12 誰も見たくなかった

「……は?」


 そして、ソレは一瞬の出来事だった。


 ホリーさんは腰の剣を抜き放っていたけど、お坊ちゃんを直接斬って捨てたりはせず、僕の目には、目の前の空気をただ斬っただけ、と言う風にも見えた。


「な、何を――」


 さては斬り損ねたのか、元々ハッタリで剣を抜いただけだったのかと、お坊ちゃんの口元に馬鹿にした様な笑いが浮かび上がったものの、その状態を最後まで維持する事は出来なかった。


 あ……と誰かが声を上げたタイミングを待っていたかの様に、お坊ちゃんの着ていた服のあちこちに亀裂が入り、そのままはらりと地面に舞い落ちたのだ。


「な……っ、なななな……⁉」


 気が付けば、由緒正しい……かどうかは知らないけど、ナントカ侯爵家のお坊ちゃんが、下穿きパンツ一枚と言うあられもない(別に誰も見たくない)姿になっていて、食堂の中が別の意味で静まり返っていた。


「あらぁ……? 最近書類仕事ばっかりだったから、ちょっと腕が鈍っちゃったかしら? せっかくだから涼しく全裸にしてあげようと思ったのにぃ」


「⁉」


 ホリーさんの発言からするに、どうも持っていた剣で、お坊ちゃんの服を意図的に切り刻んで衆人環視の中で晒し者にしたっぽかった。


「「「――――」」」


 中には自分の事じゃないのに、無意識に身体の前の部分に手をあてている人がいる。


 下穿きパンツ一枚の姿は、意図的でも本当に偶然だったとしても、どちらにしてもホリーさんの怒りの深さが滲み出ている様で、怖すぎた。


 いずれにせよ、お坊っちゃんはどうやらこの状況に耐えられなくなったらしく、膝から床に崩れ落ちていた。


「ホリィーっっ‼」


 僕やニールスが茫然としている間に、ようやく副ギルド長が捕まったのか、辺りに響く大きな声と足音が近付いてきて、食堂の入口にあるウェスタンドアが勢いよく開かれた。


「おまえ……っ、ソレをやる時はメシ食ってない時にしろって何回言わせんだよ⁉」


「あら、マレク」


 さすがかつて一緒に冒険者活動をしていた時があると言うだけあって、通常考え得る、ギルド長と副ギルド長の関係よりは、随分と気安い。


「あら、じゃねぇっ! 誰がメシ食ってる最中に野郎の裸なんて見たいんだよ! 時と場所を考えてやれよ、この脳筋‼」


「か弱い女性に向かって脳筋はないんじゃないの⁉ 大体、野郎って言ってもお子ちゃまじゃないのよ。誰も筋肉隆々だの太ったオヤジだの相手にこんなコトはしていないでしょうが!」


「あぁ⁉ 『か弱い』だ? 寝言は寝て言え! っつうか、アレより若けりゃ普通に性犯罪だ、ど阿呆! ああっ、もう、説教は後だ後! おい、その辺にいる初心者集団! 奢ってやるからコイツら縛り上げるの手伝え!」


 何も食堂にいるのが、上位の冒険者だけだとは限らない。


 辺りをざっと見回した副ギルド長マレクさんは、自分が顔を知るE級冒険者たちが何人かいる事に気が付いたんだろう。


 まだ彼らの懐事情がさほど温かくない事も察して、小遣い稼ぎも兼ねて声をかけていた。


 奢り、と聞いた他の冒険者たちもちょっと反応を見せていたけど、指名されたのが全て初心者冒険者たちだと分かった瞬間に、それならばと手伝いを譲っていた。


 基本、皆、自分が初心者でお金がなかった時代を経ているからだろう。

 そのあたりは寛容と言うか、ケンカになる事は少ないのだ。


 もちろん全員がそう言う態度をとれる訳ではないけれど、少なくとも今日、この中にはいなかった。


「――あれ、ハルト君? 食堂にいたんだ。そっか、ニールス君とお昼だったのね」


 マレクさんに怒鳴りつけられて、不満げに頬を膨らませていたホリーさんが、どうやら僕たちの存在に気が付いたみたいだった。


「ハルト君、この後は騎乗訓練に行くのよね?」


 こら待て、面倒事を丸投げすんな! などと叫んでいるマレクさんを、しれっと無視する形で、ホリーさんの方からこちらへと歩み寄って来る。


「あ、はい。その予定です」


 僕は一応、マレクさんをチラ見しながら「放っておいて良いんですか?」と視線で問いかけてみたけど、ホリーさんは、多分わざと、気付かないフリをしていた。


「んー……今日から訓練だって言うのに悪いんだけど、多分近々すぐ、頼むコトになると思うから、気合入れて訓練してきてくれる?」


「え……」


 突然そんなコトを言われて、話についていきそびれてしまった僕に、ホリーさんが視線を合わせるように少しかがんできた。


「――あのお坊ちゃんの話、リュートに伝えて欲しいのよ」


 グッと声のトーンを落として、僕の周囲にも聞こえたかどうかと言うくらいの声で言葉を続ける。


「もちろん、アイツらにも事情聴取はするし、話の裏付けも取るけど、どっちにしてもルブレヒト侯爵家は、今回の件に無関係じゃないっぽいから」


「!」


 さんざん、お坊ちゃんを煽っていても、ホリーさんはちゃんと侯爵家の名前を把握していた。


 僕の「さすが」と言う表情に気が付いたのか「ヘンなところで感心しないで」と、軽く額を小突こづかれてしまったけど。


「あの様子だと、お坊ちゃん自身はただの我儘なガキンチョだけど、父親とその側近あたりは、いずれ卵が手に入る事が分かっていたコトになるでしょ? ちょっと見過ごせないわよね」


「……確かにそうですね」


「だからごめん、あんまり猶予を与えてあげられそうにないわ。時間かけると、お貴族様は大抵が買収と揉み消しに走るから。そうさせない内に動かないといけないのよ」


「……分かります」


 リュート叔父さんが向かった先は、辺境伯領。

 副都よりも更に情報が届きづらい事は間違いない。


 ルブレヒト侯爵家とザイフリート辺境伯家との関係性が、きっとギルドでは調べ切れない。

 だから伝えに行けと言うことなんだろう。


「訓練頑張って、ハルト君! そろそろ送迎馬車の時間でしょ? さぁさぁ、行った行った!」


 最後は普通の声の大きさになったホリーさんから、僕は勢いよく背中を叩かれて、そのまま送り出されることになった。



 ……ホリー! と叫ぶ副ギルド長マレクさんの声と「行ってら~」と軽く手を振るニールスの声を背中に聞きながら。

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