第6話 鳥【バイト先のメンヘラ】
祖母の代から続くメシマズのDNAが、彼女においしい料理を食べる機会を与えなかったのだ。
食事は苦行。
それが18年生きてきた
でも、そんなとき出会ったのが
「おなかすいた……」
4月になり、
引きこもりで終わらせた義務教育も、通信制で済ませた高校生活も終わりを告げ、学校に通わなければいけなくなってしまった。
食事が嫌で嫌で省エネを突き詰めて来た彼女にとって、外出に伴うエネルギー消費は十分な絶望だった。
「大丈夫ですか?」
朦朧とした頭に声が響く。
見上げればそこに、男が立っている。
思い返してみれば不思議な話だ。
どうしてあの時、めんどくさい手合いに絡まれたと思ったのだろう。
男性に声をかけられることをどうして嫌だと思ったのだろう。
納得できる理由を挙げるとすれば、見栄を張りたかったからだろうか。
弱みを見せたくないというなら、納得できないこともない。
どうにも釈然としない部分はあるが。
とにかく、あの時の
したくなかったのだが……。
ぐぎゅるるぅ。
間の悪いタイミングで腹の虫が鳴く。
恥ずかしさから顔が真っ赤に燃え上がる。
「……なによ」
八つ当たりをするようににらみつけた。
だけど男は、こちらの視線を気にも留めなくて。
「おなかすいてるんですか? でしたら、よかったらどうぞ」
「……これは?」
「玉子焼きですけど?」
「え?」
何を言っているんだ。
玉子焼きと言えば、平べったく、カラメルのような色をした食べ物だろうに。
長く引きこもり生活を続け、外食をする機会もなかった彼女にとって親から出される料理が食に対する知識だった。
食欲、というものを久々に抱いた。
活動エネルギーを補うための作業としての食欲ではなく、目の前の料理を食らいたいという欲求。
はしたない、なんて羞恥心や、見知らぬ男が渡した料理に対する猜疑心をかなぐり捨ててでも、胃に収めたいという衝動。
男が期待するような目でこちらを見ていたということもあり、
「ん~~っ⁉」
未発達の
体の内側から何かが破裂する。
(なにこれ、本当に料理⁉)
彼女だってお菓子くらいは食べたことがある。
そしてそれが彼女の知る一番おいしい食べ物だった。
だが、この玉子焼きはそれをはるかに凌駕する!
味覚が最適化される。
胃袋を掴まれる。
「な、なによ!」
忘我の境地からふと帰ってくると、男が満面の笑みを浮かべている。
「いや、おいしそうに食べてくれるのがうれしくって」
羞恥で悶え死にそうだった。
おいしかったもご馳走様でしたも、言葉にならない。
まして、また今度手料理を食べたいと口にするなど不可能に限りなく近い。
「あ、そうだ。俺すぐそこの喫茶店でバイトすることになったんで、もしよかったらまたいらしてくださいね!」
どうにかもう一度ご相伴にあずかる理由を探していた
*
「不採用!」
それから、
希望は
だが、その腕前は絶望的だった。
ハクリキコ? カタクリコ?
何それどこの国の言葉?
彼女は生粋の料理下手の家系に生まれた。
調理実習も過去全部サボっているので包丁の握り方ひとつわからない。
調理レベルの確認は、材料をそろえる段階で中断された。得点は0点である。
ならばと皿を洗わせてみると豪快に割る。
かろうじて清掃はできるようだが、戦力としては対象外。むしろマイナス。
店長が不採用にするのも当然だ、と
そのうえで、あきらめたくなかった。
「お願いします!」
頭ならいくらでも下げた。
あれから何度かこの店に通ったが、
時間を合わせるには、シフト表を確認するのが一番手っ取り早い。
内部に潜り込むのが最も明快。
「
「……はい」
「うーん、困ったなぁ。キッチンはちょうど即戦力が入ってくれたからなぁ。入ってもらうとしたら別の時間帯に……」
「え?」
時間にしておよそ半秒。
キッチンで採用してもらっても、彼とは同じ時間帯にシフトを組んでもらえない?
理解した。どうするべきか。
稼働を再開する。
「ホールでお願いします」
「え? でもキッチンがよかったんじゃ……」
「ホールがいいです。絶対にホールでお願いします」
「わ、わかった。歓迎するよ、はは」
かくして、引きこもり少女は採用試験を乗り越えた。
歴史的大挙だった。
その成果は目覚ましく、念願かなって彼の手料理を食べられるようになった。
しかも、本来ならメニューに載っていない賄い料理を!
それだけで十分幸せだった。
「実は学科の女の子に恋人役を頼まれて、彼氏のフリをすることになったんですよ」
採用されてからおよそひと月。
(なんで? わけがわからない。ねえどうして?)
アタシのほうがずっと前からあなたのことが大好きだったのに。
アタシのこと嫌いになった?
何がダメだったの?
ねえ、アタシ
髪型も髪色も、あんたのタイプに合わせるよ?
アタシが一番誰より
誰より一番近くで支えていける。
だから、そんなどこの馬の骨かもわからない女にたぶらかされないでよ。
「だったら! アタシとも恋人のフリをして!」
胸が苦しくて、切なくて。
限界だった。
思いを抑えきれなかった。
付き合って、なんてずっと言えなかった。
現状が壊れるのが怖くて、維持に逃げていた。
だけど、他の女に取られるくらいなら、私が。
ねえ、いいでしょ?
「それとも……嫌かな……アタシみたいな、素直じゃない女」
怖くて声が震えている。
答えを知りたくなくて、でも受け入れてほしくて。
「全然嫌じゃないです! むしろすっげえ嬉しいです」
だから、そう言ってくれたのが、本当に嬉しくて。
顔を見ていられなくなって。
「……
捨て台詞を吐く悪役みたいに、足早にホールへ向かう。
(次から
上気した頬が、なかなか収まってくれなかった。
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