第4話 月|サークルの先輩

 この世には許しておけない悪がふたつある。

 ひとつは言うまでもなく強盗殺人。


 そしてもうひとつは、大学の1コマに開講される必修科目である。


 まず、早起きしなければいけない。

 そして空きコマができやすい。

 これが本当に迷惑千万極まりない。


 それで空き時間を持て余した俺は、たまたまこの時間に集会しているサークルに入っている。


「今日はお早いんですね、真々田まさなださん」


 国際交流センター、2F。

 サークルの集会場として使われるその広場の一角に女性が腰かけている。


 オフショルダーのブラウスにプリーツスカート。

 長身によく合う黒髪のロング。

 ふっくらした唇と泣き黒子が色気を爆発させるお姉さんが、俺の学科の先輩。


 写真サークルの、月姫つきひこよみ先輩だ。


「こよみ先輩に早く会いたくて」

「あらあら、あまり年上をからかってはいけませんよ?」


 口元を手で覆い、しかし目元で分かるようにくすくすと笑みを浮かべる先輩。

 これだけでもこのサークルに入った甲斐がある。

 というか、俺と、大学に入ってできた男友達が写真サークルに入った動機はこよみ先輩が理由だった。


 そして思いつく。

 今日の1コマは学部単位の横割り講義。

 俺のクラスは早く終わったが、他のメンバーが合流するまでは少し時間がある。


 それはつまり、先輩と仲良くなるチャンスということなのではないだろうか?

 あるいは神からの月姫つきひこよみと仲良くなれという思し召しなのではないだろうか?


 いや、そうに違いない!


 そこで俺は考えた。

 常人の熟考に値する逡巡。

 それを可能にさせたのは大学生という獣が持つ性欲……!


 刹那閃く。


「じゃあ年下の俺をからかってください」


 年上をからかってはいけない。

 裏を返せば、年下はからかうべきということだ。


 我ながら完全無欠の理論武装。

 先輩だって呆気に取られている。


「まったく、イケない子ねぇ?」

「……へ?」


 俺がしたり顔をできたのは一瞬だった。

 次の瞬間、腰かけていた椅子から立ち上がった先輩が、ゆっくりと俺に詰め寄ったからだ。


 妖艶な雰囲気に気圧される。

 じりじりと後退を余儀なくされる。

 背後に壁が立ちはだかった。

 もう後は無い。

 先輩の顔が、目と鼻の先にある。

 わずかに残った理性が知覚するのは先輩の吐息。


「ねえ、付き合ってくださる?」

「付き合っ⁉ え⁉」


 先輩に手を引かれる。

 らせん状の階段を駆け降りる。


 ちょっとこよみ先輩⁉

 集会はどうするんですか⁉



 海だ。

 こよみ先輩に連れられて、俺は海に来ていた。


「キレイですね。陽に照らされて、きらめく海は」


 防波堤に立ち、潮風に髪を揺らすこよみ先輩の横顔に見とれていた。

 海よりも先輩のほうがきれいですよ、なんてキザな言葉がとっさに出てこないほどに、芸術的な美しさが目の前にあった。


「ねえ、真々田まさなださん。後ろからぎゅってしてくださる?」

「それは、バックハグ的な?」


 先輩は照れくさそうに頷いた。


 え、いいんですか?

 むしろ俺からお願いしたいくらいですが?


 と、悩んでいる間に体は動いていた。

 躊躇してる間に発言を撤回されれば俺は生涯後悔を抱えて生きていただろうからナイス判断だ。


 ――カシャ。


「ん?」


 なんだ今の音。

 カメラのシャッター音っぽかったけど……。


「あの、先輩」

「なんでしょう?」

「その手に握っていらっしゃるのは?」


 先輩が首から上をひねる。

 顔がすぐそこにある。


「一眼レフです! コツコツ溜めたバイト代で新調いたしましたの!」


 ……あ。


「もしかして、付き合ってって……」


 男女交際的な意味じゃなくって、新品のカメラの試写のこと――


「大人をからかっちゃメ、ですよ?」


 ぴと。

 先輩の柔和な人差し指が俺の唇に押し付けられる。


 先ほどまで大人の色気を見せていたこよみ先輩は、イタズラが成功した子供のような笑みを浮かべていた。


(か、からかわれた……ッ⁉)


 道理で!

 先輩の口から付き合ってなんて言葉が出るのおかしいと思ったんだよな!


 ああああああ!

 俺、めっちゃ恥ずかしいじゃん!

 自意識過剰すぎる!

 先輩みたいな美人、引く手あまただぞ!

 俺に好意があるんじゃ、なんて思い上がりも甚だしすぎるだろ……!


「昔から夢でしたの。好きな人と一緒に、海を背中に写真を撮ることが」

「え?」


 好きな人って言った?

 いま好きな人っておっしゃりました⁉


たわむごとです」

「ぐぎゃあぁぁぁぁぁ⁉」


 また騙されたぁぁぁぁ⁉


「というのはたわむごとです」

「どっち⁉」

「もちろんたわむごとです」


 もうやめて……!

 とっくに俺のライフはゼロよ……!


 あ、でもくすくすと顔をほころばせる先輩を見ていたら活力がわいてきた。

 生きてるって素晴らしいな!


「ほら、ご覧いただけますか? キレイに撮れていると思いません?」


 と、身を寄せた先輩と肩が触れ合う。

 俺は耳まで真っ赤になりかけたが、先輩は手元のカメラに夢中みたいだ。


「……本当に、キレイですね」


 海も、先輩も。


「それで、その、もしよければ、ですが……」


 先輩が俺の胸板に寄り添う。

 声色は、わずかに震えている。


「サークルのグルチャに上げてもよろしいですか?」


 ……え?

 このバックハグしているツーショットを?

 サークルのグルチャに?


「俺は構いませんけど(食い気味)、先輩はそれでいいんですか? 変な噂とか流れても知りませんよ?」

「問題ありませんね(むしろそっちを期待していますし……)」

「へ?」

「なんでもございません」


 数時間後、PC経由でデジタル化された写真がサークルのグループチャットに投稿された。

 集会をすっぽかした俺たちは一緒に怒られた。

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