第5話:プロの仕事について

 元クラスメイト達は、俺に東京での生活について話してほしいようだった。


 言われるまで忘れていたけど俺は、東京での生活に憧れていた。大学を卒業して就職を機に福岡から上京して東京に引っ越した。


 最初はどうしていいのか分からなかったけど、東京は会社の最寄り駅の沿線の駅に住めば通勤が楽なのだと気づいた。


 俺の会社はなぜか「中野」にあるので、東西線の沿線を狙った。その中で「西葛西」を選んだのは、西葛西という街がどこか福岡と似ているような街だったからだ。


 スーパーも比較的多かったし、ネカフェもあった。引っ越した当初はとにかくお金を下ろせるところと思って、イオン系のコンビニやスーパーをよく利用していた。


「アコレ」や「まいばすけっと」は福岡の人間には全く通じないので、「スーパー」「コンビニ」と言えばいいだろう。


 最近では、コード決済やおサイフケータイで現金を持たなくていいので、安いスーパーを見つけてそこで買い物をしている。


 仕事が割と遅くなり、そこから通勤で移動して、買い物をして帰る。ご飯を食べて、少しのお酒を飲んで、スマホでゲームをちょっと楽しんだら寝る。


 起きたら、バタバタ準備して会社に行く……この繰り返し。

 これで東京の意味はあるのだろうか。


 今の仕事は、本当に東京じゃないとできない仕事なのだろうか。福岡ではできなかったのだろうか。


 俺はクラスのみんなから言わせれば「夢をかなえて機械設計者になった人間」らしい。


 機械を納品した現場でなにか不具合が見つかっても、機械に関してはどうしようもない。部品の図面を書いて、加工してもらって、再度取り付けに行って……この間はどうしても1~2週間はかかる。


 その点、ソフトの方はすぐにデバッグ(修正)に動ける。すぐに帰れないというデメリットもある半面、すぐに対応できるというメリットもある。


 機械屋にとって、ソフト屋に対するあこがれはある。そう言った意味では、自分で機械、電気、ソフトが全部できたらいいなぁと本気で思う。


 でも、仮に本当にそれができてしまったら、仕事は爆発的に増え、家に帰る時間は益々遅くなるだろう。


 週末だって、うまいカレー屋を探しに行くことができなくなる。そう、西葛西にはなぜかカレー屋が多い。



 ……ちょっと待て。これは本当に東京じゃなければできなかった仕事なのか⁉


 東京じゃないとできない生活なのか⁉

 俺の「理想」としていたことは「現実」となった状況なのか⁉


 安くて便利なスーパーやコンビニは福岡にもある。「アコレ」はないけれど、「サニー」がある。「まいばすけっと」はないけれど、大手三社のコンビニが所狭しとあって、困ることはない。


 生まれ故郷や大切なものを捨てて東京に出て、俺が得たものって何なんだ⁉

 俺が失ったものに対して、得たものは等価交換だっただろうか。


 なぜか、地元福岡の同窓会に来て、自分のこれまでの人生に疑問が生じてくるとは……



「みんなひさしぶりー」



 左右に手を振りながら入ってきたのは岩谷いわたにまどか先生だ。背が低めの小柄な先生で、なぜか「ざあますメガネ」をかけている。


 今日もそのトレードマークは健在のようだ。



「お久しぶりです」


「お、濱田くんじゃない! 久しぶり! 元気にしてた?」


「あ、はい」



 そんな簡単なあいさつを交わした後、先生は他の元生徒にも挨拶をしていた。それにしても、彼女は俺の胸の名札を見なくても名前を憶えていた。凄いことだ。俺なんかクラスメイトの名前ももう数人しか覚えていなかったのに。


 そう考えると、いい先生なのかもしれない。当時「カマキリ」とか変なあだ名で呼ばれていた。


 うちの学校は理系の人間がとにかく少なかった。だから、2年になる前の希望進路調査表で「理系」と書いたのは3名。しかも、ヒアリングしたら1人になるという……


 俺はどこか担任の「進路指導」を疑問に思っていた。他人の進路にそれほど真剣になれるはずなどない。四の五の言わずに自分に合ったレベルの学校、学部を選んでそこに行くようにすればいいと言っているのだと思っていた。


 実際、中学3年の時の担任はそんな人だった。だから、俺は教師という生き物に絶望していたし、進路指導に至っては教師しか知らない彼らにどんな指導ができるのかと思っていたほどだ。


 でも、岩谷先生は俺が2年になったら、理系の授業だけ特進クラスに行って授業が受けられるようにしてくれた。特進クラスには半分が理系希望だったので、時間によって理系授業と文系授業に分かれて授業が行われていた。


 席も空くから、そこに入れるようにしてくれたってわけ。


 だから、元々のクラスでは授業がなかった「物理」や「代数幾何」の授業が受けられた。あれが無かったら、俺は授業で受けていないものに対して受験に臨むことになっていた。家庭教師なんかはうちでは雇えなかっただろうし、塾でも一からはやってくれないからどうなっていたか……


 3年になる時は、特進クラスにねじ込んでくれたし、受験できる大学も一緒に探してくれた。


 しかも、さっきは俺の名札を見なくても、10年経っていても名前を憶えていてくれた。でも、俺は特別じゃない。たくさんいた生徒の一人だ。


 彼女みたいな人は教師として目立たないのかもしれない。でも、振り返ってみて初めて分かる。彼女こそ俺の恩師だ。


 そして、彼女は「プロの教師」だ。


 俺はなにか恩返しができる訳じゃない。「あの時はありがとうございました」という一言と、ビール瓶を持ってお酌に行くことくらいしかできないけど、俺は心の底から感謝していた。

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