第3話 風|女バスの中学生

 さて、負けられない戦いになってしまった。

 相対する女子中学生のディフェンスを前に、どうしてこんなことになったと考える。



 バイトを終えて外に出ると、ちょうど向かいの学習塾が明かりを落とすころだった。

 すっかり暗くなってしまった夜道を、街灯を頼りに歩き出す。


 大学生になって一人暮らしを始めて早1ヵ月。

 立ち並ぶ建物の列にも顔なじみのような感覚を覚え始めていたのだが、今日は少し、いつもと違う気がした。


 はて、何が違うんだろうか?

 疑問の答えはすぐに分かった。


 市役所横にある、少し広めの公園。

 夜になっても街灯が明るく照らしているバスケットコート。

 そこに、女の子がいた。


 年のころは中学生くらいだろうか。


 ダムダムとドリブルするボールハンドリングは見事なもの。フリースローラインまで移動すると、両手打ちで放たれたシュートがネットを静かに揺らす。


 少女は肩で息を吐くと、シャツで汗を拭った。

 まくられた衣服。おへそがチラリズム。


(こんな夜遅くに女の子がなんて無防備な格好をしてるんですかぁぁぁ⁉)


 明るい茶髪のポニーテールを揺らし、少女は練習を再開する。

 どうやらまだ帰るつもりはないらしい。


 世の中には怖い男がいっぱいいるのに!

 危機感がなさすぎる!


「誰?」


 どうしたものかと考えていると、こちらの気配に気づいたのか、少女が問いを投げかける。


 俺が答えずにいると、少女はシュートを放ち、こちらに振り向いた。

 シュートはネットを揺らし、ゴールポストの下でバウンドを繰り返す。


 ぱっちりとした大きな目。

 まだあどけなさの残る顔立ちが、こちらを覗き込んでいる。


「もう夜も遅いよ。お母さんも心配するだろうし、家に帰った方がいいんじゃないかな?」

「余計なお世話」


 少女はつま先を俺からゴールポストに向けなおすと、ゆったりと歩き出した。

 地面に止まったボールを器用に叩く。

 手のひらに吸いつくようにボールが起き上がり、少女がダムダムとボールを突く。


「……ウチには、バスケに一番大事な身長がないから」


 がしゃん。

 ボールはリングに嫌われて、あらぬ方向へとはじかれた。

 その先にいるのは俺だった。


 身長がないから。

 その言葉に続くのは、人よりいっぱい練習しないといけない、だろうか。


「オーケー。無理に帰れと言うのはやめるよ」


 彼女に練習をやめる気が無いのは分かった。

 だけどこんな夜遅くに、女子中学生が一人出歩くのを看過できるほど俺は腐っちゃいない。


 地面に転がったボールを掴み上げる。

 外用の、グリップの利かないボールをワンハンドで。

 これは挑発。


「ただし、俺が負けたらだ」

「え?」

「1オン1だ。まあ、負けるのが恥ずかしいっていうなら、強制はしないけどな」

「――ッ! 言ってくれますね」


 獰猛な笑みを浮かべる少女を前に、考える。

 負けられない戦いになってしまった。

 さて、どう攻めたものか、と。


 身長は俺のほうが高い。

 シュート時もジャンプの溜めに要する時間が短い分、俺のほうが有利だろう。

 少女もそのことを意識しているのか、少し間合いが近い。


 だからドライブで勝負する。


 レッグスルーのタイミングで少し体を浮かし、抜きにかかる拍子を一拍ズラす。

 刹那の駆け引き。

 少女が垂らされた釣り糸を前に我慢を見せる。


 瞬間、母指球を使い最高速度で置き去りにした。


「え⁉」


 フリー状態で放たれたレイアップは、ボードにぶつかりネットに吸い込まれる。


 少女が驚いたようにこちらを見ている。


「なめてかかると痛い目見るぜ?」

「……あはっ! 面白いじゃん!」


 少女にボールを渡す。

 舌なめずりする様子にちょっと見とれた。


「あ」

「ふふん、お返し」


 俺が見とれた虚を突くように、ヘジからのクロスオーバー。鮮やかに抜かれてしまった。


 レイアップを決めた少女がボールをこちらに渡す。


 こんにゃろう!


 先のドライブを警戒してか、少女は1度目より少し距離を取っている。

 だから俺は、3ポイントラインからさらに一歩後ろに下がった。

 同時にゴールに視線を飛ばす。


「くっ、させな――っ⁉」


 シュートフェイク。

 慌てて飛び出した少女がしまったと後悔を表情に出す。

 焦りで乱れた思考が落ち着く前に、俺はパスのフォームで少女の背中側に腕を伸ばす。


「パス――っ⁉」

「こっちだ」


 回転を掛けてコートに落とされたボールが、跳ね返る時に方向を転換する。

 俺から見て右、パスルートに体を向けようとする少女に対し、ボールと俺の体は左方向へと流れる。


 よし、これでもう一本。


 レイアップを決めて、ボールを回収。

 少女にパスしようとして、気づいた。


 俺が抜き去ったときの位置から一歩も動いていないのだ。


「どうかしたか?」

「ななな! なんでもありません! そ、それより早く! ボールをください!」

「……? おう」


 ボールを受け取ると、ダムダムとドリブルが行われる。右か左か。少女がどちらに切り込むのかを判断するべく、少女の顔を覗き込む。


「~~ッ⁉」


 あれ? 顔赤くね?


「熱でもあるのか?」

「ち、ちがいま、ひゃ――っ!」


 少女の指からボールがすっぽ抜ける。

 ふむ。

 さっきまであれだけ精細なボールさばきをしていたのに、こんな凡ミスとは。

 まあうまく見えても中学生だもんな。

 ちょっとした精神の乱れで大失敗もするよな。


「んじゃ、1オン1は俺の勝ちだな。約束通り――」

「ん‼」


 少女は怒声を上げて指を3本立てた。


「さ、3本勝負?」


 こくこくと頷くたびに、ポニテが揺れる。


 ここまで俺が2本決めて、少女は1本。

 次に俺が決めればそれで終わり。

 俺が外して彼女が決めれば同点。

 その時はデュースかな?


「いいぜ。相手になって――」


 ここで決めればそれで終わりだ。

 そう思って、勝負に乗ろうとした時だった。


「キミ達! 今何時だと思ってるんだ!」


(やっべぇ! お巡りさんだ!)


 夜の公園。男子大学生と女子中学生。

 この状況ってすごくまずいんじゃ……。


 違うんです!

 俺は彼女が家に帰れるようにと――


「そっちの男子。キミは彼氏さん?」


 なんでだよ。

 女子中学生相手に交際しているって発想がなんで出てくるんだよ。

 違うし、仮にそうだったとしてお巡りさん相手に肯定するわけがないだろう。


「違いま――」

「そうだけど、何か文句あるの?」

「おい」


 このJCは何言ってくれちゃってるんですかねぇ⁉

 やめてお巡りさん!

 俺何も悪いことしてないんです!

 やらしい気持ちがあって近づいたわけでは決して――


「はあ。親御さんも心配してるだろうし、そろそろ帰りなさい」

「はぁい」

「彼氏さんも、節度を持ってお付き合いするように」

「え? え? え?」


 え、そんな緩い感じでいいの?

 大丈夫かよこのお巡りさん。

 俺がロリコンだったらとか考えないの?


 釈然としないまま、俺たちは公園を出た。

 少女の歩行速度に合わせて隣を歩く。


「なんで彼氏なんて嘘ついたんだよ」

「まだ勝負はついてないから。逃亡は許さない」

「そ、そんだけのために……?」


 少女はこくんと頷いた。

 ポニテが揺れる。


風越かぜこしうた

「ん?」

「教えてよ、お兄さんの名前も」

「おお、真々田まさなだゆう。3月末にこのあたりに越してきた大学1年だ」

「ふ、ふぅん」


 このあたりに越してきたと言った瞬間、少女がぴくんと反応した気がした。

 ふぅんという声は生返事を装っていたが、なんとなく弾んでいるようにも聞こえる。


「じゃ、じゃあ、また、会える?」


 ふいにぴたりと足を止めた少女が、指をもじもじさせながら口に出す。

 その上目遣いは犯罪だろ!

 何かに目覚めそうな気がする……!


「夜遅くまで練習するおてんばさんを、放っておくわけにもいかないだろ」

「……っ! 約束、破ったら承知しないから!」


 おずおずと言った様子で、俺の手に指を絡めるうた

 ……恋人って、あくまで名目だよな?

 あんま考えないようにしよっと……。

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