第7話 風【女バスの思春期】

 22秒03。

 それが風越かぜこしうたに残されたわずかな時間だった。


 スキール音が鳴り響く体育館。

 10分間のミニゲーム。

 点差は1点ビハインド。

 1ゴールでひっくり返る点数。

 だが問題は、攻撃権を相手が握っているという事実だった。


(くっ、時間をフルで使われたら負ける!)


 24秒ルール。

 バスケットにはオフェンスの際、24秒以内にシュートを打たなければいけないというルールがある。


 だがしかし、言い換えれば24秒間はボールをキープする権利があることを意味している。


 うたが逆転する最低条件は、約20秒の間に相手チームからボールを奪い、相手コートに切り込み、シュートを決めること。


 そのうえ、時間を残してゴールを決めてしまった場合は点差を守り切らなければならない。


(勝つ、絶対に――!)


 うたの眼光がギラつくのと、体が動き出すのはほとんど同時だった。

 にらみ合いの状態からの、急激な加速。


 ドリブラーの手からボールが離れた一瞬の隙を突き、うたがボールを奪う。


「しま――っ!」


 ボールを取られたバスケ部員が振り返るがもう遅い。

 うたは既にドリブラーのリーチを抜け、相手コートに踏みこもうとしている。


 ドリブルがうたのすべてだった。

 足りない身長を補うために、誰よりもドリブルの練習をしてきた。


(でも、足りなかった――!)


 思い返すのは昨日の夜。

 公園で出会った男子大学生のことだ。


(学ぶことは多かった。その動きが、今も脳裏に焼き付いて離れない……)


 身長差があった。

 だけどその大学生はあえて平面で勝負を仕掛け、うたはそれを止められなかった。


「このっ! 調子に乗んな」


 ディフェンスのひとりがうたに追いつく。

 ゴールへ切り込む道が分断される。


(拍子をずらすのは、ほんの一瞬だけ!)


 攻撃を仕掛けるタイミングがわずかにずらされる。

 ただそれだけのことで、ディフェンスは重心移動が後手に回る。

 そのコンマ数秒の時間があれば、ドライブで切り込める!


(抜けた……!)


 フリーになったゴールにうたがボールを届ける。

 リングを転がったボールは吸い込まれるようにネットを揺らした。



うた今日絶好調だったじゃーん!」

「……うん、そうかも」


 部活終わりの帰り道。

 友達と自転車で並走しながら、うたが考えていたのは今日の練習のことだった。


(今日はいつも以上に体が動いてくれた)


 いいお手本を得たからだろうか。

 たった数回の攻防だったけど、ドライブのタイミングや駆け引き、足の運び方。

 ハイレベルのプレイスキルを目の前で体感できたのは、うたにとって大きな成長だった。


 それに、あの胸板も――


うた?」

「ひゃぁっ⁉ な、なに?」

「信号青だよ?」

「うっ……ボーっとしてたかも」

「おやおや? あのうたが上の空なんて珍しい! 男でもできたかー? ほれほれ」

「ちょ、違うって……まだそんなんじゃないし」

「まだ?」


 あ。


「待って、今のナシ!」

「にゃはは。やっぱうたも女だったんですなぁ?」

「だから違うって!」

「恥ずかしがらなくてもいいじゃん! だれだれ? この恋愛マスターが相談に乗ってあげるよ? 2組の池尾?」

「いや、無いわ。あれは無い。ガキじゃん」

「おお……辛辣だね。ってことは上級生?」

「上級生っていうか……うん、まあ」


 中学生どころか、大学生なんだけどね……。

 なんて、言うわけにもいかない。


「にゃはぁ! あのうたがそこまで入れ込むとはいったいどんな男性なのだ⁉」

「……それ、言わなきゃダメ?」

「言わなくてもいいけど、翌日にはバスケ部全員からの詰問が待っているであろう!」

「ちょ、わかった。言うから! それはやめて?」


 下手を打った。

 なんて思いながら振り返る。

 どんな男性だったか。


 一番印象が強いのはバスケがうまいことだけど、それを言ったら「男バスの先輩だ」と邪推される。

 もっと曖昧に、けれどごまかしが気づかれない程度に表現するなら……。


「ちょ⁉ うた⁉ 鼻血出てる‼」

「……⁉」


 1オン1の2本目。

 いまだに何が起こったか分かっていない、パスを出したようにしか見えなかった1回。


 うたの目と鼻の先にあったのは、ぶつかるすれすれの、男子大学生の胸板だった。


(あんなエッチなの、反則でしょ……!)


 あの瞬間、うたの集中が切れた。

 迸るフェロモンに性欲が刺激され、途端にムラムラが止まらなくなった。

 下腹部がこれまでにないほどきゅんきゅんして、みるみるうちに欲情していくのが自分でもわかった。


「……ねえうたうたがそこまで惚れこむ相手、すっごく興味あるんだけど」

「だ、だだだ、ダメだよ⁉」

「えー、いいじゃん? 紹介してよー!」

「ダメ! とにかく絶対ダメ!」


 現状うたと男の接点はバスケのみ。

 バスケをしてる間はバスケット選手として仲良くなる機会がある。

 だけど、女としては?


 鼻血を抑えた状態のまま、自らの胸に問いかける。

 自分はちっぽけな存在なんだと、海より雄弁に語り返してくる。

 異性を欲情させられるかどうか……。


 その点隣の友達はどうだ。

 既にCに到達し、いまなお成長は目覚ましい。


 勝てる気がしない。


(……バスケの邪魔にしかならないって思ってたけど、そうも言ってられないかも)


 バストアップマッサージも習慣化していこう。

 小さな獣はひとり闘志を燃やすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る