第四章 逃れえぬ過去 或いは 人間関係
その1 痴漢冤罪 ダメ 絶対
「よおヒバ、お疲れ。悪いな、わざわざ迎えに来てもらって」
「おいこらサキ! 痴漢ってえのはいったいどういうこった!? 痴漢ってえのは!?」
ロシア大使館鎌倉別荘から僅か徒歩五分。若宮大路は一の鳥居のすぐ側、豪華で洒落た門構えをもつ女子校の隣に鎌倉警察署はあった。
あの後、電話口の〝青木〟に言われたとおりに鎌倉署に赴いた火箱は、免許証による身元確認からはじまり、各種書類への記入・手続きを経て、さらにたっぷり三十分ばかり待たされた上で、ようやく釈放された先崎と面会することが出来た。
良く言えばポジティブ、悪く言えば物事を深くかんがえない先崎とは言え、さすがに逮捕されて落ち込んでいるのではないかと心配をしたのだが、案内の警察官に通された応接室で顔をあわせた先崎は存外けろりとしたものであった。
火箱は内心ホッとしたものの、逆に気を揉んだのが馬鹿らしくなって、先崎が腰掛ける来客用のソファの隣に憤然と腰を下ろしていった。
「ったくよ〜。痴漢冤罪でパクられるなんてこんなカッコ悪いことそうそうねえぞ。だいたい、なにをどうしたら路上で痴漢と間違われるんだ?」
「そのあたりは追い追い話すとして、ところで聞いたか? 俺たちを尾行していた連中って、なんと公安なんだとさ」
「ああ、知っている。というか、詰めて吐かせた」
「なんだよ、ヒバ? あんまり驚いていないんだな?」
「驚いたさ。予想の範囲内だけどな。逆に訊くが、おまえさんは
「それは俺にもわからないが、まさかあんな芋っぽい女の子が天下の公安警察だとは思わないじゃないか?」
「そうか? 教育隊を出たての新任
「あー。なるほど。たしかに……」
何か思い当たるところがあるのか、こころから納得したように頷く先崎。
ちなみに、ここで先崎が言う〝芋っぽい子〟とは、カップルを偽装して火箱たちを尾行していた、おかっぱ頭の若い女のことであり、先崎が痴漢逮捕で捕まることになる原因であった。
「……なるほど。つまり〝赤信号を突っ切って逃げたおまえさんを追っかけて車道に飛び出したその子が車に撥ねられそうになったところを、とっさに抱き寄せて助けたら痴漢呼ばわりされて騒ぎになり、たまたま巡回中だった交番の警察官に逮捕された〟と──そういうことだな?」
「純朴そうな子だったからな。男慣れしてなかったんだろうな」
自分が逮捕されるに至った経緯を語り終えて、先崎は肩をすくめていった。
「正直、あの子には悪いことをしたと思うよ。きっと上からは大目玉を食らっただろうし。ここを出るまえに、できれば会って謝っておきたいな」
「おまえね、お人好しもいい加減にしておけよ? もともと公安の連中が、善良な市民である俺たちを尾行したりするからこんなことになるんだろうが?」
火箱はあきれたようにかぶりを振ると、テーブルを挟んだ下座に座る男に冷たい視線を向けていった。
「なあ、おたくもそう思うよなぁ? 公安の〝青木〟さんよ?」
「いやはやどうも。いちいち手厳しいですな」
苦笑まじりに嘆息するのは、鎌倉別荘のまえで〝青木〟名義の名刺を差し出したあの公安の中年男だった。
「繰り返しになりますが、この度は当方の職員がたいへんなご迷惑をおかけしまして申し訳ありません。ただひとつ誤解しないでいただきたいのは、今回の事態はけしてあなたがたの行動を抑止したり圧力をかけようという目的でおこなったものではないということです」
「それにしちゃあ、あまりにもタイミングが良すぎやしないか?」
〝青木〟とのあいだにある応接用のテーブルの上に身を乗り出して、火箱は探るようにいった。
「しかも現場は警察署のすぐ目と鼻の先、それも人通りのおおい若宮大路での逮捕劇ときた。いくらウチの相方が人間離れした体力オバケだとしても、そんな状況じゃあそうそう追跡を振り切って逃げられるもんじゃない。この点だけでも、あんたらがサキを狙って罠を仕掛けたと疑うにはじゅうぶんだと思えるんだがね?」
「まさか。誓ってそのようなことはありませんよ」
「おい、ヒバ。あんまり意地悪を言うもんじゃないぞ」
弱り顔の〝青木〟に代わり、先崎が取りなすようにいった。
「そもそも俺がその気になれば、交番のおまわりさんの五人や十人くらい簡単に無力化できることくらい、おまえは知っているじゃないか?」
「そういう問題ではないし、そもそも、そういう不穏当なことを言うもんじゃあない」
「じゃあ、どういう問題なんだ? たしかに捕まりはしたけれど、こうして釈放してくれたわけなんだし。なんにも問題はないんじゃないか?」
「おまえ、本気で言っているのかよ?」
火箱は今度こそ本気であきれかえっていった。
「こいつら公安の目的が俺たちの足止めであったならば、いまこうして俺たちが
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