歯磨きは、いつもと同じ、普通にしたのに……。これからは、こんなに身繕(みづくろ)いをちゃんとしなくちゃと、どうして思うんだろう? やっぱり、夢の所為(せい)よね……?)

     *

 初めてだらけで、ゆっくりと時間が過ぎていた昨日は、夢を二(ふた)つ見た。

 一(ひと)つ目は、キスの夢の続きのような夢で、夜中のトイレで思い返していたから良く憶(おぼ)えている。

 寝直(ねなお)して見た二(ふた)つ目の夢のステージは、朝のバスの中だった。

 いつものように、車窓(しゃそう)に映(うつ)る真横に立つあいつの姿を私は外を見るフリをして観察している。

 窓ガラスに映る今日のあいつは、いつもと違(ちが)い顔を私に向けていなくて、対面(といめん)の運転席の方へと顔を向けていた。

『運転手に、何か問題でも?』と、チラリと運転手と運転席周りを見ても、別に異常な変化は無くて、年配の運転手はバスを安全・正確に運行する職務(しょくむ)に専念(せんねん)している。

(ねぇ、どうして、そっちを向いているのよ? あっ、それは、もしかして……!)

 ピンと来た私は、急(いそ)いで振り仰(あお)いで、あいつを直視(ちょくし)した。

(ああーっ、こっ、こいつぅ……)

 あいつは顎(あご)を上げて、私を避(さ)けるように顔を逸(そ)らし、逸らし顔の上から目線の眼は、蔑(さげす)むように私を見ていた。そして、鼻腔(びこう)を広げてヒクつく鼻は辺りの臭いを嗅(か)ぐと、私を見据(みす)えたまま顔を顰(しか)める。

 仰ぎ見る私と目が合っても、あいつは冷(つめ)たい視線で私を睨(にら)むように見たまま、私の臭いを嗅ぐのを止(や)めようとはしない。

(やっ、やめてー。そんなこと、しないでー!)

 私は、あいつの失礼(しつれい)さにムカつくのと恥(は)ずかしさのあまり、私は両手で顔を覆(おお)い俯(うつむ)いてしまう。

(いっ、嫌よ! お願いだから…、そんな眼で、私を見ないでー)

 あいつの、私を見下(みくだ)す視線が耐(た)えられない。

(ちっ、違う! ……わっ、私は、……くっ、臭くないよー!)

 そこで目が覚めた。

 あまりの夢の悲(かな)しさに、目覚めの私は、涙目(なみだめ)に視界が暈(ぼ)やけ、鼻もグズついて、まったくトラウマになりそうなリアルな二つ目の夢だったと思う……。

 これからのウィークデーは、毎朝、髪を真面目(まじめ)に洗ってから良く梳(と)いで、もっと、身嗜(みだしな)みも、身繕(みづくろ)いも、今まで以上に丁寧に良くしなければいけないと、神の御告(おつ)げを受けた気がして、翌朝は、それらを起きて直ぐに実行した。そして、出掛けにオードトワレを、チョンとワンプッシュ。

 時々しか付けなかった香水(こうすい)を、毎日付けるようにしよう。

 トワレはチェリーブロッサム、私のお気に入りのフレグランスだ!

     *

(唇に触れられた気がしたから……、ううん。頬に残る感じが嫌だから……、ううん、違う。それとも、キスをしたいから……? うっ、わっ、私が……?)

 昨夜見た一つ目の夢は、抱(だ)き締められた私がキスをしていた。

 それは昨日、金石からのバスの中での居眠りで見ていた夢の続きだった。

 夕陽(ゆうひ)を見ていた小さな砂丘の上で、夕陽色に映(は)える顔の男性の唇にキスをした。

 私を抱き締めて、私も、しがみ付くように腕(うで)を回していた相手は……、あいつだった!

(むう……、選(よ)りに選って、あいつだなんて……。見る夢って、ずっと気付かずに潜(ひそ)んでいる潜在(せんざい)意識、それとも無意識のような、ディープに抱(かか)え込んでる深層心理(しんそうしんり)、それよりも、もっと、ずっと軽い表層(ひょうそう)心理、う~ん、どれが現(あらわ)れ易(やす)いんだろう?)

 あいつと私は黄ばんだ町の中で手を繋(つな)いで歩き、黄色に染まった路地裏(ろじうら)で、またキスをする。

 キスの相手が納得できず、腹立(はらだ)たしいけれど、なぜか、夢見が良かった。

 夜中のトイレに目覚めても、手に、背に、唇に、あいつの触れた感じがリアルに残っていて、夢の中のあいつと歩いた黄色の町へ、また、戻りたいと思ってしまう。再び、あいつと帰りのバスがいっしょになれば……、また、金石の砂丘の上で夕陽を眺(なが)めれば……、同じ夢の続きが見れるのだろうか?

     *

 一つ目の夢が昨日から、ずっと気になっていた。でも、放課後にあいつへメールしたのは、夢見(ゆめみ)が良かっただけのただの気紛(きまぐ)れで、余計な詮索(せんさく)だったかも知れない。

 無かった事にしようとしたのに、私もしつこい。

【バスの中で、起こしてくれてありがとう。……ねぇ、あんた、私にキスした?】

 私は、直球(ちょっきゅう)で訊(き)く。

 私の直球勝負に、あいつは正直(しょうじき)に答えないと思う。

 『した、しない』、どっちを、私は期待しているのだろう。

【していない】

 あいつの部活が終わる頃に、素っ気無(そっけな)いメールが返されて来た。

 簡単明瞭(かんたんめいりょう)過ぎる素っ気無さが、却(かえ)って怪(あや)しさを臭わせた。

【本当に?】

 私は、疑惑(ぎわく)を問う。

【ほんとに。 なぜ、そう思う?】

 逆に、あいつが訊いてきて、私は返信するのを止めた。

 『頬に……、唇に……、キスされた感じが残っていて、気になるから……』なんて、返せる訳ないじゃない。

 それっきり、バスの中のキスは忘(わす)れる事にした。

 三日(みっか)も経つと、唇の半分に残っていた感じは薄(うす)れ、やがて消えて無くなった。

 感覚が薄れるにつれて気にしなくなり、思い出す事も稀(まれ)になって行った。

     *

 夢の続きは、時々見て、多少の違いは有るけれど、同じパターンの繰(く)り返しだ。

 夢の中でも、私の想(おも)いは先へと進めない。

 夢の後半は決まって、日没後の余光(よこう)に包まれてセピア色に染まる懐(なつ)かしい感じの町並みで、あいつと一緒だったはずなのに私は一人(ひとり)っ切りで寂(さび)しく、温もりを求めてあいつを捜(さが)している。

 黄ばんだ通りを抜(ぬ)け、角(かど)を曲がり切ると、私はあいつではない誰(だれ)かを捜していた。

 人影の無い通りだらけのセピア色の町は、人の気配を感じて、空気が淀(よど)んで生活臭が有るのに静(しず)かで誰にも出(で)逢(あ)わない。

 夢の見初めの前半は、確(たし)かに、あいつといっしょにいたのに、後半は誰を探していたのか全然、思い出せない。

 誰かは、……あいつだったのか、或(ある)いは、……あいつと違う次元(じげん)の落ち着いて大人(おとな)びた将来の彼氏(かれし)だったのか、夢の中の誰かは霞(かす)み、夢見の誰かの顔が朧(おぼろ)になってしまう。

 いっしょにいたあいつと手を繋いで潮(うしお)の香(かお)りがする浜風に優しく吹(ふ)かれながら、朱色(しゅいろ)の夕焼(ゆうや)け空(ぞら)や紅(あか)く染められた海を見ていたはずなのに……。それなのに、いつの間にか知らない誰かといて、やがて、その誰かもいなくなり、一人ぼっちになった私は、あいつと誰かを探し続けているけれど、太陽の余熱(よねつ)が徐々(じょじょ)に失(うしな)われて行く黄ばんだ世界の中に見付ける事ができない夢だ。

 一人ぼっちになった寂しさと切(せつ)なさに……、そして一人になった焦(あせ)りの想いに…… 目覚めると、夢見はいつも物足(ものた)りない不満と不安に苛(さいな)まれて、思わず深くて長い溜め息を吐(つ)いてしまう。

 そんな夢を見ると、目覚めの後も本当に手を繋いでいたような感じが、決まって指(ゆび)や掌(てのひら)や腕(うで)に残り、それに手が回された背中や風が撫(な)でていた頬やキスをされた唇に、その感触がはっきりと残っている。

 その錯覚(さっかく)は、まるで現実のようで、目覚めた後もいつまでも消えてくれない。

(いったい私は、夢と現実に、何を、求(もと)めているんだろう……?)

『あいつを気にしているのは、確かだけど、キスをする夢を見るくらいに、好(す)きになって来ているのだろうか?』と、思う自分を否定(ひてい)したかった。

(でも……、本当は、否定したいなんて嘘(うそ)……)

 私の気持ちが、あいつと寄(よ)り添いたがっているのは解(わか)っている。

 それでも、それが、あいつを意識して好きになって来ている所為(せい)だなんて、まだ、私は素直(すなお)に認(みと)めたくない……。


 つづく

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