その7 渦巻く陰謀 と 迷惑防止条例違反(容疑)

「あ。コラ、待て──」

「やめろ。手は出さない約束だ」


 とっさに引き留めようとする似非サーファーを制し、中年男は飄々とした足取りで鎌倉別荘の本館側に面した薄暗い路地へとむかう火箱の背に向かって声をかける。


「後日あらためてお話を伺うことになると思いますが、その時はご協力お願いしますよ」

「ああ、もちろん。ただウチのような中小零細は貧乏暇なしでね。あらかじめ電話でアポをとってくれよな」


 そう言って火箱は振り向きもせずに、かかげた右手を左右に振ってみせた。

 それに対して中年男は軽く肩をすくめると似非サーファーに「行くぞ」と声をかけ、火箱とは逆方向、江ノ電の踏切へと向かう一般道のほうへと向かって足早に歩き出す。

 いっぽうの火箱は、背の低い石垣からこちらを見下ろす白亜の洋館を横目に、まるで散歩を楽しんでいるかのようなのんびりとした足取りで進んでいく。

 だが、それは鎌倉別荘の敷地に面した細い路地を抜けるまでのことであった。

 道幅の広い一般道に出るところで誰も尾行つけてこないことを確認した火箱は、まるで水面に顔をつけて耐えていたかのように「かはっ!」と肺に溜まった息を吐いて立ち止まる。


「チクショウめ、ビビらせやがる……」


 はたして胸を押さえれば、心臓が早鐘を打つかのようにバクバクと悲鳴をあげている。

 なんてことはない。さっきまでの余裕のある態度はただの偽装フェイク、ハッタリもいいところの強がりで、実際のところ相手が公安であるとわかってからというもの、ずっと「逮捕されるんじゃないか」と内心ビクビクしていたのであった。


 ──クソ! 単なる失踪人調査のはずだったのに、なんだってこうなるんだ?


 もっとも、神永が元〝S〟という時点である程度は面倒なことになる覚悟はしていた。

 とはいえそれはせいぜい自衛隊の情報保全隊か、悪くても警務隊が出てくるかもしれないという程度の〝覚悟〟であり、間違っても〝国家警察〟ともいうべき公安がかかわってくるなど、想定外もいいところだった。

 とまれ、何をおいてもまず先崎にこの事実を報せねばならない。

 事が手筈どおり進んでいるのなら今ごろ、カップルをよそおって尾行してきた男女をおびき寄せながら、ついでに他にも尾行している者がいないかあぶり出すため、鎌倉の街を逃げ回っているはずだ。

 さすがの先崎も衆人環視のなかで相手を叩き伏せるような真似には出ていないとは思うが、不測の事態ということもある。その場合、相手が公安であると知らないままだと、何かしらかの法令違反で身柄を拘束されかねない。

 それでなくとも火箱の目から見て、先崎はあまりにも〝脳筋〟であり、危なっかしいことこの上ないのだ。


 ──サキの野郎、余計なことしてなきゃいいんだが……。


 不安を胸にスマートフォンで電話をかけるが、しかし聞こてくるのは呼び出し音のみであり、やがて留守番電話サービスに切り替わってしまった。

 電話の着信に気がつかなかったのか、それとも電話に出る余裕がない状況にあるのか。試しにもういちど電話をかけると、今度は即座に切られてしまう。

 否応にもなく悪い予感がしてくる。

 火箱は急いでSignalを立ち上げると「今どこだ?」とメッセージを送った。

 すると、その直後スマートフォンに着信がある。

 だがそれは先崎からではなく、非通知設定の番号からの電話であった。


「ああ先程はどうも。です」


 はたしてそれはついさっき別れたばかりの中年男だった。

 火箱はとっさに「どちらの青木さん?」と惚けてやろうかと思ったがさすがに大人げないとかんがえなおし、「ずいぶんとお早い連絡じゃないか?」と嫌味ったらしく言うに留めた。

 

「それとも個人的にうちへ依頼したい仕事でもあるのか? もし奥さんの素行調査をご所望なら特別割引料金で引き受けてやってもかまわないぜ?」

「そう仰られずに。私もまさかこんなに早くご連絡をすることになるとは思ってもいませんでしたもので」


 そう言う中年男の口ぶりは、どこか困ったような響きを伴っていた。


「それでですね? たいへん申し訳ないのですが、これから鎌倉警察署のほうに来ていただくことはできませんかね?」

「おいおい、ずいぶんと急なお誘いだな?」


 内心の動揺を悟られまいと、火箱はわざと軽い口調で返していった。


「それとも警察署に出頭させておいて、何かしらか容疑をでっちあげて俺を逮捕しようという腹づもりかい?」

「いいえ、まさか。そのようなことは絶対にありません」


 ただ……、と中年男は渋い口調で続ける。


「えー、なんと申しあげればいいのやら……じつはついさきほど先崎さんの身柄を所轄が拘束したと部下から連絡がありまして──」

「なっ、てめ──!?」


 思わず一瞬声を荒らげかけて、火箱はギリッと奥歯を噛みしめた。

 相手は公安、国家の暴力装置だ。必要と判断すれば一介の探偵事業者との口約束などいくらでも反故にしてくることくらい最初からわかりきっていることであり、当然予想しておくべき事態であった。

 しかしながら、だからといって相棒を人質にとられて黙ってはいられない。火箱は深く息を吸って腹を決めると、対決する意志を示すようにはっきりとした口調でいった。


「あいつもプロだ。間違ってもカビの生えた〝転び公妨〟なんぞで捕まるようなタマじゃねえ。いったい何をどうやったかはしらねえが、そっちがその気ならこっちにだってかんがえがある。いざとなれば今回の一件について、知りうる限りの情報を洗いざらいぜんぶ法廷でぶちまけてやるから覚悟しておけよ」


 むろん、ただの虚勢ブラフ、単なるこけおどしの類いである。法廷でぶちまけるもなにも、公安が神永を張っている理由すらわからないのだ。

 しかし、そうとは知らぬ中年男はひどくあわてた様子で「待ってください! 完全に誤解です!」と釈明するのであった。


「今回の先崎さんの逮捕は、こちらとしても完全にアクシデントだったんです! まさかよりにもよって、!?」

「ふざけるな! いまどき転び公妨なんかで公判が維持できると──

 ……は? ?」

「ええ、です」


 如何ともしがたいといった声で、中年男が答える。


「報告によれば、先崎さんはうちの応援にきていた女性警察官にたいする痴漢行為の現行犯で、たまたま巡回していた交番の警察官に逮捕されたのです」

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