第13話 鳥|バイト先の誘い受け

 バイトにいそしむ土曜日のお昼過ぎ。

 ラッシュタイムをさばき切り一段落付くと、憩いの時間がやってくる。


 何も作業が楽になるから天国と言ってるわけではない。

 俺がこの瞬間を楽しみにしている理由は、もっと単純。


(本当においしそうに食べてくれるよなぁ、朱鷺川ときがわさん)


 鼻歌でも歌いそうなくらい上機嫌の彼女を見ているとこっちまで嬉しくなってくる。

 体の線同様に食は細いみたいだけど、だからこそ一口一口を味わってくれてるのがすげー嬉しいんだよな。

 なんだったら毎日手料理を振舞いたいとすら思っちゃうもんね!

 それは踏み込みすぎか。


 と、孫の水遊びを見守るおばあちゃんみたいに穏やかな気持ちで食事風景を眺めていると、ばっちり目が合った。

 あれ? デジャヴ。


「……なによ」


 既視感だけじゃなく既聴感までやってきた。

 いや実際に前のシフトで体験した状況とそっくり一致してるからデジャブには当たらないんだけど。


 ただ、俺は前回と同じ回答は許されない。

 二回も「バイトのシフトよく一緒になりますね」なんて言ったら若年性アルツハイマーを疑われてしまう。

 俺、朱鷺川ときがわさんに白い目で見られたくない。


「いや、朱鷺川ときがわさんはおいしそうに食べてくれるから嬉しいなって思って」


 と、純粋な気持ちを述べてみた。

 すると彼女はちょっと複雑そうな顔をして、それからぼそりと呟いた。


美羽みう


 耳まで火照った顔を冷ますように、賄いの隣に用意してあったお冷を煽った。


(いや、忘れてたわけじゃないんだけどね?)


 女性の名前で呼ぶの、緊張する。

 こういうところ永遠に童貞だよな。

 童貞は童貞臭いから永遠に童貞を卒業できない。

 教えてください神様。

 童貞はどうすれば救われるんですか……!


美羽みう


 煮え切らない俺を催促するように彼女は繰り返す。


 待てよ?

 よく考えればこよみ先輩も名前で呼んでるし、うたのことも名前で呼んでる。

 意識しなければ何もハードルなんて高くないのでは?


 うは、俺天才。


「み」

「み?」


 出ねえよ! 声!

 やめて、俺を期待の目で見ないで……!

 滲みだす童貞臭がその期待を腐らせていく様子を見たくないんだ。


 ……覚悟決めろ。

 いくぞ!


美羽みう、さん!」


 言った! 言ったぞ! 俺!

 やればできるじゃねえか!

 見直したぞ!


美羽みう

「……え」

「さん付け、いらないから」

「でも」

「はやく」

「あい」


 そんな、そんなのってあんまりだよ。

 せっかく勇気を振り絞ったのに、さらに一歩踏み出させようとするなんて……!


 いや、逆に考えよう。

 朱鷺川ときがわさんは俺のポテンシャルを引き出そうと力を貸してくれてるんだ。

 だったら、日和ってる場合じゃねえだろ……ッ!


 呼吸をひとつ。

 呼気を吐き出すとともに腹に力を籠める。


美羽みう


 口にすると朱鷺川ときがわさんは真っ赤に染め上げた顔を突っ伏して、机をバンバンと叩き始めた。

 別に辛いものなんて入れてないはずなんだけどな。


「ゆ……」

「ゆ?」


 お湯?

 このタイミングで?

 まあ必要というならお出しさせていただきますが――


ゆう


 ――⁉


 まずい、クラっと来た……。

 だから反則なんだって。


(その普段のクールキャラ壊してしおらしい感じで攻めてくるのはジュネーブ条約に違反します!)


 あれか⁉ あれなのか⁉

 俺が勇気を出して名前呼びしたから、相応の誠意を見せなきゃとか思ってくれたのか⁉

 普段とのギャップがかわいすぎるんだよ!

 脳細胞が死滅するぅ。


「べ、べつに! ただ呼んでみたわけじゃないんだからね⁉ ただ……そう! ゆ、ゆうが次のシフト出してないみたいだったから教えてあげようと思っただけなんだから!」


 かわいい。


「な、なによその目」

「ううん。いつもありがとう、美羽みう

「……っ、うん」


 1回名前で呼べちゃうと2回目からのハードルは下がるんだな……これからは普通に美羽みうって呼べそう。


「それで、どうなのよ。いつも通りなの?」

「あー」


 この喫茶店のシフトスケジュールは2週間単位で組まれる。

 明日からの1週間分は既に確定している。

 つまり提出するのは8日先から21日先までの分。


 とはいえ、大学生の1週間サイクルなんて大きく変わらない。

 基本的にシフトも変化しない。

 という意味での問いかけだと思うんだけど……。


「いや。俺日曜のシフトやめるかな」

「な、なんで……⁉」


 この世の終わりみたいな形相だった。

 ちょっと威圧される。


「そういえば明日のシフトも店長に取り消してもらってたよね?」

「うっ、それは、はい」


 だって花守はなもりさんとデートだもん。

 いや二人きりじゃなくて、花守はなもりさんのサークル仲間へのお披露目だけだけど。

 俺の気分的にはデートなの!


「なんで? アタシと同じ時間帯嫌になった? めんどくさかった? アタシ何か気に障ることしちゃった?」

「違うんです! 違うんですよ⁉ 特に予定があるわけでもないんですけど、なんとなくっていうか、とりあえずです」


 例えばね? 明日遊びに行って、楽しかったねってなって、また遊ぼうよって話になって、次いつ予定空いてる? ってなって、来週の日曜日遊ぼうって話になるかもしれないじゃん!

 来週が無理でも再来週って可能性あるじゃん!

 いいじゃんかよ! ちょっとくらい夢見ても!


 っていうのは黙っておこう。

 なんとなく嫌な予感がする。


「例の……花守はなもりって女?」


 なぜバレた⁉


「なぜバレたって顔してるわね」


 ホントになんでバレるの⁉


「顔に出てるのよ」

「マジっすか⁉」


 俺そんなに隠し事へたっぴなの?

 えー、ショック。


「……まだ、予定があるわけじゃないのよね?」

「まあ、その、はい」


 残念ながら。


「だ、だったら!」


 椅子から勢いよく立ち上がり、前のめりに彼女は口を開いた。


「ア、アタシに頂戴……ゆうの一日!」

「へ?」

「嫌かな……? アタシと一緒にいるより、花守はなもりって子と一緒の方が、楽しい?」

「え、え、え?」


 ちょっと待って、情報が追い付かない。

 美羽みうに俺の一日を捧げるってことはつまり俺の一日を美羽みうに捧げるってことでしょ?

 それってつまり、美羽みうの一日を俺がもらうってことなのでは?


 もしかしなくても――


「――デート、ですか?」


 息をのむように、美羽みうはおもむろに首を縦に振った。表情は緊張で強張っている。

 対照的に、俺の顔は一気に華やいでいく……!


「ぜひ、ぜひぜひ! よろしくお願いします! どこに行きますか⁉」


 まじかー!

 花守はなもりさんに続いて美羽みうともいい感じだぞ?


 てもよいころだろいよモテ

 逆から読んでもモテ期は来ないと思っていたが、全然そんなことは無かったぜ!


 ……逆?

 なにか忘れてるような……。


「あ、あのさ……もう賄いの時間少ないし、今日の夜、Linearリニアで相談してもいい、よね?」

「はい!」


 まあいっか!

 思い出せないってことは大したことないだろ!

 今この瞬間を謳歌しようぜ!

 イエーーーーイ!

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