第15話 花|???の熱視線1

 どっちが似合うと思う?


 なんて言葉が一番の地獄だと思っていた。

 彼女いない歴イコール年齢の俺には無縁だったけど、フェルマーの最終定理を証明するよりよっぽど難しい質問だと思っていた。


 その考えを改めたのは、つい今しがたのこと。


「わかった! じゃあ、試着してくるねっ!」

「はいはーい! じゃあじゃあ、その次はあたしのもお願い!」

「いいね。3人分一緒に考えてもらおうよ」


 ショッピングモール。

 その一角にたたずむ、俺を悩ませる店舗。

 その正体は――


 魅惑のランジェリーショップだった。


(え⁉ 無理無理無理! 童貞にそれはハードルが高いって! 本気で言ってる⁉)


 日曜日。

 初めての偽装デートのことだった。


 花守はなもりさんとそのサークル友達さんと一緒に出かけたのはショッピングモールだった。


 集合時間は11時30分。

 少し早めにランチを済ませ、買い物をするのが今日の流れだった。


 そこまではいい。

 何も問題は無い。


 途中、ワックで女子高生が「彼氏がインポだった」「マジで別れたほうがいいよ」とか言っててむせたけど、それ以外特に何も問題は無かったんだ。


 むしろ、とっさの機転で花守はなもりさんのことを咲桜さくらと名前呼びするなどファインプレーが光っていた、はずだ。


「えへへー、ねえねえ真々田まさなだくん」

「どうした……の?」

「こっちの下着と、こっちの下着、どっちが好き?」


 彼女が、そんなことを言い出すまでは。


(ハッ⁉ ここはいったい⁉)


 げに恐ろしきかな。

 女子3人と楽しくお話ししながらショッピングモールを散策していたら、いつの間にかランジェリーショップの前にいた。


 そしていつのまにか両手に下着を抱えた花守はなもりさんが、爛々と目を輝かせて俺を覗き込んでいる。


 詰んだ。

 わっかんねえよ、これの答え。


 とはいえ、明確な不正解はひとつ分かっている。

 沈黙だ。

 この状況で沈黙だけは選んじゃいけない。


 だからとっさに、


「実際に身に着けてるところを見ないと何も言えないかな……」


 なんて、口走った。

 口走ってしまった。


 それが地獄への片道切符だとも知らずに。


「わかった! じゃあ、試着してくるねっ!」

「え」


 え、ちょ、は⁉

 なんでそれがまかり通るの⁉


 花守はなもりさん、実はちょっとヤバイ人?

 恋人でも無い相手にそんなはれんちな姿見せるとかネジ緩んでるのでは?

 友達がいるから俺が襲うはずないってたかをくくってる?

 ちょっと俺を買いかぶりすぎだぞ?


 ほら、お友達のお二人さんも、なんか言ってやってくださいよ!


「はいはーい! じゃあじゃあ、その次はあたしのもお願い!」

「いいね。3人分一緒に考えてもらおうよ」

「え」


 どうしてこうなった……?


 それとも、俺が女友達すらいなかった童貞だから知らないだけで、仲良し男女なら当たり前なのか?


 だったら気にせず――



 ――ぞくぞくぞくっ!



 不意に視線を背後から感じた。

 舐めるような、ねっとりとした、鳥肌が立つような視線だ。


 後先考えず、反射的に振り返った。

 しかしそこには誰もいない。


(やっぱりまずいよな⁉ だから「うわ変態がいる」って通行客に思われたってことだよな⁉)


 どうにか早くここから抜け出さないと……


「えへへ、どう、かな? 変じゃない、かな?」

「ふぉぉぉぉぉ⁉」


 シャっと試着室のカーテンが開き、恥じらう様子の花守はなもりさんが出てきた。

 触れれば折れてしまいそうな宝石のような肌を晒し、大事な部分だけをランジェリーで覆っている。


(いや! おかしくなんてないな! うん! この状況を満喫したいとかそういうゲスな考えじゃなく、パートナーの相談には乗るのが人道ってもんだからな!)


 自己正当化完了。


「すごい……蠱惑的! 咲桜さくらの魅力が引き立ってる! プリティキュート! 国宝級! 写真にとって家宝にしたいくらい!」

「そ、そう、かな? なんだかちょっと照れくさいね……。つ、次のやつも試してみるね!」


 シャっとカーテンがシャットアウト。

 花守はなもりさんの姿が更衣室の向こうに雲隠れしてしまう。


(今この瞬間、ランジェリーを付け替えてるんだよな……)


 ごくりと生唾をのむ。

 いや生唾飲んでる場合じゃないだろ。


 あんまり変なことばっかり考えてるとポケットのモンスターが巨大化してしまう。

 女性3人とショッピングに来ている中それはどうしようもなく恥ずかしい。


 ここにあまねく煩悩よー立ち去れー。


「ど、どう、かな?」

「ぐはぁぁぁっ⁉」


 岩戸開……!


 閉ざされた仕切りの向こうから神が降臨なさった!

 眼福!


「イイ。すごく」


 脳がショートを起こしかけて、言葉が出てこない。

 仕方がないので俺は親指を立てた。

 天にも昇る心地だ。

 わが生涯に一片の悔い無し。


「えへへ……じゃあ、どっちも買っちゃおっかな」

「っ! 出すよ俺が! いや、俺に払わせてください!」

「え、だ、だめだよっ! わたしが使うものだし、真々田まさなだくんに負担を掛けたくないよ?」


 それくらいしないと俺の気が済まないんです!

 こんな役得ポジションに抜擢してくれてありがとう!

 これは感謝の気持ちだから!


「負担じゃないよ。俺がプレゼントしたいんだ。咲桜さくらが喜んでくれたら俺もうれしいし、みんなハッピーになれる。そうだろ?」

「う、うぅ……その言い方は、ズルいよぉ」


 いやぁ、なんかここ最近で一番有意義にお金を使えた気がするな。


「……?」


 なんだろう。

 いまだに誰かの視線を感じているような?


 気のせい、かな?

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