その6 国家権力には逆らわないのが more better(誤用)
「……っ!」
きつい口調で指摘され、ようやく自分が薄氷を踏んでいる状態であることを理解したらしい似非サーファーが、みるみる表情を強張らせて沈黙する。
いっぽう火箱のほうも、飄々とした態度こそ崩さなかったものの、その心中は穏やかではなかった。
当然だ。見る物が見れば機動隊あがりまるだしな似非サーファーのおかげで、相手が警察、それも警備(公安)部門であろうことは早い段階で見当がついていたとはいえ、こうして実際に認められるとやはり事の重大さを意識せざるを得ない。
──ったく。神永の野郎はいったい何をやらかしたんだ?
過激な陰謀論に傾倒し、謎の人物とゲームを介して密かに連絡を取り合い、殺傷力の高い刃物を持ちだしたまま失踪。現時点で判明していることをならべるだけでもじゅうぶん不穏当だというのに、公安警察の監視対象になっているとは、あまりにも剣呑が過ぎる。
出産を控えた妻とかわいい娘がいて、年老いた母親も元気にやっているというのに、いったい何の不満があるというのか。火箱はまだ会ったこともない神永という男にたいして、他人事ではないような腹立たしさを覚えた。
しかし、そんな心のうちは表に出すことなく、火箱は「まあそう怒ってやりなさんな」と軽い口調で中年男に話しかける。
「俺もすこし言い過ぎた。いくら人材不足だからって、いきなり実働部隊に放り込む人事がどうかしているんだ。すこしくらいポンコツでも大目に見てやろうや」
「誰がポンコツだ、誰が!?」
「おい──」
顔を赤くして言い返す似非サーファーをひと睨みで黙らせ、中年男は探るような目を火箱に向けていった。
「まるでウチの会社やその界隈を、いろいろご存知のような口ぶりですな? 失礼ですが、お宅さまの所属をお聞きしてもかまいませんか?」
「いまは民間だよ。いちおうな」
いちおうもなにも
なにしろ相手は公権力、それも逮捕権をもつ警察である。「理屈と膏薬はどこはでもつく」と言うが、こちらが何の後ろ盾もないただの零細探偵業者であると知れたら、それこそ似非サーファーが言うように公務執行妨害で逮捕・拘留されかねない。
「なるほど、〝いちおう〟ですか」
そんな火箱の思惑に気づいているのかいないのか、中年男は首の後ろを掻きながらいった。
「わかりました。今日のところは手を引かせてもらいましょう」
「主任!?」
ギョッと目を剥く似非サーファーを手で制し、中年男は続けていった。
「ただ、われわれとしても、このまま何の収穫もナシというわけにもいかないのはご理解いただけますね? どうでしょう、ここは譲歩をして互いの連絡先の交換するというのは?」
「要するに秘匿追尾でこちらの正体を暴くのはやめて、素直に訊こうってわけかい?」
「人間、正直なのがいちばんでしょう?」
冗談なのか本気なのかわからない中年男の口ぶりに、火箱は肩をすくめていった。
「まあウチとしてはかまわないぜ。そもそも最初からお上に逆らおうなんて気は毛頭なかったしな。……ああ、いちおう言っておくけど、ホンモノの名刺をよこせとかそういう無粋なことは言わないから、安心してくれていいぞ」
「手厳しいですな、どうも」
かくして、
「ファイア・アンド……? これまた変わった、いえ、洒落たネーミングの探偵事務所ですな」
「共同出資者の相方のセンスでね」
所属部署の表記も階級もなく、携帯電話の番号の他には『神奈川県警察 青木慎吾』とのみ書かれた名刺を矯めつ眇めつしながら火箱はいった。
「ところで念のために訊くが、ここから離れたとたんに逮捕とか、後日事務所に家宅捜査にはいるなんてことはないよな?」
「ここで何を言おうとしょせん口約束ですよ。ですから、そのあたりについては〝信用してください〟としか言えませんな」
つまり「目に余るようなことがあればどちらの可能性も排除しない」と言外に伝っているわけである。さすがは警察。下手に出ているようでいて、どこまでも高圧的だ。
火箱はすくなからずムッとしたが、もちろんそんな感情はおくびにも出さず「おお怖い怖い」とおどけて肩を竦めて踵を返した。
「怖いから、俺ぁもう行くわ」
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