桜の匂い 第2章 想いのままに(高校1年生~高校3年生)女子編
遥乃陽 はるかのあきら
第1話 黄昏の金石の海(私 高校1年生)想いのままに・女子編
大きな赤い太陽と、金波銀波(きんぱぎんぱ)に煌(きら)めく波が美しい。
この、感動する綺麗(きれい)な景色を見る為(ため)に、バスを乗り継(つ)で、金沢(かなざわ)市内を流れる犀川(さいがわ)が日本海へ注(そそ)ぐ河口に在る、金石(かないわ)の町へ遣(や)って来た。
古(ふる)くは、砂丘の上に鎮座(ちんざ)していた神社……、お宮(みや)さんの麓(ふもと)に在る集落だから、宮腰(みやこし)と呼ばれ、北前船の海商で栄(さか)えた古(いにしえ)からの漁港町だ。
天変地異(てんぺんちい)の大きな嵐(あらし)で砂丘ごと流されて再建されない儘(まま)の神社の祭神は、天照(あまてらす)と猿田彦(さるたひこ)で、金沢市の旧市街地よりも、ずっと、歴史が有る湊(みなと)の町らしい。
この場所へ来る為に、あいつのメールに有った町名をインターネットで調べたら由来(ゆらい)に、そう記されていた。
私の御里(おさと)の明千寺(みょうせんじ)が在る、トヤン高原の名もそうだけど、何か古代(こだい)のロマンを感じてしまう。
私は、迷路のように入り組んだ金石の町の路地を抜(ぬ)け、草が生(お)い茂(しげ)る土手(どて)みたいな砂丘の上に立って、透明な朱色(しゅいろ)に輝く水平線に見蕩(みと)れていた。
何処(どこ)か知らない違う世界へのゲートのように幻想的で、水平線の向こうが透(す)けて見えそうな色彩の誘惑(ゆうわく)へ、私は引き込まれてしまう。
私の育った、能登(のと)半島内浦に在る諸橋(もろはし)の浜からは西方の水平線が見えない。
夕陽は能登の低い山並(やまな)みの向こうへ落ちて行き、その急速に伸びる山並みの影に、辺(あた)りは宵闇(よいやみ)が覆(おお)われて行く。、
ググゥーっと伸びて迫(せま)って来る暗い山影に、外で遊んでいたりすると、急いで切り上げたり、片付(かたづ)けたりして速(すみ)やかに家に帰っていた。
金沢市から奥能登の珠洲(すず)市へ通る自動車道から何度か真っ赤(まっか)な夕陽を見ていたけれど、水平線の彼方(かなた)へ綺麗に沈んで行く紅(あか)い夕陽を見るのは初めてで、その美しい日没の様(さま)に私は、すっかり魅了(みりょう)されてしまった。
*
手前の道路の遥(はる)か向こう、埋立地を隔(へだ)てた遠くの砂浜に、あいつがいた。
遠くて良く分からないけど、たぶん、1番後ろを付いて行くのが、あいつだ。
『部活の人達といっしょに、ランニングや筋肉トレーニングをしている』と、先週の初めに、あいつから長いメールが届いていた。
【週の前半の三日間(みっかかん)は、天候が良ければ、学校から金石までランニングです。金石の砂浜で、トレーニングのメニューを4、5回繰り返します。それからまた、ランニングをして大野(おおの)新橋の袂(たもと)を曲がり、学校へ戻ります。時々は橋を渡って大野島まで行ったりもします。このトレーニングでは体格と筋力を造(つく)っています。雨降りや寒い日は、校舎内で同じように、ランニングとトレーニングメニューをします。夕陽を受けて金波銀波(きんぱぎんぱ)に輝く日本海の波頭(なみがしら)がとても綺麗(きれい)です。水平線に落ちて行く真っ赤(まっか)な太陽と、金色(こんじき)に棚引(たなび)く雲は、本当に綺麗です。トレーニングは辛(つら)くて、走り出す直前まで気持ちはナーバスですが、その夕陽の海を見ると、辛いことを忘(わす)れてしまいます。きっと僕は、この景色が見たくて走っているのかも知れません。暇(ひま)が有っても、無くても、1度、金石の砂丘の上から、夕焼(ゆうや)けの海を見て下さい】
その金石の砂丘は、草やニセアカシヤや松の木が生い茂り、ちっとも、それらしくないけれど、金石の町から大野川の河口まで続いて、金沢市指定の風致(ふうち)地区になっている。
私は今、金石の住宅地の外(はず)れに在る、海の方へ小さく飛び出した砂丘の上に立っている。
砂浜でのトレーニングを終え、彼らは堤防から目の前の道路に出て来て、大野町の方へ駆(か)け抜けて行く。
一人(ひとり)一人、みんなが私を見て行く。
既に、1番後ろのあいつは、私に気付いていたみたいで、ずっと、こっちを見ながら走って来た。
真下の海岸道路に出た所で、躓(つまづ)いたみたいによろめいたけれど、両手を広げてバランスを取り、転(ころ)ぶのを上手(うま)く防(ふせ)いで立ち止まった。
そして、その姿勢のまま、あいつは私を見上げて来た。
私の瞳は、あいつを捉(とら)え続けていて、見下ろすように見詰(みつ)め合ってしまう。
あいつは、息が上がって辛そうだけど、『充実していて、けっこう楽しいぞ! 羨(うらや)ましいかぁ?』と言いたげな気持ちが、表情から溢(あふ)れている。
不意に、あいつの私を見ていた視線が下がり、そして、ゆっくりと上がって来た。
私の爪先(つまさき)から足首、脹脛(ふくらはぎ)、膝小僧(ひざこぞう)、そして腿(もも)へと視線はじっとりと、ストッキングを履(は)いていない素肌(すはだ)に絡(から)み付きながら上(あ)がって来る。
あいつの視線の動きは、部位が移る度(たび)に遅(おそ)くなり、視線がレーザーポインターの赤や緑の光線で照射するように、私の足の各部位を指(さ)し示(しめ)して行く。
あいつに、探(さぐ)られるように観察されているのを感じて、背筋(せすじ)がズクゾクと震(ふる)えた。
(うっひゃあ! なっ、何こいつ! 気持ちワルー)
ポインターの動きは太腿(ふともも)辺(あた)りで、更(さら)に遅くなり、そして止まった。
あいつは堂々と、私のスカートの中を覗(のぞ)いている。
(ちょっ、ちょっとぉ~。露骨(ろこつ)に、どこ見てんのよ! もう、信じられない)
下校時は、大きな桜の木が立ち並ぶ遅刻坂を降りて学校の敷地から出てしまうと、裏路地の家影で制服のスカートのウエストを、2、3回、折(お)り返して、ミニスカートのようにする。
制服のスカートはボックスタイプのプリーツで、風に捲(まく)れ上がる事が少ないけれど、ミニスカっぽくすると下着が見え易(やす)くなるから、見えても構(かま)わない様な見せパンツを敢(あ)えて穿(は)くのが普通だ。
私の場合はショーツはブラジャーとコーディネートで、アダルトテーマのシックな柄物(がらもの)か、ダークな単色で揃(そろ)えていて、妖艶(ようえん)で扇情(せんじょう)的な感じの下着ほど、けっこう楽しくて対人的なストレスの解消(かいしょう)になると、姉と姉の友達から手解(てほど)きを受けている。
もう、中学生の時のような白色や明るいピンク系は着(つ)けないし、フリルや可愛(かわい)い系のレースも好きじゃない。
(今日はサテンブラックよ。それに、ティーバックじゃなくてスタンダートだから、普通に厭らしくないよ)
ハァハァと息をする口が、更に大きく開いて、あいつは締(し)まりの無い厭(いや)らしくてバカみたいな顔になって、その日焼けした顔が、紅く高揚(こうよう)していくのが分かる。
私のスカートの中を注視していたアホ顔の目が、ハッと上目(うわめ)になって、両手を腰(こし)に宛(あ)てる仁王立ちで睨(にら)む、私の目と合った。
ストレス解消になる欲情的な下着は、見られても構わないと思っているから、別にチラ見されるくらいは平気だけど、流石(さすが)にジロジロと注視されるのは恥(は)ずかしい。
それでも、敢えて、スカートの裾(すそ)を押さえたりして恥じらうようなマネはせずに、ワザと堂々とした横柄(おうへい)なポーズで、あいつに見せ付けて遣る。
下着のデザインはビキニスタイルだ、というよりも私の意向(いこう)を訊かないで勝手(かって)に決められてしまったが、着(つ)けてみると肌にフィットして抵抗感は無かった。
(何だか、気分がいい)
ブラのカップは形の崩(くず)れないのにして有って、小さな胸が盛(も)り上るように強調され、少し詐欺(さぎ)的な後ろめたさが湧(わ)いた。
一瞬、そのまま、あいつは固(かた)まった。
直(す)ぐに、私を見上げた上目の瞳が揺(ゆ)れ迷い、視線を逸(そ)らすタイミングを探(さぐ)る。
赤ら顔のあいつの股間(こかん)がそれなりに張(は)らんで、姉から教えられた男子の性的興奮現象だと察(さっ)した。
気分転換とストレス解消の下着は、確(たし)かに情欲(じょうよく)をそそる効果が有った。
(凄(すご)いよ、お姉(ねえ)ちゃん! 本当に煽情的だよ。効果バッチシだわ ……って……、あっ、ああっ、しまったぁ! 憤(いきどお)る私の気持ちが暴走しているわ!)
姉と姉の友達の下着へのレクチャーは、フリルやレースの全(まった)く無い少ない生地(きじ)のシンプルなデザインで、そのピッチリとフィットする光沢(こうたく)の有る生地が男性を上気(じょうき)させるからと、一方的にファンシーボックス一杯に揃えられている。
(これは、あいつに見せ付けて興奮させて遣る為の、下着じゃないのよ!)
カラーは、サテンブラックにミッドナイトブルー、チャコールグレーやショコラブラウンのセクシーなアダルト系、それにテカテカのメタリックスチールやガンメタルの金属光沢系の戦闘的なイメージで、あいつが放つ強力なプレッシャーパワーに対して、強靭(きょうじん)で敏捷(びんしょう)な身体(からだ)で激しい戦いができるみたいな、そんな厨二病(ちゅうにびょう)的な気分に私を浸(ひた)らせた。
それらの秘密めいたアンダーファッションは、本当に不思議(ふしぎ)と私のフラストレーションとストレスを解消をしてくれている。
(ううん、ちゃうちゃう! あいつに色情(しきじょう)の効果が有ったのを、喜(よろこ)んでどうすんのよ。ううっ、ちょっとぉ~私、バカじゃん!)
秘密めいた下着を着ける目的が、何かズレて来ているけど、これも、楽しいストレス解消になりそう。
(このぉ、スケベ野郎!)
私は、あいつを睨み付けたまま、声を出さずにゆっくりと、唇(くちびる)だけを動かす。
『バーカ』
私の口の動きを読み取ったあいつは、バカみたいなセーフポーズのまま、逃(に)げるタイミングを失(うしな)って動けない。
「おーい、早く来―い!」
部活の仲間が、大声であいつを呼(よ)んだ。
視界を声の方へ移すと、2、30メートル先で部活の仲間達が立ち止って、全員でこっちを見ていた。
「なにしてんだよぉ! 知らない女子にぃ、見蕩れてんじゃねーよぉ!」
(そりゃ、あいつは、見蕩れるでしょう。告(こく)った相手の、可愛い女の子がメールを読んで、ここに来てるんだから、驚(おどろ)いて見詰めてしまうのは当然でしょう)
「もしかしてぇ、おまえの知り合いかぁ?」
(確かに、そいつとは知り合いです。でも、メル友だよ)
あいつは、無反応を装(よそお)っている。
「やっぱぁ、知った女子じゃねぇだろう。スカートの中ぁ、覗いていたしなぁ? スケベな奴だなぁ~。しっかりぃ、見たかぁ。おまえのぉ、あそこもぉ、デカくしてるしなぁー」
私の思っている事を、仲間達が、そのまま大声で言った。
あいつは、彼らに向き直(なお)り、広げていた両手を下(お)ろして足のスタンスを変える。
私の下着を見て紅潮(こうちょう)したあいつの顔が、傾(かたむ)く西陽(にしび)に照らされて、更に、赤く見えた。そして、仲間達の、図星(ずぼし)の大きな囃(はや)し声で、見る見る耳の後ろや首まで真っ赤になり、慌(あわ)てて走って行く。
あいつのそんな姿が、ちょっとコメディアンぽくって、少し口許(くちもと)が笑ってしまった。
待ってくれていた部員達と合流したあいつは、みんなと大野(おおの)町方へと走り去って行き、やがて見えなくなった。
あいつのメールに書かれていた大野新橋を渡って行かずに、袂(たもと)を曲がって大野の川沿いへと向かってしまったのだろう。
(金沢港の在る大野の町へも、まだ、行った事がないなぁ~)
あいつの部活で走るコースに興味が湧(わ)いたけれど、斜陽(しゃよう)を受けて濃いピンクに映(は)える遠くの灯台と橋を見て、気持ちが失せた。
(今から、あそこまで、歩いて行くのは、絶対に無理!)
遠くの浜から走って来て、それから、私の真下で暫(しば)し停まっただけで、ずうっと向こうへ休みもせずに走り続けて見えなくなったあいつの体力と根性を、素直(すなお)に凄いと思う。
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太陽が、あと五(いつ)つ分くらいの傾きで、夕陽は水平線に沈もうとする頃になって、やっと私は、家路へ向かう気になった。
今なら、辺(あた)りが明るい内に帰宅できると思う。でも、あいつが、私に見て欲(ほ)しいサンセット色は、これからだ。
あと30分も経(た)てば、真紅の太陽の下端が水平線に触(ふ)れて始まる、落日の大スペクタクルが観れる。だけど、このまま帰ってしまうと、私のスカートの中を覗き見て逃走する、あいつのヘタレ具合(ぐあい)を見学しに来ただけになってしまう。
暗くなる前に帰宅しようか、このままサンセットを見続けようか、迷う私は一旦(いったん)、下の迷路の様な金石の通りに在る広見(ひろみ)まで降りて、その場、その時の気分に任(まか)せる事にした。
取り敢えず、心配させないように母へ電話だ。
「あっ、お母(かあ)さん。今、まだ学校。部活を見学してるの。……うん、まだ帰れないから。……うん、うん。あまり、遅くならないようにする」
夕陽を見に金石まで来ているとは言えず、私の帰りを心配する母に嘘(うそ)を吐(つ)いた。
連(つ)るむ友達はいなくて、学校のどの部活へも入るつもりは無いのに、まだ、学校にいると言ってしまった。
(どうか、事件に巻き込まれず、事故に遭(あ)わず、迷いもせずに、無事に家へ帰れますように)
正直に、一人で夕焼けを見ていると言えば、絶対に方向違いの詮索(せんさく)をされてしまう。
もっと正直に、あいつに言われて、夕陽を見に金石まで来ているなんて言ったら、きっと、『あいつって誰(だれ)よ?』とか、『あの、あなたを好きだって言った、男の子なの?』なんて、男女交際を絡めたツッコミが入って、返答に困(こま)る恥ずかしい思いをするに決まっている。だから言いたくない。
(それに、まだ、あいつしか…… 見ていなくて、夕陽を見てないし……)
*
嘘は、姉(あね)にも吐いている。
ローマのスペイン広場近くの雑貨屋で、持ち金が足(た)りなくて買えなかったレター挿(さ)しは、『あれーっ! それ、どうしたの? それってぇ……、確(たし)かスペイン広場の店で、買うのを諦(あきら)めたのと同じじゃないの?』って、あいつから贈(おく)られた日に、早々(はやばや)と姉(あね)が見付けてしまった。
中学2年生の後期の終業式の日、学校の机の中から持ち帰り、自室の机の上に飾(かざ)って眺(なが)めていると、ショッピングを誘(さそ)いに来た姉が、レター挿しを見て、入手の経緯(いきさつ)を訊(き)いてきた。
『竪町(たてまち)の雑貨屋に、同じのが有ったんだよ。ほら、お姉ちゃんが連(つ)れて行ってくれた、通りの中程、里見町(さとみちょう)への小路(しょうじ)の近くに在る店よ。お姉ちゃんと行くと、よく入る、あの店……』、とっさに嘘を言った。
あいつから貰(もら)ったなんて、言えなかった。
説明も面倒臭(めんどうくさ)いし、因果(いんが)を感じて、『赤い糸が、見えるみたいね』なんて言われたら堪(たま)ったもんじゃない。
あれから1年以上も経(た)ち、金沢市内のいろんな店に入って探(さが)してみるけれど、嘘は実際の裏付けで償(つぐな)われていない。
レター挿しといっしょに、あいつから贈られたコモシルクのスカーフは、ランドリーから仕上がったパッケージのまま、防虫剤と共に机の引き出しの奥深くに仕舞(しま)われている。
初詣(はつもうで)に首に巻(ま)いて出掛けたら、『やっぱり、似合(にあ)ってるね。温(あたた)かそうだよ』と、自分が選(えら)んで私へプレゼントしてくれたのと色違(いろちが)いなのに、いっしょに御参(おまい)りに行った、お姉ちゃんは気付いていなかった。
家族みんなからプレゼントされた、その、お姉ちゃんが選んでくれたスカーフは、ファンシーケースのハンガーに掛けられて時々、姉にも使われている。
*
十日(とおか)ほど前に着信したあいつのメールに、『弓道部に入りました。入部初日から弓を引く為の形を教えられながら、弓が弾(ひ)ける体格と体力を作るトレーニングをして、毎日くたくたになっています。僕には全(まった)く体力も、腕力も、持久力(じきゅうりょく)も無いのを痛感しています。早く試合に出られるように、鍛錬(たんれん)と精進して頑張(がんば)りますので、出られた試合には是非(ぜひ)、応援じゃなくとも、観戦しに御越(おこ)し下さいませ』と知らせて来ていた。
(貧弱(ひんじゃく)なあいつが弓道部で鍛錬してるってぇ! 雑念(ざつねん)だらけのクセに精進だとぉ! 全然似合ってないねぇ! まあ、ブレない一途(いちず)さだけは知っているわよ)
あらかた、古(いにしえ)の律令(りつりょう)の官『検非違使(けびいし)』や源平(げんぺい)の凛々(りり)しい大鎧(おおよろい)の武士に鎌倉の防人(さきもり)、室町から戦国の一族郎党(いちぞくろうとう)の弓氏(ゆみし)達、そんな己(おのれ)のみで戦う雅(みやび)な華(はな)やかさに憧(あこが)れて選んだのが弓道なのだろうと思った。
それで、試合場でキリリと弓を引いて的に中てる道着姿で、私の気を引こうと考えているに決まっている。
礼節(れいせつ)と和(わ)と察(さっ)しは必要だけど、チームワーク無用の己の精神と技量のみで成果を得るのだから、オタクっぽいあいつ向きかもね。
ただ『弓に矢を番(つが)えて引き構え、狙いを定めて的に中てる』という競技の何処が武道なのか、的の何処に中てたかの違いでの点数を加算するアーチェリー競技のスピリッツは何なのか、日本とヨーロッパと別々に進化して互いに完成形のハンドウェポン、その違いと、あいつが何故(なぜ)、和弓を選んだのか、本当に雅と華やかさが有るのか、そんな事に興味が湧(わ)いてインターネットで調べてみた。
使用具の大きな違いは的の大きさで、アーチェリーのショートという距離30メートルの競技では直径80センチメートル、そして弓道場の的までの距離が28メートルで、的の大きさは36センチメートルだった。
弓を撓(しな)らせる力に大きな違いは無くて、弓の形はアーチェリーがシンメトリーで、和弓が歪(いびつ)な非対称だった。
人が立って構えられる限界の長さと形故(ゆえ)の歪さらしい。
的に中(あ)てるのみが弓道、中る矢を中央に近付けるほど高得点になるのがアーチェリー、武器としての威力(いりょく)は同等。
どちらも肉体を鍛(きた)えて精神を精進させて競技に挑(いど)む。
武道の『道』に重きを置く弓道は、鍛錬した健全な肉体に健全な精神は宿(やど)る、さすれば自(おの)ずと気を集中させて放つ矢は的に中るみたいな精神訓や精神論が主体だった。
【あんたは弓道の『礼記射義(らいきしゃぎ)』を解って遣ってんの? 『仁(にん)』の意味も】
インターネットで見て意味が理解できなかった言葉を訊いて遣った。
【いや、良く分かってないんだ。なんか有段者の先輩達がそれっぽいのを言いながら指導しているけれど、武道で礼節を守るのは当たり前だと思っているよ。剣道や柔道と違って対人戦じゃない弓道は己(おのれ)の敵は自分自身なんだ。粋(いき)がっても、粗暴(そぼう)で有っても、それらは周(まわ)って自分に還(かえ)って来るからね。だから僕は的に中てる事に集中して、その術(すべ)を極めたいんだ。試合は的に中て続けないと勝てないから】
なんか、解ったような『自業自得(じごうじとく)』という意味を返信して来た。
(それって、勝っても、負けても、自分の所為(せい)っていうか、自分の御蔭(おかげ)って事でしょう)
【なるほどねぇー。それにしても射義って、なんで字画の多い昔の漢字を使ったり、真怠(まだる)っこしい言い回しにしたり、難解(なんかい)な言葉にしたりしてんのかなぁ? あんた、全部読めて、意味解ってんの?】
あいつは、きっと読めずに理解していないと思う。
(それを、あいつが認めるか、それとも知ったか振(ぶ)りをしてくるか)
【だよねぇー。全然読めないな! いちいち説明するのが面倒だからってウチの弓道場に『礼記射義』の額は掲(かか)げてないと先輩が言っていたよ。そんでプリントしたのを『弓道の心構え』だから読んでみてと顧問(こもん)先生から渡されたけど、解読不能だったんで読んでないです。あれじゃまるで神社の詔(みことのり)か、御経(おきょう)だな。まったくなんで、あんなに読み難くしてるんだよ! 読み易く簡潔(かんけつ)な現代の文章に纏(まと)めれないのかな? 何処かの偉(えら)い誰かさんが、ワザと精進(しょうじん)を謳(うた)い剛健(ごうけん)質実(しつじつ)な精神に鍛えて神格化する経典(きょうてん)の一節(いっせつ)みたいにしている気がするよ。遣りたい事だらけで誘惑(ゆうわく)に負ける思春期の少年少女が実践(じっせん)するには無理が有ると、僕は思うよ】
(素直に『理解できないから読んでない』と返して来たから、あいつの心根(こころね)は武道に向いているかもね)
【そうね、そんな神様っぽくなるのは、あんたに似合(にあ)わないわね!】
(そう、私を騙したあいつは感動を与えてくれているんだけど、崇(あが)めるわけにはいかいなあ。うん、 私に平伏(ひれふ)さなくても恭(うやうや)しくしなさいね)
【酷(ひど)いな、『仁』の自分の間違いや失敗を人や物の所為にしないなんて、当たり前の事だろう。思い遣りや慈(いつく)しみは『愛(あい)』に繋(つな)がるよね】
あいつは意味深(いみしん)にも『愛』って入れて来た。
【それって私にも繋がるって事ぉ?】
私はあいつの真意を探ってみる。
【勿論(もちろん)、そうだよ。いつか、矢を射る為に鍛えた身体と気を高めた礼節な射法で的を射抜く、静(せい)の中に動(どう)が煌(きらめ)めく僕の姿を君に見て貰いたいんだ】
やはり、あいつは弓道の矢と愛のキューピットの矢を重ねていた。
直接、私に言う根性も、度胸も無いクセに、メールだと、大胆(だいたん)にも本音を隠して来ない!
(くっそう、無り矢り恋に落とされる矢が、刺さって堪(たま)るかぁー)
【そう、頑張ってね。試合に出るなら観にってあげるよ】
(これは、1度は観に行ってあげないとね。邪険(じゃけん)にし続けたら、月の無い闇夜(やみよ)に矢が飛んできそうだわ)
【ありがとう。最善を尽(つ)くします】
つづく
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