第23話 修羅場という字は修羅の独擅場と書く

 どうにか穏便に偽装カップルを解消したいが、誰一人解放してくれない件について。


 どころか状況がますます悪化している件。


 おかしい。こんなはずじゃ。


 なんだってこんなことに。


「……そうだ、あの爺さん」


 思い出したことがある。

 それはおよそひと月前。

 大学からバイトに向かう道中のこと。

 路地をひとり歩いていた俺に声をかけてきた詐欺師然とした好々爺がいた。

 背中の曲がった老人に押し売りされた先着一名限定のチケット。


 あの券が――


『ふぉっふぉ、楽しんで居るようじゃな、青年』


 聞き覚えがある声に顔を上げた。

 今一番会いたい人の声だ。


 視線を上げた先、一面張りのガラスのビルに老人の姿が映っている。


「爺さん! あんたに聞きたいことが――」


 鏡の向こうで隣に立つ爺さんの方に体を向けた。

 だが、そこには誰もいない。


「……は? 何がどうなって」


 ガラスを見る。爺さんが映っている。

 隣を見る。誰もいない。


 鏡の中だけに老人の姿が映し出されている。


『ふぉっふぉ。探しても無駄じゃ。青年とわしでは文字通り【住む世界が違う】からの』

「どういう意味だ」

『分からんか? それとも、理解したくないだけか?』

「……あのチケットは、本物だったのか?」

『左様』

「なんなんだよ、なんなんだよこれッ! 俺はどうなる、どうすればいいッ‼」

『何を狼狽しておる。お主が望んだ世界じゃ。精一杯楽しめばよかろう』

「……はっ、冗談きついぜ。いつ背中から刺されてもおかしくないじゃねえかよ」


 気づいたんだ。

 俺が好意だと錯覚していた、女性陣からの歩み寄り。

 あれはそう。

 ナンパ初心者が女性に勇気を振り絞る行為と同じ。


 つまり……性欲から滲み出た、悪意だ。


 こんなことになるってわかっていたら、もっと慎重に行動していた。

 恋人のフリの相談なんて軽々しく受けなかった。


 ああ、くそ。


「そうだ。何が男女比がおかしいだ。普通に1:1じゃねえか、詐欺じゃねえか! 元の世界に帰せよ‼」

『ふぉっふぉ。男性の人口が女性より極端に少ないなど・・の理由とは言ったが、必ず男女比がおかしいとは言っておらんぞ?』

「はぁ? だったら浮気や寝取られのセーフティはどうなってるのか言ってみろよ!」

『ED率』


 は?


『Erectile Dysfunction、勃起不全。身体的あるいは精神的な理由から十分な勃起が出来ない男が多いのじゃよ。第二次性徴で生殖器がほとんど発達しないと言うべきかの』

「待て待て待て! そんなのいざ本番にならないと分かんないだろ!」

『それが分かるのじゃよ。そっちの世界の女は副嗅覚系というフェロモンを嗅ぎ取る器官が発達しておっての、オスの持つ精力に強く惹かれるのじゃ』


 ……それって、つまり。


『精力こそ正義なのに性欲が枯れた男ばかりの世界に雄が一人。鞍替えしようとする女などおらんよ』


 爺さんは「元から恋人がおる場合に操を立てて破らない女はおるかもしれんがな」と付け加えた。


 そう言えば最初に会ったときも、「据え膳食わぬは女の恥」なんて世界じゃないって言ってたか。

 その辺はどこの世界も同じらしい。


 納得できない話じゃない。

 が、どうにも腑に落ちない。


「……爺さんさ、詳しすぎねえか?」


 何者なんだ。

 そういう意図で問いかけた。


『わしか? そうだな――』


 爺さんの口が三日月のように弓なりを描く。


『お主の前任者、とでも言っておくか』

「前任者だと?」

『左様。お主は問うたな。「どうすればいい」と。性欲が枯れるまでその世界で生きよ。その時お主は元の世界に戻れる』

「……なんで俺なんだ」

『さあのぉ。選んだのはチケットじゃ。わしが選んだわけではない』

「無責任な」

『ふぉっふぉ。わし程責任感の強い男などそうは居るまいて! なにせ現役時代は寄ってくる女をみんな囲い、みんな幸せにしたからの!』


 それって無責任ってことじゃねえのか。

 ダメだ。

 この爺さんと話してるとおかしくなる。


 怖いんだよ。

 もっと普通の恋愛をして、平凡に生きて、ありふれた死に方が出来ればよかったんだ。

 それが気づけばこんな訳の分からない世界に放り込まれてて、不安になって何が悪いんだよ。


『良いではないか。貞操観念が逆転したからなんじゃ。お主の目の前にいるのは、お主に好意を寄せる女性じゃぞ? 妖や物の怪などではない。一人の乙女なのじゃ』

「……」

『一度、向き合ってみるとええ。きちんとな』


 おもむろに、顔を上げた。

 景色を映すビルのガラスに老人の姿は無い。

 夢か幻だったかのように、忽然姿を消していた。


「向き合う……か」


 爺さんの言ってることは何も間違っちゃいねえ。

 反論する手札を俺は持ってねえ、悔しいが。


「彼女たちは俺の知る女性とは少し違うかもしれねえ」


 でも、それは致命的な違いなのか?

 性欲が強い女性は、独占欲の強い女性は、依存性の強い女性は、思春期の女性は、人じゃないのか?


 そんなわけがないだろ。


 元の世界にだってそういう人はいるはずだ。

 だったら、それを異端だと弾劾するのは俺のエゴに過ぎないじゃねえか。


「きちんと向き直そう」


 始まりは意図せずだったかもしれないけれど、これが俺の望んだ世界なんだ。


「この程度の修羅場を潜り抜けられねえようじゃ、男が廃るってもんだろ」


 だから、ここからはじめよう。

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