横断歩道は手を上げて渡れ

梨々葉

横断歩道は手を上げて渡れ

 さほど都会でもないとある都市。その片隅の横断歩道に、一人の男が立っていた。日に焼けた肌に威圧感のある大きな体格。スキンヘッドに黒サングラスというまるでマフィアのような印象の容姿をしている。

 男が本当にその手の界隈の人物なのかはわからない。けれど、にとっては見た目の情報が全てである。


 カチャリ。

 そんな音と共に男の後頭部に冷たい感触が当たる。


「なっ……!?」

「動くな」


 人間らしさを感じない、無機質な言葉に驚愕する。撃たれる────そう感じてしまい、恐怖により身じろぎすらできない。


「手を上げろ」


 言われるがままに両手を肩より上に上げ、降参の意思を伝えようとする。


「いや、片手で良い。もっとしっかり伸ばせ」


 意味がわからない。けれど逆らえばどうなるかわからない。男は大人しく従い、右手を精一杯伸ばす。


「よし、そのまま────いやちょっと待て」


 急な言葉に何か機嫌を損ねるようなことでもしただろうかと冷や汗を流す。首を動かすことなく目を彷徨わせていると、車が目の前を通りすぎていった。


「……今度こそいいな。そのまま左右をしっかりと確認しながら前進しろ。いいな、渡りきるまで体勢を崩すなよ」


 男は小さく頷き、天を貫かんばかりに伸ばした右手を下げないように気を付けながら横断歩道を渡っていく。


 白線はあと二本。唾を飲み込みながら一気に渡りきる。そして、その勢いのままに振り向いた。


 そこには、横断歩道を手を上げて渡るように促す人形が立っているだけだった。



▽▲▽▲▽▲▽



 強面の男は無事横断歩道を渡っていった。また一つの命を救ってしまったな。

 あの拳銃は俺の手をものである。弾も火薬もないけど何故か撃てる。


 俺の名前は事故トメル。横断歩道の脇に立っている人形である。この名前は近所の小学生が三秒で考えてくれた。

 俺は人々が安全に横断歩道を渡れるように、手を上げることや左右の確認などの行動を促す存在だ。


「しかしッ!」


 おっとつい叫んでしまった。

 まあ叫んでしまうくらいフラストレーションが溜まっているんだ。許してほしい。


 子供たちは手を上げて、左右をしっかりと確認して横断歩道を渡るようにと指導されているはすだ。実際、ちゃんとやっている子も見かける。


 けれど……ッ! 大人たちを見ろ!

 誰一人として手を上げることなくある人はスマホを眺め、ある人は友人とぺちゃくちゃ喋り、ある人はそもそも信号を守らない……ッ!


「ルール守れやァ!」

「ワン! ワン!」

「ああ、すまないポチ」


 ポチは近所で飼われている柴犬だ。ポチというのは俺が勝手に呼んでるだけなので本当にそんな名前なのかは知らない。


 と、話を戻そう。

 人々に横断歩道の正しい渡り方を思い出してもらうため、俺は何をしてでも正しく渡ってもらうことにしたのだ。


「おっとポチ、渡り方は覚えてるな?」

「ワン!」


 一つ吠えて返事をしたポチはスッと後ろ足で立ち上がり、右前足を掲げて歩きだす。アイツの渡り方も様になってきたな。


 思えばポチのように多くの命を救ってきた。皆がポチや渡辺のおばあちゃんみたいに素直ならいいが、そんな人間ばかりじゃない。

 近所の悪ガキをじゃんけんでわからせて渡らせ、バブルな女の人をプチョヘンザして渡らせ、美少女の好感度を稼いで渡ってもらい、さっきの黒人みたいにホールドアップさせて渡らせたり……。

 姿の見えなくなったポチの背を眺めるようにしていると、一人の男が近づいてきた。


「…………」


 横断歩道の向かい側から歩いてきた男は、口を真一文字に結びずかずかと横断歩道へ向かっていく。

 男は四十くらいの歳だろうか。黒い羽織と袴を着て、腰には長い棒────恐らく刀を差している。

 まさかアイツ……。


「────ッ!?」


 外れてほしかった予感は、しかし当たってしまった。

 奴は……奴は、歩調を崩すことなく横断歩道を渡り始めたのだ……ッ! 手も上げず、周囲を確認することもなく、男はこちらを見据えて歩いてくる。


「そこの人形。お前がこの辺りで噂となっている怪異だな」

「…………」

「擬態したつもりか? 体が震えているぞ。怯えるとは情けないやつだな。安心せよ、我が一刀のもとに────」

「黙れぇぇぇッ!」


 怯えるだと? 横断のマナーも知らないお前に恐れるところなどない! これは────


「怒りだッ!」


 コイツには何としてでも手を上げさせる!


「ふん、何に怒っているのか知らんが、勝てると思っているのか?」

「あまり舐めるなよ」


 俺がただの人形だと思っていたら大間違いだ。


 男は俺の言葉を聞き入れる気はないのか、雑な振り下ろしを放ってくる。抜刀から淀みの無い攻撃への移行。なるほど、優れた武芸者なのだろう。

 けれど、その程度でやられるものか!


「避けるか、ならば!」


 そう言いながら男は攻撃を繰り返してくる。先程よりも速くなった斬撃は俺の体を捉えようと迫ってくる。

 しかし────見えているんだよ、全部な。


「これも避けただと!?」


 近所の悪ガキとのじゃんけんで鍛えた動体視力と反応速度を舐めるな! アイツは無駄に運が良かったから、マトモな勝負では勝ち目がなかった。だから俺は相手の手を見てから勝てる手を出せるよう訓練したのさ!


「丸見えだぞ、お前の剣筋は」

「ぬぅ……ならば、見えていようと避けられないようにしてやろう!」


 刀身が消えた。いや、目に止まらぬほどの速さで振るわれているのか。先程までの攻撃が線だったなら、これは面。僅かな隙間を残してほとんど逃れようのない終わりを突き付けてくる。

 だが、本当に間隙のない攻撃など不可能。僅かな隙間さえあれば────


「今のを凌いだのか……!?」

「パラパラで鍛えた体捌きが役に立ったな」


 バブルな女性は音楽を流せばプチョヘンザしてくれるような甘い相手ではなかった。彼女のテンションを上げるためにDJの真似事をやって、パラパラを踊って……強敵だった。


「ふ、ふははは!」

「……え、こわ」


 男が突然笑い始めた。何だろう、パラパラを踊る看板が面白かったのだろうか。


「ここまでやるとはな。これは本気を出さなければならないか」

「まだ手を抜いていたと?」

「ああ、凌ぎきったと安心していたならすまないな。まだ終わってなどいないぞ」


 ニヤリと口角を上げ、男は刀を正眼に構え直す。それは素人目に見ても────いや、素人目だからかもしれないが、隙のない達人のそれに思える。


「さあ、行くぞ」


 男は再び猛撃を繰り出してくる。しかし、それは先程のそれと同じような密度に見える。

 これなら避けられる!


「馬鹿め、かかったな!」

「なっ!?」


 避けたと思った次の瞬間、そこには斬撃が置かれていた。慌てて体を捻ったが、小さな金属音と共に左手の小指に小さな傷がつけられる。


「避けたか」

「何をした?」

「虚実を織り混ぜただけのこと。素人のお前にはわからんだろうがな」


 フェイント、ということか? 確かに、剣のことなんて全くわからない俺じゃ、その見分けなんて……いや、待て。もしかして────


「さあ、何処まで耐えられる?」


 三度、振るわれた剣閃は今度こそ俺を倒そうと先程までよりも高い密度で襲い来る。

 それを俺は、極僅かな動きで難なく避けた。


「何、だと……」


 男を観察することで、俺は正しい選択肢に気付くことが出来た。


「何故だ、何故わかった!」

「女心と秋の空」

「は?」

「お前はわかりやすいってことだ」


 ありがとうミライちゃん。あのギャルゲー染みた経験が今俺を救っている。


「くっ……し、しかし、お前は避けるばかり。逃げるだけでは勝つことはでき────」


 カチャリ。


「逃げるだけ? そんな訳ないだろ」

「な……」


 男の額に拳銃を模した右手を突き付ける。避けながらずっと準備していたのだ。


「あの黒人の方が迫力あったぞ」

「くっ、私をどうするつもりだ」

「そんなの、決まってるだろ」


 俺は、横断歩道の人形だぞ。





「さあ、手を上げろ」






▽▲▽▲▽▲▽






 また、一つの命を救ってしまった。しかし、俺の戦いはまだ終わらない。ここを通る人々はまだまだいる。その全ての人たちに、俺は正しい横断というものを啓蒙しなければならないのだ。


「あ、人形いた!」

「出たな悪ガキ!」


 今日もじゃんけんを挑みに来たか。いいだろう、受けて立つ! 何度でも正しい渡り方を教えてやる!

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