第2話 逢魔が時の金石の町(私 高校1年生)想いのままに・女子編
風致(ふうち)地区の砂丘(さきゅう)を降り、嘘(うそ)の言い訳に感(かま)けて母と電話しながら住宅地を歩いていると、いつの間にか、小さな広見(ひろみ)に在る神社まで来ていた。
鳥居(とりい)に掲(かか)げられている額束(がくづか)の社名(やしろめい)は『西(にし)の宮(みや)』、鳥居脇(わき)の神社名を記した石柱には、『西之宮社(にしのみやしゃ)』とあり、私的には、『の』の方が親(した)しみ易(やす)い感じがする。
「御飯(ごはん)……、うーん。たぶん、みんなと何か食べると思うから、心配しなくていいから。……うん、わかってる。気を付けて帰るよ。じゃあ、電話切るからね」
私は西の宮神社の境内(けいだい)を囲(かこ)む石作りの柵(さく)脇に有る欅(けやき)の木の袂(たもと)のベンチに腰掛(こしか)け、そこで母への嘘吐(うそつ)き電話を切った。
「ふーっ、どうしょっかなぁ」
(低い砂丘だけど戻(もど)るのは面倒(めんどう)だし……。それに、ヘタレなあいつだけじゃなくて、西陽(にしび)に照(て)らされた綺麗(きれい)な海も見れたしね。まあ、もういいかな)
ベンチの背(せ)凭(もた)れにダレたように広げた両手と背中を凭(もた)れ掛けて両足を開くように伸(の)ばした。そして、溜(た)め息を吐(は)きながら母に言った通り、もう家へ帰ろうかと思う。
断(ことわ)った晩御飯(ばんごはん)は、バスを降りる錦町(にしきまち)の停留場(ていりゅうじょう)近くに在る中華料理屋で食べれば良い。
「さぁて、帰ろう…… かな……」
(ん?)
伸(の)びをするように立ち上がり、金石のバス停へ行けると思う路地(ろじ)に顔を向けた私の眼(め)に、不思議(ふしぎ)な光景(こうけい)が飛び込んで来た。
(あれは何(なん)なの? 何か、飛んでる……?)
それは、路地に差し込む夕方の陽差(ひざ)しの中で、キラキラと無数に舞(ま)い飛んでいた。
その小さな銀色の輝(かがや)き達は、甲虫(こうちゅう)のようでもあり、ゆっくりと舞い上がり漂(ただよ)う様は、タンポポの白い羽毛(はねげ)のようにも見えた。
揺(ゆ)ら揺らと漂う光の正体を確(たし)かめたくて、路地に近付きながら、私はじぃっと眼を凝(こ)らして行く。
(微風(びふう)に漂う得体(えたい)の知れない微生物(びせいぶつ)? じゃないよね。今は凪(なぎ)で風、吹いて無いし。でも、そうだったら刺(さ)されたりして、凄(すご)く痛(いた)いかも……)
それは、近くへ行くと、虫でも種子(しゅし)でもなくて、毒を持つ生物か、身体(からだ)に良くない有害物質の揮発(きはつ)成分かもと思う生存心理の警告(けいこく)も、正体を見たい好奇心(こうきしん)には勝てず、直(す)ぐ傍(そば)まで駆(か)け寄(よ)った私は掴(つか)むように振(ふ)り回す手に、しっかりと幾(いく)つかのキラキラを捕(つか)まえた。
「えっ、あれっえー?」
捕まえた光の正体を確(たし)かめようと、そっと手を開いて見るけれど、キラキラは一(ひと)つも無くて、手に何かを捕まえていた跡(あと)や蠢(うごめ)いた感触(かんしょく)は無かった。
それでも確かに幾つかのキラキラを捕まえたはずだと思えて、覗(のぞ)き込みながら光に翳(かざ)す掌(てのひら)の向きを変えてみる。
すると、掌にチカチカと小さく光の瞬(またた)きが見え、私は、何が光っているのか、更(さら)に眼を凝らして見ようと努力するけれど、何も見付ける事ができない。
それは瞬く反射の具合(ぐあい)からきっと、それは掌の汗の水分や塩分の結晶(けっしょう)じゃなくて、何か微小(びしょう)な埃(ほこり)や塵(ちり)のような気がしてした。
(もしかして、フェアリーテールなの?)
辺(あた)りを見回すと私の周(まわ)りの路地は、夕凪(ゆうなぎ)で留(とど)まった大気の、そこら中に埃や塵が漂いながら夕陽に照らされてキラキラと銀色や金色に光り、まるで、別の世界の金石の町が重(かさ)なる不思議な異空間に迷(まよ)い込んでいるみたいに見える。
あちらこちらの長く伸(の)びる影の中に、キラキラと舞うように漂っているのが見えて、影になって冷(ひ)えて行く大気と夕陽に照らされて温(あたた)められた通りの路面の温度差で生(しょう)じた気流が、ゆっくりと眼に見えないくらいの小さな塵や極軽(ごくかる)い埃を浮き上げているのだろうと思った。
もっと良く、不思議な光景を確かめたくて、路地から近くの十字路まで行ってみた。
左右に交差する影になった小路(しょうじ)の通りは、向こうの陽が差し込んでいる交差点にキラリ、キラリと多くの黄色い光りが舞い、そして、西陽の差す前後の通りは、先の方までキラキラして、町全体が異次元の金石の町との重なりで、金色や銀色の光の粒(つぶ)に分解して行くみたいに錯覚(さっかく)してしまう。
一斉(いっせい)に舞い上がって行く、金色の光の粒……。
(初めて…… 見た、不思議な光景……。異世界の町……。あっ!)
さっき見付けた時には、白っぽい銀色の光ばかりだったのに、今は、赤味(あかみ)を帯(お)びた金色ばかりに見える。
真上(まうえ)の空を仰(あお)ぎ見てから陽が当たる家を見て、深く青い空の色と、随分(ずいぶん)と紅く照らされて朱色(しゅいろ)になった家の白壁(しらかべ)に、私は直ぐに陽が沈むのを悟(さと)った。
(まだ、間に合う!)
何かが私を急(せ)かすみたいに、急(きゅう)に世界の美しい様(さま)を、もっと見たいと思った私は、さっきまでいた小さな砂丘を目指して急(いそ)いで駆け出した。
世界から明るさが少しずつ陰(かげ)って行くのを感じながら、戻(もど)り着いた砂丘の上で見た夕陽は、下の縁(ふち)が水平線に触れる寸前だった。
*
太陽に触れそうな辺りの海の縁が、ヌラリと朱(あけ)に輝き、鋭(するど)い光りと熱を失(うしな)った紅球(こうきゅう)は、2、3回の瞬(まばた)きの間に、朱色の溶(と)けるような光沢(こうたく)の水平線へ繋(つな)がって行く。
沈む深紅(しんく)の太陽が、水平線の縁へヌメヌメと融(と)けて広がって行くみたいだ。
湧(わ)き立つ雲の壁に遮(さえぎ)られたり、水平線の彼方(かなた)から押し寄せる雲や低く広がる靄(もや)で途切(とぎ)れたりせずに、はっきりと水平線へ融けるように沈む、真円(しんえん)の美しい夕陽を見るのは初(はじ)めてだった。
熱の均衡(きんこう)が失われて、風が私の背後から吹き寄せた。
後ろ髪を梳(す)かして、項(うなじ)を擽(くすぐ)る風に私はコモ湖の風を思い出す。
でも、あの時の春一番(はるいちばん)のような掻(か)き乱(みだ)す疾風(はやて)じゃなくて、優(やさ)しく髪を撫(な)でる気持ちの良い海へと吹く微風(そよかぜ)だ。
この穏(おだ)やかな風によって、路地で舞う不思議な煌(きらめ)き達も吹き払(はら)われてしまったかも知れない。
(……キラキラが消える瞬間も、見たかったな)
放(はな)つ火花を失って紙縒(こよ)りの先から落ちる寸前の線香花火(せんこうはなび)の溶融玉(ようゆうだま)みたいな太陽が、徐々(じょじょ)に水平線の彼方へ沈んで行き、さっきまでの金波銀波(きんぱぎんぱ)のサンセットロードは海上全面の紅色に変わった。
一段(いちだん)と赤味を増した夕陽が波をテラテラと紅く光らせ、暗くなり始(はじ)めた世界に美しく添(そ)えるアクセントように波頭(なみがしら)を鮮(あざ)やかな紅色(べにいろ)に煌(きらめ)かす。
雲一つ無い世界の果(は)てへ太陽が融(と)けるように隠(かく)れて行き、刻一刻(こくいっこく)と変わる世界の色は、『速く明日(あした)へ行こう』と誘(さそ)っているみたいだ。
(綺麗……、なんて美しいの……)
太陽の残りが少なくなるに連れて、加速され、少しも止まってくれない変化する色の美しさに、私は感動して見蕩(みと)れていた。
(あいつは、この色を、私に見せたかったんだ!)
真っ赤な太陽が水平線の向こう側に去った直後の世界の縁は、今日の名残(なごり)を惜(お)しむように透明な朱色に彩(いろど)られて、その、揺ら揺らと光る縁は別の世界に繋(つな)がるゲートのよう思えてしまう。
日没(にちぼつ)を見届けて、私は金石の町へと砂丘を駆け降りた。
(急がないと、家に帰るのが遅(おそ)くなっちゃう。まだ、明るい内にバス停に着かなくっちゃ)
砂丘に上がる前に通った金石の町は想像していたよりも広くて、漁港町の入り組んだ小路が海の方角を見失(みうしな)いそうにさせた。
バス停から砂丘までは思ったより距離が有って、暗くなれば迷子(まいご)になりそうだから要注意だ。
トワイライトタイム! 黄昏時(たそがれどき)……。
日没後の残光(ざんこう)の中、町の大気が影の無いセピア色に染(そ)まってから、だんだんと色を失わせて黒ずんで行く。
それは、異質な終焉(しゅうえん)の予感に心細(こころぼそ)くなってしまう黄色い暗闇(くらやみ)だ。
減(へ)り続ける光量で暗くなって行く世界の様に、孤独な憂(うれ)いと切(せつ)ない哀愁(あいしゅう)が、さわさわと私の心を惑(まど)わせさせる。
初めて来た金石の町は、不思議な感じがした。
幾つもの通りの彼方、曲(ま)がり角(かど)の向こう、狭(せま)い路地の先が夕暮(ゆうぐ)れに薄暗く霞み、まるで、違う世界の違う時間の中の金石の町を彷徨(さまよ)って歩いているみたいだ。
初めて体験する、異世界に迷い込んだような錯覚が楽しい。
バス停に急いでいたのも、すっかり忘(わす)れて歩き廻(まわ)っていたら、いつの間にか辺りは、とっくに暗くなっていて、今は、得体(えたい)の知れない何かが、其処此処(そこここ)の影の中に潜(ひそ)んでいそうで、ブルッと背筋(せすじ)が震(ふる)えるくらい怖(こわ)くなった。
*
金石の町は、市街地の白金町(しらがねちょう)から直線に伸びる街道の果てに在る河口の漁港町。
明るい昼間は、何処(どこ)にでも在りそうな気にも留(と)めない普通に潮臭(うしおくさ)い町なのに、夕焼けに染まる家並みが光子(こうし)に分解するみたいな不思議な異次元の町の様。
夕暮れの黄昏時の街路は、何処かで開く狭間(はざま)に異世界から何か得体の知れないモノが、ぞろぞろと行来(ゆきき)していそうな気がする。
家々から夕餉(ゆうげ)の支度をする人の気配がするのに、人気(ひとけ)の無い狭い通りの絡みは、無事にバス停へ辿(たど)り着けるか不安にさせた。
迷路のような町の通りを彷徨っていたら、すっかり御腹(おなか)が空(す)いて、明るい内の帰宅するのは諦めてしまい、途中で見付けた中華ソバ屋でラーメンと餃子(ぎょうざ)を平(たい)らげてしまった。
……初めて食べる、ドロッとしたスープの、超(ちょう)こってりラーメン。
刻(きざ)み葱(ねぎ)をたっぷりトッピングして、卓上(たくじょう)に置かれていたピリピリな風味(ふうみ)を付ける辛味噌(からみそ)と、疲(つか)れ取りにニンニク味噌を入れてみる。
初めてだから、見た目は異様に映(うつ)るけれど、嗅(か)いでみた香(かお)りは美味(おい)しそうに思えた。
細い麺(めん)に、卓上の調味料と刻(きざ)み葱(ねぎ)を加えたドロドロスープを良く絡ませて、恐(おそ)る恐る口に運ぶ。
(美味しー♪ この味って、私好(ごの)みじゃん! グッジョブだよ!)
水を飲まず、スープは残さずに飲み干(ほ)して、無言で一気(いっき)に完食した。
会計の際に、バス停を教えて貰いながら、『御馳走様(ごちそうさま)でした。初めて食べました。美味しかったです』と、店員さんに御礼を言ったら、本店は京都(きょうと)に在って関西(かんさい)じゃ有名だと教えてくれた。
何かの用で京都へ行く機会が有れば、絶対に本店で食べてみたい気持ちになったけれど、この店には、あいつのトレーニングを見なくても、夕陽の海を見て、夕暮れの不思議な町を歩き、そして、美味しいラーメンを、また食べに来ようと思う。
親切な店員さんに教えて貰(もら)った金石のバス停は直ぐ近くで、丁度(ちょうど)、バス停に待機時間で停車していた金石が始発のバスに乗り込んだ。
この路線のバスは錦町の家へ帰る為に、乗り換えが必要だ。
金石から湯涌(ゆわく)温泉や東部車庫行きの直通バスは無くて、香林坊(こうりんぼう)のバス停で降りて四高記念公園前から乗り継(つ)がねばならない。
その香林坊は、ずっと先のバス停だ。
どうせ、この時間帯の乗客は少なくて、香林坊までに乗客の大半は降りてしまうだろうと判断して、最後尾席の窓側に座(すわ)った。
座席に座ると、コードレスのイヤホンを収納したケースを取り出しながらスマートフォンのセッティングを行い、それからケースから出したイヤホンを両の耳に嵌(は)めて、お気に入りの中学生の頃(ころ)から虜(とりこ)になっているフレンチオールディーズを聴(き)く。
私は、楽曲をパソコンのアプリやネットサービスからスマートフォンへダウンロードしている。
私のミュージック機能に優(すぐ)れたスマートフォンは、殆(ほとん)どプレーヤーとして使っていた。
電話機本来の機能の通話とメールの送受信の履歴(りれき)は、家族ばかりだ……。
(ん! いや、メールは、あいつが1番多かったっけ)
暫(しばら)くして乗降のドアが閉(し)まり、軽くクラクションを響(ひび)かせてバスは出発した。
私は、窓際にスクールバッグを置いて膝(ひざ)を組む。
車窓に凭れ掛かるように頬杖(ほおづえ)を突(つ)き、窓ガラスの向こうに流れる灯(あか)りを見ながら、沈みゆく真っ赤な太陽に鬩(せめ)ぎ合う宵闇が美しいサンセットの空と、トワイライトカラーに染まる町、そして、私を見上げて固(かた)まるあいつを思い出す。
(ふふっ)
とても新鮮(しんせん)な気持ちで満たされて嬉(うれ)しい私は一人、微笑(ほほえ)んでしまう。
(今日、ここへ来て……、あいつに会えた事も含(ふく)めて……、本当に良かったな♪)
つづく
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